2-35 魔王を殺す者
炎で隔離されるよりも速く、ゼロ距離へ。
背後で強烈な圧迫感が生まれたのを感じた。
だが遅い。さぁ踊ろうテレザム。
「 な っ 、 な ん だ と 」
驚くヒマがあるとは驚きだ。
俺は超至近距離……いや、もはや抱き合うような形でテレザムに迫った。
即座に頭突き。狙いは口。呪文を唱えられたら終わりだ。
テレザムの唇を、俺の頭蓋とヤツの歯で挟み潰す。
「 がッ ! 」
痛いか? まぁ普通に痛いわな。
これで呪文を唱える速度がほんのわずか短くなるだろう。
その僅かな隙が、お前の致命傷への第一歩だ。
ざわざわと精霊服が蠢く。
しかし悲しいかな、精霊服は攻撃手段を持たない。ただ防ぐだけだ。
だから、当然こうなる。
白いローブは赤い線を増やし、やがて赤き法衣へ。
そして法衣に黒が混じり、今では漆黒。
だがそれは単純な漆黒ではなく、その下に憎悪の炎を宿している。
殺戮の精霊・魔王。その精霊服の完全なる戦闘形態。
俺の攻撃パターンを読んだのだろう。精霊服は成長し、ぞわぞわとテレザムの口元を覆い隠し始めた。
(殺戮の精霊の殺し方。一般兵が数百人以上でリンチにするか、もしくは精鋭が戦術を駆使してハメ殺すか、聖遺物を使用するか。歴史上では前者の作戦が採られたこともまれにあるが、戦績は微妙な所だ。なぜなら例え数千人いたとしても、魔王に肉薄出来るのは四人が限度だからだ。前、後ろ、右と左)
そして今、俺の手元には聖遺物もどき。体の内側には聖遺物の不完全な加護。
状況はすこぶる悪い。
勝機なんて無い。
だけど。
無傷の鉄壁を打ち崩すのが不可能だとしても、まずは一撃入れないことには始まらない。何度も何度も傷をつけ、その積み重ねだけが鉄壁を貫く。
魔王は殺せない。
だけど首筋は切り裂けた。
左腕を負傷させた。
唇を潰した。
さぁ、あと何度繰り返せば、こいつを殺せる?
『無理だ。この程度では魔王は殺せない』
では試そう。
あと百回。千回。こいつがくたばるまで。
俺は戦いの最中、そっと戦う理由を思い出した。
『お父さん』
――――。
――――――――殺すッ!
「行くぞカウトリアァァァ!!」
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私は目を覚ました。
全身が痛い。まるで全ての筋肉が裂けたような痛みだ。
そしてありえないくらい疲労がたまっており、私は呼吸するのさえ難しかった。
咳き込む度に痛みに震える。
そんな中、真っ赤に照らされた夜の中、英雄の咆吼が聞こえた。
「行くぞカウトリアァァァ!!」
これは、なに?
何が起きているの?
霞がかかった視界の中、真っ黒な影と、短剣をふるう残像が見えた。
それは連撃だった。
右手の短剣は様々な部位を突き、左の拳は顔や胴体を打ち抜く。
攻防一体の技。
いいえ。もはや技とは呼べない代物だった。
ただひらすらに、野蛮。
相手の命を奪うための暴力。
だが何度攻撃を当てようとも、真っ黒な影は倒れなかった。
だから何度も攻撃は続いた。
野蛮。なんて流麗な、野蛮。
そして私は悟った。
あれが魔王で、あれが英雄なのだと。
ふと視界の隅で何かが動いた。私は、何人かの人間がそれを見守っていることに気がついた。
ボロボロで、傷だらけで、焼け焦げていて、それでも生き延びた者達。彼らは地に伏せながらも顔を上げ、その光景に見入っていた。
唯一立っていた男……あれはガッドル団長か……彼は呆然とそれを見ていたが、やがては膝から崩れ落ちた。
笑っている。
ガッドル・アースレイは、笑っていた。
俺は心が折れた。
本気の魔王の力を前にして。
それでもなお挑むロイルの勇敢さに。
そしてそんなロイルの常軌を逸した様子を目の当たりにして。
それでもなお、倒れぬ魔王に。
全てが嘘のようだった。
これが魔王なのか?
これが聖遺物なのか?
この領域でなければ、英雄を名乗れぬのか。
不思議なことだが、俺はたった今、アースレイの家名を捨てることを決意した。生きて帰れる保証なぞどこにもないが、自分にはその資格が無いと知ってしまった。
膝から崩れ落ちて、魔王から目をそらす。
視線の先には生存者がいた。
フォートだ。まだ生きている。
漏らした小便は魔王の炎によって蒸発した。
髪の毛も焦げたし、たぶん顔に酷い火傷も負っているだろう。
生きていることが不思議だ。
そしてもっと不思議なことがある。
ロイルだ。あのシリックが連れてきた胡散臭い男が、魔王と戦っている。
アドバイザーじゃないのか? いや、魔王退治のスペシャリスト? でも確か英雄じゃないって言ってたよな。武器も騎士剣だったけど、聖遺物ではないし。
よくわからない。
魔王が唱えたであろう呪文が、ロイルの後ろ姿をぼやけさせる。それはそれで何か重大な魔法だったのだろうが、なんの効果も得られなかったようだ。やがてそれは薄れて消えていく。
よく分からない。
自分が誰なのかさえ分からなくなる。
どうしてこんなことになったんだ? 俺は確か、シリックが好きなだけだったのに。
もうそんな淡い恋心は魔王の炎で焼却された。
『ごめんなさい』
何故だか分からないけれど、ずっとその言葉しか出てこない。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
豪雨のような攻撃を続けるロイルさんを見て、私は思った。
「勝てない……」
殺戮の精霊に襲いかかる化け物を見て俺は思った。
「勝てない……」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「勝てない……」
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何百回斬りつけたか分からない。
テレザムを逃がさないよう、呪文を唱えられないよう、俺はありとあらゆる攻撃を続けた。至る所に傷を負わせ、精霊服による防御を様々な部位に散らし、本命である口元への攻撃を織り交ぜた。
何百回殴ったか分からない。
そろそろ拳が砕けるかもしれない。
そして確信した。
「勝てない……」
やはり、魔王には勝てないようだ。
全身が血塗れになった魔王テレザムは、ずっと憎悪の瞳で俺を睨み付けている。
銀眼ではない。
あれはこの程度の魔王が抱ける代物ではない。
だけど俺はある意味で、銀眼のフェトラスよりも魔王テレザムの方が恐ろしかった。
今逃がせば、こいつはとんでもない化け物になるだろう。
手負いなんてレベルじゃない。眠れる夜が二度とこないぐらいに痛めつけている最中だ。しかしそれでも決定打が無かった。
もう俺の体力は限界だ。
攻撃のスピードは明かに落ちているし、動きに精彩もない。ただ必死にやっているだけだ。
トライ・アンド・エラー。
試行錯誤をやっている内はまだいい。
だけどやればやるほど、詰んでいく。
真っ白なキャンパスには無限の可能性があるが、線を一本書くだけでその無限は有限にすり替わる。とても儚くて小さな、有限に。
そしてキャンバスはもう真っ黒だ。何の絵も描けそうにない。真っ黒に塗りつぶされたソレに相応しいタイトルなんて「絶望」以外にはあり得ないだろう。
自分が死ぬことを覚悟した。
魔王テレザムを討てず、こいつが世界を脅かす存在になるだろうと確信した。
そしてフェトラスのことを想った。
想像の果て。
フェトラスは世界を滅ぼして嗤っていた。
――――そして、大声で泣いていた。
こんな状況で「ま、いいか」とか言えるか?
言えるわけないだろうが。
でもな。
手詰まりだわ。
あと三十四秒後に、俺は焼かれるだろう。
「お父さん」
幻聴が聞こえる。
泣きたくなるような気持ちになる。
だけどな、無理なんだわ。
あと三十三秒。
それはきっと、世界の余命だった。
「うわあああああああああああ「ああああああああああああああああああああああ」あああああああああああああ「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」ああああ「ああああああああ!!」
耳元にノイズが届く。
それは遙か遠くから聞こえる雄叫び。
誰の声だ?
意識がもっていかれ、残り時間があっという間に二十秒を切る。
すぐさま攻防のプランを修正。テレザムの右腕をはじき飛ばし、みぞおちを突く。
「うわあああああああああああ」
「あああああああああああああ」
「あああああああああああ!!」
聞くに堪えないノイズ。
俺は聴力をカットした。
あと十五秒。
精霊服の防御が胴体に集中したタイミングで口元を切り裂こうとするが、手応えは薄い。だけど呪文を阻害出来たので狙い通りでもある。そして想定通りだ。
あと七度の攻防の果て、魔王テレザムは【炎常】を、自身が最も使い慣れているであろう魔法を放ち、俺を焼却するだろう。
ならばどうする?
もういっそ、諦めてしまおう。
楽しかったことを思い出そう。
フェトラスと出会ってからの事を。
七度の攻防プランを破棄。
そして浮いた時間で、優しい思い出に浸ろう。
――――って、割り切れたら俺の人生はもっと楽勝だったんだろうな。
わざわざ厄介ごとに首を突っ込まなかっただろうし、そもそも戦う事なんて選択しなかっただろう。
だけど今、俺はここにいる。
「うおおおおおおお!!」
俺も叫んだ。
意味はない。
ただ、俺がここで生きていることを表明したかった。
果たしてその表明は一体どこの誰に届いたのか。
俺の意識は、刹那よりも短い時空に囚われた。
【ねぇお父さん。
もしお父さんが死んだら。
わたし、この世界を殺戮するから】
瞬間、俺の世界は凍り付いた。
……フェトラス、なのか?
【うん】
……なんだこれ?
【えーと……応援? いや、脅迫かな】
きょうはく。
【うん。お父さんもたまにするよね】
お、おう。
【怪我しないで、って言ったじゃん】
……すまん。
【うそつき】
弁解のしようもないな。
【絶対にゆるさない】
…………すまん。
【だからせめて、生きて帰ってきてよね】
………………すまん。
【じゃあこうしよう。今からわたしが魔王テレザムを殺す】
ツッ……。
【――――。】
…………。
【お父さんのばーか】
……本当にな。
【最後に何か言い残すことは?】
えっとな、ありがとうフェトラス。
【うん】
それと、伝えたいことがあるんだ。
【うんうん】
愛してる。
【それ、直接言うべきだと思うんだけど】
うぐっ。
【あと一分耐えて】
は?
【少なくともわたしは約束を守るよ】
凍り付いた世界がゆっくりと動き出す。
今のは、なんだ?
幻覚か?
カットしているはずの聴覚。
だけど空気が震える。
怒号と罵声と勇気の雄叫びが。
『魔王
テレザム
死ねやぁぁぁ!』
それはシリックと、ガッドルと、フォートによる三重奏だった。
なぜ? とシンプルな疑問がわき上がる。
あと一分?
分かった。
俺は七度の攻防プランを破棄。
そして、十八の防御プランを構築した。
(攻撃は捨てる。自分の命も捨てちまえ。どうせ詰んでんだ。なら、盤外からの乱入で状況をかき混ぜちまえ。そうだよ。なんで忘れてたんだよ。魔王討伐の基本は? リンチだろうが! 俺が採るべき方針は「呪文阻害」と「逃亡阻止」だ。それ以外のことは全部無視ッ! 行くぞ!)
(怖い。だけどロイルさんだけじゃ勝てない!)
(怖い。だがしかし! 俺では勝てぬが、この化け物ならあるいは!)
(怖ぇぇぇぇ! だから俺は! ここで! 死ぬ!!)
俺はひたすらに阻害と防止を。
シリックは魔王テレザムの背中に張り付き。
ガッドルは全力で魔王の顔面をブン殴り。
フォートは魔王の足にとびついた。
全員の想いが結実し、そして四人の言葉が、ヴァベル語が束ねられる。
〈死ね、魔王テレザム――――!〉
それは全員の口から発せられた、ミトナスの言葉だった。