――都市伝説が関わる事件の詳細 ―2
「宿直室に行きましょう。あすこなら誰にも邪魔されませんから」
そう言いながら、萱谷と言う壮年の教師は、少したるんだスラックスのポケットを探ってじゃらりと鍵の音を立てた。
「あの……宿直室ってなに?」
聞いた事のない単語に首を傾げる和祢に、宗介は肩を竦める。
「そんな事も知らないのかい? ったくこれだから今時の若者は……」
「定型文はいいから説明してよ!」
急にオッサン臭くなるな、と毛を逆立てる和祢に、宗介はやれやれと言った様子で小声で説明し始めた。
宿直室というのは古い学校などに学校に造られていた部屋で、そこに常駐の警備員や当番の教師が泊まり込んで、夜間の校舎を見回っていたという。
今現在の学校では警備会社の巡回警備や機械を使った警護などが行われているので、まず存在しない部屋となっている。真新しい校舎しか知らない和祢が知らないのも当然の事であった。
「しかし、このご時世にまだ宿直なんてやってるんですか」
驚く宗介に、萱谷は人の良さそうな顔を更に緩めて苦笑した。
「外に監視カメラはあるんですけどねえ……。ぶっちゃけた話、この学校は古過ぎてどこからでも入れてしまうので……警備員が居てもどうしようもないんですよ。その場所全てに警報器を設置する訳にも行きませんしねえ。なので、私のような嘱託の講師に警備を任せているんですよ」
それはそれで警備が手薄だろうと思うのだが、学校内の生徒の備品については厳重な管理がしてあるらしく、今まで盗人が入って来た事はないと萱谷は断言した。そこまで自信を持って言えると言う事は、恐らく本当なのだろう。
和祢には警備が何たるかと言う事は良く解らなかったが、とやかく言う事ではないかと思い、宗介と共に黙って宿直室へと案内された。
「さ、どうぞ」
非常口のすぐ近くにある部屋の鍵を開け、萱谷が入室を促す。
宿直室は六畳半と言った程度の広さで、夜間警備に備えてかテレビや寝床、小さなキッチンまでもが用意されている。まるで学校にワンルームが併設されているような生活感のある部屋に、和祢は興奮してすぐに上がり込んだ。
「うわっ、わぁああ、すごいっすね!? なにここ、ココに住んだら絶対遅刻しねーじゃん! 学校で好きにテレビ見られるとか最高だし……!!」
和祢の学校では色々と校則が厳しいため、昼休みですら携帯機器で動画やテレビを見る事は叶わない。なので、禁欲的な学校でこのような設備を自由に使えると言うのはかなりの憧れだった。
和祢は思わずテレビに這い寄ろうとするが、宗介に服の襟を引っ掴まれて残念ながら大人しく座らされてしまった。恐らく話が進まないからそうしたのだろうが、その行動が結果的に宗介を「大人な常識人」と誤解させるのだから、皮肉な物だ。
そんな様子を萱谷は苦笑して眺めつつ、二人に茶を出して対面に座った。
「さて……改めて、ようこそお越しくださいました。そのお姿から察するに……あの『新説・都市怪奇譚』を執筆なさっている名切谷先生ですよね? そして君は、先生の助手役のモデルの子かな」
「あ、はい。伊加土和祢っていいます。よろしくお願いします」
正座に座り直して頭を下げる和祢の横で、胡坐をかきながら宗介が茶を啜る。
「今回は本格的な取材にしようと思っていましたからね。そう言う時は和祢と一緒に直接乗り込む事にしているんですよ」
「という事は、今回の件を調べて下さるんですね! ああ、本当にありがとうございます……! ずっと不安だったので、助かります……。しかし、編集さんではなく名切谷先生が来て下さるとは思っていませんで……さきほどは本当に失礼しました」
深く頭を下げる萱谷に、和祢はあははと笑って頬を掻いた。
「怖い先生がいるんスね。えっと……峰頭先生、ですっけ」
「ええ。彼女は模範的な教師なのですが……少々融通が利かない所が有りましてね。……それに、最近悲しい事件が起こったせいで、余計に過敏になってるんですよ。どうか御無礼をお許しください」
「まあ、しょうがない性格のまま年を取る人間はいますから。気にしてませんよ」
「そう言う嫌味を言うのがまず気にしてる証拠だろ……すみません、萱谷先生」
大体、しょうがない性格のままで年を取ったのは宗介も同じだろうに。……というあからさまな喧嘩を売る言葉を飲み込んで、和祢は萱谷に謝る。
何故自分が頭を下げなければならないのだ、と和祢は内心思うが、そうでもしなければ相手から話が効けないので仕方がない。
対人スキルがゼロな宗介が探偵として調査するには、こうした和祢の地味な努力がなくてはならないのだ。だからこそ、宗介も和祢を助手として様々な所へ無理矢理に連れ出しているのである。
そんな哀れな和祢のしおらしい態度に、萱谷は慌てて構わないと言葉を返した。
「ああ、そんなに頭を下げないで。まあその……ここだけの話ですから」
「うう……すみません……」
「それより、そろそろ本題に入りましょうか。貴方はブンヤ……編集の原分に、とある少女の自殺には“都市伝説”が関わっているかもしれないと手紙を書いてくれたそうですが……それは一体どういうことなんですか?」
話の腰を折るのも気にしないで単刀直入に聞く宗介に、萱谷は面食らったようだが――姿勢を正し、緊張した面持ちで口を開いた。
「手紙に書いた内容を理解して頂くには……まずこの学校で噂になっている、奇妙なムラサキカガミの話をせねばなりません」
「それって……皆が知ってる都市伝説とは違うって事ですか?」
和祢が訊くと、萱谷は深く頷く。
「いつから話題になっていたのかは定かではないのですが……この学校で奇妙な事が起こる少し前に学生から聞いた話では、その……私が知っている噂話とは随分違うものが広まっているようでして……」
「それが、石野優美という女生徒の自殺に関係しているというのですね」
「ああ、はい」
萱谷の語る話は、こうだ。
最近――と言っても、いつどこから広まったかは解らないのだが――この学校には、ある噂が広がっていた。それは、ムラサキカガミの噂だ。
通常、ムラサキカガミの都市伝説とは「二十歳の時点でその言葉を覚えていると、ムラサキカガミによって死んでしまった存在に呪い殺される」という端的な物だが、この学校ではそれとは全く違う噂が流されていた。
――昔、この学校には、それは美しい顔の女生徒がいた。彼女は自分の顔が好きで、いつも鏡で自分の顔を見て微笑んでいたと言う。しかし、その美しさを妬んだ他の女生徒達が、彼女を学校の地下に存在する洞窟に閉じ込めてしまった。あまりの暗さと孤独のせいで、その女生徒は体に変調をきたし、肌は紫色に爛れてしまったと言う。そんな自分の姿を手鏡で見て彼女は発狂してしまい、自分を洞窟に閉じ込めた女達を恨みながら死んでしまったと言う。
それ以来、この学校では自分の持っている鏡を紫色に染めると、その女生徒の幽霊が地下洞窟から出て来て、呪い殺されてしまうらしい――――。
……そんな、妙に詳しい噂が。
「その噂を私が耳にしたのと同時期に、ある事件が起こったんです」
「事件?」
「ええ、その……何と言いますか……学校の階段の踊り場には、大きな鏡が有りますでしょう? その鏡が……何者かのいたずらで、紫の液体をかけられてましてね」
「え……」
唐突に現実感のある話に入り込んできて、和祢は思わず固まる。しかし、宗介は隣で硬直する助手を気遣う事も無く萱谷に問いかけた。
「液体、と言うとペンキか何かで?」
「いえ、絵の具でしたね。ですので、掃除は楽だったんですが……しかし、その鏡を見て“ある生徒”が気も狂わんばかりに騒ぎ出しまして」
「それってもしかして……その、石野優美……さん?」
和祢の言葉に、萱谷は沈痛な面持ちでまたもや深く頷いた。
「確かに生徒たちは“噂話”のせいで怯えておりましたが、その中でも石野は目立つほどに怖がっていましたのでよく覚えています。あの時は、極度の怖がりだったからああいう風になったのだとばかり思っていましたが…………」
「……つまり、その鏡を見たせいで彼女が自殺してしまったのではないかと……そう思って、あなたは手紙を送って来たんですか」
「それだけでは、彼女が死んだ事と噂が関係しているとは思えない……。そう思っておられるのですね? しかし、その後も鏡に紫の液体をかける悪戯は続き、その度に彼女は遭遇して他の生徒以上に恐れ……そのまま、学校に来なくなってしまいました。体調が悪そうな日も、無理して来ていた彼女がです。そして……ある日彼女は、自室で首を吊って…………」
やりきれないとでも言うような顔をして、萱谷は俯く。
萱谷は他の生徒の事も交えて石野優美の異常な程に恐れる様を説明したが、彼は元々生徒を強く気に掛ける性格のようで、別段彼女だけを特別に見ているのではないと言う事が察せられた。
そんな生徒思いの萱谷だからこそ、石野優美の変化にも敏感に気付いたのだろう。けれども、彼女を救ってやる事は出来なかった。その事に落胆する様は、哀れを誘うほどの悲痛さに満ちていた。
「……あの、他の理由での自殺とかは考えられないんですか?」
ここに来るまでに散々疑っていた事を切り出す。
しかし、萱谷の返事は「否」だった。
「石野優美という生徒は、病弱ではありましたが、素行が悪い生徒ではありません。先程も言いましたが、体調が悪くても彼女は学校に来るような勤勉な子でしたし……いつも一緒にいる親しい友人もいました。……私も、まさかと思って、ご家族に恋愛関係や何かで自殺したのではないかと伺いましたが、石野の自室には彼氏がいたような形跡も無かったそうです」
「…………それじゃあ確かに、自殺した理由が解りませんね」
和祢の相槌に、萱谷は悲しそうに眉を顰める。
まるで、同世代の和祢に石野優美の姿を重ねているかのように。
「いじめ、という可能性も考えたのですが……私は彼女のクラスの担任ではなかったので、詳しい事は解りません。それに、私は彼女だけを見ていた訳でもないので……本当はどうかと思う事も有ります。しかし、遺書も無くご両親もただ弔って欲しいと仰っていたので、恐らく“いじめは無かった”と思っておりますが……」
「なるほど」
たしかに、いじめに遭って自殺したのであれば、恨み辛みや悔しい思いなどを感じさせる遺書などが見つかるはずだ。
両親と仲が良かったのであれば、尚更全てを秘して死ぬ事は出来なかっただろう。感謝を述べる一文くらいは置いて行ったはずである。
なのに、遺書は何もなく、両親も弔う事だけを望んだ。
……と言う事は、本当に自殺した理由が解らなくなる。
「つまり、自殺の理由が解らないから、都市伝説に関連付けたと言う事ですかね? そいつはちょっと短絡的過ぎると思いますがねえ。……さては萱谷さん、その生徒の自殺の真相が知りたいからって、うまいこと僕らを担ぎ出そうとしてるんですか? そりゃあちょっといただけないなあ」
「ち、違います! その、実は……私がそう思うようになったのは、あるものを目撃してしまったからでして……」
「あるもの……?」
同時に同じ疑問を口にする和祢と宗介に、萱谷は頷いた。