表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

はじまりから登校拒否まで、

ただ、なんとなく、今ならかけるような気がしました。

あの頃のこと。

とあるエッセイマンガを見て、共感する部分が沢山あって、同じようなことをみんな思ってんのかなと思った。


今は、社会の枠組みから見れば本当にまともに働けていると思います。だから、今なお悩んでいる人にしてみれば、俗に言う仮面鬱みたいに思えるのかもしれない。

だけど、当時の私にしてみれば、その気持ちは本当でした。


かれこれ、10年くらい前になるかもしれません。

世間一般的なまともになれたのも、その頃があったからかも。乗り越えたわけでもなく、どうしようもないクズで嘘つきな私を、素直に書いてみます。





はじまりは、中学生くらい。

もともと小学生の頃から、学級崩壊の一部に加担しかていたり、授業中には漫画を読んで過ごしてるようないわゆる問題児の気質ではあったけれど、それは本当にただの悪ガキだった。

みんながやってるから、やる、みたいな。でも友達はいて、無邪気に大人に迷惑をかけてそれを悪いとは思ってもいなかったし、そう言うものだった。


中学校は二つくらいの小学校から集まってるようなところで、私が通っていた方ではない小学校の方が割と大人というかオシャレやら何やらに積極的なマセてる子たちが多かった。

それでも、割と人間関係に積極的な私はリーダー格のような子とも仲良くなって、馬鹿話もしていたのだけれど些細な一言て私の世界は一変した。


一言、というかクラスでよくあった授業中の回し手紙。その中に、リーダー格の子を怒らせるような一文を書いてしまい、担任も出てくるような問題沙汰になる。


リーダー格の子は、喧嘩した当初は嫌われていたから、私も調子に乗ってしまっていた。あの子は嫌われて当然で、私が正義なのだと。それは2日後くらいには周りの友達も全て取られて、すぐに変わってしまうのだけれど。


些細な喧嘩をした、2日後くらいに、クラスに行くと私の居場所はなかった。

昨日までリーダー格の子を一緒に悪く言っていた友達は、みんな一様に私の悪口を言っていて、イニシャルで呼ばれてはクスクス笑われていた。

それは、クラス全体に広がる、とういことはなく、違うグループの大人な子たちはさも当然のように私を受け入れてくれた。

今思えばそれはとてもとても有難いことなのだけれど、その頃はとてつもなく惨めなことだった。悔しくて、つらくて、急な世界の変わりように死にたくもなったけれど、巨大な虚栄心がそれを周りに見せることを拒否していた。


かといって、あからさまにイジメられていたわけでもないし、担任を交えた話し合いなどもなされたけれど、解決したのは進級したというのが一番だった。

だから、壮絶というべきなのか、もっと激しいイジメにあっている人からすれば、こんなのイジメでもないだろうし、不幸自慢かよ死ね、って思うのかもしれない。

一つだけしっかり伝えておきたいのは、これは不幸自慢ではないこと。むしろ幸せな環境を享受できなかった馬鹿の話だと思ってほしい。


話を戻すと、進級してからというと、部活も同じだった子と仲良くもなり、普通の中学生活に戻っていた。今はあまり覚えてはいないけれど、普通に学校に行ったし、塾にだっていっていた。部活にも入って頑張っていたのだと思う。

だけど、心の底からくる不信感に押しつぶされて、時々学校をズル休みしていたのは事実だった。


今、隣で笑っている子たちもきっと、何かあったら明日には私のことを悪くいうんだろうな。

そんな気持ちが急に湧き出てきて、明日会うのが怖くなる。

それでも人に嫌われないようにする生き方はどうしたらいいのかわからなくて、なんの解決策もない苦しみはこのくらいの頃に蓄積されていく。


1ヶ月ほど学校に行ったら、1週間ほど休む

そんな生活を繰り返していた。

もちろん、親だって心配したし、初めは風邪をひいたふりをしていたけれど、そんなものも通用しなくなった頃には、家の中に隠れて後からこっそり学校に電話する日々が続く。


私の母は寛大で、娘思いのいい母だ。

風邪をひいたといえば心配してくれるし、お粥も作ってくれる。2、3日続けば、さすがに、明日は行けそうかと聞いてはくるけれど、ひどく怒ったりはしなかった。

共働きだったから、朝8時ごろには仕事に出て行くので、風邪をひいたふりをして、数日したら学校に行ったふりをして、家の中に隠れてやり過ごし、保護者のふりをして学校に休みの連絡をした。

1週間くらい続ければ、少し心が落ち着いてきて、平然と学校に行くようになる。

そして、1ヶ月ほど行ったら、悪い癖がひょっこり出てきて、休む。


普通の感性からしたら、ただのサボりなのだけど。

その頃の私は1ヶ月スパンくらいで、学校に行ったら死ぬという謎の固定観念が湧いて出てきて、家でじっとしていれば少し薄れて行く日々を過ごしていたのだ。


今思えば、母はその頃からお見通しだったのかもしれない。通知表の出席日数をみれば、それは明らかだろうし、本当は隠れていたのも気づいていたのかもしれない。

それでも、何も言わなかったのかもなんて、今更気付くのだ。


そんなことを繰り返しながら、中学2年目を過ごし、2年目の終わり頃から3年目になった直後は普通の学生生活を過ごせていた。

なんの因果か、本当に今となっては不思議なのだけど、生徒会というのにも所属していた。入っていた委員会の人員が少なくて、必然的に選ばれてしまったというのもあるのだけれど、塾に行ったり、地頭がそれなりに良かったのも関係してテストなどの点数は取れていたから、そういう意味で及第点に達していたのかもしれない。

その頃は、そういった活動と、部活をしている日常に満たされていた。部活でもなんとなく他の人よりも上手いことやらせてもらえて、その中ではそれなりの実力にいたので、私という存在が必要とされていると、勘違いできたのかもしれない。


問題は、その後になる。

生徒会は夏頃には引き渡しをして、引退になるし、部活も中総体が終わり引退する。そこそこの成績だけど、これからも続くほどのこともなく、ただただすんなりと全てが終わった。

そうなれば勿論、また私の悪い癖が始まったのだ。



長々と書いてみたけれど、ここからが、私の短い人生の核となると思う。

夏休みに入り、中学三年生でもあるため、必然的に受験生となった。先述した通りそこそこの成績だった私は少しは期待もされていたけれど、母からしてみれば学校に行っていること自体に満足されていた。


だけど、急に、必要とされていないと感じたのか、今となってはよくわからないのだけど、夏休みの終わりごろ、もう少しの課題が手につかなくなり、学校、そのものに不信感が募り、生きていることがよくわからなくなり、



始業式の5日ほど前から、私は物が食べれなくなった。

最初は軽い気持ちで、なんとなくお茶だけ頭元に置いて、布団から出なくていいや、という気持ちだった。動かなければお腹も空かないし、食べ物に固執しなかった。

今もその癖は染み付いてしまっていて、時々ご飯を食べない日もあるけれど、この時は異常なほど食べ物を必要としなかった。


少し喉が渇いたらお茶を飲む。

ご飯と呼ばれても寝たふりをして、食べることはなかった。共働きでもあり、割と放任主義だった家庭なので、何か食べてるんだろうと母は思ったのだと思う。

それは、10日くらいに渡り、始業式はとっくに始まっていた。


食べ物を食べていないのだから、体も起き上がらないし、体調は最悪だった。

いつもの通り、学校は休む。

母はいつもの仮病だろうと、初めのうちは素直に休ませてくれた。


漫画でもよくある通り、ご飯を食べなくても水分を取っていれば平気というのは本当だったのだと実感する。

10日間で10キロ近く痩せていたのだけれど、それでも私は生きていた。


そして、そのことに絶望した。


さすがに、そろそろ学校に行きなさいと母にも言われていたけれど、物を食べる嫌悪感と、生きている苦痛と、人と世界と、何かよくわからない全てが嫌で、毎日、毎日泣きながら夜中に眠る。朝からは吐き気が止まらなくて、泣きながら登校を拒否しては、母を困らせる。


れっきとした登校拒否児の出来上がりだ。


何故今、と母は思っただろうし、私もそう思った。

先述した、友達と仲違いした時ですら、ここまでの絶望感はなかったし、私は強い人間で、少し休みを挟めば人間らしい生活が営めていると思い込んでいた。

それなのに、急にその全てが襲いかかってきたかのように、私は全てが嫌になってしまった。



心配してくれる家族や、友達がいて、担任からも電話がきた。

だけど、その心配すらも信用できなかったし、家から出ることだけでなく、布団から出ることがたまらなく苦痛だった。

一日中寝て、夜中にひっそりと起きて、少し水を飲んでは、音楽を聴いて、ぶつぶつと喋っている。

暗闇の中そんなことをするもんだから、家族からしてみれば不気味だっただろう。




流石に15日ほどたったころ、母が突然ブチぎれた。


母も人間なんだな、なんて人ごとに思いながら、私が何もしないことに泣きながら怒っていた。今でもその時のことはよく覚えているし、朝からは大声で怒鳴る声に隣の家の人はさぞ驚いたと思う。


思いっきり、私を蹴りつけて、産まなきゃよかったと泣いて、どうして当たり前のことができないのかと母も絶望して、二階にあった私の部屋から、私の足を掴んで引っ張り出して、そして二階から落とした。


あの時、母がどんな思いで、どう思っていたのかは、まともに社会人をしている今ですら聞けていない。

あのころのことは、母とはどうしても話せない。ひどく苦しくなるので、このまま何も話さないままでいいと、私は思うし、母も思い出したくないだろうと勝手に思っている。



落とした、というのは少し語弊があるかもしれないが、足をひきづられ、階段に這いつくばった私はゴロゴロと転がって、思いっきり、頭を打った。

それでも起き上がらない私は、家を出ることを拒否し続け、母は何度も私を叩いて、それから泣きながら仕事に行った。

そして、私も泣きながら部屋に戻る。

本気で死ぬことを考えるようになったのはここからだったと思う。

使い方がよくわかりません!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ