3-5 そして二人は旅に出る。
すぐに旅立つ、と告げたイリルディッヒ。
多少緊張がとけたとはいえ、やはり絶対強者たる魔獣に逆らうのは恐ろしい。
私は怖々と「せめて友に別れを告げさせてくれ」と答えた。するとイリルディッヒは何やら考え込む様子を見せて、私にこう問いかけた。
《友……一つ聞かせてほしいのだが、お前は本当にそう思っているのか?》
「どういうことですか?」
《動物ならまだしも、モンスターを友扱いするヴァベル語使いはとても珍しいからな》
「……確かにそうですね」
モンスターは害獣だ。仲良くなるような存在ではない。良い例えが見つからないが、ゴキブリよりもたちが悪い存在だ。あるいは洗濯物を濡らす突然の雨。
しかし――――。
「私は魔物繰りですし、ヴァベル語が通じなくとも意思疎通が出来ますので」
《意思疎通が出来るからと言って、友愛に目覚めるわけがなかろう。ならばお前は、ヴァベル語が通じる人間とも仲良くやれるのか?》
「出来ないでしょうね」
私は肩をすくめながら答えた。
「言い方を変えます。私にとってピタマルは……ピタマルなんですよ。馬に似たモンスター。腹に卵を宿したモンスター。あの洞窟の主。そういうのはもう過去のことです。今の私にとってピタマルはピタマルでしかなく、つまりは友なのです」
《ふむ――――》
イリルディッヒは呟いた。
《では問おう。そんな気は毛頭無いと先に言っておくが――――もしも私がピタマルを食う、と言ったらお前はどうする?》
「…………まぁ、止める手段は持ってないですね」
《止めぬのか?》
「そうなる前に、別の食料でも持ってきますよ。どうしてもアレが食べたいというのならば、致し方ないでしょうが」
《お前にとって友とは?》
「共に在る者、でしょう。きっと物理的なものではなく精神的な意味で」
《その友を食らわんとする私は何だ?》
「その質問に何の意味が? あなたは何か、ですって? あなたは魔獣イリルディッヒ。私を殺そうが、ピタマルを食おうが、何をしようともあなたは魔獣イリルディッヒだ」
《なるほど。それが魔族の考え方か》
「他の何者かになりたいのなら、それこそ銀眼の魔王でも討つか、百万の人間を殺すとよろしい。きっと別の名前がもらえるでしょう」
《興味深い解答だ、カルン》
「……そうですかね」
《ああ。予想していた答えとはだいぶ毛色が違った。だが、まぁいい。お前の性格はおいおい把握していくとしよう》
「ちなみに今現在の私の印象をうかがっても?」
《傷ついた者だ。そして全てを諦めている。ふっきれた臆病者》
何もかもが正鵠を射ていた。
叡智、という言葉がよく似合う。
《では友に別れを告げてくるがいい》
私は洞窟の内部に戻り、ピタマルに声をかけた。
「やぁ。さっきは驚かせてしまってすまなかった」
「バルルル!」
少し興奮しているピタマルをなでながら、私は目を閉じた。
「守らせてくれ、などと言っておきながら私はお前を守れなかった。すまなかったな、ピタマル」
「バル?」
「あの魔獣が、イリルディッヒがお前達を見逃したのは、ひとえに彼が賢者だったからだ。あるいはただの気まぐれと言ってもいい。私ではアレに勝てないし、咆吼だけで気絶してしまったからな……」
「…………」
「そして重ねて謝罪を。お前の息子ピッタンがある程度大きくなるまでは側にいたかったのだが、私はもう行かなくてはならない」
「…………」
「今生の別れとなるだろう」
「…………」
魔物繰りのスキルを使いながらとはいえ、少し複雑にすぎた会話。
私は簡単な言葉を彼女達に声をかけた。
「お前と出会えて良かった。ありがとう。さようなら」
「バルルゥ……」
「ばるぅ……」
「――――元気でね」
餞別代わりにと、私は自分の腕を魔法で切りつけ、洞窟の入り口に血をしたらせた。そしてそれに瘴気をまとわせる。魔族式のマーキングだ。作法としてはかなり古めかしい、旧時代のもの。
これがあればしばらくはモンスターも寄ってこないだろう。そんなに長く効果が続くものではないが、産まれ立てのピッタンが十分に動けるようになるまでの時間稼ぎになると嬉しい。
「お待たせしました」
《構わぬ。ではゆくぞ》
「…………」
《どうした》
私はそう聞かれて、今更だがすごく困った。
「……えっと、私、翼が片方無いんですがどうやって?」
飛行魔法なんて使えませんが?
《私に乗れば良かろう》
「えええええええ!?」
それはあまりにも恐ろしい提案だった。
魔獣に、乗る?
そんな馬鹿な。イリルディッヒにはプライドとか無いのか。
《別段驚くような事ではあるまい。他でも無い私がお前を誘ったのだ。お前が同行するメリットに比べれば、背に乗せることなど大した労力でもあるまい》
「いや、それはそうなんですが……」
ビビるなぁ。と私は素直に思った。
《時間も惜しい。今後の事は空で話そう》
だから早く乗れ、とイリルディッヒは身をかがめた。
片腕が無いのでイリルディッヒの巨体にまたがるのは難儀した。しかも、またがると翼に足が当たるので、最終的に私は彼の首元にしがみつき、真っ直ぐ寝転ぶ形になった。
緊張感が凄まじい。色々な意味で大丈夫かコレ。
《ではゆくぞ》
たったったっと助走をつけ、イリルディッヒが空に駆け上がる。それはまるで見えない階段を踏むような飛び方だった。
ぶわりと風が強くなる。体勢的に下を見下ろすことも出来ない。
こうして私は、運命を変えた大陸と別れを告げた。
(今更言っても仕方がないが、こんな大陸に近寄るんじゃなかった……)
とほほな後悔である。
だが、私の意識はすぐに空へと移った。
空だ。久々の空だ。
照りつける太陽の日差しは、地上のものと比べると真っ直ぐだ。何かに反射することもなく、ただただ光だけが降り注いでいる。
雲は輝き、純白である。
混じりけの無い、清浄な空気の香り
青は澄み、世界の広さと狭さを一度に実感する。
この空はどこまでも果てしなく広い。
だかがこの空の下には全てが詰まっている。
私は泣いた。
もう自分の力では、この空を味わうことが出来ないのだと実感したからだ。
イリルディッヒは私の涙に気がついたのだろう。話しは空で、と言っていた彼だがしばらくは私に話しかけてこなかった。
その間に私は色々なことを振り返った。
産まれ、育ち、旅立った。
見て、感じて、成長した。つもりだった。
この大陸で全てを失った。
そして取り返しに行くのだ。私の役目を。産まれた理由を。責務を。
「……イリルディッヒ」
《なんだ》
「フェトラス様の行き先に心当たりはあるのですか?」
《無い。だが見つけるのはそう難しくは無いと考えている》
「その根拠を尋ねても?」
《私は一度フェトラスを認識している。もしもヤツがその銀眼を行使すれば、力の波動を感じ取れるはずだ。だからこそ私はこの大陸に戻ってきてお前と出会ったのだ》
「魔力の検知……実感がわきませんが、そんなことが本当に可能なんですね」
《しかし私が感じとったのは暴走状態に陥ったフェトラスの魔力だ。もしも制御された状態で銀眼を行使されると、感じられない可能性も十分にある。何にせよ距離を詰める必要があるわけだ》
「なるほど。しかし行き先に心当たりが無いのなら、逆に距離が遠くなる可能性もあるのでは?」
《フェトラスは遅かれ早かれ魔族生息地にたどり着く。もし人間領域に迷い込んだとしても、そこに居場所は無いからだ》
然り。人間と出会えば殺して終わりだ。繰り返す内に魔族と巡り会って、彼女は魔王という名の御輿に乗せられる。
《一匹でも魔族と遭遇すれば、そこから軍団の形成に入るだろう。魔族が魔族を呼び、あっという間に集団化する。ましてや銀眼だ。恐らく国を成すのも相当に早いはず》
「その分、情報を集めるのは容易だと?」
《フェトラスはまだ幼い。どの程度成長しているかは皆目見当も付かんが……とにかく、その幼き魔王が銀眼を抱くとなると、魔族共にとっては偶像のように崇められるだろう》
「……かつての私のように、ですね。ええ、分かります」
《おそらく爆発的にコミュニティは増大する。ならば遅くとも半年以内には目星が付けられるはずだ……願わくば、そうなる前にケリを付けたいが》
そうなる前。
軍団を形成する前に。国を興す前に。あれ以上、強くなる前に。
《幼き銀眼……末恐ろしい、などという生やさしいものではない》
ここで私は疑問を覚えた。
私は月眼の敵意に晒された。故に恐怖し、逃げた。
ならば他の、普通の魔族は月眼を前にした時どのような反応を見せるのだろうか。
頭を垂れるか? 歓喜の涙を流すか?
(いいや、もしかしたら……私の仮説が正しいのなら……魔族が魔王を崇める理由が『保身』を由来としているのなら……)
彼女は、本当に国を成せるのだろうか。
出来ない気がする。
月眼。あれは――――存在してはならない。
あれに仕えようなどと考える魔族は果たしているのか? まずまっ先に思い付くのは「やったぜこれで人間を滅ぼせる」ではなく「殺さないでください」という懇願ではないだろうか?
きっと彼女は世界の果てまで彷徨って、永遠に孤独なんだと思う。
国を成す? 冗談ではない。そんなもの作るまえに全ては殺戮される。
胸の中が苦しくなった。
思い出の中のフェトラス様は幸せそうに笑っている。
ロイルがいたからだ。そして僭越ながら、私もそこにいた。
人間と魔族と魔王が、共存していた。
ああなんてことだ。別に人間と仲良くするつもりなぞ無いが、あれはあれで奇跡的な日々だった。
失われた希少価値。
もしかしたら、この世界を変える鍵。
それを壊したのは私だ。
「イリルディッヒ……あなたは、フェトラス様を倒せると思いますか?」
《対峙してみぬと分からぬよ。謙遜も傲慢もしない。殺せそうなら殺すし、想像以上の化け物に成長していたのなら、別の手段を考える。増援を求めたり、あるいは人間共の手を借りるのもやぶさかではない。聖遺物はそのために在るのだから》
「…………」
《だがとりあえず目指すのは最速の始末だ。銀眼とはいえフェトラスはまだ幼い。勝機は十分にある》
そういえば私はイリルディッヒの実力を計れていない。
私と差がありすぎるからだ。強いことは分かるのだが、それがどのくらい強いのか、という話しになると私の定規では測りきれない。
「あなたは魔王を殺したことがあるのですか?」
《もちろんだ》
ゾッとした。
魔獣イリルディッヒは当たり前のように応えた。
流石は最強の生命体、と呆けるべきか?
《流石に銀眼を直接屠ったことはないが》
そんなことを言われても私の印象は変わらない。
空を見上げた。
――――世界は広いのだな。
こうして私達は旅に出た。
最寄りの魔族生息地に出向き、私が情報を集め、時には魔族とイリルディッヒが戦ったりもした。私はそれを離れたところで見ているだけだった。
隻腕、隻翼。戦力としてはカスだから。
そもそも同族たる魔族に手を出すなどあり得ない。必要性が無い。
だが魔獣イリルディッヒは違う。彼は人間の敵であり魔族の敵であり魔王の敵である。
この世界は戦いに満ちている。私にはそれが不思議でならなかった。
何故戦うのだ?
――――どうせみんな殺されるのに。
道中で別の、幼い魔王と遭遇したこともあった。
イリルディッヒはそれを即座に殺してみせた。
確かに弱い魔王ではあったが、なんだか不思議な気持ちになった。
強いとか弱いとか、何か意味のあることなのだろうか。
所詮はタイミングの問題だ。出会う順番が違えば、誰でも誰かに殺される。それは人間だろうと魔族だろうと魔獣だろうと魔王だろうと一切関係が無い。摂理。法則。真理。そういう類いの問題だ。
私達は旅を続けた。
あまりにもフェトラス様の情報が入らないので、もしやと思って人間領域に入り込んだこともあった。結果、ろくな情報も集まらず人間達に追いやられた。
イリルディッヒにとってそれは殲滅するのに造作もない兵力ではあったが、いずれ人間の手を借りるかもしれない、という保険のために彼はそれを選択しなかった。
こうして我々は「魔獣と魔族が行動を共にしている」というレアケースとして人間達に伝聞されることとなった。肩身が狭い。魔族としてあるまじき行為だ。だがそれも私とっては些細な問題だった。――――どうせ死ぬから。
私達は旅を続けた。
どれだけ旅を続けても、フェトラス様は見つからなかった。
イリルディッヒも彼女の波動を感じ取ることを出来ないでいた。
《もしや……魔王フェトラスは既に滅んでいるのではないだろうか》
彼がそう結論づけるのも当然の流れだった。
だが私は、あの月眼が誰かに倒されるシーンなぞ想像することが出来なかった。あれに勝てるものなどこの世にいるわけがない。
私は「おそらく狡猾な魔族がフェトラス様を隠蔽しているのでしょう。早い段階で人間に目を付けられると厄介だ。だから機が熟すまで、国家形成を先送りにしているのでは?」とうそぶいた。
イリルディッヒは《なるほどな。本当に面倒なことだ》と嘆息した。
旅を初めて三ヶ月。
私は早くフェトラス様に会いたかった。
フェトラス様。
あなたは今、どれほどの孤独の中にいるのでしょうか。
ああ、ああ……。
早く謝罪したい。そして殺されたい。
それが私の取り返しの付かない罪に対する、唯一の出来ることだ。
一方その頃。
「うおおおおおおおお!」
「フェトラス。野蛮な声を出すんじゃない」
「だって! だってコレ! なにこれ! やばい! 味が! 口の中で味がいっぱいする! 一口で味がたくさんする!」
「落ち着け。何を言ってるのか全然分からん」
「お父さんにはこの味の素晴らしさが分からないの!? 肉と魚と野菜と香辛料が全面戦争して仲直りして愛し合ってるんだよ!?」
「フェトラスさんのコメントは、なんだか斬新ですね……」
三人は美味しくご飯を食べていましたとさ。
次回からフェトラス編に戻ります。