――都市伝説が関わる事件の詳細 ―1
その「事件」が起こったのは、つい最近の事だと言う。
事件とは言っても、殺人などの類ではない。それは、ある一人の少女が自らの手で命を絶ったと言う静かで悲しいものだった。
たった十六年の生涯を終えたのは、石野優美という少女。
特に目立つところも無い、平凡な女子高生だったと言う。ブンヤの調べたところによると、特に素行が悪い事も無く両親とも仲が良かったらしい。
しかし、実際の所は解らない物だ。もしかしたら“いじめ”があったとか、恋愛について悩んでいたとか、色々と理由があったのかもしれないのだから。だが、彼女が自殺したと言う事実は確かなようで、この件は特に騒がれる事も無く地方新聞の小さな記事程度にしか報道されなかった。
ただそれだけの、もの悲しい事件のはずだったのだ。
しかし――その彼女の静かな死は、ある一つの噂によって静を動へと覆される事となってしまった。
「その噂が……ムラサキカガミの都市伝説」
ブンヤに説明された事を反芻しながら、和祢は緩い坂の先に見えてきた学校を見やる。古めかしい様相でお世辞にも綺麗とは言えない学校は、休日の清々しい青空の下でただ静かに聳え立っていた。
まるで、不穏な噂など存在しないかのような爽やかさだ。
しかしあの学校には、間違いなく不可解な噂が存在していた。
――石野優美は、ムラサキカガミの呪いで自殺してしまったのだという噂が。
「でも、本当にムラサキカガミのせいでその子は自殺したのかな? 普通に考えて、イジメとかの方が可能性高くない?」
「そういう可能性もあるけどね。だけど、この情報の提供者は何か確信の持てる情報を知ってるらしいし……まあ、信じてもいいんじゃないかな?」
とは言え、その情報も実際の所信用できるかどうかは怪しい所だ。
オカルトな情報は、基本的に他者の発言が全てであるが、それが“真実”であると証明する事は難しく、かといって頭ごなしに否定すればエスプリの欠片も無い無粋な人間になってしまう。しかし、頭から信じてしまう事もまた盲目と言えるだろう。
何故なら、このようなオカルト話の大半は創作である事が多く、真実を語るものは一握り存在するかどうかだからだ。
それに、怖い話と言うものは、大半が「理解不能である存在への恐れ」を利用して作られている。理解不能である存在という事は、存在を認知し理解するのが難しいと言う事と同意義だ。だとすれば、噂の真偽を確かめる事すら難しい。
それでも、手っ取り早く結論をつけたいのなら、「目撃者の頭がおかしい」と決めつけるのが一番早い方法だが……特に目立った奇行がない人間をそう決めつけるのは愚鈍の極みである。オカルトを盲信する事も、必死に否定する事も、結局のところは思考停止を助長する行為に過ぎないのだ。
だからこそ、人と言う物は常に真偽の狭間で噂を疑い信じ続けるのだが。
そんなわけで、オカルトな噂話は「信じられないけど、もし本当だったら怖いね」と言う微妙なラインで成り立っているのだが……。
(都市伝説で実際に人が死ぬってのは、やっぱ納得できないよなあ……)
常人であれば、有り得ない、有ってはならないと思うのが普通である。
和祢の場合は「怖いから」と言う理由も多分に有ったが、この現代で何らかの呪いで死ぬ可能性を本気で考えるなんて、あまりにもバカバカしい事だろう。
実証されなければ信じられない。それが、今の世界の風潮なのだから。
(願わくば今回も呪いだのなんだのっていう話じゃないといいんだけど……)
内心でそう願いつつ、和祢と宗介は校門を抜けてまずは職員室へと向かった。
校内には休日を返上してスポーツや部活動に勤しむ学生達が多く、和祢が通う学校よりも賑わっている。ブンヤに聞いた話ではこの高校はスポーツに力を入れており、その為こうも学生が登校しているらしい。
(にしても、建物も俺の学校とはずいぶん違うな……)
薄汚れた白いコンクリートの壁に、褪せた色になったリノリウムの床。片田舎とは言え随分と年季を感じる様相だ。
和祢の高校は開校されてまだ半世紀も経っていない学校なので、この高校と比べるとかなりの違いを感じてしまう。下駄箱がロッカーではないただの木製の棚だったり、いたる所に古めかしいセピア色の写真が飾られているなんて、街の中心部にある和祢の高校ではまず考えられなかった。
しかし、それが悪いと言う訳ではない。
むしろ「歴史が有る」と言う部分に魅力があるように思えて、和祢としてはどことなく羨ましい感じすらした。
「ふむ……写真からすると、戦前から存在する学校みたいだね。……それなら色々と体面を気にするかも……」
「そっ……そんな事ここで言わなくても良いだろ!? ちょい静かにして!」
年甲斐もなくデニムジャケットとスラックスを着用したモジャモジャ頭のグラサン中年というただでさえ怪しい格好なのに、ブツブツと不穏な事を喋っていたらそれこそ不審者として通報されてしまう。
慌てて背中を叩いて歩みを促し、和祢はすれ違う学生に愛想笑いで頭を下げた。微妙な顔をされたが、気のせいだと思いたい。
悲しさを振り切りつつ廊下を進むと、古ぼけた教室札に白字で職員室と書いてある部屋が見えてきた。
戸を叩き職員室に入ると、すぐに一人の教師がやってくる。
「何かご用でしょうか」
少々きつい物言いをしてきた相手は、その口調と声音通りの厳しそうな顔立ちをしている中年女性だ。中年とは言っても皺が目立つので、恐らく四十後半か五十代くらいだろうが、それでも背筋がぴんと伸びて若々しくジャージを着用している。
和祢は瞬時に「体育教師だ」とピンと来たが、敢えて何も言わずに宗介が説明するのを待った。
「ええ、いやね、ここに萱谷先生がいらっしゃると聞きましたので……」
サングラスを外し、物腰柔らかな微笑みで指名する宗介に、いかにもお局と言った様子の中年女性は、腕を組んで訝しげにこちらをじろじろと見やる。
明らかにこちらを不審者ではないかと疑っているらしい。
顔立ちの鋭さも相まってか、その視線はこちらを責めているようにすら思えた。
「萱谷? ……貴方がた、何の御用でいらしたんです?」
声すらも刺々しい。
和祢の高校にもこんな教師がいるが、それでも彼女はあまりにも強烈だ。
何の咎も無い和祢ですら委縮してしまうほど、目の前にいる中年女性教師は凄まじい威圧感を持っていた。
(こんな教師がいたら、絶対に学校行きたくなくなるだろうなあ……)
高校生活に特に問題がない部外者の和祢でもこう思うのだから、この高校に通っている学生達はより辛いだろう。
しかし、宗介はそんな刺々しい相手でも怯まずに笑顔で答える。
「何の用で、とはどういう意味でしょう?」
「あなた、何を仰ってるのかしら? そのままの意味でしょう? 何の御用で萱谷先生に会いに来たのかとお聞きしてるんですよ。約束も無しに急に……しかも、学校に来るのにふさわしくない格好で……」
「えっ? 変だなあ、学校では必ずフォーマルな格好でいることなんて言う決まりはないはずですよね? そんな決まりがあったら、貴女のようにジャージを着て職員室に居る事なんてとても出来ませんしねえ。あっはっは」
「………………」
(ひぃいいい……)
目の前でバチバチと火花が散っている音がする。
思わず和祢が目を逸らしたと同時、明後日の方向から壮年の男性の声が割り込んできた。
「いやあ、すみません! ちょっと電話を受けておりまして……あの、“奇節”の方ですよね? わざわざ学校までお越しいただいて本当に申し訳ない! ああ、峰頭先生こちらはもう大丈夫ですから」
萱谷と言う壮年の男は、半ば強引に峰頭と言う中年女性の踵を返させると、宗介と和祢に向かって外に行こうと無言でジェスチャーを送ってくる。
もちろんそれを拒否する訳もなく、和祢と宗介は萱谷に連れられて人気のない場所へと三人で移動した。