3-4 間違った称号
「私は、魔王フェトラスが怖い」
《ふむ》
「もう二度と魔王フェトラスには会いたくない」
《そうだろうな》
「だけど……フェトラス様には、会って謝りたい」
魔獣は《ふふっ》と笑った。
《なるほどな。お前はフェトラスのことを魔王様とは呼ばないわけだ》
真意が正しく伝わったことが嬉しくて、私は微笑んだ。
「まだ幼く、王の器とはとても言えない。そして彼女はきっと王など目指さないだろう。私が彼女の名を様付けで呼ぶのは別の理由だ」
《その理由とは?》
「全てを統べる資質を持ちながら、彼女は私のことを『カルンさん』と呼び、丁寧な口調で話しかけるのだ」
《ずいぶんと愉快な光景だな》
「だが魔王フェトラスは違う。私を呼び捨てにし、見下した」
《そちらの方が自然だな》
「魔王とフェトラス様。私は後者の方が好きだ。だから、そう在って欲しいと願いを込めて、尊んでいるだけさ」
「ルールッルッルッル!」
大変上機嫌な様子で魔獣は笑った。ヴァベル語で取り繕うこともなく、素直に笑った。
《魔族が、好き嫌いで魔王を捨てるか!》
「……あー。うん。まぁまぁ狂った話しだとは自分でも思います」
《間違いなく狂っているよ。壊れている。だがなるほど。面白い》
「私はあまり面白くない……ああ、おじいちゃんになんて説明しよう……」
《お前とロイルは、どこか似てるよ》
「どこがですか、どこが」
《似ているではないか。魔獣と対峙しながらも、何かを守ろうとする姿なんてそっくりだぞ》
それは、つまり。
「ロイルもあなたと戦おうとしたのですか」
《挙げ句の果てには脅してきたぞ。ふふっ、愉快な男だった》
「やっぱりあいつは狂ってる。いや、今の私が言えたことではないが」
笑いを収めた魔獣は天を仰いで、ため息を零した。
《だが、そんな愉快な男とフェトラスは消えた》
「消えた……」
《浜辺に姿はなく、お前が言っていたであろう森の中の家にも人気は無かった。生活の痕跡は残っていたが、姿形はどこにも無かった》
「そうなんですか……」
《私がここを訪れたのは、異様な魔力の反応を察知したからだ》
それはきっと月眼のことだろう。
ああ、そういえばそうだった。
月眼だった。
きっとロイルはもう、死んでいる。
フェトラス様が殺したのだ。
それは当然のことなのだが、その原因を作ったのが私という事実に胸が押しつぶされそうになる。
『おとーさーん! なんでベッドが二つあるのー? 一個でいいじゃーん!!』
あの仲の良い親子を引き裂いたのは、私なのだ。
――――フェトラス様。
私はあなたに殺されたい。
《慌てて飛んではきたがやはり間に合わなかった。だがようやく得心した。まさか銀眼が発生していたとはな。完全に予想外だった……しかもこんなに早いとはな》
「そう、ですね……」
月眼なんですけどね。
《おそらく魔王フェトラスはロイルを殺したのだろうが、その後の動向がつかめない。聖遺物の使い手とは言え、現物が無いのではロイルが勝てたとも思わない。そもそもロイルの死体が無かった。消滅させられたか、骨まで食われたか》
娘が父を食う。そんな聞きたくも無い言葉。だが原因は私。お願いだから今すぐ私を罰してほしい。
《二人の姿が無い。可能性は三つだ》
1・相打ちになった。
2・フェトラスは自殺し、消滅した。
3・ロイルを食ったあと、飛行魔法か何かを用いてこの大陸を離れた。
《最も可能性が高いのは3だ。飛行魔法の習得は困難を極めるが、銀眼ならば成すだろう》
「そうとしか考えられないですね」
《ならば私はフェトラスを追って旅に出ないといけない。やはり魔王は殺すべきだった。軽率な行動によって、このセラクタルに銀眼を発生させてしまったのは間違いなく私のせいだ。私はそう反省し、責任を果たしに行かねばならない》
責任を果たす。
その言葉は強烈に私の中で響いた。
魔獣はのそりと立ち上がって、翼を大きく広げた。
《なるほど、状況はよく分かった。全て理解した。礼を言うぞ魔族よ。お前が冷静に話しの出来る男で助かった》
そういえば、魔獣と会話するなぞ極めて珍しい状況だ。
魔族と人間と魔獣は三角関係。
頂点を魔獣とし、その下に魔族、その更に下に人間が並ぶ三角形だ。
魔獣が本能として積極的に狙うのは魔王だけだが、三者は基本的に殺し合う。
まぁ月眼という経験を得た私にとっては驚くべきことではない。
私の人生、たぶんもう二度と「驚く」ことは無いと思う。
《では私はもう行く。フェトラスを追い、始末をつける》
「……フェトラス様を殺すのですか」
ここで初めて魔獣は敵意を示した。
《当然だ。銀眼なぞ、放置すべきではない》
「――――――――。」
《魔王は命の敵だ。この星に住まう全ての生き物の敵だ》
「――――――――。」
《故に殺す。魔王を否定した魔族よ。今のお前なら、私の行動理念も理解出来よう。アレはこの世に在って良いモノか?》
魔王。殺戮の精霊。
全てを統べて殺す者。
だがちょっと待て。
魔族は魔王を崇拝する。
何のために。人間を滅ぼすためか? 人間を滅ぼした後はどうなる? 全てを殺すのならば、魔族もまた同様に殺されるのではないか?
あ、と気がついた。
魔族が魔王を崇拝するのは本能だが、それは、もしかして、『保身』の為ではないのか?
私達はあなたに仕えるので殺さないでください、という懇願なのではないか?
本能。本能。本能。
そして私は答えた。
「魔王はまだいい。だが、殺戮の精霊はダメだ。あれは、そう、まさしく命の敵――――」
王に対する不敬。
魔族として絶対に言ってはいけない事の一つだと思う。
月眼で全てを吹き飛ばされた私だから言える、私の言葉だった。
それを聞いた魔獣はニヤリと、邪悪に笑った。
《魔族よ。正直に言う。私はお前の名前を記憶していない》
「……まぁ、そんなもんでしょう」
《だが敬意を示そう。もう一度だけ名前を教えてほしい》
「カルン・アミ……いいや、カルンだ。私の名前はカルン」
《銀眼を呼びし者、カルンだな。覚えた》
なにその称号。かっこいい。
私の中の子供心がうずいた。
《ではカルンよ。共にゆこうぞ》
「えっ。どこに?」
《フェトラスを追うのだ》
「だれが?」
《お前と、私でだ》
「なぜ?」
《私はまだ幼かったフェトラスしか知らない。お前は最近のフェトラスの外見を知っているのだろう? 探すのを手伝え》
「えっ、いや、でも」
《会ってフェトラス様とやらに謝ればいい。だが今のヤツは育ての親を殺した殺戮の精霊だ。必ず戦闘になるだろう》
「――――。」
《カルン。再び問おう。魔王とは何だ?》
「――――命の、敵」
《ではカルンよ。銀眼を呼びし者よ。お前も責任を果たせ》
「で、ですが私は」
翼も腕も、片っぽづつ無くて。
勇気も無くて。
《このままこの大陸で、一生魔王フェトラスの影に怯えて生きたいか?》
「ツッ!!」
魔獣は厳かに命令を放った。
《カルン。責任を果たせ》
「私は……」
《何がどうあっても、必ず私は銀眼を狩る》
「わたしは……」
《魔族としてではなく、カルンとしてでもなく、生者としての勤めを果たせ》
フェトラス様を殺す。
それは嫌だ。
だけど、もうあの笑顔はきっとどこにも無い。
まだ魔獣には伝えてないが、彼女は月眼だ。
ああ、そうか。私は銀眼を呼びし者なぞではない。
月眼を呼んだ者。世界を終わらせた者だ。
私は、世界を終わらせた者として、まっ先に罰を受けないといけない。
「行きます」
私はそう答えた。
フェトラス様を殺すつもりはない。
月眼に勝てるとも思えない。
彼女は世界を殺す。
それをこの大陸で見届けるなんて許されない。
まず私が殺されるべきだ。
それが私の責任の取り方だ。
(ああ、だけどもしも奇跡を一つ願うとしたら……どうか、どうかあの笑顔をもう一度……)
絶対に叶わない夢。
私は死地に向かう。
「ではこれより、私はあなたと共にいきましょう」
《よかろう。我が名はイリルディッヒ。歓迎するぞ、カルン》
ごめんなさいイリルディッヒ。
私は月眼のことを、あなたには言わない。
そもそも言ってもどうしようもない。怖じ気づくとは思わないが、もし『月眼と戦う』という事になると、イリルディッヒは戦力を拡大しようとするだろう。
月眼討伐。伝説になる。世界中の戦力が集まるだろう。
そして魔獣や聖遺物の使い手で戦場がごったがえすと、私とフェトラス様が会話する機会が減ってしまう。
ごめんなさいイリルディッヒ。私は卑怯で独善的です。
せめて、旅路の終わりまでは、健やかに。
まず私が殺されて、あなたが殺されて、世界が殺される。
ごめんなさいイリルディッヒ。
ごめんなさい。
裏切り者で、本当にごめんなさい。
世界はもう、終わってるんですよ――――。