3-2 あの笑顔のために死のう
ピタマルの子供の名前は何にしよう?
私はそんな事ばかりを考えて日々を過ごした。
もちろんそれが現実逃避であることを私は薄々気がついてはいたが、現実逃避の何が悪い。現実逃避サイコーじゃないか。悪夢にうなされて飛び起きる朝は決まって訪れるのだ。ならば、眠りにつく瞬間ぐらいは安らかな気持ちでいたい。
そう、私は「安らかな気持ち」ジャンキーになっていた。
平穏はサイコーである。
何も起きない、ということがどれほどに素晴らしく、また儚いことか。
私には自覚がある。この平穏はいつか必ず破られる。間違いない。絶対だ。死ぬより分かりきったことだ。いつか必ず私は月眼に滅ぼされる。
『カルンさんもわたしの敵なんだね』
流石にゲロも吐き飽きた。私は代わりにため息を吐きつつ、幻聴に答えた。
「違います。私は敵などではありません」
『カルンさんもわたしの敵なんだね』
「違います……敵とは、戦うべき相手のことです」
『カルンさんもわたしの敵なんだね』
「違います……本当に違うのです……私如きでは、敵になんてなれない。いいとこ虫けらでしょう」
月眼の魔王のそばを飛び回る小虫だ。最初は綺麗な虫に見えたのかもしれないが、月眼は私を指先に乗せ、観察した。そして感想を口にしたのだ。
『カルンさんもわたしの敵なんだね』
ああ、無理だ。
月眼は、この幻聴は他に答えを示さない。
都合のいい記憶の改変など受け付けてくれない。
あの宣言は、つまるところ絶対だ。
「――――あなたがそう言うのなら、きっとそうなのでしょう」
幻聴は止んだ。
だから私はこう逃げる。
「ピタマルの子供の名前、なんにしよーかなー。オスかな? メスかな? メスだったらいいなぁ。親娘そろって可愛い名前をつけてあげたいなぁ……」
ピタマルが卵を温めているあいだ、私はずっと洞窟の門番のような事をしていた。
ため込んだ食料のおかげで狩りをする必要はないし、近くには湧き水もある。まだ本調子には遠く及ばない私は、ピタマルと同じ様に洞窟でじっくりのんびり過ごしていた。門番はそのついでである。
洞窟は浅く、言ってしまえば少し深めの横穴のようなものだ。だからこそ管理がしやすい。入り口は一つしかないのだから、侵入者は必ずそこを通る。この「全種族平均的生存環境」において、ピタマルに最も相応しい住処だ。
しかしここまで優良物件だと、テリトリーを支配し続けるのは容易ではないはずだ。みんな住みたがる。きっとピタマルへの挑戦者は少なくなかっただろう。
洞窟の入り口付近には徹底的にマーキングがされているが、産後のピタマルを狙う輩は必ず出てくる。というか絶賛狙われ中だ。
本来ならば魔法で罠を造るなり、いっそ侵入不可能な洞窟に作り替えるべきなのだが、今の私は本来の私ではない。というか本来の私とやらは永久に帰ってこない。あいつは死んだ。さようなら魔王の右腕になりたがっていたカルンくん。こんにちは「おじいちゃんの予想通りに情けない展開」を迎えている私。
話しを少し戻そう。罠や洞窟改造に手をつけない理由だ。
私には気晴らしが必要だったのだ。
襲ってくるモンスターの迎撃という、暇つぶしが。
だがしかし、その暇つぶしはあまり楽しいものではなかった。
というかむしろ修行とか治療とか、そういう行為に似ていた。
この洞窟にたどり着いた日に比べると私はだいぶ回復している。先日はピタマル達を守るためにちょっとした乱戦もこなした。今ならそこそこの魔法も連発出来るだろう。
だけど私は知ってしまったのだ。「死にたくない」という激烈な生存本能を。
そして、きっとそれは誰しもが持つ純粋な願いなのだと。
私は月眼が怖い。とても怖い。死ぬほど怖い。
だから私は「誰かのとっての月眼」になりたくなかった。
というわけでここ最近はモンスターを殺していない。脅して、見逃す、を繰り返している。以前は弱者をいたぶっていると、自分がとても強いような気がして快感だったのだが、今ではそれがとても恥ずかしい。猫がイモ虫を転がして遊んでいるのと同じだ。全然強くない。
必要であれば、当然のように殺そう。
でもそうでないのなら、誰も死にたくないのだ。
だから殺さない。なんか嫌だから。
食料はピタマルが備蓄していたものを分けてもらっているから平気だ。
それに、本気でこのテリトリーを狙ってきた奴らは先日の乱戦で皆殺しにした。最近この辺をうろちょろしてるのは、なんとなく様子を見ているだけの存在だ。敵じゃない。
「問題は、まだ来てないヤツ……か」
考えても仕方が無い。
ピタマルの卵が孵るまでは、当分こんな感じで暮らすとしよう。
現実逃避に浸り続けよう。
この平穏の儚さを自覚しないように。
数日後。
ピタマルの卵にヒビが入っていた。
「おお。もうすぐ産まれるなピタマル」
「バルル」
ピタマルも出産の衰弱からだいぶ回復したようだ。顔色がいい。
「しかし不思議な生態系だ。わざわざ温めるなら、何もそこまででかい卵を腹に抱えずともよいだろうに……いっそ卵なしの胎生に……いや、これは私が言ってもしょうがないのだが」
ピタマルには通じなかった。複雑な会話は無理なのだ。まあそもそもが独り言だ。内容もピタマルに聞かせたいモノではない。
恐らくはパートナーと交互で温める、というのが本来の習性なのだろう。そんな風に仮定を打ち出し、私は疑問にひとまずのケリをつけた。
「どれ、殻を破るのを少し手伝ってやろうか?」
「バル……」
「お前の蹄では難しかろうが、私の指なら繊細に……手伝いを……」
『く、く、くち、くちばしが見えたよ!』
『そこまでやったんなら、少し手伝ってやれ。ひな鳥も疲れてるだろうしな』
『い、いいの?』
『少しだけだ。入り口を広げてやれ』
『うん!』
それはいつものフラッシュバックではなかった。
ただの追想だ。
あの時、笑顔で頷いた彼女。
その笑顔の意味を、私は「今」知った。
そしてその笑顔を奪った意味を、私は「今」悟った。
死の鳥ディリアの事を思い出す。
アレはあの木造の家よりもかなり遠方の地で見繕っていた卵だ。この大陸においても動物が住めるような地域がわずかだが存在しており、私はそこを狩り場としていた。
彼女に食べさせようと思っていた。
理由は簡単だ。魔王は全てを喰らう。歴史上では毒物を好んで喰らう魔王すらいたという。彼の者は毒を喰らい続け、やがて毒魔法の属性を獲得し、そして人類に猛威をふるった化け物だそうだ。つまり魔王に毒は効かない。少なくとも経口摂取……食うという行為においては。
雨の中、ロイルよりも優秀な食料を持ってきて褒められたかった。驚かせたかった。喜ばせたかった。だからわざわざ飛んで、持ってきた。
まさか孵りそうだったとは思わなかった。それを温めると言い出した時は心底驚いた。
孵って、もし噛まれたどうしようかと少しハラハラした。でも刷り込みもあるし、行けるかな? 噛まれても銀眼の魔王だし平気かな? と希望的観測をしていた。
それをロイルが即座に斬り捨てた時には、驚愕した。死の鳥ディリアについて詳しかったのだろうか? いや、それなら卵の段階で破棄していただろう。……あいつの状況判断の速さは、なんなのだ?
いいや、今はそんなことどうでもいい。本当にどうでもいい。
『うん!』
あの笑顔を見て、私は。
「ああ、ああ……」
言葉が漏れる。
嗚咽が漏れる。
最後に私は小さな悲鳴を上げた。
追憶が止まらない。
私を打ち落とした魔王。
まだ幼かった魔王。
銀眼を抱いた魔王。
私と共に暮らした、彼女。
「フェトラス様……!」
私は、久方ぶりに彼女の名前をつぶやいた。
涙が止まらなかった。
なぜだ。なぜ「今」なのだ。
どうして「今」になって全てが分かる。
私は、フェトラス様のことを、魔王としてしか見ていなかった。
殺戮の精霊としか、扱っていなかった!
それは魔族にとっては当たり前のことなのかもしれない。だが何故気がつかなかった。フェトラス様は、いいや、人間であるロイルですら私の事を魔族扱いしなかった。
部下扱いされなかった。敵扱いされなかった。
魔族である以前に、ただのカルンだった――――。
馬鹿な。なんと愚かな。
月眼の恐怖は忘れがたい。月眼には二度と会いたくない。
ならば銀眼ならば?
いっそ彼女があのままだったら?
『果物……うん……も、もらうね……』
最初は緊張されていた。
『すごーい。こんなにたくさんのご飯』
感心した時の眼差しは無垢だった。
『お魚? 美味しいよね! みんなで食べよう!』
喜びを分かち合う一員になれたことが、嬉しかった。
『動物のお肉だ! すごいすごい!』
飛び跳ねる姿が愛らしかった。
『えっと……ど、動物のお肉って、最近食べてないなぁ』
チラッ、チラッ、とこっちを見ている動作。
『いつもありがとうね、カルンさん!』
あの満面の微笑みを、私に向けてくれたのは誰だ?
思い出の中の彼女。
一体どこが魔王だと言うのか。
なのに私は、彼女のことを、フェトラス様のことを魔王としか扱わなかった。
『お前の方こそ害虫に見えるぜ、カルン』
まさしくその通りだ。
私はあの夜以来、フェトラス様の笑顔を見ていない。
あの笑顔は魔王のものでは無い。
フェトラス様の笑顔だ。
そして、私はそれを奪ったのだ。
ああ、なるほど。
『カルンさんもわたしの敵なんだね』
――――イエス、マイロード。
だから今から、殺されに行きます。
だから、どうか、許してください。
笑ってください。
べろり、と遠慮無く顔を涙と一緒に舐められた。
「……は?」
「バルゥ……」
ピタマルが目の前にいた。
「あ……」
自分の卵が孵りそうなのに。
「……私の心配をしてくれるのか?」
「ばるっ」
なんなのだ。
なんなのだ貴様は。
母性か。既にお母さんの気持ちか。
私がそんなに弱々しく見えたか。
「子供扱いするな……私は、これでももう十二歳なのだぞ」
「ばるる」
また顔をなめられた。
涙でグショグショだった視界が少しだけクリアになる。
ついでに意識もクリアになる。
卵がひび割れている。
特有の匂いを少しだけ感じる。
生の香りだ。
そして生の香りは、死を誘う。
「ピタマル」
「バルッ」
「お前の子を食らおうとするモノが、今から洞窟に群がってくるだろう」
「バルゥ……」
「まぁ定石だな。何かを守ろうとするモノは強いが、それは同時に『守る』と『戦う』を両立させる難しさをともなう」
私は立ち上がった。
「お前の出産時は、功を急いた第一陣がやってきた。そしてきっと今から来るのが本陣だ」
「…………」
「ピタマル、お願いがある」
「…………」
「どうか私に、お前を守らせてくれ」
洞窟の外。
いい天気だ。
もうすぐ産声があがる。
そしてモンスターにとって「美味そうな匂い」が立ちこめるのだろう。
ああ、もう考えることも億劫だ。
私は死にたくない。
だから誰も殺したくない。
でも、私は死にたくなくて。
月眼には会いたくないが、フェトラス様には会って謝りたくて。
そして何より、あの……あんな笑顔をまた見てみたい。
ピタマルには「笑う」という習性は無いだろうが、それでも構わない。
私は、私の大切なモノと喜びを分かち合いたいのだ。
そのためならば、有象無象のモンスター共を引き裂くのに躊躇いはない。
「空が綺麗だな……」
〈バルルルゥ、バルルルルゥゥ!〉
「……産まれたか」
森からの気配が濃厚になる。
どうやら鼻の良いヤツ等が先に馳せ参じたらしい。
ああ、もう、考えるのが本当に億劫だ。
産声が収まる前に、終わらせてしまおう。
「おじいちゃん。今なら出来る気がするから……魔法、一つだけ真似するね」
イメージを構築する。
ケーキの完成形を想像。
逆算し、ケーキの材料を並べる。
ケーキ作成の手順をなぞる。
出来上がったケーキに名前を付けよう。
それを世界に差し出すのだ。
「お待たせしましたお客様。こちら、西方の魔窟リングロルドより我らがケティナックの大いなる意思の代行者、偉大なるソドバ・アミナス・シュトラーグスの奥義が一つ、迎撃要塞。またの名を……【刃界廊城】!!」
柄の無い刃が二十本顕現。
数も、大きさも、なんなら刃のデザイン性ですらおじいちゃんには遠く及ばない。
しかし十分。
自分にとって二つ目のフォースワード。出来るとは思っていたが、実際に成功するとやはり嬉しいものだ。この若さでは異例だろう。――――まぁ、己の弱さはまだまだ底辺クラスなんだろうけど。
『グガグガグガグガ!』
『ミューンミューンミューン!』
『デビュラッフッフッフ!』
さぁ、二つの命を守るために、ここを死地に変えよう。
本陣と称した、第二回目のピタマル襲撃。
総攻撃といっても差し支えなかった。中には私が追い払っていたモンスターも数多くいた。ヤケクソの特攻にしか思えない。
指先を振るわせ、指定した刃を踊らせる。時には二指にて同時攻撃を試みる。刃が展開してある左翼は固定された刃をバリケードに見立て、右翼を攻める。刃で、他の魔法で。
撃退ではない。殺した。
私は戦う意思を示した。
それに向かってくるならば、敵だ。
誰も死にたくはなかろうが、敵は殺すし殺されるものだ。
私は二十本の刃を使い切り、他のダブルワード魔法を駆使したり、時には物理攻撃でモンスターを殺しつくした。
いったいいくつの命を奪っただろうか。
産声が収まってもモンスターの雄叫びは続々と集結し、キリがないように思えた。
さもあらん。きっと中にはピタマルではなく、私が殺したモンスターを狙ってやってくる輩もいたのだろう。だが関係無い。ここは死地。私の視界内に居るものは全て「覚悟しているモノ」だ。
かつてフェトラス様と過ごした浜辺なら、殺し尽くすのも容易だっただろう。だがここは森のど真ん中。無尽蔵ではないのか? と疑うくらいにモンスターは多かった。
だが殺した。
殺して、殺して、殺し尽くした。
私は洞窟の前から動かず、ただひたすらに殺した――――守り続けた。
そして、羽根音が聞こえた。
私は反射的に思った。
「おそらきれい」
「ルーールルルルゥゥゥゥゥ!!」
それはこの世で最強の生命体。
魔獣だった。
カルン「そうだ。子供の名前ピッタンにしよう。すごくかわいい」