殺人鬼の正体
一番最初に人を殺したのは中学二年の時だった。
当時、僕は父と母と一緒に住んでいた。母は朝早く出かけ、スーパーのパートを夕方まですると今度は夜遅くまで工場で働く。
父はと言うと、ろくに働きもせず、昼過ぎに起き、気が向けばパチンコに行くか友人が経営していたという居酒屋に入り浸っていた。そして、夜遅くに帰ってくると母と僕に暴力をくわえる。
典型的な虐待。母はこの生活に嫌気がさし、僕が小学校6年生の頃、朝仕事に出かけると言ったきり姿を消した。
母に捨てられたという事実は幼かった僕には耐え難いショックを与えた。それと同時に、母がいなくなったということは父とふたりの生活が始まるということだった。
それからの生活は地獄だった。父とふたりで暮らしだした僕はろくに学校に通えずにいた。家に軟禁され、気分が悪ければ殴られる。父が家に友人を招けば、僕が父と友人達の世話をする。遊び半分でサンドバッグにされたこともある。
そんな日々が二年半続いたある日。家に帰ると父が無防備な姿で惰眠を貪っていた。
僕は、その無防備な背中に包丁を突き刺した。一度刺しただけでは絶命させることが出来なかったので、何度も何度も繰り返し刺した。手や顔、体に飛び散る鮮血。いつもの父からは想像もつかないようなか細い抵抗の声。
その後、背中を何度も刺された父は物言わぬ骸となっていた。
僕は警察に通報し、警察に保護された。
このまま刑務所に入るのかと思ったが、僕の体の傷を見た大人達は虐待の末の正当防衛と判断した。
僕は両親を失った。親戚はいたが、実の父親を殺害した僕を受け入れるはずもなかった。
そのまま児童養護施設に入れられ、高校卒業まで世話してもらった。
児童養護施設にいた間は勉強に励んだ。いい大学を出て、いい企業に就職したかった。
僕は都内の有名私立大学に合格した。その後、大手IT系企業に就職。幼い頃の苦い思い出さえなければ、とても順風満帆な人生を過ごしていた。
しかし、この話には裏がある。
僕は、父を正当防衛で殺していない。殺したいという欲求、衝動がたまたま頂点に達したために起こった純粋な殺人だ。
父に恨みはあったし、憎んでいた。だが、殺そうとは思わなかった。最低ではあったが、それでも僕の父親だ。いつか改心してくれると、そう信じていた。
だが、たまたま見た父親の無防備な背中。殺人欲求、殺人衝動が僕の頭を蝕んだ。
気がつけば、そこには『かつて父親であったもの』が転がっていた。
その時の事は、今でも強烈に覚えている。
楽しかった。この世の中には、これ程に楽しいことが存在していたのかと。なぜ今まで気づけなかったのかと。
そう、僕は『生まれつきの快楽殺人鬼』。
『家庭環境が人をおかしくする』。これは間違いではない。
実際、そのような理由で殺人を起こす人間は多いのだろう。
僕が捕まった時も周りの人間は、僕の過去が僕を殺人という行動を起こさせたのだと言っていた。
思わず笑ってしまった。
何馬鹿なことを言っているんだ、と。
人間は自分とは違ったものを恐怖の対象として認知する。
人間にとって『異質』とは恐怖の対象なのだ。
そんな時はどうするか?
簡単な話だ。自分の理解できる領域に引きずり下ろして考える。
過去に凄惨な体験をした。だから僕という人間は殺人鬼になったのだ、と。
現実は違う。僕は生まれながらにして快楽殺人鬼。
父を殺した理由は、殺したかったから殺した。この事件については、これ以上もこれ以下もない。
生まれながらにして持った『異質』の開花は給食に出たデザートのプリンだった。
プリンを掬って食べようとスプーンを突き刺した。すると、プリンは皿に崩れて倒れた。
たったこれだけだった。普通の人ならば何も感じないようなこと。
ただ、僕には人生をひっくり返すような出来事だった。
今まで綺麗な、芸術的と言ってもいいような形状でそこにあったプリン。絶妙なバランスで立っていたプリンはたった一度、スプーンを突き刺すという行為だけで崩れ落ちた。
その時、僕の頭は落雷に打たれたような衝撃に襲われ、痺れた。
その痺れは苦痛などでは一切なく、快感ともいえる快楽を感じさせた。
それからは、人を殺してみたいという欲求をどう抑えるかに悩まされた。
どんなに生まれながらにして殺人を好む人間だったとしても人が人を殺すことを良しとしない社会で生活してきたのだ。
殺人は良くない事だと認識してしまっていた。
だが、そんな認識もある日突然打ち砕かれることになる。
そう、父親を殺したあの日。
それまで僕の中を取り巻いていた『道徳』というものは一切無くなった。
二人目の殺人は、父を殺した次の年。近所に住んでいた男の子を縄で絞め殺した。
児童養護施設の近くは団地だった。僕は、そこに住んでいた『かず君』という男の子に近づいた。かず君の両親は共働きだったため、いつもひとりで団地近くの公園のブランコで遊んでいた。僕はそんなかず君に話しかけ、一緒に遊ぶようになった。
歳は、4つほど下で僕のことをお兄ちゃんと呼び慕っていた。
とても懐いてくれて、僕も可愛い弟だと思っていた。これは本心だ。
だが、僕がかず君に近づいた理由はもちろん殺したいからだった。
自分より弱いものを殺してみたい。その欲求を実現するべく、僕は殺しやすそうな環境にいるかず君に目をつけた。
かず君と関わっているうちに本当に可愛いと思うようになっていた。
普通ならここで殺すことを躊躇するのだろう。
残念ながら僕にはその考えは浮かばなかった。
これが、普通の人間と特異な人間を分ける最たる所以だろう。
僕はいつも通りかず君を公園に呼び出し(何日も前から観察し、誰もいなくなる時間を見計らい)、土管型の遊具の中で絞殺した。
手に残る肉を絞める感覚は何物にも変えがたい感動を与えてくれた。今まで何の疑いもなく信じてきた弟を娯楽で殺す背徳感。かず君の顔に残る「どうして?」という疑問と苦悶の表情。その全てが僕を満たしてくれた。
その事件は、地元だけでなく全国区で大きなニュースになった。
だが、犯人は捕まらなかった。
僕は特に何も意識していなかったが、現場の証拠が一切なかったらしい。警察は殺し慣れた者の犯行とみて調査した。まさか、近くの児童養護施設で暮らす中学生の犯行だとは露ほども思わなかっただろう。
僕に殺しの才能はないが、ある才能があった。才能と呼べるのかは疑わしいのだが。
それは、『少し運が良い』というものだった。
なんだ、その程度か。と、思われる人は多いのではないだろうか。
しかしこれが、僕が約20年間、警察から逃げきれていた最たる要因であることに間違いない。
僕がこの才能に気づいたのは20代後半の事だった。
殺しは決して上手くなかった僕が、その当時通っていたキャバクラ嬢の女を火炙りで殺した事があった。
いつも通り現場を片付け逃げ帰った後、殺人現場にある靴跡を消していないことに気がついたのだ。気がついた時にはかなりの時間が経っていて、もう駄目かと諦めていた時、それは起こった。
突然の雨。その日の天気予報では間違いなく起こるはずのない事だった。
この出来事以来、僕は自分の運の良さを自覚するようになった。
試しに実験をしてみたこともあった。一年間パチンコに通い、不定期で宝くじを買った。
そして、一年後に結果を見てみると、ふたつとも勝っていたのだ。
宝くじは数千円儲け、パチンコに至っては数万円も勝っていた。
たまたまだという者もいるだろうが、僕はこれを必然的に起こった事象だと決めつけた。
この運の良さこそ、僕が殺人をスムーズに行えていた理由だと。
かず君を殺した後も、僕は人を殺し続けた。
何人殺したかは数えていない。殺した人数を数えることに意味を感じなかったからだ。
誰かにその数字を自慢するわけでもないのだ。僕は、僕のために僕以外の人間を殺す。
僕は殺すことに意味をつけるのが嫌いだった。なんの意味もない殺人をモットーに無差別に殺した。
老若男女、職業問わず、殺し方も様々だ。
刺殺、絞殺、撲殺、毒殺…。
自殺に追い込んだり、事故死に見せかけたりと手の込んだ殺し方も大好きだった。
だが、人間。いつかは綻びができるものだ。僕は、40歳の誕生日を迎える二日前に捕まった。
僕は、殺した人間の小指を集めるのが趣味だった。
何故好きだったのかはわからない。ただ何となく集めていた。買い物する時や、髪を切りに行く時でもポケットには必ず『誰か』の小指を忍ばせていた。
捕まった理由は、馬鹿みたいなものだった。
スーパーで買い物していて、ポケットから小指を落としてしまったのだ。
それを見た、主婦が警察に電話して自宅捜索。浴槽から解体途中の女の遺体が見つかりそれで終わりだ。
呆気ない最後だったと自分でも思う。もっと試したい殺しは沢山あったのに勿体ないと思う。
後のことは覚えてないが、気付けばここにいた。
僕の裁判はすぐに終わった。
『死刑』だ。
まあ、妥当だろう。間違いなく捕まれば死刑だと確信していたので驚きはない。
死刑囚はいつか来る自分の死に怯え、壊れてしまうらしい。
今のところ僕にそれは無い。
死ぬのが怖いかと聞かれれば、確かに少し怖い。
だが、それだけだ。
僕は死を受け入れられる。
今まで散々殺してきたのだ。次は僕の番だと言われれば納得できる。
そればかりか、自分の順番がこれ程遅くに回ってくるのか、と。そう思える。
そして、もうひとつ死を受け入れられる理由があった。
それは、『彼女』の存在だ。
彼女はいつも僕の前に現れて問うのだ。
「───次は何がしたい?」、と。
その彼女の問に、いつも僕はこう答える。
「殺したい」、と。
すると彼女は優しい笑みを零し、消えるのだ。
皆、この話を聞くと、頭のおかしい奴がみた幻覚だと思うだろう。
自分でもそう思う。
僕は無神論者だと思っていた。だが、彼女は確かに存在した。
彼女は言った。次があると。
僕は死が待ち遠しい。
どうやら僕は今日死ぬみたいだ。
日本の死刑は絞首刑だ。
白色の床と木でできた壁、あまり広くない部屋に立ち、床が落ちるのを待つ。
最後に言い残す言葉を聞かれたが、僕はそれに答えない。
言い残す言葉のある人生など送っていない。
僕は僕の人生に後悔していない。後悔してはいけない。
唐突に床が落ちた。
首に縄がくい込む感覚。そして、苦痛。
絞首は運がいいと一瞬で気絶するそうだ。
気絶しているうちに死ねるらしい。
僕は、自分の運の良さを知っている。
僕の苦痛は長く続いた。
これは、僕が願ったからだ。気絶をするな、と。
僕は自分の人生の幕引きを気絶したまま終えたくないと、そう考えたからだ。
…これが『死』か。
やっと死を感じられた。
死とはこれ程までに美しいのか。
僕は、死刑執行から数分にわたる異例的な時間をかけて死亡を確認された。
確認できるだけでも67人を殺害した、日本の歴史上でも類を見ない凶悪殺人鬼の人生はここで終わりを告げた。
僕は生まれながらの鬼。
僕は誰からも理解されない鬼。
僕は人間の世界に産み落とされた鬼。
僕は人間ではなかったのだ。
鬼は人間を殺す。そこに理由はない。
僕は知った。
僕がやってきたことに意味は無い。
僕の人生に意味は無い。
たが、やはり後悔はしていない。
殺してきた人たちへの罪の意識も持ち合わせていない。
僕は『彼女』に話しかける。
「次はどんな殺しをしようか」、と…。
世界に必ず『鬼』が存在している。それは輪廻転生を繰り返し、常に存在し続ける。
鬼に死の概念は存在しない。
鬼とは、唯一無二の存在だ。
鬼は自分が鬼だと気づくことは無い。
鬼は己の人生の終わりに『彼女』の声を聴く。
『彼女』が一体何なのか。それは鬼にもわからない…。
そんな鬼は、今この時も存在している。
平等な死をふりまく『異質』となって――。