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自傷から入院まで、

いわゆる、摂食障害…というには少し違う気もする。そういう風な診断もされたのだけど、食べて吐くではなく、食べる意欲がなかった。生きる意欲がなかったとも言える。


よくネットなどでもみる通り、生きていればいいことあるよ、とか苦しいのは自分だけじゃないよ、なんてて優しい言葉がそこら中に蔓延っているけれど、その時はそんな言葉なんて耳に入らない。


自分は辛くて、外の世界からは笑い声が聞こえてくる。

不幸があったわけではないけれど、世界で一番不幸のように感じてしまう。

今でこそ、馬鹿馬鹿しいとは思うけれど、当時はそんな風には全く思えなかった。

贅沢だとは思うけれども、生きていること自体が苦痛だったのだ。


そして、あの寛大で気丈な母が声を荒げて、泣いて、産まなきゃよかったと言ったことに、死んだような心は淡々とやっぱりそうなのか、という感情しか湧かなかった。

やっぱり私は生きているべきではないのだと。

優しい人を傷つけて、痛めつけて、のうのうと生きていてはいけないと思ってしまった。


食べれなくなってからは毎夜毎夜、二階のベランダから落ちることを考えて、窓の桟に腰掛けて何時間も落ちたら死ねるのかと考え事をしていたけれども、それだけではすまなくなった。

カミソリを持ち出して、左手首を傷つけるようになる。

だけど、ひどく臆病な私は深く突き立てることなんてできないし、死にたいくせに痛がって、動脈には届かない程度の傷しかつけられない。血は出るけれど、その程度だ。

10年たった今では本当に薄い跡程度にしか残っていないような、つまらない傷。

それでも、傷をつけると酷くスッキリした。母を困らせる自分に罰を与えられるし、自分では伝えないくせに、これに気づいて家族が心配してくれるんじゃないかと期待しているのだ。

死にたがりのくせに、構って欲しいという立派なメンヘラだった。


母が私を強く叱るのは3日程度で、その後の母はずっと優しかった。母の性根はとても優しい人で、私のせいで、母を変えてしまったのだと今でも思う。

三日間ほど朝方私を蹴りつけて、泣きながら仕事に行った母は、4日目には私の体にできた痣を見て泣きながら謝罪するのだ。


ごめんね、ごめんね、と。

その時の母の顔はよく覚えていない。

10年も前のことだから覚えていないのか、その時の心が母の謝罪を受け入れられなかったのかはよくわからない。



臆病で見栄っ張りでクズな私は、謝ってきた母に対して、こんなに辛いのは母が私を産んだせいだと、変な方向に責任転嫁していた。

何不自由ない生活をさせてもらっているくせに、母が悪いのだと、私にはそう思うしかなかった。

それでもふと冷静になると、そもそもは私のせいなのであって、母は被害者なのだから母に怒るのはお門違いなのだと考える。

怒りと悲しみで涙しかでなかった。


死にたいと思った時に、実行できたことはたった二つきりで、ベランダに腰掛けることはあっても下におちる勇気はなかった。階段から落ちたりはしたけれど、たん瘤ができる程度のものであった。

先述した薄い傷の手首と、あとはお酒とともに薬を飲むことくらいだ。

薬と言っても、睡眠薬なんてあるわけもなく、私は手当たり次第に集めては何十錠かの薬を飲んだ。

学校に行ったり行かなかったりの頃には、通院していることも多かったので、風邪薬や痛み止めなんかが私の手元には残っていた。もちろんその時は仮病なので、飲まないでストックしていた分だ。

ロキソニンや正露丸、ムコダインやカロナールなど、種類は関係なく手に出して、冷蔵庫に入っていた缶チューハイと一緒に服薬した。

だけど、一気に飲めるわけもないので、5錠ずつくらいを少しずつ飲んでは、気持ち悪くなり、2〜30錠飲んだあたりでぐるぐると回る世界に酔いしれる。

これで死ねるような気になるのだ。


もちろん、風邪薬や痛み止めなんかで死ねるわけもない。


それでも、喉の奥から迫り上がる薬独特の匂いや味と、縦も横もわからないような感覚を感じながら眠ると、次に起きた時には全てが終わってくれるんじゃないかと期待していた。


そして、目が覚めたとき、死んでいないことに絶望しつつも喜びながら、また泣いているのだ。

傷つけている時とは違い、強制的に眠れるような感覚は心地よかったし、何も考えなくていい分楽だった。

もしかすると、今でも酒を飲みながら眠りにつくのが好きなきらいがあるので、根本的なところは同じなのかもしれない。

こんな馬鹿みたいな薬剤の摂取は中学を卒業して、高校に入っても時々続いていたのだが、量や間隔としてはこのころが最も多かった。



これがちょうど母がキレた頃の前後なのだが、流石に母自身も食べないこと、薬やお酒が減っていることなんかに危機感をもったのか、例の三日間ほどのあと少ししてから、私にこう切り出してきた。




病院に行ってお泊まりをしないか、と。


そうか、なるほど。やっぱり母は私がもう邪魔なのだ。

おかしい頭はそのことに直結した。

こんなダメな娘はいらない、だからこの家から追い出したいんだ。

母はもう私のことが嫌いでたまらないんだ。

家族とは認められないんだ。

だけどなかなか私が死なないから、病院に縛り付けて家族の平和を取り戻したいんだ。

そう思うという、そうしてあげたい気持ちと裏切られたような絶望感が相まって一気に崩壊した。


気づいたら何かよくわからない言葉をめちゃくちゃに母にぶつけて、それから物というものを手当たり次第に壊して、心の奥底からイライラと怒りがこみ上げて自分自身の髪の毛を掴んでむしり取っていた。

お風呂にも5日に1回ほどしか入っていない髪の毛は絡まっていて、栄養状態が悪いこともありぶちぶちと抜けていく。あー、ともうー、とも言葉にならないような声だったと思う。もしかしたら何かを言っていたのかもしれないけれど、自分自身では何をしているのかさえわからなくて、気づいたら母が目の前からいなくなっていた。

そしてさらに絶望し、髪の毛は散乱しているし、部屋は荒れているし、腕や足に引っかいたような傷がたくさんできていたような気がする。それでいて、今でも続いているのだけれど、爪噛み癖のある私の可哀想な指たちは噛みすぎて爪が半分くらいなくなって血だらけだった。



いつのまにか寝てしまっていたのか、私は名前を呼ばれる声で意識がはっきりして、自分の状況を確認しながら余計に母に嫌われたであろうことに泣いていた。

そんな中気づくと、知らない人が私の目の前で穏やかな顔をしている。

何を感じ取ったのか、どう思ったのか今でもわからないけれども、その人は私の手を握ってこういったのだ。



私は〇〇ちゃんを、好きになるわけじゃないけれど、簡単に嫌いにもならないよ。


言っている意味は正直今でもわからないし、その時もよくわからなかったけれど、酷く心が救われたことは覚えている。

私はかなり臆病だったので、人から向けられる好意が簡単に覆り、そして嫌われてしまうことに怯えていたのだと思う。

だから、嫌われることも怖かったし、前提として好かれることも怖かった。プラスであればあるほど、少しの落胆でマイナスになるだろうし、それさ友達でも、家族でも同じだと思ってしまっていたからだ。


このわけのわからない人は、私に無関心で、無関心だからこそ、嫌いもしないのだと思うととてもとても楽だった。

そして、その人はこう続ける。



〇〇ちゃんは、お母さんが好きでしょう。好きだからどうしたらいいかわからなくて、お母さんも同じなんだよ。お母さんもわからない。だから、一回離れてみないかな。


その人の手はとても暖かくて、とても安心できた。その言葉に泣きながら頷いて、そのまま私は病院に向かうことになる。

近くに精神科病棟のある病院があってそこに入ったのだけれど、それでも不安はあって、その病院に行く間、母にぎゅっとくっついて離れなかったし、病院に入る目前に行くのが嫌になって、泣きながら拒絶した。

病院の裏口あたりの駐車場で1時間泣き続けたのだけど、それでも母とその人は待っていてくれた。


ひとしきり泣いたあとは、傷ついた頭皮や手足がジンジンと痛んできて、ふと冷静になる。それからの決断力は強くて、泣いて困らせている自分がとても嫌な奴に思えて逆に近くにいてはいけない気がした。

いく、と急に外に出ては自分から受付を淡々と済ませていた。


後日話すようになった看護師さんに聞くと、外見はボロボロなのに、とてもしっかりしていたから驚いたと言われる。

そして、1時間ほどくっついていた母に、じゃ、とだけ手を振って案内された部屋についていった。



母はそのあと、カウンセリングを受けながら泣いていたらしい。

母はただただ可哀想な人です

私が言うのもなんですけど

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