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日常はいつもドラマの続き  作者: てんもん
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卓上の白

三話目です。


毎日体が重かった。

 心が重いから体も重くなるんだと誰かが言った。きっとそうなんだろうと僕も思う。不惑を過ぎて、厄年の神事も終わった。だが、不惑とは名ばかりに迷い惑いまくっている。人生の半ばを越えてすべてが惰性で流れてゆく。

 結婚はできなかった。いわれたことを自動的にこなすだけで、睨まれないよう新しい提案もしなくなった。

 いつの間にやら景色に感動しなくなり、あれほど行っていた旅行やドライブもしなくなった。映画やドラマのチェックもなくなり、食事も食べられる不味さなら安いほうを今日も選んだ。

 女性の機嫌をとるよりも休みは一日寝て過ごすほうが幸せだった。

いつの間にこんなことになったのだろう?

 情けなくて寂しくて、たまにどうしようもなく辛くなるけど。

 だからといって磨耗した心も疲れた神経も、だぶつく体も擦り切れた忘れた夢も。もはや取り戻すことなんてできやしない。そんな気力も価値もない。

 こんなに辛いのに涙も出ない。

 フィクションに接した時はまだたまに涙腺が緩いけど、現実だけで涙を流したのはいつが最後だったろう?

 乾いてゆく。

 男は涙を見せぬものなんていうけれど、何のことはない。流さないほうが結局薄っぺらくてかっこ悪いだけの人生じゃないか。

 誰も教えてくれなかった。もう取り戻せないものばかりで、何のために生きているのか分からなくなった。そんな頃。

 ふと思いついてやってみた散歩の途中で、小さな貼紙の中の募集をみつけた。地元の卓球クラブの募集だった。


 ほんのわずかな気紛れだった。何かが変わるなんて思っちゃいない。ただ、小中高とやっていたあの頃の汗を、少し懐かしく思っただけだ。

 代表の人に連絡し、クラブの日に見学にいった。ラケットもシューズも残っちゃいない。でも、見ていたら、無性にどこかが疼くのを感じた。ラケットを借りてやってみたら、体が動きを覚えていた。

 気がついたら30分、汗だくになっていた。信じられなかった。疲れて動けないのに、いつ以来だろう。口元が笑って戻らなかった。

 何年ぶりだろう。汗が気持ち良いと思うなんて。

 気がついたら汗だけではないものが流れていた。次の休みにはスポーツ店で、ユニフォームまで含めた一式を全て揃えていた。

 20年以上振りなのに、体が動いた。昔のイメージ道理に動けなくて、悔しくて練習した。土日の夜の二時間の練習時間。仕事柄どちらかしか行けなかったが毎週通った。

 楽しかった。嬉しかった。自分はまだ終わっていないんだとそう思えた。

 試合には、誘われても仕事が忙しくずっと出られなかったが、それでも充実を感じていた。そんなある日、試合の日、休めることが判明した。

 血が逆流した。やっぱり出たかったんだと気がついた。

 申し込みし、会社の申請もちゃんと通った。

 当日、20数年振りの公式試合の会場は、小さかった。こじんまりとしていた。市民大会なのだから当然だ。人も少ない。けれども。

 熱気は凄く満ちていた。皆、気合全開で、自分も湯気が出るくらい体が熱くて切なかった。うずうずした。

 いい年したオッサンが何やってんだとも思ったけれど、そんなことどうでも良かった。試合ができる。ただそれだけだった。

 上位のVリーグ、中位のAリーグ、下位のBリーグと分かれていて、当然Bリーグの出場だった。上位なんか皆強すぎて勝てるわけないと思ったけれど、それでも目が離せなかった。

 Bリーグでも皆さんとても強かった。必死で声を出し、必死で白球を追って打ち込んだ。途中の記憶なんかあんまり無い。1セット取られた、1セット取り返した。そのくらいだ。ただ、練習よりもずっと上手く体が動いた。満足だった。

 気がついたら優勝していた。頬をつまんだ。開いた口が塞がらなかった。

 所詮は下位リーグだ。なのに体が奮えてしかたなかった。

 賞状を写真に撮った。保存した。ケースも買った。会社で報告したら、皆から凄く褒められて、照れくさかった。褒めてもらえるものがまだ自分にあったことが嬉しかった。


 そして、半年後の今日。二度目の個人戦。

 下位で優勝したので、中位リーグに上がって最初の試合。

 今日も調子が良かった。1つ負けたが、得失点差で一位で予選を通過した。

 欲が出た。

 決勝トーナメントも一回勝って。けれど二回戦で、今まで勝ったことの無いクラブの先輩と当たってしまった。こちらを知り尽くしている相手。フルセットまで持ち込んだが、惜しくも敗れた。悔しかったが、楽しかった。初めて苦しめることに成功した。ヒヤッとしたと言って貰えた。

 そして、それとは別に、驚くことが1つあった。

 予選で一回負けたとき、こちらもフルセットで終わったのだが。途中でタオルで汗をぬぐった。注意を受けた。今は、相手のサーブの時にタイムして汗を拭いてはいけないのだという。

 ルールが変わっていた事を知らなかったので、試合を終えて、お礼と謝罪をした後に話題として、今年四月に20年以上ぶりに公式試合に出たという自分のことを言ってみた。そのときだった。

「知ってます。研究しましたから」と、そういわれた。

 吃驚した。衝撃だった。ここ数年で一番驚いたことかもしれない。

 固まって、返事が一言しか返せなかった。

 研究、されてしまったらしい。生まれて初めて言われた気がする。自分に言われるなんて考えてこともない台詞をもらってしまった。物語みたいだとちょっと思った。

 衝撃が収まるとともに、体が奮えた。多分、僕は、感動していたのだと思う。

 全てが味気なくてやる気も出なくて、全てをあきらめて言われたことをやって流されていた、自分。

 そんな自分が、人から研究される程の真剣さで、いつの間にか打ち込むものができていたのだ。

 顔を上げる。視野が広がる。疲れているはずなのに体がとても軽かった。

 まだ試合が続いている。皆の熱気が届いてくる。白く輝く小さな球が、秒間二往復で飛び交っている。

 汗を拭いて水を飲み、外に出た。残暑の残る空気の中で、空がとても高かった。青がとても深かった。

 誰もいない体育館の中庭で、皆に見えないよう背を向けて、声を殺して本気で泣いた。握ったこぶしが痛かった。首の後ろが熱かった。

 自分はまだちゃんと生きている。誇りを持って生きていた。

 会場に戻り、最後まで応援し、表彰式を見てから帰った。何ももらえなかったが何かをもらえた。

 もう一度夢を見よう。そう思った。

 今日はゆっくり眠れそうだ。


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