8 「新居プライスレス。では命は?」
「うわぁ…………」
初めて家を見たフェトラスは感動のため息をはいた。
「わたしの造ったタイルが綺麗に並んでる……わ! あっちにはシャベルが! わたしが造ったやつだ!」
彼女は自分が造った物達との再会を非常に喜んだ。
「これ、全部お父さんが組み立てたの?」
「おう。お前が造って、俺が作った」
「わぁ……すごい、すごい!」
フェトラスは駆けだして、家の周囲を観察し始めた。
「これが家なんだぁ……すごい、さっきまでいた家とは全然違う。なんか、楽しい!」
「外観だけでそこまで喜ばれると、ちょっとくすぐったいな。ちなみに中もそれなりに凝ってるぞ。ベッドもあるし、冬が近づいたら暖炉も作る予定だ」
「暖炉って、なぁに?」
「家の中でたき火するんだよ。暖かくするためにな」
「たき火? 壁とか燃えないの? ……ああ、そうならないようにするのが暖炉なんだ」
分かり切った答えを待つこともせず、ふむふむと自己解決したフェトラスは家の中に飛び込んでいった。どうやら相当にはしゃいでいるらしい。
彼女と距離が開いて、カルンが俺に近づいてきた。
「さっきのアレはどういうことだ」
「前振りも無しかよ。ストレートだな」
「何故フェトラス様は食事を摂らなかったのだ? 私には理解出来ない。どうして新種のモンスターを取り込まないのだ」
「新種……?」
「魔王様は数多くの種類の生物を摂取することで、その生命の情報を得る。口にしたことのない生命を取ることこそ、最上の成長方法なのだ」
「……食ったことの無いものを食えば、成長するってことか?」
「同じ物を食べ続けても成長は出来るが、目新しい食べ物の方が成長は大きい。それはフェトラス様も既に実感としてお分かりのはず……なのに、フェトラス様は食べられなかった」
カルンは思いっきり眉をひそめている。怪訝な顔だ。
「貴方にしてもそうだ。何故、フェトラス様に食べるよう指示しなかった? フェロモンが押さえられるということは、貴方にとっても利点のはずだ」
「まぁ、そうなんだがな。でも仕方ない」
「仕方ない、とは?」
「さっきのアレはな、食料じゃない。モンスターでも、ましてや成長の糧でもない」
「……?」
「フェトラスが触れていたのは、命だ」
動いていた。呼吸をしていた。生きて、いた。
「……それがどうしたというのだ」
「今までフェトラスは、自らの意志で何かを殺したことがない。モンスターは俺が殺してたし、魚を捕っても捌さばくのは俺。果物は呼吸しない。……つまりそういうこと。フェトラスが口にするのは、動かないモノだけだったんだよ」
「…………ま、まさか……あ、あのモンスターを殺すことを躊躇ったと言うのか?」
「そうだ」
まぁ、【ブタの丸焼き】がカルンを巻き込んだように、ひょっとしたら偶然なにかを殺したかもしれない。森の中を歩いて虫を踏みつぶしたかもしれない。
だが、そこに殺すという意志は無かった。
「生きるということは、殺すこと――――。でも俺はアイツにそれを教えなかったし、もっと言うならそれに気がつかないよう配慮してきた。だからフェトラスは命を奪うってことに躊躇いを覚えたのさ」
「馬鹿な……! 何故そのような事を……!」
「何故、何故ってさっきからそればっかりだな」
俺は苦笑しながら、カルンを真っ直ぐに見た。
「アイツはまだ生まれて一年も経っちゃいない。身体こそ成長したけど精神はまだ幼いんだ。生きるってことがどういうことかも分からないヤツに、殺すことなんて教えたくない」
「それは人間の理屈だ! フェトラス様は魔王なのだぞ!?」
「それがどうした? 確かに俺はアイツの事を魔王と呼ぶことはあるけどよ、『殺戮の精霊』だなんて思ったこと“一瞬”もねぇよ」
「き、貴様……!」
カルンは何か言いたそうだったが、あふれ出す感情の制御に必死な様子。口は開いているのに歯を食いしばっていて、子供が見たら泣きそうな怖い顔をしていた。
「カルン。俺はお前の思惑なんて知らない。ただ俺はフェトラスが楽しく生きられるように、正しく導きたいだけだ。人間の理屈……確かにそうかも知れないが、間違いだとは思ってない」
「人間風情が……魔王様をたぶらかし、都合の良いように利用するつもりか!」
「あのな……なんだよそのビッグな誤解は。何に利用するつもりだ何に。俺は単に」
「おとーさーん! なんでベッドが二つあるのー? 一個でいいじゃーん!!」
窓から身を乗りだし、エヘエヘと笑いながらも文句を言うフェトラスに手を振り返す。
彼女が浮かべている笑顔は、爽やかに脳天気だった。
「何かを殺してニヤリと嗤うような殺伐とした『魔王』じゃなくて、あんな風にどうでもいい事で笑えるような『フェトラス』でいてほしいんだよ、俺は」
そう言ったきり、カルンは黙り込んで、
「…………フェトラス様のお食事を用意してくる」
という一言だけ呟いて森の方へと歩み始めた。
その後ろ姿に声を投げかけてみる。
「それとな、生きてるモンスターを食えって言われてもアイツには出来ないよ。生肉なんて食わせたことない。毎日、きっちり、料理してやったんだから」
「………………」
「お前の知ってる魔王はモンスターを血肉、骨ごと喰らっていたのかもしれんが、フェトラスはそれをしたことないし、そうさせるつもりもない。アイツにとって食事ってのはな、成長のために取るもんじゃない。美味いって感情を楽しむ娯楽だ」
「………………」
返事もないまま、カルンは森の中へ去っていった。
「やれやれ……」
魔族の背中は、俺への殺意で溢れていた。
フェトラス。カルン。俺。
近い将来。遠い未来。関係と思惑。
心が乱れそうになったが、俺はいつも台詞をつぶやいて家の中に向かう。
そして室内でニコニコしているフェトラスに、俺は言った。
「ベッドが二つある理由はな、今日からは別々で寝るからだ」
「な、なんでぇ!?」
心はまだ幼くとも、身体はもう大きいのだ。フェトラスはもう幼児ではない。
人間でいうとぼちぼち大人の性能が混じり始める頃合いの、少女だ。
それならばそろそろ身の丈にあった精神を持たなくちゃならない……これはフェトラスが成長するための試練なのだ。
それ以外の理由は無い。あるわけがない。無い。無いと言ったら無いのだ。絶対無い。あってたまるか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
キッチンは庭に設置した。庭こそが台所。つまり毎日バーベキューだ。
あれからカルンはまるで俺への当てつけのように、モンスターや動物を生け捕りにしてきた。だがそれを、俺は命ではなく食材に変えてからフェトラスに差し出した。きちんと串に刺したり、丁寧に捌いて命の痕跡を消し去った。
カルンの殺意がまた増したような気がする。しかし、フェトラスが実に良い笑顔で、
「カルンさん、コレとっても美味しいよ!! いつもありがとうね!」
と言うので魔族は照れたような笑顔を浮かべた。
どいつもコイツも可愛いやつだ。
「そういえばカルンさんはどこで寝るの?」
「私は夜間、この家の警備をいたします。ですので私のことはお気になさらないでください」
「えー? なんで? お家で眠ればいいじゃない」
「フェトラス様の身をお守りするのが、部下としての使命でございます」
「大丈夫だよ。モンスターが来てもカギをかけてれば入ってこないって」
(鍵なんて概念教えてねぇんだけどなぁ)と心の中で驚く俺。そしてカルンがその提案に異議を唱える。
「小型のモノならそうでしょうが、もしも大型のモンスターが現れて家を破壊されたら、フェトラス様はお嫌でございましょう?」
「そりゃ、お家を壊されるのは嫌だけど……」
「ですから、その前に私がモンスターを追い払うのです。これも部下としての務め」
「……やっぱダメだよ。お家で寝よう?」
おや珍しい。フェトラスが人見知りを乗り越えて、カルンに歩み寄っている。
新居でテンションが上がったのだろうか。自分が嬉しくて楽しいから、みんなでそれを共有したがっているのだろうか。
「それはご命令でしょうか」
「命令というか……ほら、ベッドが二個あるじゃない? もしカルンさんがベッドを一つ使えば、残るベッドは一つになるの。そしたら、わたしとお父さんが……」
違った。楽しみの共有とかじゃない。
えへへ、って。
可愛いなおい。
俺と魔族はその笑顔に魅了されかかったが、だからこそ、ここにきて俺たちは初めて結託した。
「カルン。警備の方は頼んだぞ」
「了解しました」
「あー! わたしのこと無視しないでよーー!」
それぞれの異なる理由での結託。フェトラスは悲しそうな顔をしながらカルンの説得を続けたが、それもやがて無駄と分かったのだろう。彼女はションボリしながら先に家の中に入った。
「さて……じゃあ、夜の間は頼む」
「ええ。お任せを。フェトラス様のためにもしっかりと門番役を務めましょう」
「んで、そのお前はいつ寝るんだ?」
「そうですね。明け方に少しと、夕方に少し。貴方がフェトラス様のそばにいる間だけ眠らせていただきます」
「分かった。じゃあ、頼んだ」
「何度も言う必要はありません。別に貴方のためではないのだから」
「フェトラスの保護者として頼んでるんだ。そりゃ、何度だって頼むさ」
最早形容出来ないような顔をしてカルンはうめいた。
「貴方という人間は……」
最後まで言葉にはならなかったけど、そこには確かに呆れた様子があった。
おそらく『魔王が保護対象とか本当にお前は狂ってんな』とでも言いたいのだろう。
「じゃ、そういうことで」
背を向けて歩き出す。
視界を外れても、カルンの存在感は消えない。むしろ増すばかりだ。
剣を持たない今、この殺意ビンビン魔族から身を守ってくれているのはフェトラスという存在。思えば、家の中でベッドが二つあることに文句を言い続けているであろうフェトラスは色々なモノから俺を護っていてくれる。
そして同時にたくさんのモノを俺にくれた。
(……コレが最後ってことで。今日だけは一緒に寝てやろうかな)
そんな事を考えながら家に入ると、必死の形相で身体をベッドに押しつけているフェトラスが目に入った。
「…………なにやってんだ、お前」
「えっ!?」
しかられた小動物みたいにビクゥッ! と反応を示したフェトラス。彼女は苦笑いを浮かべたまま何も答えなかった。
並んだベッドの間には十分なスペースを確保していたのだが、今では身体がギリギリ通るかな? みたいな隙間しかない。
「……………………………」
「あは、あはははは…………」
乾いた笑い声を響かせたフェトラスは、ガックリとうなだれてベッドを押すのではなく、引き始めた。
再びベッドが離れ始める。
(……やれやれ)
俺はフェトラスの肩に手を置き、彼女をベッドから引き離した。
「いいか? こういう時はな、最初にフンッ! とやって、後はジリジリやるんだよ」
そう言いながら、二つのベッドは一瞬にして並び、クイーンサイズのベッドになった。
「おお~!」
フェトラスは俺の技に感嘆の声をあげ、もの凄い笑顔を作った。
「えっと…………えへへ」
「……今日だけだぞ」
「えへへへ……」
「聞いてんのかフェトラス?」
「ううん。聞いてない。もう寝ようよお父さん」
「いや聞けよ」
そうして俺達は、昨日までのように同じ布団で眠った。
フェトラスは環境の変化に興奮したのか、中々眠ろうとはしなかった。最初はそれに付き合っていたのだが、睡魔というのはこちらの事情に関係なくやってくる。あくびは伝染して、二人の口数もやがて少なくなっていった。
だがフェトラスはどうしても言いたいことがあったようだ。きっと今まで言えなかったのだろう。彼女は静かに語り始めた。
「……お父さん、あのね」
「なんだぁ……」
「森の中で……モンスターがいたじゃない」
「あー、いたなぁ」
「わたし、あの時ね……なんかね、その……よく分からないんだけど、分からなくなったの」
分からないけど分からないとは、どういう事だと、ツッコもうと思ったが話題が話題だけにそれは自粛した。これは真剣な話なのだ。
奪い、奪われ、命を育む殺意。彼女はそれに戸惑っている。
「お父さん、わたしは……わたしって……」
言葉に直すことも出来ず、彼女はただ唇を噛んだ。
そんなフェトラスを何となく抱きしめてみた。
「それはな、一言では説明がつかないものだ。誰から教わるものでもなく、自分で理解するものだ。……今のお前が分からないなら、無理に分かろうとしなくてもいい。いつかきっと分かる日が来る」
「で、でも……わたしは……」
「その葛藤を忘れるな。常に考えろ。でもな、答えが出なくて焦る必要は無いんだ。むしろそういうのは答えが見つけられないから悩むものだ」
俺の言葉は正しく伝わっているだろうか。喋りながらそんな不安を覚えたが、すぐに思い直した。正しく伝わらないのなら、伝わるまで言い続ければいいだけだ。
「だから……そして、そうやって悩み続けて得る答えこそが、本当に必要なものだ。大丈夫、答えはお前しか見つけられないが、ヒントなら俺があげるから」
「……お父さんの話は難しくてよく分かんない」
「そうだな。でも、とりあえずこの言葉だけは覚えておけ。命は、みんな一つしか持っていない。そして一つの命を繋ぐにはたくさんの命がいるんだ」
「……命は、一つ。その一つのために、たくさんの命がいる……」
「ああ。だからこそ、命は大切なんだ。……意味はまだ分からなくても、この言葉さえ覚えてりゃいつか自覚する日も来るだろう」
「……ん。分かった」
「とりあず今は寝て、明日は美味いモノ食って、遊んで、また眠れ……今はそれだけいい」
「…………本当?」
「ああ、本当だ。考えながらそれを繰り返す内に、いつかきっと理解出来る。いつになるかは分からないが、いつか。きっと」
「…………うん」
フェトラスは少しだけ力を込めて俺を抱きしめ返した。
「おやすみ、お父さん」
「おやすみ、フェトラス」
家を作るという、当面の目的は達成した。
あとは新しい布団やら内装やら。細々としたモノを作るくらいだ。ほぼ目的は達成したと考えていいだろう。
もう開拓をする気は無いから、別の目的を見つける必要があるな。生きる目的ではなく、楽しく生きるための目的を。
幸い、フェトラスの方は目的を見つけたようだ。それはとても嬉しくて、ほんの少しだけ不安がある。命の価値の量り方。
そしてそれは彼女が「何者になるのか」という道に続いている。
その道の果てに成るフェトラスの実が剣なのか、盾なのか。
彼女が決めたのなら、どちらでも構わないのだが……。
(……ま、いいか。とりあえず今は眠ろう)
こうして、引っ越しという一大イベントは終了した。
明日から何をしよう。そんな明日のことは、明日考えればいい。
フェトラスは俺の腕の中ですやすやと眠っていた。