2-34 神速の領域
感覚が変異した。
かつて四本あった腕が二本になり、そしてまた四本に戻ったかのような異能感と全能感。
握りしめたミトナスの柄に、紫色の雷が宿った。
そして鋭い金属音が響く。
キィン、と。そんな音を立てながら、ミトナスの柄から一つの刃が生えた。
(……これじゃ槍っていうか、短剣だな)
先ほどまでに見た紫電に比べると、このエネルギーはか弱い。
しかし残骸とはいえまだまだコレは聖遺物。
しかも代償系ときたもんだ。発動条件は何だった? そう、魔王を殺害するという意思だ。魔王に恐怖し、それでも抗うと決意した勇気だ。
俺は赤い精霊服を身に纏い、暴虐をつくす魔王テレザムを見つめた。
「 【炎
怖い。
アレの前に立つのは怖い。
――――でも殺す。
「怖いから殺す」ではなく「怖いけど殺す」だ。
何のためにって? そりゃ決まってる。今更語るまでもない。だが大事なことなので、今一度はっきりと表明しよう。
全てはフェトラスのために。
最早カウトリアの意思は感じられない。ごめんカウトリア。正直今はお前を感じたくない。いやそりゃそうだろ。何なんだよお前。そりゃお前に喋りかけたことは多々あるし、胸に抱いて眠ったこともあるさ。でも、なんていうか、お前が思ってるようなことじゃなくてだな。俺としては「相棒」に対する敬意というか依存というか。変な言い方だけど「愛棒」じゃねーんだよ。
まぁとにかく、今はカウトリアの意思に引きずられることもないようだ。
だが神速演算――――思考の加速状態。その加護は得ている。
世界はスローだ。
のんびりはしていられないが、気の済むまで思考することが出来る。絶好調に近い。
そしてミトナスの柄。短剣と化したコイツの意思はまだ感じられない。
刃が出たということは発動しているということだ。
しかしミトナスが以前言っていた「契約前の意思確認」とやらはまだ行われていない。つまりミトナスはまだ眠っているのか? ……あるいは、もういなくなってしまったのか。
考えられるとするならば、この刃はミトナスではなくカウトリアだという可能性。
意思疎通出来るレベルまで繋がったが、その力を武器として転化させた、とか――――いいや、少し都合が良すぎるか。聖遺物が他の聖遺物を利用するなぞ、イレギュラーにも程がある。
しかし実際にミトナスは発動しかけている。意思もないままに。コレはどう説明を付ければよいのだろうか。
残骸と化したミトナス。
復活したカウトリアの加護。
身体に残っていた電撃の残滓。
つまりこれは、ミトナスにカウトリアが宿ったというべきか……?
依り代にしている?
世界はまだスローだ。
もしこれがカウトリアなら、以前のように使えるのなら、俺の肉体速度も上がっているのだろうか。そう思い試してみたが、期待したほどの速度は出なかった。つーかいつも通りだ。
ただ、最適な行動をゆっくりと選べる。
これはフェトラスと出会ったあの日の俺と同じ状態だ。
最短距離で剣を走らせることが出来る。
ならばさきほどよりも数倍は速く見せることが出来るだろう。
常】!」
テレザムの様子を改めてうかがう。
嗤いながら、再び炎を両腕に装填したところだ。
更に自警団の生存者を把握。三名だ。
そして驚くべきことに、視界の隅で四人目が立ち上がった。
ガッドル。あの野郎、すげぇな。生きてるだけでも驚きなのに立ち上がりやがった。流石は団長と言った所か?
そういえば俺の身体の痺れも取れている。もしかしたらミトナスの柄が雷撃の残滓を吸い取ったのかもしれない。あるいはカウトリアはそれを利用して俺との回路とやらを復活させたのか?
ミトナスの応答がないことが気になるが、仕方が無い。
シリックの容態も気になるが、今はどうしようもない。
さて、そろそろ身体を動かすとしよう。
こんな短剣じゃ一撃必殺とはいかないだろうが、
戦いようはいくらでも考えられる。
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たのしい!
爽快だ!
ボクに恐怖を植え付けた人間達に、今のボクはこんなにも一方的に振る舞える! なんて素敵なことだろう!
満たされていく感覚がある。
今までは何かを燃やすことが楽しかった。でもコレは違う。魔王としての力を存分に振るい、猛威を見せつけ、蹂躙する。ああ、なんて愉しいんだ!
ただただなぎ払うことが愉しかったので燃やし方なんて考慮していない。けれど、それがいい。新呪文なんて試す気にもならない。これで十分だ。
まだ息がある人間はたくさんいるし、何より大事な一人目が生きている。
お楽しみは後だ。今は愉しもう。
まだ立っている三人の人間を見つめる。既に彼らは戦意を喪失していたけれど、そんなのは関係無い。小石を蹴飛ばす感覚で、ボクは炎常をかかげた。
「うおりゃあああああああ!」
「えっ!?」
想定外の怒号。
慌てて振り返ると、聖遺物の攻撃に巻き込まれたはずの人間が徒手空拳でこちらに走ってくるのが目に映った。なんで生きてるんだ? そしてなんでこっちに向かってくる?
「…………まぁ、いいけど」
呆れつつ、ボクは戦意喪失した三人を放置して、敵を迎撃するために身体の向きを変えた。
「魔王テレザムッ! よくも俺の仲間を――――!」
「ははっ。怒ったふりが上手だね」
目を見れば分かる。冷静なのがバレバレだよ。
そういえばこの人間は、一人目の次に燃やすと決めていたんだっけか。
どうしようかな。ただ吹き飛ばすだけじゃ勿体ない。
それに順番は守りたいし……そうだな。ここは彼に静かにしてもらうとしよう。
「っと!」
「おらぁ!」
考えごとをしていると、あっという間に距離を詰められた。襲いかかる拳を慌てて避けつつ、後退。
「そんなに焦らないでほしいな。君の出番はまだ先だよ」
「ぬぉぉぉぉりゃぁぁぁぁ!」
聞いてくれない。
困ったな。
手に宿った炎を足下に投げつけてみても、彼は少しもひるむ様子が無かった。
「っていうか、なんで君が生きてるの? しかも割と元気だ」
「ちぇりゃぁぁぁぁぁぁ!」
「危なっ!」
離れても離れても追いすがってくる。
困ったな。殺すのは簡単だけど、どうしよう。
(めんどうくさいなぁ)
ボクはとっさに【炎束】という魔法を使って、彼から大きく距離を取った。
背中から炎があふれだし、それを推進力にして飛ぶように前に進む。
(生きてる三人は逃げるだろうし、放っておこう。やっぱりまずは一人目からだ)
ある程度距離を稼いで、それからゆっくり一人目を探す。
「どこかなー。色々燃やしちゃったせいで分かりづらいや」
それに暗い。
炎の壁が消えた今となっては、わずかに残った炎柱だけが灯りだ。
ボクは何本かの炎柱を打ち立てて、周囲を熱く照らした。
「うーん、見えやすくはなったけど、まだ分かりづらいなぁ」
二人目は全速力でこちらに駆け込んでくる。
やれやれ慌ただしい。とても勇敢だけど、すごく鬱陶しい。
「おーい、一人目ー。どーこーだーい?」
「ここだよ」
えっ、と思った“瞬間”には遅かった。
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魔王テレザムが炎を撒き散らかしながら高速移動を始めた時は焦ったが、死んだふりなどをしてやりすごした。そしてヤツの視線を読みながら死角へと移動。隙を見て距離を詰める。
ヤツは派手に炎の柱を造り始めたので足音を殺す必要も無かった。爆発音と熱風。それに比べると俺の気配なんてそよ風よりも弱い。ほぼ全速力で俺は駆け抜け、魔王テレザムの首筋を狙って切りつけた。
手応えあり。
呆然とした魔王テレザムの首筋から、長いタイムラグの後に鮮血が吹き出す。余裕と隙があったので、俺はすかさず短剣を走らせた。傷を付けた首筋。その傷をなぞるように刃は軌道を描き、さらに深く、深く、その命をえぐり取った。
「あっ、ああ!?」
遅い。遅すぎる。
こんな速度じゃ、魔王殺しなんて到底不可能だ。
ゆっくりと魔王テレザムが傷跡を右手でふさぐ。
だが吹き出す鮮血は圧倒的な速度で大地に降り注ぐ。そして傷の深さは手で押さえた程度ではどうしようもない。
「 【炎
なるほど。それはいい手だ。
俺は攻撃対象を首筋から左手に変える。
もう少しリーチが長ければもっと他の場所も狙えたのだろうけど、仕方が無い。無傷でコイツに勝つことが出来る作戦は一つしかないのだから。
俺の短剣が魔王テレザムの左手に触れる寸前、呪文が完成する。
常】!」
炎が両腕から生まれ、右のソレは首筋の傷口を灼いた。血が蒸発する音。肉が焦げる音。そんな臭いが届くのはもう少し先の話し。
左手の炎が大きくなる前に、俺は乱雑にそれを切り裂いた。
そしてすぐに距離を取る。
だがテレザムは追撃よりも、まず首筋の傷について対処することを最優先としたようだった。
苦悶の表情。痛いし熱いし、何より悔しいだろう。
燃やすのが好きでも、燃やされるのは嫌い。そりゃそうだ。当たり前の話しだ。
「き さ ま よ く も 、 」
恨み言を聞いてやるヒマはない。
何が起きたのかも把握出来ないまま、傷を負い続けろ。
(しかし……参ったな。切り札がねぇ)
手応えはあった。
普通の人間なら死んでいただろう。しかし相手は殺戮の精霊・魔王。既に精霊服も完全なる戦闘形態への移行を開始している。
真っ赤なソレが、禍々しい黒に染め上げられていく。
遅い。遅すぎる。
そんな速度じゃ、俺は殺せない。
飛び出すように距離を詰め、次に狙うのは眼球。
一つずつなんてかったるい真似はしない。
一閃にてお前の光を奪う。
……だが中々に上手くはいかないものだ。
臆病な魔王は俺が距離をつめると、みっともなく後退した。口を閉ざして恨み言も中断。俺の短剣が届かない事は明白だったので行動をキャンセル。
右半身をひねりながら攻撃の軌道を変え、俺は倒れ込むように魔王テレザムの喉を貫こうとした。
「 【炎
おや。次はなんだろう。予測が出来ない。考える時間はあっても、判断材料が少なすぎる。俺は攻撃そのものにキャンセルをかけて、体勢を整えることに専念した。
隔】!」
まさかの新呪文である。いや、元々持っていた魔法なのかもしれないけど、見るのは始めてだ。さて、どんな効果なのか。
炎隔。
炎の、隔たり。隔絶。
しまった。もしかして壁のようなものでも造る気か?
それはマズい。距離を取られて遠くから魔法を放たれたら勝ち目なんてない。
だったらどうする? 仕方が無い。
踊ってもらうぜ、魔王テレザム……!
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《ガッドル視点》
魔王テレザムが振り向くと同時、ロイルはその首筋を切り裂いた。
返す手で再び首筋に攻撃し、その傷をより深いものに。
魔王は驚きながらも首筋を手で押さえ、呪文を唱えて傷を塞ぐ。その代わりに左手を攻撃されてしまい、唱えた魔法はその効果を失った。
憎悪の視線で魔王はロイルを睨んだが、彼はそれを気にせず突貫。
魔王の服が形態を変えつつあるなか、ロイルは魔王の顔面を狙ったようだが不可思議な動きをして「突き」に変えた。
しかし魔王は後退。
そして当然の如く、ロイルは歩幅を合わせて執拗に追撃を行った。
なんだあれは、と思うヒマすら無かった。
何が起きてるのか全く分からなかった。
「 【炎隔】!」
魔王が魔法を唱える。
するとあろうことか、ロイルは魔王に抱きつくように飛びかかった。
殺戮の精霊に対して、まるでダンスを申し込むかのように。
ようやく考えることが出来た。
なんだあれは。