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できすぎ

ある日テロを予告する動画が世界中に配信される。

その動画には、次々と自らの命を絶っていく人々の姿が映されていた。

 春の柔らかい朝日が心地よい、ある朝のことでした。

 男がまだ寝ぼけた顔をしながら、仕事場に向かって歩いていると、道の端で二人の男が興奮しながら話しているのが聞こえてきました。

「おい聞いたか」長身のひょろひょろした男が言います。

「ああ聞いたぞ、俺たちも危ないんじゃないか」背が低くてでっぷり太った男が言います。

 一体なんだろうと思った通勤途中の男は、電話をかけるふりをして立ち止まって、二人の男の会話に耳をそばたてました。

「でもいくら無差別テロだからって、俺たちまで危ないことはないんじゃないか?」

「いやいや、さっきインターネットに動画がアップされてたんだけどよ、あれは他人事じゃないな。ウイルス兵器だかなんだか知らないが、あんなに人がバッタバッタ死んでいくのは見たことねえ」

 すると、一人の女性が、二人の男たちに話しかけに行きます。

「ねえ、あんたたち、いったい何の話をしているの?」

 ひょろひょろの男が答えます。

「やあ奥さん。なんでもテロリストだかなんだかがある町にウイルスをまき散らしたうえ、犯行声明まで出してるらしいぜ」

「なんですって?」

 女性はうろたえた様子で聞き返します。

「今じゃあネットはその話題で持ちきりよ。ほら、この動画だ」

 ひょろひょろの男が、自分の携帯端末を取り出すと、そのスクリーンに動画を再生し始めました。

 その様子を見ていた周りの大人や学生たちも、次々に携帯端末を取り出して、件の動画を検索し始めました。

 立ち聞きをしていた男は腕時計を確認し、仕事場に急ぐことにしました。



 ところが、仕事場に着いても同僚たちは、さっきの二人組と同じ話で持ちきりです。

「おい、お前は見たか?」

 と、仲のいい同僚が聞いてきました。

「テロの動画か?いったい何が起こっているんだ?」

「とりあえずこれ見てみろよ」

 同僚は携帯端末の画面を男に見せました。



 動画にはどこかの洒落た町が映し出されています。レンガ畳みの街道沿いに、古くて高さが揃った建物が並んでいる町です。たくさんの人が行き交っています。

 すると、画面の端から一人の真黒な服に身を包んだ人間が現れました。黒服の人間は古風な街には似合わない、物々しいガスマスクをつけているのが、その横顔から分かります。ガスマスクは道の真ん中、人混みに走っていくと、その場で試験管のようなものを取り出して、あたりにその中身の液体をまき散らしました。

 街を行き交っていた人は、ガスマスクの異様な様子に驚いた様子でしたが、途端に動きを止めました。まるでそこにいる全員が、急に大事なことを思い出したように立ち止まったのです。

 数秒もたたないうちに、次の展開が訪れました。町の人々が全員、狂ったように暴れ始めました。あるものは地面に頭をたたきつけ、またあるものは、持っていたバッグの紐で自分の首を絞めています。画面の奥では銃を手にした男性が、自分の頭を撃ち抜きました。男性の手から落ちた銃を、傍にいた老婆が拾い上げると、そのまま自分の頭に弾を撃ちこみました。不思議と他人を傷つけている様子はありませんでしたが、自傷の末に次々と人が事切れていきます。町の中にはほとんど人の声が響いていません。代わりに、壁と頭がぶつかる音や、銃声や、ペンの刺さった喉から響く掠れた呼吸が聞こえてきます。

 死体や、いまだ自傷を続ける人を避けながら、ガスマスクは画面の正面まで歩いてきました。そして、こう言いました。

『我々はある国から特殊なウイルスを盗み出した。このウイルスに感染した者は、即座に自殺を図るようになるだろう。そう、まさにこの者たちのように。我々からの要求は特にない。あるとすれば、このテロ自体であり、我々の目的もまたこのテロ自体である。今後我々は無差別にこのウイルスをばらまく。もちろん、この動画を見ているあなたたちのいる場所も例外ではない』



 その日の仕事はまるで手につきませんでした。どうにも現実離れした気持ちで、ふわふわと浮かぶような心地でした。男ばかりではなく、同僚たちもみなそのようでした。仕方なくその日は早めに仕事を切り上げるよう、上司からも指示されて、男は帰ることにしました。

 帰途を歩く男の耳には、取り乱した様子の街の人々の声が聞こえてきます。

「ねえ、もう見た?」

「見た見た。あれでしょ?怖いよねえ」

「もうこの国にもテロリストが入ってきてるみたいよ」

「え、なにそれ、どこどこ?」

 そう話す女性二人とすれ違いながら、男は携帯端末でインターネット掲示板にアクセスします。

 掲示板はまさにお祭り騒ぎでした。あちこちのスレッドで動画のURLや犯行声明の文章が貼られ、大勢の匿名の人々が面白そうにコメントを書き連ねていました。

 男はそれから、SNSのアプリを起動し、タイムラインを繰ってみました。タイムラインはやはり同じような有様でした。中には、テロリストを見たと豪語する書き込みもあり、その書き込みは十二万を超える他のユーザーに共有されていました。

 帰宅後、テレビのニュースを見ても、テロの話題で持ちきりでした。視聴者参加型のニュースでは、画面の下部に視聴者から送られるメッセージが流れていましたが、頻繁に『テロリストを見た』『すでにこの国でも始まっているんじゃないのか?』というメッセージが見られました。

 とりあえず明日までは様子見だな、と男は考え、ベッドに入りました。



 さて翌日、男が家を出ると、すでに町は多くの人で溢れていました。道路は渋滞し、仕方なく車を降りて歩く人々もいます。それからあちこちの道路脇で、取り乱した人が、他の人々に介抱されています。

「こんなに混乱して、どうしたんだ?」

 うつむき泣いている女性の背中をさする若者に、男は話しかけてみました。

「まだ、あなたは聞いていないんですか…?」

 若者は震えながら答えます。

「なんのことだ?」

「来たんだよ、あいつらが」

「あいつらって、テロリストが?」

「ああ。さっき隣町の駅に着いた電車なんだが、乗っていた人たちは皆が皆、死んでいたそうだ…。ただ一人、テロリストだと名乗る奴が降りてきたんだが、そいつはあの動画と同じ試験管を持っていたんだ。それで駅にいた人たちも皆…」

「…そうか」

 そう言うと、男は懐から、あの動画に映っていたのとそっくりの試験管を取り出しました。

「お、おおおまえ、お前テロリストか…!」

 若者はぶるぶると体を震わせて、後ろに倒れ込みました。尻餅をついた若者は、

「もうだめだ、逃げ切れやしないんだ……おい!」

 と、いまだ泣いている女性の髪を掴んで、そのまま頭を地面に叩きつけました。

「逃げられないなら、いっそここで死んでやる!お前も一緒だ!」

 試験管を手にした男は、その光景を呆れた表情で見つめています。

 女性が何度か頭を地面に叩きつけられて動かなくなると、若者は続いて自分の頭を地面に叩きつけます。まるで土下座のようにして頭を叩きつける若者を、男はやはり呆れた表情で見つめています。そして、

「まだ、試験管の栓だって抜いていなんだが」

 そう言って、今度は懐からガスマスクを取り出して被ります。

 周りの人々は、男がガスマスク姿になったことに気付いて、たちまち怯え、叫びながら離れていきます。その人混みの中に、男は栓を抜いた試験管を投げ込みました。



「有名な話だが」

 男は一人呟きます。

「ある死刑囚が、目隠しをした状態で、足首に傷をつけられ、放っておかれるという実験があった。孤独な静寂の中、足首から流れる血の滴る音だけが聞こえる。だが、実際には、傷はつけられておらず、血の滴る音は、足首に垂らされる水の音であった。にも拘わらず、死刑囚は死んだ」

 男の周りでは、たくさんの人が折り重なって倒れています。

「あの動画は、自殺志願者どもによる集団自殺だった。やらせだった。それが今ではこの通りだ。人は悲しみや恐怖だけで死ねるのだ。わざわざウイルス兵器なんてものを用意する必要はないのだ」

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