3-1 I am
これより第三部です。
あの日、私は全てを失った。
命こそ守り通したが、この自我を構成していた重要な部分が吹き飛んだのだから、全てを失ったと表してもいいだろう。薔薇をハサミで切って、花びらを湯船に浮かべて、その手に残った茎が今の私みたいなものだ。
薔薇だったもの。行き先はゴミ箱だ。
あの日。死にかけていた私は、死にたくないから必死で走った。モンスターに殺されそうになったりもしたけど、死にたくない私は「モンスターに殺される」事なんてどうでもよかった。
腕もない。
翼もない。
誇りもない。
全てを失った私は、逆説的に得た。
世の中にはどうしようもない事があって。
そしてそれこそがこの世界を回しているんだと。
そんな悟りを、私は得た。
咲いた花が景色を彩るのではない。
花を咲かせた大地が、世界を彩るのだ。
私の名前はカルン・アミナス・シュトラーグス。
調子に乗って痛い目にあった、可哀相な魔族である。
未開の地。モンスターの楽園であるこの大陸の奥深く。瀕死の私は月眼の恐怖から逃げるためにデタラメに駆け抜け、気がつけばかなり内部にまでたどり着いていた。
身体はボロボロだが、魔法は何とか使える。日々襲いかかってくるモンスターを撃退しつつ、私は泣きながら生き延びた。
恐怖以外はあまり覚えなかった。
出血を止めるために魔法で傷口を灼いた時も、私は走りながら行ったぐらいだ。とにかく、月眼から果てしなく遠い所へ一刻も早く逃げたかった。
だがそんな逃避行をしながらも、時間が経つにつれて冷静さを取り戻してくる。
より効率よく逃げるために、身体を休める場所が欲しかった。傷を癒やす時間がほしかった。心の傷はもう無理だろうけど、せっかく生き延びたのだから生きたかった。私は死にたくない。
ああ、でも……生きていたら、もしかしたら、また月眼の魔王が私を殺しに来るかもしれないな……死んだ方がマシかな……。
ため息と同時に、最近の口癖が思わずこぼれた。
「まじむり……」
生きていたい。
でも死にたくないから、死んだ方がマシかもしれない。
いけない。意識が混濁している。死と月眼がごっちゃになっている。
『カルンさんもわたしの敵なんだね』
私は恐怖がフラッシュバックし、悶絶した。
狂ったように叫び、瀕死の身体で這いずり回った。
そして気がつけば、私は洞窟の奥で親指をしゃぶりながら途方にくれていた。
「ここ……どこ……?」
どうやってたどり着いたのか。空気が籠もっているが、風雨にさらされることが無いのでありがたい。ついでに言えば、モンスターが襲ってくる方向が限定されるので気が楽だ。
「少し……休もう……ああ、もう……マジむり……」
私は親指をしゃぶったまま眠りについた。
どれぐらいの時間が経っただろうか。
魔族としての誇りを掲げていた、つまり調子コイてた時とは違って、今の私は臆病者だ。フゴフゴと鼻息荒く洞窟に入ってくるモンスターの気配を私はすぐに察知した。
怖い。魔王が怖い。月眼が怖い。
だから、モンスターなぞ、怖くもなんともない。
ドスドスと無遠慮に踏み込んできたモンスターに狙いを定め、最小限の魔力を込める。
「……【炎閃】」
赤き閃光が浮かび、二足歩行のモンスターを貫く。
そいつは絶叫を上げながら逃げていった。これでいい。殺してしまっては、その残骸を食い散らかそうとする別のモンスターを呼ぶだけだ。
ああ、でも腹が減ったなぁ……殺して、食っておくべきだったか……。
モンスターは不味いけど、仕方ない。
次に何かきたら、殺して、食おう。
そして、その「次」は割とあっさりやってきた。
モンスターを撃退して一分足らずだ。
「バルルルルルルルッ!」
それは焦っていた。興奮していた。馬のようなモンスターで、割と大型だ。口には何かしらの獲物をくわえていた。が、洞窟の入り口で咆吼をあげたためにソレはどさりと口から落ちる。
「…………」
「バルルルルルルッ!!」
はて。
「…………」
「バルッ! バルルルラァァァ!」
なんだろうこのモンスター。
焦っている。警戒している。
だが突撃もしてこないし、逃げる様子もない。
私が静かにその様子を見守っていると、馬のようなモンスターも少しだけ落ち着きを取り戻した。まるで値踏みするように、私は観察される。
もしかしたら意思疎通が図れるかもしれない。そう考えた私は「魔物繰り」と呼ばれる技術を使って、モンスターに話しかけた。
“こんにちは”
「……バルッ……」
“私は 貴方より 強い”
「…………」
“でも私は 戦わない”
「………………」
“ここで 休みたいだけ”
「……バル」
どうやら意思疎通は成功したらしい。
殺して殺して殺しまくってたどり着いた洞窟。だが流石に疲れてしまった。
私は産まれて初めて、静かで穏やかな気持ちと共にモンスターと向き合った。
“ キミのことを 教えて ”
数日後。
「ああ、おかえり」
私は巣に戻ってきたモンスター……ピタマルと名付けたソレに声をかけた。
「バルルル」
「大丈夫だよ。何も起きなかった」
「バルっ」
ピタマルは馬に近い外見と性質を持ったモンスターだった。
そしてこの洞窟はピタマルの縄張りだ。
ピタマルは子供を身籠もっていた。彼女は洞窟の奥に食料を溜めつつ出産の日に備えていたのだが、そのタイミングで私と遭遇してしまったらしい。
洞窟の入り口には彼女の入念なマーキングが施されている(しかもピタマルは割と強めのモンスターだった)ため、普段は他のモンスターも近寄らないのだが、炎閃で撃退した「鼻息の荒いモンスター」は私の血臭に誘われてやってきたらしい。
だけどアレ以降は特にモンスターが突っ込んでくる様子もない。
私は久方ぶりに安心して呼吸することが出来た。
本来ならばピタマルのようなモンスターは群れで行動する。だが、彼女は一人ぼっちだった。
「ピタマル、お腹の子供の父親はどうしたんだい?」
ヴァベル語が通じないので会話は出来ないが、魔物繰りの技術のおかげで何となく分かる。どうやら父親は死んでしまったらしい。
あとこれはどうでもいいのだが、言葉が通じないので気取ったしゃべり方をしないですむのが楽だった。今の自分はとてつもなくみじめだ。虚勢を張ったところでカッコなんてつかない。だから自然と、素直な言葉遣いを私はするようになっていた。
「そっか。大変だったね」
「……バルゥ」
「でも、他の仲間はどうしたんだい? キミみたいなタイプのモンスターは群れて行動するものだろ?」
「バルバル」
仲間はいないらしい。
そういえばそうだった。この大陸は少しおかしいのだ。
モンスターの種類と数は異様に多いのに、群れで行動するモンスターが少ないのだ。みんなソロ活動している印象。そして実力はおおむね伯仲している。
花壇の中に色とりどりの花が咲いていて、みんな同じくらいの大きさで、その全てが違う種類、みたいな。
ピタマルは割と強いが、私からすれば誤差の範囲内ともいえる。
まぁいい。こんなこと考えてもどうしようもない。私の知らない生態系がここにはある、というだけの話しだ。
「バルっ」
ピタマルは私の前にいくらかの食料を差し出した。
「ああ、ありがとう。いただきます」
ピタマルが持ってきたのは、様々な食料。小型モンスター、果物、大きめの虫。雑食性らしいラインナップだ。
「ピタマルもそろそろ産まれる頃だろう? しっかり食べて、立派な子供を産むんだよ」
「バルー」
穏やかな気持ちで、差し出された食料を押し返す。
ピタマルは私の奴隷ではない。
私はピタマルの同居人だ。
数日後。
私は彼女が持ってくる食料と、外敵が侵入してこない環境のおかげでだいぶ回復していた。
そして改めて自分の身体を省みる。
隻腕。隻翼。
失ったのは左手と右翼ではない。全てを失った。
「…………フェト、うっ……ううっ!」
彼女の名前を口にしようとして、私は思いっきりゲロを吐いた。
止まらない。涙が、恐怖が、あれから何日経ったのかも分からないが、死神はばっちりと私のハートをわしづかみにしていた。
「バルゥ……」
「あ、ああ……だいじょうぶ。大丈夫だよピタマル……」
心配そうに駆け寄ってきたピタマルを制して、呼吸を整える。
左手と右翼など大した問題ではなかった。
問題は心だった。粉みじんだ。ぐっちゃぐちゃだ。手の施しようがない。生きてるのが不思議なくらいだ。
そうだ。
そうだよ。
何で気がつかなかったんだ。
どうして私は今も生きているんだ?
アレに目を付けられて、殺されない者などこの世にいるはずがない。
そうだ。あれからどうなったんだ?
「ロイル……」
あの男の名を口にしてみた。
私の左手と右翼を奪った男、ではない。
あの月眼と共に生きていた、あの人間は……どうなったのだろう?
もはや怒りも憎しみも無い。人間に対する軽蔑感もない。あるのは単純に「あいつスゲーよな」という呆れにも似た驚きだ。
人間がみんなあんな感じだったら、とうの昔に魔族は滅んでいたと思う。勝てるわけない。でも滅んでないから、きっとロイルは特別製だったのだろう。壊れていた、狂っていた、と表現するのが最も適当なんだろうけど。
ロイル。
彼は私にとって、何だったのだろうか。
もう敵とすら認識出来ない。
私と違って、月眼と対峙したにも関わらず、逃げようともしなかったのだから。
いくら壊れようが、発狂していようが、ああも冷静に月眼と会話出来るなんて、信じられない。
人間に対しては絶対に使わない表現だが、ロイルにならば使ってもいいだろう。
あいつは常軌を逸していたが、凄いヤツだった。
まぁ、今更どうでもいいことか。
どうせ月眼に殺されただろうしな。
数日後。
ピタマルが産気づいた。
私は自然と「何か手伝える事はあるだろうか」と思い、素直な気持ちでそれを行った。
「大丈夫だぞピタマル。私がそばにいるからな」
「バルルゥ……」
私は魔法を駆使し、彼女が快適に過ごせるよう環境を整えたり、簡単に水が飲めるような入れ物を用意したりした。
ある程度怪我が治った今だからこそ思うのだが、はて、私はどうしてこんなモンスターの世話などをしているのだろうか。普通なら「生まれた子供は肉が軟らかい内に食ってしまおう」ぐらい考えそうなものだが。不思議とそんな気持ちになれない。というか逆にそんな普通が気持ち悪くすら思える。
まぁいい。花や小動物を育てたりするのは嫌いじゃない。それと似たようなモノだろう。砕け散った心を癒やすために、そう、自分のために私はピタマルの世話をしているのだ。動物と触れあうと心が安らかになるからな。ピタマルはモンスターだけど。
弱っていた私がここまで回復できたのはピタマルのおかげだ。
そして今、ピタマルが弱っている。
ならば、借りを返す……いや、借りたわけじゃないな……むぅ、まぁ、恩返しということにでもしておくか。うん。
いざ出産、という段階になって私は洞窟の外に出た。
おそらくピタマルは卵生ではなく胎生だ。そして本来ならばオスが出産中のメスを守るのだろう。
だが私はパートナーではない。だから産む瞬間に私がそばにいるのは、逆にストレスを覚えるだろう。
繰り返す。私はパートナーではない。だが、男だ。
そして予想通り、洞窟の外には出産の気配を察知した近隣のモンスターの影がチラついていた。
ピタマルは子を宿しながらも、しっかりとテリトリーを守り続けた。そしてそれは維持されていた。たった一匹で、戦い抜いていた。
そして彼女は殺し合いという戦いではなく、生のための戦いに赴いた。
ならば私がすべき事はたった一つだ。
「あー。えっと、森に住まう者どもよ。この洞窟の主は、生命の神秘と戦うのに忙しい」
木々の合間にチラつく影に一礼してみせる。
「我が名はカルン・アミナス・シュトラーグス」
名乗ってはみたものの、自分が誰なのかは分からない。
「……えっと…………」
魔族。偉大なる長老の孫。魔王の右腕にならんとするもの。銀眼に巡り会い、月眼に壊された男。
大小様々な「自己定義」があって、その大半は壊れてしまっている。
今の私に、しなければならない事なぞ何一つ無い。
自分という存在があやふやだ。
魔王の右腕になるために生きていたが、もうそんな気持ちにはなれない。まじむり。
死にたくない。
でも生きたいわけじゃない。生きていたらまた月眼と遭遇してしまうかもしれないから。
でも死にたくない。
それだけが今の私に残された「自己定義」だ。
死にたくない。
それはきっとどんな生き物でも抱く基本的な感情だろう。弱ったピタマルを狙いにやってきたこいつ等も、洞窟の奥で出産の苦痛に耐えているピタマルも、どんな生き物だって死にたくはないはずだ。
だがこの場所で、唯一ピタマルだけが我々とは違うステージに立っている。
死にたくない私。
生きるためにピタマルを食わんとする者共。
命を産みだすために命を賭けている、ピタマル。
死なせたくない、と願っているのはピタマルだけ。
食って食われるのが当たり前のこの世界で、この瞬間だけは、ピタマルが最も尊い。
だから――――ピタマルはやらせない。
意識がクリアになった。
死にたくない、という自己定義の横に新しい項目が並ぶ。
自己定義が増えていく。自分が構成されていく。自分が形作られていく。
私は誰だ? という問いに答えが出てくる。
「我が名はカルン・アミナス・シュトラーグス!」
私は、私だ。
「この場の露払いを願い出し者ッ! 我が隣人たるピタマルの戦いは邪魔させぬ! 死にたい者だけかかってこい!」
瘴気があふれ出るのが自分でも分かる。
私は洞窟の前に陣取り、木陰から飛び出してきたモンスターに炎閃をブチ込んだ。
「ただいま」
「バルルル」
「……これまた、でかい卵だな」
「バルル」
「えっ、これ今から温めるの?」
「バル」
「えー……。ちょっと予想外……」
「バルゥ……」
「まぁいい。何はともあれお疲れ様。よくやったな、ピタマル」
「バルッバルッ」
「私はこの子の父親じゃないから、ソレはお前が守れ」
「バルッ!」
「お前のことは、私が守ろう」
カルン・アミナス・シュトラーグス。
魔族の本能で魔王を追い求め、生物の本能で魔王を恐れた者。
弱い者イジメが得意だった虐殺者。
だが彼は、自分自身が「弱い者」になった。
彼は月眼を恐れた。
それは自我の全てを吹き飛ばす恐怖だった。
そんな彼は、ピタマルと出会い、こんな順番で自我を取り戻した。
安心と、尊敬と、感謝。
それらは矜持を抱かせ、飾り気のない純粋な誇りを思い出させた。
そして最後に、彼が自覚しない感情が一つ。
誰もいない大陸で、本能を手放した者がまた一人。
カルン「ピタマルの名前の由来? 別に由来なぞない。ただ、響きが可愛いから気に入っている」
ぴた丸「バルッ」