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マリエルーデ、ボクをお嫁さんにして

作者: もずくっこ

筆者の好みにしか配慮していません

「マリエルーデ、マリエルーデ、ボクをお嫁さんにして」


 カンカンと耳に突き刺さるような声が求婚する。まるで複数の人間の声をつなぎ合わせたように高く低く、揺らぎひび割れた不協和音に、けれども告白された少女はにこりと微笑んだ。慣れた表情だった。


「それはできないのよ」

「マリエルーデ」

「ごめんね」


 マリエルーデと呼ばれた少女はそっと手を伸ばして、それを撫でた。ふよん、と不思議な障り心地がする。柔らかで、しっとりとしていて、ずぶずぶと指先が埋まる。


「お前はスライムだから、私と結婚できないの」

「……マリエルーデ」


 うまく噛み合わない歯車に似た金属音が、しょんぼりと音階を下げる。マリエルーデも整った眉をハの字にした。

 うす水色に透き通ったスライムの体に埋まった指先を内部でくすぐられて、眉を下げたまま小さく笑う。恐らく、たいていの人間がこの図を見たならば悲鳴を上げ、少女の指をスライムから引っこ抜こうと躍起になるだろう。

 何せ、スライムと言えばモンスターの中でも悪食の代名詞だ。触れるものはみな貪欲に取り込み、どんな硬いものも強力な酸で溶かして飲み込む。単体ではさほど強い部類ではないが、不定形でくにゃくにゃと攻撃を受け流し、細い隙間にも入り込んでしまうことから、厄介な部類と判じられていた。

 しかしマリエルーデにとって、この個体は恐れるべき存在ではなかった。マリエルーデが育てたようなものだったからだ。







 マリエルーデがかのモンスターを見付けたのは、彼女が五歳の頃に遡る。

 赤い絨毯が続く我が家の廊下に、うにうにとうごめく何かを見た。それがこのスライムだった。ほんの小さな、幼いマリエルーデの手のひらよりもさらに小さいほどの大きさでしか無かったけれども、モンスターはモンスターである。使用人に見つかれば、大きくなる前にと迅速に処分されてしまうだろう。

 マリエルーデは生まれたてと思しきそのモンスターを部屋へ連れて帰って、こっそりとティーカップの中で飼うことにした。

 毎日のおやつをひとかけらこっそり持ち帰って与えると、もにもにと飲み込んでいき、もっとちょうだいとばかりに桜色の爪先に吸い付く様が愛らしかった。

 ようやく絵だけでない本も読めるかどうかという年齢のマリエルーデには、それがモンスターという人類にとっての害獣であることはわかっていたけれども、その危険性までも真に迫って理解していたわけではなかった。


「かわいい」


 にこにこと撫でさすり、マリエルーデはそのスライムを愛玩した。もちろん、信じられないほど愚かなことだ。

 どんなに小さくとも、魔物は魔物である。それの吐く酸が骨まで溶かし金属も浸食するものだとわかっていれば、手のひらに乗せて頬擦りをしたり、あまつさえひんやりして気持ちいいからと抱きかかえて眠ったりなどしなかったに違いない。

 与える菓子のひとかけらがふたかけら、ふたかけらが半分、半分が一つ、一つが二つ……次第次第に欲しがる量が増えていくと、生態として排泄をしないスライム自身の体積も増えてきた。ティーカップに収まらなくなり、腕型にした両手からもてろんと垂れ下がってしまう。

 そしてクローゼットの箱の中に隠すのもいよいよ限界に達した。危うくメイドに見つかりかける回数が両手の数を超えたところで、マリエルーデは泣く泣く、かわいいペットを手放すことにした。

 使用人も寝静まった夜に、見回りの目をかいくぐってこっそりと部屋を抜け出し、庭からそっと地面に落とす。ある意味『箱入り』だったスライムは、初めて触れる芝の感触に戸惑ったようにその場でくるくると回った。


「だめよ、もうお別れなの。ここに残っていると、お前が危ないのよ」


 マリエルーデは聞き分けのない幼児にするように、何度も何度も言い聞かせた。

 スライムはしばらく戸惑ったようにうろつき、抱き上げて欲しそうにうにょりと触手のように一部を伸ばしたが、やがていつまで経っても希望が叶わないことに気付くと、地面に落ちたしずくに似て凪いだ平面状に戻った。

 あるじの許しを待つ忠犬の姿勢で平伏する。瞳があったならば潤んだまなこで寛恕を願っただろう。けれどもマリエルーデは心を鬼にし、首を左右に振ると、その場から立ち去る……ように見せかけて、角からこっそりとスライムの様子を伺った。

 しばらくその場に留まったスライムは、けれども、あるじが戻らないことを察したのか、とぼとぼとした進みで庭の奥へと消えていった。たびたびその歩みが止まるのが、名残惜しげに振り返っているような姿に映り、マリエルーデは惜別に痛む胸を押さえた。


 こうして幼い友とひとつの別れを経験したはずが、数日後、就寝前に本を読むマリエルーデの前に、ぼとりと落ちてくるものがあった。あのスライムである。


「お前! もうお別れだって言ったのに!」


 反射的に悲鳴を上げかけた口で叱るマリエルーデに、スライムはおののくようにふわわと表面をさざめかせた。叱咤に怯えてしょんぼり首を垂らした犬のようだ。

 スライムが人間に疎ましがられるその柔軟さで屋敷に入り込んだモンスターは、うにうにとしずく型に自身の形を変えると、その天辺をぐにぐにと蠢かせて、変形させた。つんと三角に尖った形は二つ重なり、合わさって円錐の形をしている。

 それが半分にぱかりと割れた。


「……マリエルーデ」


 ギシギシと錆びた金属を擦り合わせたようなひどい音が、それでも確かにマリエルーデの名前を呼んだ。マリエルーデは目を丸くして、何もない上下左右を見渡し、再び目の前の水玉を見つめた。


「……マリエルーデ」

「……お前なの?」


 じっと見つめた先でかぱかぱと円錐の半分同士が重なり合う。少しカーブを描くなめらかな曲線は、何かのくちばしのようだとマリエルーデは気付いた。

 恐らく、鳥類を食べたのだろう。そして呑み込んだ情報を使って、発声できる器官を自分の中に作り出したのだ。貪欲の業を負ったスライムの本質は吸収同化だ。

 頭の部分にくちばしを作り上げたスライムは、ふたつの嘴をすり合わせて、いくつもの音を重ねたような不自然な声を発した。


「マリエルーデ、ぼクを、オヨめさンに、シて」


 マリエルーデは驚いた。そりゃあもう、びっくりした。


「なんですって?」

「オよめサん、に、ナルよ、ズッと、いッしょ、に、いるョ」


 ぽよぽよと表面が波打つ。マリエルーデは、精一杯にアピールするモンスターをまじまじと見つめる。

 そういえば、戯れに読み聞かせた絵本の中に、そんな台詞があったかもしれない。「僕をお嫁さんにして」……確か、ウサギの男装令嬢と、オオカミの騎士の話だった。騎士の身に扮していたウサギが、旅の共であったオオカミに、物語の終盤に言い放つ台詞だ。

 少女特有の傲慢さで、従えるものの一方的さで、けれどもありあまるときめきとロマンスに、もしかしたらマリエルーデは戯れに「すてきだわ」などと口ずさんだかもしれない。


「お前は私のお嫁さんになんてなれないわ」


 何も知らぬ幼子が途方もない夢を語るような、あまりにあどけない申し出に、マリエルーデは呆れかえるよりも笑ってしまった。

 ころころと舌の上で笑み転がすマリエルーデを前に、スライムは不思議そうに透き通ったくちばしを傾けた。


「ドうして?」

「だって、お前は人間ではないもの」

「にンげん」

「そうよ、私は人間だから、お前をお嫁さんにはできないのよ」


 箱入りならぬ『ティーカップ入り』であったスライムは、しばし思い悩むようにふにふにとその場で弾む。


「ボク、ニンげん、に、なル」


 ひび割れて掠れた合成音声が、ひたと決意をもって宣言する。


「そうね、同じになったら、お嫁さんにもなれるかもしれないわ」


 軽く頷いたその言葉は、嘲弄の意図を持っていたわけではない。ただしそこに誠意がひとかけらも無かったことは確かだ。幼子を片手であしらうような、微笑ましい無関心が横たわっていた。

 だって。マリエルーデがスライムを嫁に貰うだなんて、ばかばかしくて笑うことしかできない冗談だ。マリエルーデは人間で相手はスライムで、そもそもマリエルーデは女なのだから嫁に貰われる側だ。

 それに、それにマリエルーデは、自分で婚姻相手を決められるような立場ではない。年頃になれば、家柄などを考慮された相手が親によって見繕われるだろう。それに否やはない。マリエルーデは幼いながらも自分に与えられた役割をよく理解していた。

 マリエルーデ自身にはわかりきっているその一切合切を、もちろんスライムに懇切丁寧に伝えたりなどしなかった。

 だから、スライムは何度も何度もマリエルーデの前に現れ、誰かの声を真似た音で求婚した。同じになれば結婚できるのだと、マリエルーデの前で人の姿を真似て見せては、折角作った体を重力に従って地面に落ちこぼし、しょんぼりとしていた。

 ぎこちなく呼びかける声は、不自然ながらも次第になめらかになっていった。形作る人型も、中身の透いたそれを人と間違えることは決してありはしないものの、徐々に精錬されていく。その上達ぶりの理由を、音にして尋ねたことはない。森に放たれたスライムが、どうやって『材料』を得ているかなど、頭を捻って考え込まなくてもわかることだ。

 マリエルーデはそれを咎めない。マリエルーデは人間だからだ。スライムが生きるために行うモンスターの理にくちばしを突っ込むことなどできない。




 マリエルーデとスライムのその習慣は、マリエルーデが適齢期になり、婚約者を作っても変わらなかった。スライムは相変わらず、同じになればマリエルーデの『お嫁さん』になれるのだと信じているようだった。

 人ならざるその純情は、マリエルーデにはいっそ尊く、気高いものにさえ感じられた。夢見る少女の頃を過ぎたマリエルーデには、幼い頃には見えなかったものも見えるようになってしまった。

 マリエルーデは、いくつかの領地を持つ貴族の娘だった。爵位のさほど高くない割に、まるで姫君のような贅沢な暮らしを送れているのはどうしてか。領地に視察に行った際に、一部の民衆よりいわれの無い悪罵を叫ばれたのはなぜか。時折、夜中に家の前に家紋の無い馬車がつき、そんな夜には幽霊のすすり泣きを遠く聞いたような気がするのは。

 そもそも、過ぎるほどに清掃された家の中で、スライムの子どもを見付けるのは普通では考えにくい。どこかに、少なくともこの敷地内に、このスライムが生み出されるような何かがあるのではないだろうか。

 マリエルーデは浮かぶ疑問すべてに目を瞑った。マリエルーデはこの生き方しか知らない。今更正義の血を燃やし、我が家の闇を明るみに出さんと立ち上がるような勇気も使命感も持ち合わせていなかった。

 けれども、マリエルーデでなくとも、義憤に燃える誰かはいたらしい。ある日、憲兵隊が屋敷に押し入ったかと思うと、マリエルーデを含めた家人がみな捕らえられた。

 泣き叫ぶ母、無礼に激昂する父を横目に、マリエルーデはむしろ冷静でさえあった。来たるべき日が来たのだと、そう思った。

 宝飾品を取り上げられ、豪華なドレスを剥がされて、咲き初めし花より美しいと称えられた薔薇色の頬は青ざめやつれて、家族とも離された独房で大人しく裁きを待った。

 やがて与えられた処刑は斬首だった。罪状は積み重なりすぎてよくわからなかったけれども、それなりのことをしていたのだろうとマリエルーデは思う。

 斬首刑は一昔前は斧を何度も振るい落とす残酷なものだったが、ギロチンが使用されるようになってからは、一瞬で首が落ちるので痛みはないと聞く。むしろ寛大なる王の慈悲であると、薄汚れた貴族の娘の怯える様を愉しみながら、にやけた看守が語った。

 位が高くもなく、違法なもろもろで私腹を肥やした末端貴族の処刑は、民衆に公開されるとのことだった。ここ一世紀は戦争もなく、平和を享受していた民達は、かえって残虐な『見世物』に飢えていた。

 親兄弟と、次第に処刑されていく様子を日に日に看守に語られる。房の中は、処刑場の熱狂からは遠く、窓格子ごしに見上げる空は嘘のように青かった。




 そしてとうとうマリエルーデの番が来た。看守から処刑人に手枷の先の鎖が渡され、収容前からは随分とやせた体を引き摺るようにしてギロチン台の前まで進む。手が戒めから解かれると、長いこと固定され続けていたので、なんだかふしぎな心地がした。

 自由に息を着く間もなく、両手をギロチン台に固定される。眼前には、処刑を見届けようと前のめりになっている民衆が列を成していた。父や母の処刑を見た後であろうから、多少は余興に対する興味も失せていていいものを、興奮に赤らんだ目つきで爛々とマリエルーデを見つめている。

 注がれる視線の熱量に気圧された、その時、後方でざわめきが立った。

 悲鳴と怒号、ばたばたと複数の人間が走り去る音が聞こえるが、腕を固定されているマリエルーデには振り返ることもできなかった。徐々に、喧噪は近くなる。ギロチンの刃を落とす役割を持っていた処刑人が悲鳴を上げて斧を投げ出し逃げていく。

 ぞろり、と、首筋に冷たいものが這った。ひ、と引き攣りかけた喉から恐怖が漏れる前に、頭上から、聞き慣れた声がした。


「マリエルーデ」


 まるで、複数の人間の声をつなぎ合わせたように高く低く、揺らぎひび割れた不協和音。人のそれではなく、精一杯人のものに似せた、何かの声。

 マリエルーデの目縁からどっと涙があふれ出た。アンダードレスの下の足ががくがくとみっともなく震える。

 恐ろしかった。無遠慮に拘束され、乱雑に腕を、髪を、足を掴まれる。今までの生活では想像だにできない目に遭った。

 もちろん、それはマリエルーデの家がなした様々な悪行からすれば、当然の報いなのだろうが、知っているのと体験するのは段違いだし、覚悟するのと理解するのもまたまったく違う。日常に降って湧いた捕り物劇は、暴力沙汰とは縁遠いマリエルーデのこころをずたずたに傷つけた。

 いやだ。なんで、わたしがこんな目に。わたしがやったんじゃない。悪いのは父様と母様だ。わたしは何もしていない。ただこの家に生まれただけだ。大人しくしていたじゃない。なんで。なんでわたしが。死にたくない。こわい。いたいのはいや。

 わかっている。何もしなかったこと、それがマリエルーデの罪だ。日々の贅沢のひとつひとつが、誰かの嘆きとこぼされた血肉で出来上がっていると知りながら、それを日々日々貪っていた。マリエルーデは罪人だ。

 でも、マリエルーデに何ができたというのだ。家に呑み込まれるだけの一人の小娘が、この細い足を踏みしめて、一体何を変えられたという。

 マリエルーデにできたのは、ただ小さなティーカップで、魔物を育てただけ。そんな、意趣返しにもならない、小さな反乱だけ。


「マリエルーデ」


 滑らかな肌触りが首から垂れて、背中を覆っていく。強ばり怯えきった四肢を見る見るうちに包み、宥め撫でさする仕草でやさしく流動する。

 頬が安堵の涙で熱く濡れていく。

 獄中で、家人を呪った。父を母を兄弟を、関与したであろうありとあらゆる人間を呪った。家の悪事を露呈させた誰かを呪い、家に踏み込んだ憲兵隊を呪った。罪状を決めた法務官を呪い、処刑を決めた大臣を呪い、それを許可した国王を呪った。残酷な娯楽を求める民衆を呪い、助けてくれない何もかもを呪った。

 みんなみんな死んでしまえ!

 胸の中で何度も何度も何度も叫んだ。


「マリエルーデ、ボクを、お嫁さんに、して」


 金属がすり合うような不自然な声音は、結局直らなかった。スライムはいつまで経ってもスライムで、人間になれるわけがない。

 マリエルーデは人間だから、人間の理に従った。家名の元に、罪状も処刑も受け入れた。末席ながら貴族としての義務も果たさず、ただ与えられるものだけをのうのうと食らい、咎めるべき家人の悪行に見ないふりをした、その報いを甘受した。

 恐れ怯え震えながら、こころうちだけで罵声を飛ばして、その全部を呑み込んで。

 でも。

 無辜の人々を、取り巻く世界を呪う、マリエルーデは、もしかしたらもう、人間とは言えないのかもしれない。

 そうしたら、同じだ。

 お前と、わたしは、ようやく同じものになった。


「――いいわ。お前をお嫁さんに、してあげる」


 言うなり、がぽんと頭まで呑み込まれた。マリエルーデは反射的に眼を強く瞑った。形のないものが、閉じた瞼を撫で、遊ぶように睫毛をかき鳴らす。

 浮遊感と共に、水の中とは違う、重ったるい抵抗感がある。少しばかり冷たい温度が体全体を取り巻いている。あのスライムはこんなに大きかっただろうか。

 頭皮がぐんと引かれて、梳くようにたゆたっているのを感じていると、首と手首にかかっていた拘束がなくなり、かくんと頭が垂れた。器用にも、ギロチン台の固定していた部分を溶かしたらしい。

 縛り付けるものを排除されたマリエルーデの体を慰撫するように、まとわりつく粘性が小さく微動した。全身にマッサージを受けているようで、ついつい引き結んでいた唇が綻んだ。

 あっという間だった。力が抜けた唇のあわいから、どっと口内へと入り込まれた。口腔を満たし、漏れる空気を邪魔者だとばかりに掻きだしていく。喉の更に奥へ進んでいく。

 さすがにマリエルーデも死を予感し、思わず瞑っていた目を開いた。直接粘性に触れたはずの眼球は思ったよりも痛まず、咽喉部もまねかれざる闖入者におののいたものの、柔軟に形を変えるそれらは無理には進まず、いたって『紳士的』な様子だった。

 マリエルーデもスライムに呑まれるのは初めての経験なので、これが普通のことなのかはわからない。ただ、伺うようにそろそろと器官を抜けていく感触は奇妙に遠慮がちで、それがなんともおかしかった。

 おかしいと言えば、呼吸が苦しくない。マリエルーデは自由になった腕で喉を押さえる。まるでこのスライムの中も、マリエルーデの一部であるように違和感がなかった。

 マリエルーデがまたたきの間にあたらしい『我が家』に順応している間にも、スライムを取り巻く周囲は変化していた。険しい顔をした兵士たちがじりじりと包囲する。

 水色に透けた向こうで、幾人もの兵が矢を放つ。マリエルーデはびくりと身を竦めたが、何本もの矢は瞬時に伸びた触手に絡め取られ、煙を上げて溶けた。内部にいるマリエルーデには音は聞こえないが、兵士たちの口がぱくぱくと忙しなく動いている。

 マリエルーデを抱えるようにふよふよと位置を少しずつ変えられてから、スライムが移動を始めた。動いているのはマリエルーデを包むものの更に向こうの部分のようで、マリエルーデには振動さえ感じられない。

 ひと一人呑み込んであまりあるスライムだ。周りを囲む兵士も手を出しあぐねている気配を感じる。怖じ気づき後ずさる中、悠々と進んでいくスライムの行く手を阻まんと勇躍する兵が飛び出た。接近し、剣を振りかぶり――だぱんと溢れかえったスライムの波に、飲まれた。

 透明の壁に阻まれた悲鳴が耳に届きそうだった。すさまじい形相で身をよじり、必死に暴れるが、形の無いスライムはへばりつくようにその体を絡め取った。

 スライムに触れたところから、皮膚がぶくぶくと泡立っている。肉が溶けて骨が見えている。もはや攻撃の意思はなく、這って逃げようと土を掻く。肘から先がない片腕を振り回しながら、赤くてらてらと光る傷口もあらわに、口角泡飛ばしてがむしゃらに離れようとするさまに、スライムを囲う人垣がいっそう広くなった。

 阿鼻叫喚図がそこにあった。けれども、スライムは何を躊躇う様子もなく、人が退けて開かれた道をぬとぬとと進んでいく。その中に浮かんでいる状態のマリエルーデも、音も感触もないせいか、まるで別世界のことのように実感が無い。

 今、目の前で一人の男性の腕が溶けたというのに、特に感慨も覚えないマリエルーデは確かに、もう人とは呼べないのかもしれない。それに痛む心は、多分あのギロチン台で死んだのだ。

 人間の営みからマリエルーデを弾きだしたのは彼らで、だからマリエルーデが同情するべきなのは彼らではなく、この身を包むかつての養い子の方だ。

 衆人監視をあっさりと横に流し、スライムは呑気に街の間を抜けていく。処刑場になっていた広場を通り、外門へと向かう。

 どこに行くの、とすっかり体の中までスライムに満たされたマリエルーデが音無く呟くと、頭にわんわん響くような振動で「おはなばたけ」と返ってきた。

 なるほど、確かあの絵本では、花畑で逆プロポーズをしていた。花冠と、花の指輪で飾って、生涯を誓う場面があったはずだ。

 そんなところまで律儀に順じようとする人外の一途さに、思わず笑みがこぼれる。捕らえられ、収容されて以来久方ぶりの微笑にスライムを揺らすと、嬉しげな震えが全体に伝播した。

 先のことなど解らない。これからどうなるのかも、想像がつかない。

 もしかしたら、他のエサと同じく、マリエルーデも食べられてしまうのかもしれない。死から逃れたつもりで、もっと恐ろしいものに掴まってしまったのかもしれない。事実、体の内側まで全部を掌握されているのだ。これほど危機的な状況もないだろう。

 それでもマリエルーデはきっと花畑で花冠を編むだろう。もう一度言って、とモンスターに強請るだろう。マリエルーデ、お嫁さんにして。そう言ってとこいねがうだろう。

 たしかに言ってくれたなら、この手で花冠をかけてあげるのだ。ウサギの令嬢が、オオカミの騎士にしたように、厳かに、誇り高く、敬愛を込めて。


 絵本ならば、そこでおしまい。

 さりとて、一人と一匹の物語の行く末は、まだ誰も知らない。


この後は丸呑み系ベタ展開として、ご飯も排泄も全部スライムがやってくれるラブラブ新婚生活になるはずです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に文才がすぎる、、、投稿されてるお話全部読ませていただきました!またいつかもずくっこ先生の新しいお話が読める日が来ると嬉しいです( т т ) スライムの純粋さがとても可愛かったです。…
[一言] 読みなおし♪やはり良い♪やはり良い♪ (っ*´꒳`*c)♡〜♡ あとがき読んで安心ニコニコ(*^^)v 幸せ未来へエールを♡! ♡♡(*ノ´O`*)ノ☆☆☆☆☆〜♡♪
[良い点] 連載の様にこのままあとがきの部分を書いても、徐々にぐだりそうだから短編なのが非常にGood
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