2-41 その夢は今の自分ではなく、未来の自分が叶えるモノ。
シリックの呼吸は荒かった。
どうやら馬でユシラ領から真っ直ぐこちらを目指し、慌てて俺の元に現れたらしい。
俺は情報収集のために漁船の一人に話しかけていたのだが、断りを入れてその場を離れた。こんな興奮状態のシリックがいたら、集まる情報も集まらない。
俺は彼女を連れて路地裏へと場所を変えた。彼女の様子を鑑みるに重大な用事なのだろう。人目を避けるためにも路地裏という場所はうってつけだった。
「……で、何にそんなに怒ってるんだ?」
「色々です!」
ふんすー! と、鼻息が荒い。
「……はて。俺達を追ってきたということは、俺が何かやらかしたのか?」
「やらかしたというか……色々です! もちろんそれにはロイルさんも含まれます!」
「とりあえず落ち着けよ」
どーどーとなだめる。しかし何だろう? マジで見当がつかない。
それからシリックは怒りのままに口を開いた。
余分な情報も多かったが、俺は時になだめ、時に肯定し、時に否定し、ゆっくりと話しを聞いた。
要約するとこうだ。
『真なる英雄であるはずのロイルさんに、たったの金貨二十枚しか与えなかった領主』
『それを良しとして、当然の権利を主張せずに引き下がったロイルさんの謙虚なんだか卑屈なんだかよく分からないけど、とにかく正当な報酬を得ようとしなかったロイルさん』
『そんなやり取りがあったと気がつきもしないガッドル団長。いや、あの人は割と有能だから気がついたかもしれないけどロイルさんのために行動してないので腹立たしい』
『正当な報酬、という案件について私になんの相談もしなかったロイルさん。というか、そこまで考えが及んでなかった自分が腹立たしい』
全然要約にならなかった。
要するに彼女は俺、領主、ガッドル、そして自分に腹を立てていたのだ。
「俺が金貨二十枚でユシラ領を立ち去ったことがそんなに気に入らないのか?」
「そう! そうなんですよ! だってあり得ないじゃないですか! 魔王を倒しておいて金貨二十枚って! 少なすぎますよ! それが発覚したから私は問い詰めたんですよ!」
「……なんて問い詰めたんだよ」
「その時は私怒り心頭でしたから、領主としてではなく父親である彼に尋ねました! 魔王を倒すという尋常ならざる行為に対する報酬が、何故に大量殺人犯を捕まえた報奨金と同レベルなのかと!」
「お、おう」
「そしたらあの野郎! なんとこう言いましたよ! 『選定の義によって選ばれた英雄にも報奨金を支払わなくてはならないから、ロイル氏には協力者としての報奨金を渡したのだ』と! それを聞いた私が何をしたと思いますか!?」
「わ、わかりません」
「とりあえず財務官の顔面をブン殴ってやりましたよ!!」
絶叫である。
路地裏で良かったと思うべきか。それとも完全に人払いをした空間で話すべきだったか。何にせよ表通りの通行人が時折驚いたような表情でこちらを見てくる。
「財務官を殴ったのか。父親じゃなく」
「お父様はロイルさんと直接会話もしてましたし、人となりも分かっていた上に、本当に感謝もしてました。しかし残念ながら報酬の相場を存じなかった。ですが財務官は別です」
財務官曰く。「寝て起きたら魔王が死んでました。協力者に報奨金をねだられました。じゃあどうやって値切ろう? そうだなぁ、協力者としてはこのぐらいが適当かな? 英雄に払う報酬と、自警団や遺族への補填と、あとはこのクソ忙しい事後処理中に『早くお金ちょーだい』とか言う輩にはこの程度で十分だろ」
「ですって! そんな意味の事を言われたら、そりゃ殴りますよね!? だってロイルさんこそが真の英雄なのに!」
「殴らねぇよ!!」
俺は「よよよ」と嘆きつつ、両手を広げながら訴えた。
「てか金貨二十枚の理由が分かったわ! そうだな、そりゃそうだよな! ぶっちゃけ俺も『魔王を殺したのは俺』って自覚があったから、最低でも金貨七十枚ぐらいはもらえるだろうと思ってたさ! でも、戦いに参加していない財務官は事情を知らない! そいつにとって俺は『ただの協力者』だ! 誰が英雄なのか分からない状況で、俺のような流れ者が報奨金をねだったらそりゃ値切ってくるわ!」
「彼の罪はそこにある! 魔王降臨という異常事態のなか、正確に情報を集めようとせずにまず値切ってくるだなんて! 彼は商人ではなく、ユシラ領の財務官だ! 情報を精査するという当たり前の行為をせず『まず値切ろう』などという発想自体が度しがたい程に恥知らずだ!」
「だからっていきなり殴るなよ! そいつはたぶん仕事に真面目なヤツで、きっと本当にユシラ領の事を考えているであろう男だぞ!?」
「なぜ最大の功労者であり被害者でもあるロイルさんが財務官を庇うのですかぁぁぁ! お人好しか!!」
全力で叫んだシリックは咳き込んだ。
「げほっ、げほっ」
「お、おい。とりあえず落ち着け」
「……はい」
すー、と息を吸ってシリックは空を仰いだ。
「……言いたいこと全部言ったら、ちょっとスッキリしました」
「そりゃ何よりだ…………で? お前は何しに俺を追ってきたんだ?」
まさか報奨金の追加を持ってきてくれたのかな? わぁい。それはありがたい。
「追ってきたというか」
「ん?」
「ユシラ領を飛び出してきました」
「うん。時間的なのを考えると、相当に急いで来たんだろうな」
「そういう意味ではなく。出奔して参りました」
「しゅっぽん」
どういう意味の言葉だっけ。
脳みそが現実を受け止めない。
「軽く言うと家出ですね」
「重く言うと?」
「ユシラ領と絶縁して参りました」
重いね。
「アホかお前は!!!」
今度は俺が絶叫する番だった。
ため息しか出ない。
そりゃそうだ。
領主の五女。自警団の一員。聖遺物獲得の功労者。
そんなヤツが、怒りにまかせて地位も名声も投げ捨ててきたのだ。
「お前の立場はそんな簡単に放り捨てられるもんじゃないし、何より責任をちゃんと果たせよな……」
「責任?」
「自警団は欠員が多いんだから、お前みたいなヤツが頑張らないでどうするんだよ。っていうかさぁ……」
本当に、これは口にしたくないのだが。
「なんでそんなお前がミトナス持ってきてんだよ……」
最初から気がついていた。シリックは、布に包まれた魔槍ミトナスを所持している。
「選定の義の結果、私がミトナスに選ばれました」
「えっ、もう選定の義が行われたのか?」
「ロイルさんが旅立たれたので、何故か前倒しになりました」
「……まぁ、領主としてはさっさと決めたかったんだろうな。英雄が復興の前線に立てば士気が上がる。シンボルになりやすいし、精神的に頼れる存在が早めに欲しかったんだろうさ」
俺という部外者がいなくなり、残ったのはユシラ領の者だけ。ならば選定の義が早まったのも当然のことだ。
「ふむ。そういう理由だったんですね。まぁそれはいいんですよ。とにかく、ミトナスは私を選びました」
「選んだ……どんな風に?」
「どうもこうも。ミトナスと意思疎通出来たのは私だけです。ガッドル団長とフォートでは無理でした」
きっと相性もあったのだろう。そして自覚と記憶は薄いかもしれないが、シリックは既に一度ミトナスに選ばれてはいる。
「意思疎通か……契約にまでは至らなかったのか?」
「弱々しいというか……かろうじて声が聞こえる、という程にささやかな繋がりだったので。それに契約する必要もないでしょう? 私、魔王なんてテレザム以外に知りませんから」
シリックは言外に「フェトラスは魔王ではない」と言ってくれた。それが単純に嬉しくて、俺は微笑んだ。
「そうか。で、どんな意思疎通をしたんだ?」
「んー。そうですね。とりあえずお互いに今までの経緯を労ったり、今後どうするかを話しました。ロイルさんが旅立ったことに関しては安堵してましたよ。言葉を濁してたので、理由はよく分かりませんけど」
そりゃそうだろうな。俺と近い場所にはいたくないはずだ。カウトリア的な意味で。
「でもロイルさん、ミトナスに『王国騎士団に引き渡す』って約束してたんでしょ? それが叶わなくなったのは残念だ、って言ってましたよ」
「うっ、それはちょっと申し訳なく思ってる」
そうなんだよなぁ。
「約束」ではなく「提案」という気持ちだったけど、その辺の表現の差異はそれこそ商人のやりとりの領域だ。
俺はミトナスに提案し、ミトナスはそれを「いいな」と答えた。ならばミトナスにとってそれは「約束」に限りなく近いものだったのだろう。
しかし、俺の事情も考慮してほしい。
ミトナスは魔王を殺すだけの聖遺物。
そして俺の娘は魔王だ。
一緒に連れて歩くというのは、やっぱり遠慮したい。シリックの契約が無事に解除されたし、俺は可及的速やかにユシラ領を離れる必要性があったため、なぁなぁの内にスルーしていたが……。
「で、代わりにお前がミトナスを王国騎士団に渡してくれるのか?」
「えっ」
「えっ」
「私は普通に、ミトナスと共に旅をして魔王と戦おうかと思いまして」
「普通の定義が乱れる」
「――――ふふっ」
シリックはとても可憐に笑った。
「ユシラ領における魔槍ミトナスの選定の義。その結果、私はミトナスに選ばれ英雄と呼ばれるようになりました。でも、嗚呼、果たしてこのシリック・ヴォールがそれを良しとするでしょうか? いいえ、しません」
「知ってたよ畜生」
「自分の事を英雄だなんて到底思えないのに、周囲は私を英雄と呼ぶ。なんということでしょう。これは私にとって悲劇です。ストレスです。耐えがたい屈辱です。さぁロイルさん。あなたはもう知っているはずです。こんな状況下で私が口にするあの言葉を」
「――――恥知らずになりたくない、と」
「そういう事です。私が『自分が英雄なのだ』という確たる自信を得るためには、本当に魔王を殺すしかないのですよ」
「お前、選定の義が終わったあとソレをみんなの前でブチ撒けただろ」
「おや、よくお分かりですね」
「全部想像出来るわ」
「それでお父様……領主や団長、というかいっそ関係者全員に止められたのですが『こうなることは簡単に予想できたでしょう。ならば何故選定の義など行わず、ロイルさんを英雄にしなかったのですか』と尋ねました。そしたら協力者うんぬん、報奨金がどーたら、えっそれどういう事ですか? 実はこうだったんです、って言った財務官のドヤ顔をパーン! して、今に至ります」
俺は頭をかかえた。
こいつの「恥知らずになりたくない」という矜持は、最早呪いだ。
「はっきり言うが、お前は狂ってる」
魔王テレザムとの交戦。
あれを経てなお、魔王と戦うというのだから。
それは矜持に殉じる、などという綺麗な言葉では片付けられず。また、命は惜しくないという剛毅の言葉でもなく。単純に「そうしないと生きていけない」という狂気だ。
「お前、ユシラ領に帰れ」
「なんでですか。いやですよ」
「――――俺が認める。もういい。俺が英雄でいい。そのミトナスを俺によこせ。それを報酬として受け取る。そしてミトナスを王国騎士団に引き渡すから」
「なっ」
「もう一度言う。お前は狂ってる。魔王と戦う? その言葉の意味を、お前は実感としてもう知っているはずだ」
「ツッ……」
炎の魔王。
夜を照らす殺意。
殺戮の精霊の、哄笑。
ここで初めてシリックは表情を歪めた。
「ここで俺にミトナスを渡すことは恥じゃない。むしろ正しい選択だ。お前の意地を通すためだけにその魔槍は在るんじゃない」
「で、ですが! 私は!」
「 黙 れ 」
俺は威圧するように凄んだ。
「俺に言わせれば、身の丈に合わない願いを持つこと自体が既に恥知らずだ。喜べシリック、俺はお前の尻ぬぐいをしてやろう。ユシラ領に帰って俺に叱られたと報告してこい」
「そんな恥ずかしい真似が出来るわけないでしょう!」
はっ、と俺は失笑した。
いまシリックは自分で認めたのだ。
「恥ずかしい真似がしたくないから逃げるのか? はっはっは。お前、とんでもない恥知らずだな」
「............」
「............」
「............ひぐっ」
「ひぐ?」
シリックさんが号泣を始めました。
どうやら図星がクリティカルヒットで脳が幼児退行したらしい。
「ただいまー」
「お帰りお父さ、ええええええなんでシリックさんいるのっていうか何で泣いてるの!?」
号泣する美人を路地裏に残すのは色々と不味いので、とりあえず宿に連れ帰った。
フェトラスに慰められたシリックは「お見苦しい所をお見せしてすいません」と言いながら鼻をかんだが、まだ落ち着いたようには見えない。
「そ、それで何でシリックさんがここにいるの?」
「お前にどうしても会いたくて、ここまで見送りに来たらしい。それとミトナスを俺達に持っていってほしいそうだ」
すかさずそう言うとシリックの表情が驚愕に変わった。
「ち、ちが」
「えっ。違うのか? 本当に違うのか?」
ん? と笑みを浮かべて首を傾げると、シリックは悶えた。
「んんんんんん」
「ふははははは」
そんなやりとりを見たフェトラスは、黙ってシリックを抱きしめた。
「シリックさん可哀相」
「可哀相? コイツがか?」
「うん。きっとお父さんに酷いことを言われたんだね。しかも反論出来ないくらい一方的に正論を言われて、何も言えなくて悔しい思いをしてたんだね。ウチのお父さんが卑怯でごめんね」
「待てフェトラス。なぜ故にそう決めつける」
「……お父さんの笑い方見たら、そのぐらい分かる」
フェトラスが呆れたようにそう呟くと、泣き止んでいたシリックはふたたび「ぶわっ」と涙を溢れさせ「んんんんんんん」と言いながらフェトラスの胸に顔をうずめた。
色々あって。
「はい、今から言うのは結論です。ミトナスは俺が預かる。シリックはユシラ領に帰ってちゃんと責任を果たす。オーケー?」
「…………拒否します」
「お前も大概諦めが悪いな……」
泣き止んだシリックだったが、感情をさらけ出してスッキリするどころか逆に意固地になってしまったようだった。俺はあの手この手で説得を続けたがシリックは聞く耳を持たず、子供のようにイヤイヤを繰り返すだけだった。
どれぐらい説得したか分からないぐらいの時間が経って。
俺は面倒臭くなった。
うん。本気で面倒くさい。
もういいや。気遣いは十分にした。
俺はため息をついて、目の前にいる狂人に現実を突きつけた。
「あのな、何度でも言うが、身の丈にあった人生を生きろ。英雄願望を抱いた戦士の何割が英雄になれると思う?」
「私では無理だと?」
「無理だ。いや、正確に言うならば――――ミトナスを使って魔王討伐をする以上、お前が欲しいものは絶対に手に入らない」
きょとん、と彼女は首をかしげた。
「どういうことです?」
「ミトナスを使っている間の事は記憶に残らない。いいかシリック。お前がこの先何度魔王を倒そうとも、お前はその討伐の記憶を……実感を得られないんだ」
「あ――――」
「ミトナスを使う以上、戦うのはミトナスだ。いくらお前が傷つこうが、何をしようが、お前が納得出来る日は永遠に訪れない」
彼女が目をそらしていた現実――――魔槍ミトナス――――についてそう説明すると、彼女は途方に暮れたような目をした。
「そ、んな……」
「お前が望むモノを手に入れようとするなら、ミトナス以外の聖遺物を使うより他ない。だが果たしてそれは現実的な事か? どうやって聖遺物を獲得する? 適合出来るのか? 使いこなせるのか? 次に戦う魔王の強さを、お前は想像したか?」
「あ、あ……」
「きっとお前は、テレザム以下の魔王を倒しても納得出来ないだろう。そりゃそうだ。お前にとっての魔王とはテレザムの事で、それを超えない限りは納得出来るはずもない。だがよく考えてみろ。お前の技量だけで、魔王テレザム以上の殺戮の精霊を倒せるのか?」
畳みかけるとシリックの表情から血の気が引いていった。
「何もしてないのに英雄と呼ばれるのが嫌だ、とお前は言ったな」
「は、はい」
「あえてキツい言い方をする。――――じゃあお前はあの時、何か出来たのか?」
「ツッ……!」
「調子に乗るな、クソガキ」
俺はそう言い捨てて、彼女が握りしめていたミトナスを奪った。荒々しく布を剥ぎ取り、その柄を握りしめる。
「あっ」
「お前も、ミトナスも、大概にしろ。世間知らずのくせに世界に名を遺そうとするな。分不相応だ」
俺はそう言いながらミトナスに意識を向けた。
発動条件。魔王を殺害する意思。
もう少し正確に言うなら、魔王という恐怖を乗り越える勇気。
だがシリックは選定の義の際、魔王の存在無く意思疎通を図れている。それはイレギュラーな契約を結んだシリックだけの特殊発動だろう。あるいは戦いの残滓か。
まぁどうあれ、俺にも出来て当然だとは思う。
コツはすでに知っている。俺はすぐに意識を尖らせ、ミトナスに語りかけた。
(おい)
〈…………。〉
(シカトすんなミトナス)
〈………………。〉
(なんとか言えやコラ)
〈……………………。〉
(そうか、お前がそういう態度ならこっちにも考えがある。俺達は今からカウトリアを回収する旅に出る。お前も一蓮托生だ。同行してもらう)
〈ハァ!? 鬼か貴様!〉
ミトナスがそう反応した辺りで俺は集中を切った。
意思疎通タイム終了である。
別に会話の内容はどうでもいい。意思疎通が出来る、という事さえ確認出来ればそれでいいのだ。
「よし。ミトナスからの許可が出た。こいつは俺が預かる」
「ミトナスが、そう言ったんですか?」
「ああ。お前がこういう行動に出るとは予測してなかった、とか言ってたぞ」
大嘘である。
「うっ、それは、そうかもしれませんが……」
通じた。
「もう一度だけ言う。ユシラ領に帰れ」
「――――。」
「聖遺物も無い。行く当ても無い。だがお前にはやらなくてはならない事がある」
シリックは目に見えて落ち込んだ。しかし「ユシラ領を支える事、ですか……」と正解を口にした。
「お前が描いた英雄願望は、誰も得をしない話しだ。なぁシリック・ヴォール。その名に相応しい行動とは何だ? 大それた夢を叶えないと、お前は恥ずかしいのか?」
「っ……」
「違うよな。だったら、これで最後だ――――帰るんだ、シリック」
部屋に静寂が舞い降りて、彼女は小さく「はい」と答えた。
翌日。次に乗る船が決まった。今回は漁船ではなく商船だ。「あんた、最近色々な船に声かけてただろ? 実は俺達の船がもうすぐ出発するんだが、ちょうど欠員が出たんだ。ついでに乗ってくか?」なんてありがたい事を告げられ、しかも割と安めの料金を提示してもらえたので即決だった。
あまり長期的に乗るのは魔王の気配的にアレなので、短期の船旅を繰り返すつもりだ。そうこうしているウチに俺の怪我も癒えるだろう。
船上で働けないので路銀が心許ないが、仕方が無い。
次の目的地まで一週間。陸地で数日を過ごし日銭を稼ぎ、また船に乗る。それを五回ほど繰り返せば怪我も完治して出来る仕事も増えるだろう。怪しい船にさえ乗らなければ、護衛もいらないパーフェクトプランだ。
最終的な目的地はまだ決めていない。魔王も魔族もいない、ついでにカウトリアから遠いところが何となくいいなぁ、ぐらいしか俺は考えていなかった。ミトナスに言った「カウトリア回収」はもちろん嘘である。ちょっとヤツをからかっただけだ。そもそもドコにカウトリアがいるのかなんて知らん。
ミトナスはどこかで王国騎士団に預けるつもりでいる。わざわざ王国本土まで出向くまでもない。あいつらは世界中にいる。
俺とフェトラスは船に乗り込み、広大な海を前にして遠くを見つめる。そうこうしている内に準備が整ったのだろう。係留のロープが外され、帆を張った船が進み始める。
「さぁ出発だぞフェトラス。次の街では何が食えるだろうなぁ」
「今はすっぱいものが食べたい気分!」
「そうか、そうか。地域によっては温かいけどすっぱいスープ、とかもあったはずだ。しかも辛くて美味い」
「わぁ……想像出来ない! 美味しそう!」
「ちょっと独特だけどな」
「ああ。私も聞いたことがあります。ポイケックとかいうスープですね。割と遠い所にある国の郷土料理ですよ」
「食べたことある?」
「私はないですね……」
「あのさ」
「はい」
「シリック……なんで当然のようにお前が船に乗ってんだ?」
シリック・ヴォールは死ぬほど真面目な顔をしてこう言った。
「私はユシラ領に帰ることにしました」
「おう」
「ですが、せめてロイルさんの怪我が治るまではお二人を護衛をしたいと、私はそう思ってしまったのです」
「頼んでないんだが」
「護衛を雇うつもりはあったんでしょう?」
「……まぁ、そりゃ」
「その点、私は二人にうってつけの人材です。まず安い……ほぼ無料でコキ使えます。そして事情も知っている……色々な意味で安心です。しかも護衛対象の一人とは友達……気合いが違います。どうです、かなりの優良物件かと思いますが」
「うん。そこだけ聞くと確かに」
「というわけで、今後ともよろしくお願いします」
「わーい!」
「フェトラスはちょっと黙っていような」
俺はわざとらしく深いため息をはいて、シリックを睨んだ。
「……お前、昨日俺が言ったこと理解してる?」
「はい。いま、私がユシラ領を離れることは、責任を放棄した恥知らずな行いです」
「ならば、なぜ」
「ロイルさんが言った『大それた夢を叶えないと、お前は恥ずかしいのか?』という言葉が胸に突き刺さりました」
そしてシリックは、きっと本当は口にしたくなかったであろう真実を告白した。
「――――私、間違っていたんです」
「…………」
「私の夢は、この名に相応しい生き方をすること。恥ずかしくないように生きる事。なのに英雄願望なんて眩しいものに惹かれてしまいました。『英雄にならないと恥ずかしい』なんて、大それた勘違いをしてしまったんです」
「……そっか」
「そもそも、私はまだ未熟者です。思い返せばこの名を名乗り始めてからも、たくさんの失敗をしてきました――――だから、今の私が恥知らずと呼ばれるのは仕方の無いことです。だけどそれを認めたくなかった……」
寂しそうな苦笑いだった。
さもありなん。低い自己評価なんて、誰もつけたくない。
「だけど私は、自分がまだまだこの名前に相応しい器を持っていないのだと、そう認めないといけない。私はシリック・ヴォールではなく、シリック・ヴォールになりたい者なのだと」
俺は相づちも打たず、静かに彼女の言葉の続きを待った。
「そうでないと、きっと私はまた大きな過ちを繰り返すんだと思います」
ここで気がついた。シリックの目がかなり腫れている。昨晩どれだけ泣きはらしたのだろうか。
きっとまだ理解はしていないのだろう。
でも彼女は一晩考え抜いて、シリック・ヴォールを次のステージへと進めたのだ。
「だから私は、私のしたいようにすると決めたのです」
その瞳には決意が宿っていた。
もう船は出航しているので「泳いで帰れ」とも言いづらい。
「で、お前は何がしたいんだ?」
シリック・ヴォールは微笑む。
その偽の名前に誓った生き方。それは。
「私は、今の自分の未熟さを痛いほどに知りました。だけど、いいえ、だからこそ――――いつか憧れた自分に至るために、生きようと思います」
風が吹き付ける。船が速度を上げる。
「その第一歩として、ロイルさんにちゃんと恩返しがしたいのです。報奨金をもぎとることは出来ませんでしたが、そのお金の使い道であった護衛役の任を、どうか私にお与えください」
彼女が示したのは貴族の一礼だった。
優雅で、高貴な、誇り高い謝罪と懇願。
そして彼女は「聖遺物獲得への協力、そして何より魔王テレザム討伐、本当にありがとうございました」とまとめたのだった。
「恥知らず」という呪いが解けたような、本質に立ち返ったような。
今度のため息は短かった。
「俺の怪我が治ったら帰れよな」
それが許可の言葉だと理解したフェトラスは無邪気な快哉を上げ、満面の笑みを浮かべたのだった。
第二部・魔槍は誉れ高く
完
第三部に続きます。
が、インタールードというか幕間というか、ちょっと何か挟もうと思いますのでよろしくお願い致します。