2-36 君に捧げる不完全な言葉。
四人の意識が繋がったような気がした。
恐怖と、それを乗り越える勇気。
畏怖と、それを打ち砕かんとする殺意。
四つの感情が一つに結ばれる。
正面のロイル。
背面のシリック。
右から殴りつけたガッドル。
左から足に飛びついたフォート。
その四人の意思は残骸に響き、染み渡り、彼を強制的に呼び覚ます。
契約の確認なぞ、彼にはもう必要なかった。ここは戦場。しかも最前線。目の前にいるのが至上にして最後のターゲット。四人分の「発動条件」は一切の行程をキャンセル出来るほどに強く、彼は自分の名前を取り戻した。
〈死ね、魔王テレザム――――!〉
自分の名前はさておき、復活からまっ先に出たのは呪詛。
その際魔槍――――追跡槍ミトナスは不思議な感覚をたくさん覚えた。
それはロイルの常軌を逸した経験。
シリックの真摯な想い。
ガッドルの傲慢に近い責任感。
フォートの必死さ。
それぞれが異なる「戦う理由」を持っていて、でも敵はたった一人。
また、四人分の発動条件を得てはいるが、代償は四分割。だからミトナスは、自分を手にしているロイルの人生を奪う事もなく自身を励起させた。
赤に黒が混じった槍。魔槍ミトナス。
奇しくも敵と似たようなカラーリング。赤と黒の精霊服。魔王テレザム。
もしや、これこそが自分の正しい使い方なのだろうか。いつもは一対一の契約だが、複数名との契約ならば自分は誰かの人生を台無しにしないで済むのだろうか、と。ほんの一瞬だけミトナスは思想した。そして、気がついてしまった。
自分にその思想をするだけの余裕があることに。
それはつまり。
ミトナスは恐怖した。
やばい。
カウトリアに目を付けられた。
この思考加速状態は、噂に違わぬ神速演算の領域。
なんてことだ。時間があるから分かってしまう。これは恐らく、消滅寸前だった自分の身体にカウトリアが何らかの干渉をしかけてきたのだ。どうやったのかは不明だが、相手は「永遠の一秒」で思考する聖遺物。その狂気的な時間を用いて干渉方法を見いだしたのだろう。
幸いなことに、主導権は復活した自分にある。
だがこの身体にわずかに残されたカウトリアの残滓を、自分は使ってしまっている。
ああ。やばい。これは完全に狙われる。
宿敵を前にしてミトナスは悲嘆と途方にくれた。
『……えっと……ドンマイ……』
〈ロイル……〉
『あのな、うん。分かる。今なら分かる。カウトリアは』
〈言うな……〉
『……ドンマイ…………』
〈…………〉
自分を手にしているロイルと意識が繋がった。
今更契約の確認というわけでもないが、どうせ時間はある。
しかし余裕は無い。
相手は瀕死の魔王。憎悪と殺意を煮固めたような、殺戮の化身。一秒でも速くこの存在を抹消しなければ。
〈……気持ちを切り替えよう。ロイル、この魔王を討つ〉
『そうだな。でもどうやって?』
〈どうもこうもない。一撃にて屠る〉
『例の雷を使って?』
〈その必要も無かろう。どうやらお前が散々痛めつけた後のようだしな〉
『そうか。実は手詰まりだったんだが、お前が十全に機能出来るなら問題無いか』
〈――――では〉
追跡槍ミトナスは心の中で一礼した。
必要はないが、それでもやっておくべきだろう。
〈色々と言いたいこともあるが……ロイルよ。我が名は魔槍、追跡槍ミトナス。魔王を殺すモノなり。これよりお前の人生を代償とし、魔王を討つ〉
『契約か。まぁ速攻で倒すだろうから一瞬の契約だろうがな』
〈ああ。だが一瞬とはいえカウトリアのマスターに、こんな事をして、本当に……〉
『……何度でも言うぜ。ドンマイ』
〈それは我の台詞だ〉
『えっ』
〈ドンマイ、ロイル〉
『うそ』
〈カウトリアが帰って来たら、その……色々と大変だろうけど……〉
『うそだ』
〈…………ドンマイ!〉
ロイルは考えた。
確かカウトリアは「他の聖遺物に浮気したら」的な事を言っていた。
量産品の弓を使っても嫉妬したあの剣は、今から俺がすることにどう思うだろうか?
嫉妬する? まぁするわな。絶対するわ。気が狂う程に怒るかもしれない。
その結果、あの刹那の地獄が、十秒間ほど続くとしたらどうだろう。
『いやああああああああああ!!』
〈では契約するとしよう! カウトリアのマスターよ! 我が名は追跡槍ミトナス! 魔王を殺すモノなり! お前の人生を代償とし、魔王を討つ!〉
『キャンセルさせてぇぇぇぇ!』
〈よし、契約完了だ!〉
『キャンセルだってばぁぁぁぁ!』
〈悪いなロイル! 実はお前以外の三人のおかげで、契約は既に完了しておる!〉
『クソッタレがぁぁぁぁ!!』
魔槍・励起。
短剣だったそれは、まるでバネ仕掛けのように勢いよく弾け、槍と化した。
至近距離で突然に伸びる槍。
魔王テレザムはその攻撃を目にし、反射的に首をそらして回避を試みた。
ギリギリの所で穂先が頬をかすめる。この程度のダメージで流れる血など、もはや意識するにも値しない誤差だ。
だが反射でよけたとは言え、魔王テレザムは混乱した。
残骸に毛が生えたレベル、と思っていた聖遺物が唐突に本来の姿を取り戻したのだ。
それはまるで殺した人間が蘇るような。そんな非現実感があった。
だがその非現実感は、死の予感に比べるとあまりも儚い。
全てがあまりにも遅すぎた。そして自由が封じられていた。
背中と足に鬱陶しい人間がまとわりついている。更に、今まさに二発目の拳を自分にたたき込もうとしている人間がいる。
そして目が合った。
そいつは槍を手にしていた。
本来の姿を取り戻した聖遺物。
ああ、先ほどの頬をかすめた一撃は攻撃ですらなかった。あれはただ短剣が槍に変化した際の余波にすぎない。
来るのだ。今から。攻撃が。
呪文を唱える余裕も無い――――!
混乱していた魔王テレザムは恐怖し、何とか逃げようとした。だけど三人の人間が邪魔をする。
即席の魔法を唱えようにも、何を唱えたらいいのか分からない。
自分が持っている一番強い魔法は、さっきの炎星だ。あれならきっと全てを焼き尽くせるはず。だけど時間がかかる。ならばどうする? 守るか? それとも逃げるか?
その走馬燈のような思考。いつもの百倍は濃密な体内時間。
だけどそれは神速を前に比べると、あまりにも遅く――――。
聖遺物・魔槍ミトナスを構えた一人目。
その長い呼称を一言で表すなら、英雄。
即ち魔王を討つ者。
〈さらばだ魔王! 輪廻に還れぇぇぇ!〉
英雄が、自分の眉間めがけて渾身の一撃を放つ。
魔王テレザムは「ひっ」と声をもらし、嫌がるように両手を眼前で交差させた。怖くてたまらなくて、目を閉じた。
それが魔王テレザムの見た、最後の光景だった。
熱いも痛いも感じる事が出来ずに、魔王テレザムは闇の中でその生涯を終えた。
命を絶った手応えがあった。
両腕はおろか、精霊服ですら貫通し、魔王テレザムの眉間にミトナスが突き刺さる。それは全てを貫ききって紫電を放ち、魔王テレザムの内側で暴れ狂い、静止する。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
わずかな痙攣。それもすぐに収まって、魔王テレザムの身体が沈黙する。
俺は慎重に槍を引き抜き、まとわりついた血肉を空を切る一振りにて打ち払った。
シリックもガッドルもフォートも何も言わなかった。本当に魔王が殺せたのかどうか自信がもてないのだろう。
俺は魔槍ミトナスを改めて見やる。それは始めて出会った時と同じ、確かな聖遺物だった。
今一度、改めてケリをつけよう。
俺は魔槍ミトナスを正しく持ち直して、その切っ先で魔王テレザムの首をはね飛ばした。
「……かっ、た?」
「……ころした?」
「……生きてる?」
「おう。お前等もお疲れ」
俺は三人の呆然とした呟きに返事をして、その場に倒れ込んだ。
「だーーー! しんどい! 疲れた! ああ、怖かった!!」
うわー! と叫びながら俺はのたうち回った。
「っていうか痛い! 全身がすごく痛い! 左手は絶対折れてるし、全身傷だらけだし、肺が灼けたのか今にもむせそうだ!」
「……その割には元気だな、化け物め」
「酷い言い方だなガッドル。お前の方こそ化け物じゃねぇか。ミトナスの雷撃喰らって、どうしてそこまでピンピンしてんだよ」
「あまり当たらなかったからだろうな。炎の迷路とやらが、大半を焼き尽くしてくれたようだ」
「マジかよ。心配して損した気分だ」
「まぁ七つほど喰らったが」
「……やっぱり化け物の称号はお前にくれてやる」
やれやれと、そう言いながら視線を動かすとシリックの顔が見えた。
ああ。シリックだ。
正真正銘の、シリックだ。
「よう。久しぶりだな」
「えっと……あの……全然意味が分からないんですが……」
「そりゃそうだろうな。ま、何はともあれ、俺も疲れた。なので大切なことだけ伝えておこう」
俺は寝転がったまま、魔槍ミトナスを掲げた。
「シリック。これにて依頼達成だ。魔王テレザムは、滅んだ」
「――――!」
どさり、と座り込む音。
ガッドルもシリックもその場に腰を降ろし、深々とため息をついた。
なおフォートはいつの間にか失神していた。
魔王が残した炎はやがて薄れ消え、辺りには夜が訪れた。
生存者のうめき声が際立ち、ガッドルがまっ先に行動を開始した。
皆に声をかけ、動ける者は立ち上がり、戦線に立っていなかった自警団の面々が続々と救助に駆けつけてくれた。
寝転がったまま、炎で灼かれた瞳で夜空をあおぐ。
炎の残像がずっとチラついてはいたが、やがて俺は一つの星を見つけることに成功した。それはまるで、たった今行われた死闘も「実は全然大したことのない事なのではないか」と思わせる程に、ささやかだが確固たる不変さを俺に示したのであった。
あの星の輝きを消すのは、魔王とて不可能なのだろう、と。
それから俺達は病院に運ばれた。
しかし当然のごとく医者の手が足りず、なんと俺は放置された。
曰く「そんな大した怪我じゃねーから騒ぐな」 とのこと。
ひどい。功労者なのに。
しかし魔王テレザムに焼かれた人間は本当に重症だったので、文句は無かった。
死んでしまった者も多い。三十名ほどいたのに、生存者は九名程度だった。その内の二人は、今にも死んでしまいそうだ。
一応は包帯や薬をもらい、宿に帰ることにした。
ガッドルは色々と事情聴取をしたがっていたが、流石に疲れた。当たり前だ馬鹿野郎。休ませろ。
シリックは――――ミトナスと同化していた時間の事を、全く覚えていなかった。これが人生を代償にした結果なのだろう。
彼女は魔槍ミトナスの発動を試みて、気がついたら戦場で寝っ転がっていた、と半泣きで言っていた。「いきなり魔王が目の前にいて、すごく、すごく、ものすごく怖かったです」と。女性自警団の一人に肩を抱かれながらずっと震えていた。
もしかしたら魔槍ミトナスは「強い消費型」と分類した方がいいのかもしれない。そちらの方が色々と納得出来る。発動すればデッド・オア・アライブというのは確かに重大だが、生き残ってしまえば何の後遺症も無いのだから。
そもそも、本当の代償系は、もっと凄惨なものだ。
それ故に常軌を逸した力を持つ。だからこそ、代償という言葉が相応しい。
なーんて、現実逃避を宿の前でする。
カウトリアの加護はもう消えている。魔槍ミトナスが復活した際に、また回路が切れたのだろう。
良かったのか悪かったのか。うーん、微妙。なんとも言いがたい。
現実逃避はまだまだ続く。
俺は疲れ果てていたし、あちこち痛いし、全身が熱いし、なんなら眠たい。
でも宿に帰るのが怖かった。
俺の部屋には、魔王がいるのだ。
こわーい魔王だ。
怒ってるのだ。
うう。顔を合わせづらい。
でも、今すぐに会いたい。
「はぁ……」
とため息をついて、夜空を見上げる。
見上げたと同時、窓からこちらを見下ろしているフェトラスと目があった。全身が硬直したが、視線だけをそのまま更に上へと持っていく。
満点の星空だ。美しい。
そんな最後の現実逃避をして、俺は片手を上げた。
「えっと……ただいま……」
「おかえり」
「うん……」
「さっきからずっとそこで何してるの?」
「えっ。いつから見てたんだ?」
「お父さんがそこに立つ前から」
「……あー」
「速く部屋に戻ってきて」
そう言ってフェトラスの姿が室内に消えていく。
こわい。
俺が部屋に戻ると、フェトラスは無言で俺に近寄ってきた。
そのまま一言も喋らず、俺の傷の具合を確認していく。
「…………」
「…………」
無言なのが余計に怖い。
全身をくまなく検分したフェトラスはため息をついた。
「……えと……」
「…………」
「悪かった……ごめんなさい」
「なにが?」
「怪我しないって約束、守れなかった」
左手だけは骨折していたので、治療が施されている。
あとは全身の擦り傷と、火傷。
どれも後遺症は残らないだろうが、満身創痍に近い。
そんな俺が素直に頭をさげたものだから、フェトラスは逆に慌てた。
「とっ、とりあえず座って」
「ああ。っていうか横になりたい」
「痛くない? 大丈夫?」
「……大丈夫だよ」
「そっか……」
俺がベッドに静かに横たわると、いそいそとフェトラスが近づいてきてベッドサイドに跪いた。
そして先ほどの無表情とうってかわって、プーと頬を膨らませた。
「怪我しないで、って言ったのに。うそつきー」
「ごめんってば」
「わたしは約束守ったのに」
「本当にすまん」
「……ねぇ、本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「テレザムさんは……死んだ?」
「ああ。殺した」
「…………」
「まだ遺体は残っているが、朝には消えちまうだろうな」
「そっか」
そうだ。俺は魔王を殺したのだ。
殺戮の精霊を殺したのだ。
――――フェトラスの仲間を、殺したのだ。
ギィレスの時とはワケが違う。
俺は、俺の娘の同族を、殺したのだ。
胸がキューンとなった。
この気持ちは何だろう。切なさか? 申し訳なさか? それとも不安か?
俺が煩悶としていると、フェトラスがそっと俺の髪をなでた。
「大変だったね」
それは恐ろしく慈愛に満ちた言葉だった。
まっ先に「謝りたい」という気持ちが芽生え、だけど口から出た言葉は「ありがとう」だった。
「どうしてお礼を言うの?」
「お前が……フェトラスが、フェトラスでいてくれて良かったなぁ、って。変わらないでいてくれてありがとう。本当に、ありがとう」
「よく分かんないよ」
彼女はずっと俺の頭をなでてくれる。不覚にも泣きそうになった。
この子は、魔王殺しを果たした俺を、変わらず慕ってくれているのか。
そんな心中を察したのか、彼女はこうも言ってくれる。
「大丈夫だよ。わたしは魔王。殺戮の精霊。だけどそんなのはどうでもいいの。わたしはお父さんの娘だから」
なんて出来た娘だ。俺にはもったいない。だけど絶対に誰にもやらん。
「怪我をしたのはアレだけど、無事に帰ってきてくれて本当に良かった……」
どんな気分でフェトラスは俺を待っていてくれたのだろうか。そう想うと、更に胸が締め付けられた。
「そういえば……大人しく待ってたら、お願いごとを一つ聞いてやる約束だったな」
「うん」
「で、それは何なんだ?」
「うーん」
彼女は少しだけ唇を突き出して、考え込むような姿を見せた。
「とりあえずお父さん疲れてるし、それはまた今度でいいや」
「……そっか」
要するに「何でも言うことを聞く券」をあげたようなものか。
まぁいい。フェトラスの言う通り、今の俺は疲労困憊だ。
「フェトラス」
「なーに?」
「そろそろ疲れたから、眠ってもいいだろうか」
「いいよ。おやすみなさいお父さん」
「…………」
「…………」
「愛してるよ」
「――――わたしも。愛してるよ」
柔らかく頭をなでられる。
彼女の体温を、呼吸を感じる。
達成感も不安も何も無かった。
あったのは、泣きたいくらいの幸福感だった。