猪獣人になったんだが、オークと間違われて喰われそうです。
「ねえぇ~、猪瀬くん、お願いだから、一口でいいから、食べさせてよ~~♪」
クラス一の美少女(俺判定による)、岸部さんは以前と変わりない甘ったるい声でそう言って、じりっと一歩間合いを詰めてきた。その手に握られた細身のロングソードがギラリと光った。
彼女の後ろでは、同じくクラスメイトだった剣崎、麻田さん、神林がチャキっとそれぞれの武器を構えていた。
そのさらに後ろでは、大鍋が焚き火にかけられて湯気をあげていて、まな板と包丁が無造作に置かれている。その脇の解体用ナイフとノコギリには、赤黒い何かがべったりと刃に付着していた。
「ま、待って、お、落ち着こう、な?」
「この前食べた豚鬼ね、すっっっごくおいしかったの~。『ほっぺたが蕩けてしまう』っていうのは、ああいうのを言うのね~」
「いや、俺はあくまで猪獣人であって、豚鬼じゃないんだっ」
「とんかつ、焼豚、ソテー、焼肉、ハンバーグ、豚汁、角煮、回鍋肉、はあぁぁ~どれがいいかしら~。猪瀬くんは何かリクエストはある?」
「知らんわっ!」
俺に聞くんじゃねえ。
俺が憧れていた女の子は、種族がエルフになったことで一層綺麗になって、それはもう見蕩れてしまうくらいに素晴らしい微笑を浮かべていた。
だが、彼女が俺に向ける視線は、好意ではなかった。いや、ある意味では「好き」という気持ちを表しているのかもしれない。異性に対する好き、ではなく、味の嗜好においてだが。
彼女だけではない。他の三人も、いくらか困惑と後ろめたさの色が混じってはいるものの、本質的には同様の目で俺を見ている。
嫌悪や敵意ではなかったのがせめてもの救いだった―――と言っていいのだろうか。だが、俺を殺して捌いて喰う気はまんまんだ。
「新鮮な豚鬼のレバー、すっごく貴重なのよ~」
「だからっ、聞けよっ! 俺は豚鬼じゃねえええええっ!!」
まだ体は無事だけど、既に心が痛いです。
―――猪獣人になったんだが、オークと間違われて喰われそうです。
事の起こりは一ヶ月ほど前になる。
高校での授業中に、突如、俺たち二年三組の全員は異世界へと飛ばされた。ラノベでありがちなクラス転移というやつになるのか。途中、神サマを自称する何かが何か言ってたけど、どーでもいいことしか言ってなかったので、それについてはとりあえず脇に置いとく。
問題は、この転移の際に一部の生徒が人間以外の種族に姿を変えられてしまったことだ。種族はランダム。エルフになった奴とか、ドワーフになった奴はまだいい。
俺は猪の獣人になってしまった。
獣人というのはさておいても、なぜに猪? しかも耳だけとか尻尾がある人間ではなく、ほぼ成獣の猪が直立二足歩行してるような姿だ。いったい誰得なのかと。よほどの上級ケモナーにしか需要がないんじゃないのか。
そうして、気がつくと俺は深い森の中にただ一人ぽつんと立っていた。どうやらこの異世界転移は、全員一緒の場所に送られるのではないらしい。
後に聞いたところから推察するに、仲のよかった者同士で固まって送られる傾向が強いようで、それはつまり、たった一人森の中に放り出されていた俺はクラスの中でボッ―――いや、考えるのはよそう。
とりあえず、俺は自分の姿を確認した。こんな場所に鏡なんてあるわけないので、目に見える範囲と触った感触で。
体格は元は小柄なほうだったのに、2m近い巨体になってしまった。首が太すぎて肩との境がわからない。手足は筋肉の塊で、ものすごく太い。手の指は四本だが、人間のそれに近い形をしていて、物を握るのには困らない。
顔はたぶん猪そのまんまで、これでは元の面影は欠片も残っていないだろう。下顎から生えた牙二本が目立つ。
一応、これで近接戦闘能力は高めらしいので、その点ではいい。あと、視力が幾分弱い代わりに嗅覚が鋭い。
だが、全身の体毛がひどいことになってしまった。顔はもちろんのこと、胸といわず腹といわず、全身余すところなく剛毛で覆われている。モフモフだったらよかったのだが、ゴワゴワなのだ。地球の猪と同じかはわからないけど、猪の毛はブラシにも使われてるというから、その堅さはお察しではある。
神サマ(自称)からは、初期装備として簡素なシャツとズボンも与えられていたのだが、毛がゴワゴワしすぎて、着ているとどうにも違和感がひどく、結局脱いでしまった。股間のトランクスだけは我慢して装備してるが、これで人としての尊厳が保たれるのかというと、大いに疑問だった。
この時点ではまだ、猪獣人になったことに対する俺の認識はといえば、体格と服装を気にする程度のものでしかなかった。心底、能天気だったと言わざるを得ない。
服以外の持ち物はといえば、ちょっと大き目の剣鉈一本に、背負い袋一つ、古式ゆかしい飯ごう一式、米(北海道産ななつぼし胚芽米、無洗米加工)1㎏,ミネラルウォーター500㎖ペットボトル二本、百円ライター一個。これでどーせよと。
一合で150gだったか。一食一合として六食分ちょっと。このわずかな米を喰い潰してわずかな日数を生き永らえるか、それとも飢えを耐えつつ胚芽米を発芽させて稲を育てて異世界に米文化を拡げるか、という究極の二択を迫られているのだろーか。てか、胚芽米って発芽させられるのか? あるいは魔法で修復できたりとか。
まあ、どっちみちサバイバル経験なんてあるはずもなく、森では生活できない。まずは人里に出ることを目標にした。
どうにか森を出た先は見通しの良い草原地帯で、そこで細い道を見つけた。辿っていくと、その先に村があった。
やっと人里にたどり着けた、と安堵したのだが。
村まであと100mほどまで近づいたところで、村の入り口にいた見張り役と思しき男が、俺のいる方を見ると、驚愕の表情を浮かべて固まった。
そして、大声で叫んだ。
「てきしゅーーーっ! おーくっ、はっけーーーんっ!!」
同時に、村内にカンカンカンカンという鐘の音が鳴り響いた。
は? と思った。
初めて聞いたこの世界の人の言葉。転生時に、この世界の言葉を理解するスキルは与えられているので、言葉は理解できているはずである。だが、その言葉が何を意味しているのかが理解できなかった。
「おーく」って、あのオークだろうか。ファンタジーでは定番の豚に似た人型モンスター。ゲームで言えば、序盤ではけっこう強めの敵。よく、くっころさんと対になる魔物。
もしそんなのが近くにいるなら、まだ戦闘経験皆無でレベルが低い俺だってヤバいんじゃないか。
そう思って周囲を見回してみたが、あたりには危険そうなモノの気配は微塵も感じられなかった。
俺の周囲の長閑な風景とは対照的に、村は蜂の巣をつついたような状況になっていた。
「男衆は武器を持って集まれっ! 女子供と老いたもんは退避せよーーっ!」
わらわらと慌しく村人が出てきた。〔気配察知〕スキルを使わずとも感じ取れるくらいに、村全体が緊迫感にあふれ、猛烈に殺気立ってる。
「え? な、なに?」
武器を持った男たちが見ているのは、間違いなく俺だった。
「変異種かなんか知らんが、豚鬼一匹で襲ってくるとはいい度胸じゃねえか……」
「豚鬼、許すまじっ」
「久々の肉だのう……」
「ちと脂が少なそうじゃが、いい塩漬け肉になりそうじゃ……」
「冬の前の仕込みの頃合に、食料がやってきおったわい」
村人たちは口々に言いながら、武器を構えて近寄ってくる。言葉はわかるのに、意味がわからない。いや、わかりたくない。
彼らの顔に浮かんでいるのは、怒り、憎悪、敵意、殺意。それと、半分くらいは食欲のような気がする。それが俺に向けられてた。
言葉から察するに、俺を豚鬼とみなしている。
俺は血の気が引いた。
「いや、ちょ、ま、俺はオークじゃな……」
「やれーーーっ!」
号令とともに、彼らがこちらに向かって走り出した。
「ひっ!? ひいいぃぃぃーーーっ!!」
弁明する間も与えられず、俺は全力で逃げ出した。
*
俺は最初の森へと引き返した。
初めて遭遇したこの世界の住人の恐ろしさが、頭にこびりついて離れない。あんな恐ろしい目で見られたのは初めてだった。トラウマになりそうだ。
日本で経験したような喧嘩とは次元が違う。本物の殺意を向けられたことなんて初めてだ。怨念のようなものも感じた。〔気配察知〕スキルのせいか、敵意には余計に敏感になってるのかもしれない。
それだけでも、俺にはまったく身に憶えがなく、理不尽極まりなかったのだが、何よりも悍ましいのは、彼らは俺を『喰う』つもりだったことだ。
もう人里には近寄りたくない。サバイバルの仕方なんてわからんけど、やるしかない。
野外で生活するにあたって、森の奥深い場所にある洞窟を拠点にした。
ミネラルウォーターはもう残りわずかだったが、幸い、水場はすぐに見つけられた。嗅覚のおかげなのか謎だけど、なんとなく水がありそうな気がする方に行くと、小川の音が聞こえてきた。流れというか、チョロチョロという水量しかなくてだいぶ頼りないけど、水分を補給するには充分だった。
食料についても、この森はいろいろ食べ物が豊富だった。兎や鼠といった野生動物も多くて、転移時についてきた戦闘スキルのおかげでどうにか狩れた。熊が出てきたときはやばかったが、どうにか撃退できた。
米は試しに一握りだけ水につけておいたら、全部じゃないけど十粒ほど芽を出したものがあった。精米時に胚が傷つかずに残っていたのだろうか。このまま正常に育つかどうかは不明だし、育て方もわからないけど、この米は食べずに保存しておこうと思う。異世界転移モノでは米は最重要物資だし。
秋に差し掛かった時期なのもあって、木の実や果実も取れた。キノコは判別付かなかったので、触ってない。おいしそうな匂いのするトリュフっぽいのもあったのだけど。
ただ、寄生虫が恐かったので、水も食べ物も必ず火を通すようにしてる。たしか、普通の猪なんかも寄生虫まみれだとかで、食べるにはすごく衛生管理が大変という話があったかも。まさか、猪獣人だと初期状態から寄生虫がいる、なんてことはない……よね? 調べようがないけど。
百円ライターは与えられていたが、これはなくなったらそれで終了だ。自力で火を起こせるようにしないといけない。木片をこすり合わせて火を起こすのってものすごくしんどく、時間もかかるけど、やってるうちにどうにか慣れた。飯ごうという文明の利器があるので、火さえつけばお湯を沸かすのはわけなかった。
寄生虫といえば、ダニの類も恐い。昔、ダニについて検索して、激しく後悔した覚えがある。好奇心は猫を殺す。あれは間違いなく【閲覧注意】の世界だ。「検索するなよ? 絶対するなよ?」というフリではないのだ。
ここではそういうのが普通に存在してて、気がつけば噛まれてる。噛まれるとマジで痛くてかなわん。獲物に付いてることも多い。
火を近づけてやると体から離れて逃げてくという話を聞いたことがあったんで、やってみたけども、効果は半々な感じで、決定打とはなってない。ちゃんとした対策が欲しいところ。
森の中で行き倒れた人の死体を見つけたので、持ち物を拝借して埋葬した。いわゆる冒険者的な人だったのか、野外活動に便利な道具を持っていて、ありがたく使わせてもらってる。残念ながら、武器の類は錆び付いてしまっていたが。
今着ている毛皮のゆったりしたベストもその人のだ。これなら着ていてもあまり気にならない。蛮族スタイルに一層拍車がかかったけど、今の俺には否も応もなかった。
自分で獲った兎などから毛皮も取れたけれど、なめし方なんて知らない。しょうがなく、乾燥だけさせてゴワゴワになった毛皮は敷物や毛布代わりに使ってる。それでも何もないよりはマシだった。
鼻が敏感なので、日に日に自分の体が獣臭くなってるのを感じる。自分が臭ってるのは精神的にもつらいのだけど、それ以上に、獲物に感づかれやすくなってしまうのが困る。風向きを考えないと狩りにならない。
ほんと、風呂が恋しい。攻撃魔法なんていらんから、風呂を造れるような生活魔法が欲しい。切に。
*
そうやって、なんとかサバイバル生活をしのいでいたある日、森の中で煙が立っているのを見つけた。
そろそろ日が翳ってきて、時期に闇に包まれそうな頃合。自力で身に着けた〔気配消去〕スキルを使って風下から近寄ってみると、いわゆる冒険者っぽいのが四人、焚き火を囲んでいるのが見えた。野営の準備だろうか。
彼らの顔には見覚えがあった。同時に転移してきたクラスメイトたちだ。
中でも一際目立つ女の子、岸部さんはエルフになってより綺麗になったけれど、顔立ちそのものはあまり変わっていない。俺が見間違えるはずもなかった。ごっつい格好は騎士系の職業なのだろうか。エルフで騎士というのも意外な取り合わせのような気もするけど。
一緒にいるのは剣崎、麻田さん、神林か。それぞれの格好から察するに、剣崎は戦士、麻田さんが魔術師、神林が神官かなにかかな。転移前の彼らの性格とまったく違和感がない。
四人でパーティ組んで冒険者になったのだろうか。そういえば、こちらに来る前から彼らが一緒にいるのを見ることも多かったかな。
まあでも、ようやく見知った顔に出会えた。人里に近寄るのを諦めた時点で、もう誰とも会えないと思ってたのだ。
「おおーーーーーーい!」
俺は感極まって、叫びながら彼らのところへ駆け寄った。
「「「「!!!」」」」
彼らは一斉に武器を構えて、こちらを向いた。
やばい、敵と思われたのか。村人たちから向けられた視線が脳裏に浮かぶ。
「うわ、ま、待って! 俺、猪瀬だよ! こんな姿だけど!」
俺は立ち止まって、慌てて声をかけた。
「猪瀬くん?」
「マジか!?」
「え、ほんとに猪瀬くん!?」
「おーっ、無事だったんだね!?」
よかった。クラスでは浮いてたけど、忘れられてたらどうしようかと思った。
まだ武器は手に持ったままだけど、とりあえず構えは解いてくれた。よくよく考えると、俺の姿形が以前とはまるっきり違うから、なりすましを疑われる可能性もあったのか。転移途中で、全員が見てる中で種族が変わったけれど、詳細に憶えてるわけじゃないだろうし。
「猪瀬くんはずっとこの森に住み着いてるの?」
「え? ああ、うん。一度、南のほうの村に行ったんだけど、見た目がこんなだから、モンスターと間違われて追い払われちゃって。それ以来、ずっとここで一人でサバイバル生活してる」
「へえ……南の村に、ね……?」
なんか気のせいかもしれないけど、岸部さんたちの目がギラリと光ったような気がした。
「岸部さんたちは? その格好って、冒険者とかだったりする?」
「私たちはこっちに来てすぐにギルドで冒険者登録したの~。地道にやってたけど、それでももうCランクに上がったわ~」
へー。やっぱりここでも冒険者って職と、ランク制があるんだ。
「おおぉ、すごいな」
「まだまだよ~」
そう言って謙遜してるけれど、やっぱり森にこもってる俺とは雲泥の差だ。
「この森に来たのは?」
「それがね。ギルドの討伐依頼を受けてね~」
「討伐……依頼……?」
「この森に潜んでいるとみられる豚鬼の討伐」
岸部さんに代わって麻田さんが答えた。
「お、豚鬼……?」
嫌なワードが出てきた。
「そう。ここから南にある村から出された依頼。村を襲った豚鬼が森へ逃げ込んだので、退治してほしい、と。討伐証明部位は耳だけど、それ以外の肉も高く買い取ってくれる」
「それって、まさか……」
「察するに、猪瀬くんがその討伐対象?」
逃げ切れたと思ってたのだけど、違った。一度、ほんのちょっと遭遇しただけなのに、ギルドに依頼までして俺を殺そうとしてるのか。
「ちょ、待って、俺は豚鬼じゃないし、その村に行ったときは近づいただけで殺されそうになってすぐ逃げたし、誰かを襲ったことなんてない。豚鬼じゃなく猪の獣人だって、報告してくれよ。生物としては別物なんじゃないのか」
「見た目だけなら一般的な豚鬼とは違いもあるけど、けっこう変異種もいて外見だけで区別するのは難しい。それに、この大陸で知られている獣人の中に、猪獣人は含まれていない」
「じゃ、じゃあ、俺がギルドまで行って、豚鬼かどうか調べてもらえば……」
「この世界、『話せばわかる』なんてのは通用しない。街に入る前に衛兵に殺されるのがオチ」
あかん。猪獣人がここまでマズい種族だとは想像もしてなかった。
この世界では、豚鬼は見つけたら即殲滅が常識。でなければ殲滅されるのは人間のほうだ。対話する余地なんてない。文字通り、喰うか喰われるかだ。
現代日本で生まれ育った俺からすると、間違われて殺されるなんて理不尽極まりないが、それを訴えたところで耳を貸す者はいない。彼らにとっては、よそ者の命より自分たちの安全の方が大事である。リスクが巨大すぎて、賭けるに値しない。「そんなのは間違ってる」なんて言って彼らの価値観を否定しても、何の解決にもならないのだ。
この世界の住人に対してはしかたないとしても、クラスメイトたちはどうなのか。
「ま、まさか、同じクラスだったのに、クエストのために殺すとか、ない……よね? ね?」
「うん、クラスメイトを殺すなんて、ひどすぎるよね~」
岸部さんがゆる~く答えた。
よかった。うん、見た目はちょっと変わったけど、中身は変わってない。大丈夫だ。
だがそこで、ふっ、と岸部さんの瞳からハイライトが消えて、漆黒の闇を浮かべたように見えた。
「でもね、私らすでにクラスメイトを何人も殺してるのよね~」
「……は?」
近場に転移してきたクラスメイトの中には、相手を殺してスキルを奪うという、いわゆる〔スキル強奪〕スキル持ちが何人もいたらしく、そいつらが岸部さんたちを襲ってきたそうだ。岸部さんたちは自衛のために反撃し、乱戦の末にすべて返り討ちにした。その時に、相手全員の首をすっぱーーーんと刎ねたそうで。
ヤベえ。こいつら、きっとクラスメイトを新たに殺すのにも躊躇がなくなってるだろう。
「まあ、正直なところ、クエストも買取もどうでもいいのよね~。お金は今のところだいぶ余裕があるし~」
うらやましいことで。どうしてここまでの差が付くのだろう、って考えるまでもないか。
でも、それなら今ここで殺される恐れはなさそうか。と、一瞬安堵したのだけれど。
「でもね、豚鬼ってものすごく、おいしいのよ~」
「は?」
「豚鬼を食べるためだけに、このクエストを受けたと言っても過言ではない」
麻田さんが付け加えた。
「は?」
「残念ながら、本物の豚鬼は見つからなかったけれど、わりとよく似た食材は見つかったしね~♪」
岸部さんの言葉に、他の三人もコクコクと頷く。
単純に殺されるという危機感とは別種の恐怖心が湧き、悪寒が走った。
「でね、お願いがあるんだけど~」
「……な、なにかな?」
「猪瀬くんのお肉を、食べさせてほしいかな~~~って」
そうして冒頭のやりとりにつながる。
*
「猪瀬くんを食べて、吸収することで、私と猪瀬くんはひとつになれるの~。それって素晴らしいことだと思わない~?」
「思わねえよっ!」
猟奇的にもほどがある。肉欲じゃなく、食欲だ。あるいは肉料理に対する欲、という意味で肉欲かもしれない。肉食系女子って人肉食嗜好のことだったっけ?
彼女たちとの価値観の相違に、ものすごい隔たりを感じてしまう。俺はまだ標準的な日本人の価値観のままのつもりだが、彼女たちは違っていた。こちらの世界の価値観に順応してしまっていたのだ。
この世界、恐い。
その時、俺の嗅覚が未知の臭いを捉えた。これまで嗅いだことのない臭い。鳥肌の代わりに、全身の毛がざわっと立った。
まだ〔気配察知〕スキルの感知範囲には入ってなくて何も感じないけれど、種族特性によるものか、俺の本能はこれは猛烈に危険だと訴えている。
「あ、ちょっと待って! 何か敵が来てる!」
「またそんなこと言って~、ごまかそうってもダメよ~?」
「そーじゃないっ、何かわからんけど、ほんとにヤバいのが近づいてきてるって!」
そこに剣崎が補足を入れた。
「岸部! マジだ、〔索敵〕に引っかかった! 北北西150m、種族不明中型三体こっちに向かって接近してる! うち一体はかなり強力そうだっ!」
〔索敵〕スキルってそんな細かいことまでわかるのか。うらやましい。俺の〔気配察知〕はもっと大雑把だし、嗅覚も風向きに思いっきり左右される。まあ、風向きによっては、俺の嗅覚のほうが遠くまで感知できるかもしれないけど。
ただ、普通に考えると、風向きを気にせずに獲物に寄って来る相手というのは、臭いに無頓着で間抜けな狩人か、獲物が逃げ出しても仕留められる絶対の自信があるか、のどちらかなんじゃないだろうか。前者であれば恐るるに足らず、やりようはいくらもあるだろうけど。後者は大体やばい。
辺りはすでに暗くなっていて、焚き火の明かりだけでは100mの距離でも視認できない。
「んん~、とりあえず戦闘準備~」
岸部さんと剣崎が前に出て、麻田さんと神林が後ろに下がってそれぞれ魔法の詠唱を始めた。
なんとか隙を見て逃げられないだろうか。
「猪瀬くん、どさくに紛れて逃げようとしちゃだめよ~?」
「は、はい……」
一発で見抜かれた。彼女は読心術系のスキルでも持ってるのだろーか。困った。
「開始時に一発〔光球〕で眩しいのをやるんで、気をつけてね」
神林が小声で俺に伝えてきた。なるほど、そういう戦法なのね。
「りょうかい」
俺も小声で答える。
それから三十秒ほどの後。相手の姿がはっきりと見えた。
「豚鬼!」
岸部さんが歓喜の声で叫んだ。
「あれが……?」
当然ながら、俺は初見だった。あれが、俺が間違われたモンスターか。
剣崎の報告どおり三体。同じ種族なんだろうけど、真ん中の一体だけ色が濃くて、雰囲気が異様だった。たぶんこいつがボスで、他は取り巻き一号二号なんだろう。取り巻きの装備は凶悪そうな棍棒だが、ボスのほうは錆付いた大剣を持っていた。
背は俺より幾分大きく、体格は俺よりずっと横に広い感じで、相撲取りみたいだ。太ってるが、脂肪より筋肉のほうが多そうだ。
顔はデブの中年のおっさんを大幅に歪めて醜悪にしたような感じで、表情が凶悪だった。鼻が潰れて広がってるところがちょっぴり豚っぽい。あと、口は下あごから大きな牙が生えてる。
暗いので色はわかりにくいけど、茶色っぽい肌にまばらに短い毛が生えている。
連中には羞恥心てものがないのか、服は何も身に着けていない。文字通り、まったく何も。俺以上にフリーダムだ。股間で小さいのがぷらんぷらんしてる。対峙してばっちり見えているはずだが、なぜかこちらの女性陣に動揺は皆無のようだ。もしかして見慣れてるのだろーか。性的にじゃなく解体作業で。
てか、こんなのと見間違えられたのか俺は。似てるのは体格と牙だけなんじゃないのか。ちょっとこれと同類に見られるのには断固として異議を唱えたい。
むしろ、外見的には俺よりもずっと人間に近い。よくこんなのを食う気になれるな。
神林の手から出た小さな光の玉が宙へと浮かび上がる。最初は懐中電灯ほどの明るさもなかったのが、3mほどの高さまで上がったところで、ぶわっと急激に光が強くなった。眩しすぎて目を開けてられない。事前に知らされてなかったら、まともにこの光を見てしまって、しばらく視力を奪われてただろう。
その眩しい光の中で、麻田さんのつぶやきが聞こえた。
「〔焼火球〕」
その直後、前方からボフっという破裂音とともに、火傷しそうな熱風が吹き付けてきた。
1~2秒たって光球の光量が落ち、辺りを見回せる程度の明かりになった。豚鬼は全身真っ黒に焼け爛れていた。麻田さんの魔法で焼かれたのだろう。取り巻き二体はそのまま倒れ伏した。
取り巻きが倒れたんで、それで「やったか?」なんて思ったのだけど、全然まだだった。前衛の岸部さんと剣崎はボスらしき豚鬼に切りかかろうとしてる最中だった。
こいつら容赦ないというか、場慣れしてそう。魔法で焼いたくらいでは決着付かないと最初から確信してたのか、爆風がくると同時に動き出していた。
そして、その読みのとおり、ボスはまだ死んでなかった。というより、元気がありすぎて、あまりダメージを受けているようには見えなかった。熱耐性とかあるんだろうか。
で、彼らはものすごい戦いを始めたのだけども。ハイレベルすぎて、低レベルの俺の目には辛うじて何が起こったかを理解できるかどうかというところだった。
ボスが振り下ろした大剣を岸部さんが盾で受け止め、弾き返す。そこへ剣崎が切りかかると、ボスはギリギリのところで避け、お返しとばかりに蹴りを繰り出す。そうはさせじと岸部さんが細剣を突き入れると、ボスは大剣でそれを打ち払う。
時折、麻田さんがけん制でホーミングする火球の魔法を飛ばし、神林が支援の魔法をかける。
廃人同士のPvPを見ているような気さえしてくる。ボスもすげえけど、四人がかりとはいえアレと対等にわたりあってる彼らの技量もハンパじゃない。なんか世界が違う気がする。
元々俺は員数外。レベルも低いし、いきなり彼らと連携なんかできないので、後ろのほうでただ見てるしかなかった。
しかし、いつまでも均衡が続くわけじゃなかった。一瞬の隙を突いて、ボスが前衛二人をなぎ倒した。そうして、ボスが狙ったのは後衛だった。
ヤバい。
そう思ったら、体が前に進んでいた。思考が真っ白になってて、彼らに喰われそうになってたことも頭からすっぽり抜け落ちていた。
俺は後衛組の前に割り込んで、鉈を振り下ろした。
ガツっという音とともに、俺の鉈がボスの左肩に食い込んだ。タイミングもなにもなかったけれど、なんかいい具合に入った。硬いものを打ち砕き、通り過ぎたような感触があった。たぶん、ボスの鎖骨を断ち切ってたと思う。まあ、それだけでは致命傷には程遠かったのだけど。
同時に、ボスの大剣が七割がた俺の腹に差し込まれてて、背中に突き抜けていた。
(ああ……、硬くてぶっといのが俺の中に……突っ込まれるって、こういうことなのか……)
腹の中に金属の塊が埋め込まれてるというあまりにも異様な感触に、思考が変な方向へと飛んでたような気がする。死ぬ、ヤバい、マズい、という当たり前の焦燥すら浮かばなかった。
そうして、俺の意識は途切れた。
*
空腹を刺激するいい匂いがする。肉の焼ける匂い。
目を開けると、星空が広がっていた。
「お、猪瀬、起きたか」
剣崎の声がした。頭をそちらに向けると、焚き火を囲んでいる四人の姿が目に入った。
どうやら俺は死んでいないらしい。彼らも無事だったようだ。地面の上に毛布かなにかを敷いて、その上で俺は寝かされてるらしい。
「俺、どうなったんだ?」
「あの変異種豚鬼に腹をぶち抜かれてて、やばかったよ」
主に神林が神官のスキルとポーションで治してくれたらしい。
上半身を起こして、腹を見てみた。剛毛に埋もれてるが、15cmくらいはありそうな傷跡がまっすぐ走っていた。背中側も触ってみると、同様の傷があった。
内臓も破れてたそうで、神林の〔治癒〕スキルだけでは足りなくて、上級ポーションまで使ってどうにか一命を取り留めたらしい。というか、この傷が治っちゃうのか。改めて、異世界すげえと思った。
「ありがとう」
怪我のことだけじゃない。彼らがいなかったら、ひょっとするとこの森の中で俺一人で豚鬼三体と遭遇してたかもしれないのだ。単独で戦ってたら間違いなく殺されてた。そしてたぶん、喰われてただろう。
……彼らが俺を喰うつもりだったのはまあ脇に置くとしても、だ。
「いえいえ~。どうせ治すのだからって、わき腹のお肉200gほど頂いたし~」
「え゛」
岸部さんの発言に、思考が停止した。
ばっと腹を見る。傷跡はまっすぐで、抉り取られたような感じではない。
「冗談よ~。一応、恩人だしねえ」
「頼むから、そういう冗談はやめてくれ……」
彼女が言うと冗談に聞こえない。まあ、俺を喰うのは取り止めとなったようで良かったが。
岸部さんは置いといて、麻田さんが進み出てきた。
「猪瀬くん、ありがとう。あなたが割って入らなかったら、私が殺されてた。あんなのくらったら、私では即死だった。ほんとうにありがとう。それと、あなたを狩ろうとしてたのも、ごめんなさい」
そう言って生真面目そうに頭を下げた。他の三人も同じように頭を下げている。
「ああ、うん。まあ、俺は戦力にはならなかったけど、無事で良かったよ」
「そんなことない」
「あなたが豚鬼に一撃入れたおかげで、豚鬼の動きが思いっきり鈍ってね~。おまけに、奴が剣を抜くのに手間取って隙ができてね。それでどうにか倒せたんだよ~」
「へーー……」
肉を切らせて骨を断つ、をリアルでやったことになるのか。でも、治療されたからいいものの、それで死んでたらまったく割りに合わなかったところだ。
そういえば、最初に麻田さんの魔法で獲物を焼いてたけれど、依頼には影響ないのだろうかと、ふと気になった。
麻田さんが使った〔焼火球〕というのは爆発系の魔法だそうで、爆風で破壊するのではなく、高温のガスで焼くことを主眼にしているという。恐いのは、全身火傷を負うだけでなく、肺の中まで焼かれるとこだ。生きたまま大火災の中に放り込まれるようなものか。たいていの動物は、これで即死するそうだ。実際、取り巻き一号二号は一撃で沈んだ。
豚鬼の皮などは防具の素材として流通しているらしいのだが、獲物を焼いちゃっていいのかと聞いてみたところ、「後できちんと火を通すし、皮とかは堅いし寄生虫多いからどっちみち食べられないし~?」と真顔で答えられた。徹頭徹尾、喰うことしか考えてないらしい。
「まあ、結果的に豚鬼の討伐も達成できちゃったし。猪瀬くんを食べるのはナシでいいかな~って」
「まだ俺を喰う気だったのかよっ!?」
「そりゃあ、ねえ~?」
「ねえ、じゃねえよっ!?」
「でも、猪瀬くんが自主的に食べさせてくれるなら、大歓迎よ~?」
「やめてくれっ」
「私も、猪瀬くんの命に影響がない範囲なら、食べてみたい」
豚鬼3体分の肉だけでもけっこうな量があるはずだ。そっちで我慢してくれ。
「まあまあ、猪瀬、とりあえず豚鬼を食おうぜ。うまいぞ」
剣崎がそう言って、いい具合に焼けた肉の塊を差し出してきた。
「そうそう~。それ、バラ肉のところよね~。もう脂が乗ってて最高よ~♪」
「う……」
俺は思わず後ずさりした。この形になってると元の姿は想像つきにくいけれど、これって、やっぱり、あの、敵だったとはいえ、見た目は俺よりもだいぶ人間に近かったアレなわけで……。
だが、空腹には勝てなかった。
豚鬼は、うまかった。極上だった。俺の倫理観を覆し、根底から破壊してしまうくらいに。
自然と目から溢れ出てしまった汗が肉にかかって、ほんのりと塩味を効かせていた。
お読みいただきありがとうございました。
没会話
「そのうち『豚鬼を殺す者』って呼ばれちゃうかしら~?」
「いや、あんたは『豚鬼を喰らう者』だろう」
2019.02.07 ジャンルをホラーに切り替えました。
ホラーという括りに入れるのも、それはそれでまた微妙な気はするのですが、並べたキーワード的にこちらのほうがまだしっくりくるかと思いまして、変更しました。