弐―協力者、坂部利香
「新聞部は宿直室のすぐ近くなんですよ。新聞の作成で遅くなる事も有りますから、私がよく面倒を見てやっているんです」
再び校舎の中に戻った和祢と宗介は、萱谷の案内に従ってとある古びたドアの前に立っていた。ドアには「新聞部」と書かれた小さな札だけが張り付けられており、釣り表札はない。明らかに急ごしらえと言った様子がうかがえる。
萱谷に聞いた所、部室不足の煽りを受けて、新聞部は空き教室となっていた宿直室近くの狭い準備室を宛がわれているらしい。
だが職員室も近いので、新聞部はこの部室を重宝しているようだ。
「坂部君、坂部君はいるかな?」
ノックをしつつ萱谷が名前を呼ぶと、ややあってドアが開き、中から細身で小柄な女子生徒が顔を出してきた。
「はーい……って、かやじいじゃない。あれ、この人達は?」
坂部と言う女生徒は、女性的なショートカットに、細目とはまた違う、笑っているように見える、いわゆる「笑い顔」をしている。活発そうな顔立ちと相まって、なんだか騒がしく喋るイメージを彷彿とさせるような少女だった。
そんな坂部という生徒は、和祢と宗介を無遠慮にじろじろと観察しながら、不可解だと言ったような顔で萱谷を見やる。
「学校の人……じゃないですよね?」
「ああ、そうだよ。この人達は……ええと、とある雑誌の取材でね。あの都市伝説の話を聞きたいんだそうだ」
萱谷が歪曲な言い方をすると、坂部は再び和祢達をみやったが――――何か合点が言ったのか、にやりと笑うとドアを大きく開けて入室するように誘った。
素直に入ると、坂部はキョロキョロと廊下を見回してから、ドアにしっかりと鍵をかける。込み入った話でもないと思うのだが、坂部にとっては重要な話のようだ。
「そこらへんに適当に座って下さい……といっても、この部屋は狭いから選べるほど席は無いですけどね」
確かに、新聞部の部室は宿直室を少し広くした程度の広さで、お世辞にも教室やら部室やらとは言えない。どちらかというと用具倉庫だ。
しかし、それでも新聞部なりに工夫をしているようで、壁には様々な物が吊られていたり、棚もスペースを余すことなくぎっしりと本や物が詰まっていた。
ごちゃごちゃしているが、不思議と閉塞感は無い。
キョロキョロと部屋を見回しながら、部屋の中央にあるテーブルに着くと、坂部と呼ばれた女子生徒は腰に手を当てて宗介を見た。
「あなた、さては探偵……ううん、小説家探偵の人でしょ!」
「おや、随分察しが良いね。僕の事を知っていたのかい?」
「ふふふ、まあね。私はかやじい……じゃなくて、萱谷先生に、奇節っていう雑誌を借りたりしてる……え? 敬語を使え? はいはい……してますので! じゃあ……ホントに名切谷先生なんだ。へぇ~。……そっちの君は、助手の人?」
「ああまあ、そんなとこです」
こちらから先に自己紹介すると、坂部と言う女子生徒はチェシャ猫のようにニッと笑って、自分の事も元気よく自己紹介してくれた。
彼女は坂部利香と言って、新聞部の部長を務める二年生だそうだ。
新聞部は四人ほどの部活らしいが、校内の広報活動の手伝いをしている関係で部員が少なくてもなんとかやっているらしい。
「私達の新聞は、全部手描きなんですよ。なんたってかなり大きな画用紙に書きますからね! 別にパソコンで出来る範囲でも良いんだけど、みんな紙に書いた文字ってあんまり読んでくれないから、インパクト重視で大きくする必要が有るんですよ」
「チラシ程度の大きさじゃ駄目なの?」
宗介が聞くと、利香はダメダメと首を振った。
「さっきも言ったけど、興味も無いモノを小さい文字でぎっちり詰めたって、今時は誰も読んでくれませんよ。大きい見出しで人を惹きつけなきゃ、今の時代は生きていけないんですっ!!」
「活字離れも激しいんだなあ」
確かに、興味のない物に関しての長文の文章なんて、タダでくれても見る気がしないものだ。最近は電子媒体で小説でも漫画でも読めてしまうから、余計に紙に書いた活字なんてものは、目に留まらなくなっていた。
和祢も、小説と言う物を読む機会などあまりない。直近で覚えがある物と言えば、国語の教科書くらいだ。
小説と言う物に興味のない層にとっては、活字とはその程度の物だった。
けれど、この利香と言う女子はそんな逆境にも負けずに、紙の上に書かれた文章の素晴らしさを熱弁し、何とか読んで貰おうと努力をしているらしい。
その努力が、彼女を凄まじい新聞記者へと変貌させているようだった。
「この坂部君は、校内新聞のネタを全て自分で取材してるんですよ。まあ、面白さはまちまちだが、彼女が頻繁に新聞を張り出すから、最近じゃ結構読者が居てね。人気だからというんで、出来上がった新聞はカメラで撮影して、画像データとして保存しているです。時々バックナンバーを刷って生徒に配ったりもするそうですよ」
「へぇ~……なんか本当にイマドキって感じッスね」
電子書籍と言っていい物かはよくわからないが、いつでもどこでも見られるようにデータに直しておくのは現代ならではだろう。
宗介もそういった保存方法に「ほう」と感嘆を漏らしていた。
「じゃあ、僕達が閲覧したい校内新聞もすぐに見れるんだね?」
宗介の問いに、利香は任せなさいとばかりに力強く頷く。
「データは全部パソコンやクラウドや……とにかく色んな所に保存してるから、すぐに見れますよ! 原本だと倉庫に押し込んでて取り出すのが面倒臭いから……あっ、都市伝説の回の新聞ですよね、今から印刷しますね。名切谷さん達が来たって事は、私が取材した都市伝説の事を聞きたいんでしょう?」
「話が早くて助かるよ。ついでに、誰から取材したのかとか、知った経緯とかも聞かせてくれると助かるんだが……」
すぐに用意し始める利香に、宗介が何の気なしに言葉を放ると――彼女はぴたりと動きを止めて、こちらを振り向いた。
「……ごめんなさい。情報元は匿名希望なので、教えられないんです。新聞だけなら見せられるけど……。本当にすみません」
そう言いながら、利香は不思議そうに目を瞬かせる萱谷を見て目を逸らした。
噂の出どころを教えたくないのは解るが、しかしこれは口を噤まねばならない程の情報だろうか。全てがまるで嘘だというのなら、隠すのも当然とは言えるが。
部室の隅にある古めかしいパソコンを操作する利香の背中を見ながら待っていると、利香はプリンターで新聞のコピーを刷り、和祢たちに手渡した。
「おお、本格的じゃん」
「ウチの新聞部は『綺麗な手描き文字で見やすく』がモットーですからね。……で、これが都市伝説の特集です」
利香に見せて貰った新聞の見出しには『衝撃! この学校が、都市伝説“ムラサキカガミ”発祥の地だった!?』と記されている。
利香によると、見出しの文言は流石にハッタリで真偽のほどは解らないらしいが、それでも目を引く見出しである。内容は萱谷が先に語ってくれたものと概ね同じで、記事の最後には「この地下洞窟とは一体なんなのか。そして本当にこの女生徒は存在したのか、我々は今後も捜査を続ける所存である」という、オカルト方向だけに走らない、ジャーナリズムを覗かせる一文が付け加えられていた。
「そこに書いてあると思いますけど、この学校が本当に発祥の地なのかってのは解らないんですよ。地下洞窟っていうのも謎だし……。だから、あくまでもウワサという事で、他の都市伝説と一緒に掲載したんです。だけど……まさか、ほんとにムラサキカガミの呪いが発動するなんて思いませんでした」
不安そうに呟きながら、利香は自分の体を抱き締める。
宗介はそんな彼女をサングラス越しにじっと見て、片眉を上げた。
「一つも確証がないのに記事にしたのかい? まあ都市伝説としちゃあ、ありがちな事ではあるけど……」
「すみません……そういう検証は後回しにしてたので……」
思わずたじろぐ利香に、宗介は少し呆れたように溜息を吐くと、人差し指を立ててくるくると回し始めた。
「あと、鏡がムラサキ色に染まったって言うけど、それは都市伝説の話の中に入って無かったのかい? 確かにムラサキカガミの話は『呪いで死ぬ』という事以外は曖昧な物だけど、これだけ内容がはっきりしてる物なら、呪い殺された人間の話とか色々と出て来ても良いもんだけどねえ……。それに、女生徒が地下の洞窟で死んだ事を、誰が知れたのかとか……仮に彼女の死体が見つかったとして、そんな事件があったら、きっと報道されたと思うけど……その形跡があったか調べたりはしたのかい?」
「そ、それは……」
オタクさながらの早口でまくしたてる宗介に、利香はすっかり萎縮してしまう。
確かにそう言われればそうなのだが、オカルトを肯定する側であるはずの人間が、そう一気に矛盾点を指摘しては、なんだかあべこべではないか。
そもそも、都市伝説には矛盾した話がつきものなのだ。
「呪い殺されてしまう」という話が嘘か本当かも判らないし、大抵の場合その呪いによって死んだ人間の話などは聞く事など無い。
「誰が話したんだ」という所が曖昧な部分が、都市伝説の常でジレンマだ。
このムラサキカガミの都市伝説が今頃発掘されたものとしても、昔の話であれば、そのような噂が当時も騒がれていたのかも知れない。
なのに、それすら存在しないとなると、与太話である可能性が強くなる。
と言う事は、石野優美の自殺とも関係が無くなってしまうのだ。そうなれば、彼女の自殺の理由を調べる意義も無くなってしまう
宗介もその辺りをはっきりさせたいが故に、こうも単刀直入に問うたのだろうが、その様子は年下の幼気な少女を詰問しているようにしか見えなかった。
こう言う所が宗介の駄目な所なのである。
利香が何も言えずに眉根を寄せているのを見て、和祢は誰にも聞えないように溜息を吐くと、彼女に助け船を出すことにした。
「その……又聞きなんだよね? だったら、どこで聞いたかは言わなくて良いけど、根拠が有るかどうかってのは大事な話だから……話してくれないかな。その……坂部さんも、ちょっと怪しいなって思ったから最後に『検証する』って書いたんだろ? 全部教えろとは言わないから、出来る範囲で聞かせてくれたら嬉しいんだけど」
同級生にこんな風に話しかけるのは妙にくすぐったかったが、しかし初対面の女子に話しかける事がほとんどない和祢としては、これ以上の遜り方は思いつかない。出来るだけ柔らかく聞いたが、どうだろうか……などと考えていると、利香は俯きがちな顔で和祢を見て、軽く頷いた。
「……出所は言えないんですけど……でも、とある所で複数の人が話題にしてて……何人もが聞いた事有るって話をしてて……。あっ、匿名希望の人からの話ですよ? でも、この都市伝説を知らない人も結構いたみたいだから……じゃあ、ネタにしようって事で書いたんです。そんな面白い学校の怪談がウチにあったなんて知らなかったから、その……あくまでも作り話だと思ってたし……」
「正直、鏡が紫色に染まったのは関係あると思う?」
和祢が気安く聞くと、利香は不安げな顔をして頭を振った。
「解らない……。悪戯かも知れないと思ったけど……その……石野優美って子が自殺したって聞いて、それ以来、ほんとにムラサキカガミの呪いは有るんじゃないかってみんなが噂してて……。でも、そう言うのって非現実的でしょ? だから、訳解んなくて、信じていいのかどうかも解らなくて沈黙してるって言うか……」
さもありなん。もし和祢もこの学校の生徒であったら何も言えなかっただろう。
現実的に考えれば、呪いなどあり得ない。
あの紫に染められた鏡も、普通に考えれば誰かの悪戯という結論になる。
けれど、あの騒動の後で石野優美が不可解な自殺をしてしまった事により、生徒達は「もしかしたら」という無意識の恐れを抱き、信じていなかったはずの都市伝説を意識するようになってしまったのだ。
だから、沈黙して普通に過ごす以外になかったのだろう。
そんな事は無かった。あれは、ただの自殺だったのだと思い込むために。
「ふむ……。色々と気になる事が有るけど……まずは石野優美の周辺と、この学校の歴史について調べる必要が有りそうだね」
「学校の歴史……ですか?」
訝しげに問う利香に、宗介は軽く頷く。
「地域特有の都市伝説って言うのは、その土地の歴史が強く作用しているものが多いんだ。そこまで詳しい噂話が作られているのなら、地下洞窟と言う荒唐無稽な存在も、肌が爛れて死んだ女生徒の存在もいるかもしれないよ。……まあ、全くの創作という可能性もあるが、それは調べてみなければ解らないし」
「都市伝説を探るって、意外に大変なんですね……私、探偵ってもっとこう……殺人事件とかをズバッと解決する人かと思ってました。名切谷先生の小説だって、あまりこう言う描写無かったし……」
驚く利香に、宗介は呆れたように眉を上げると肩を竦める。
「あれは小説だから、余計な描写は省いてるだけだよ。それに、探偵と言っても、何でもかんでも知ってる訳じゃない。第一、そんな奴がいたら探偵になんてならないで、もっと良い職についてるよ。名探偵はお話の中だから出来る、デウス・エクス・マキナって奴なのさ」
まあ確かに、この変人小説家探偵はとんでもない社会不適合者だ。
能力はともかく、自分よりも年下の利香に対しても大人らしい態度をみせないのだから、探偵としては底辺の位置に存在するだろう。
関係ない話だが、和祢はいつもこんな大人にはなりたくないと思っている。
「じゃあ……まずはどうする?」
問う和祢に、宗介は少し考えるように顎をすると萱谷に向き直った。
「ではまず、学校の中を案内してくれませんか?」
「あ、学校ですか? でしたら……」
「私っ、私が案内します! ね、いいよね、かやじい!」
いきなり会話に割り込んできた利香に、萱谷は驚いたようだったが、特に異論は無かったようで頷いた。
「それは構わないけど……ご迷惑かけないようにするんだぞ」
「解ってますって! じゃあ、行きましょうか。名切谷先生と伊加土君」
早く行こうと急かす利香に、何だか妙な違和感を感じたが……ゆっくりしている暇はないかと思い直し、彼女について行くことにした。