2-33 その名を叫ぶ
「ぬおおおおお! 熱い! あっつーい!」
バタバタと地面を転がりながら、そいつは身体にまとわりついた火を消した。
「……人間はすごいね。あれを突破出来るんだ」
魔王テレザムの感心したような声。
炎の壁の中にまた一人。
それが誰かを視認して、俺は思わず叫んだ。
「フォート!? お前、何しに来た!?」
このユシラ領の自警団に属する若者。シリックと仲の良いフォートだった。
痺れが継続していたので不明瞭な発音だったが、フォートはきちんと返事をしてくれた。
「何って、決まってるだろ! シリックが戦ってるのに、ビビってるだけじゃかっこ悪いからな! 団長も飛び込んでいっちまったし、すげぇ音するし!」
火を消し終わったフォートは立ち上がって剣を構えたが、魔王テレザムを見た途端に身体が固まった。
「がっ……まっ……魔王ぅ……?」
ガクガクブルブル。
俺の痙攣よりも、その震えは激しかった。
「な、なんだあれ……あんなの、存在していいのかよ……」
震えが最高潮に達した時、フォートは剣を落とし膝から崩れ落ちた。
……残念だが、あれが普通の反応と言えるだろう。
特にテレザムは戦闘形態の精霊服を纏っている。
その威圧は人の心を折るのだ。
「!」
だけどフォートは倒れているシリックを見つけた。
「し……りっく……」
まるで子供のように震えながら、でもフォートは地面に転がった自分の剣を手に取る。それを杖代わりにして立ち上がって、涙目で魔王テレザムを睨み付けた。
「て、てめぇ……よくもしりっくを」
「ふむ」
魔王テレザムは一歩、フォートに向かって踏み込んだ。
「ヒッ!」
そして魔王の一歩の数倍、フォートは後ずさった。立ち止まったのは単純に炎の壁があるせいだ。
「どうやら怖がられてしまったらしい」
苦笑いを浮かべる魔王。だけどそんな嘲りを受けても、フォートは何も言い返せないようだった。可能ならば、もう今すぐに逃げ出したいのだろう。
「ねぇ、四人目。もしかしてここの外にはたくさんの人間がいるのかい?」
「うっ……ううっ……」
「この界炎を消したら、どうなるんだろう?」
馬鹿。よせ。やめろ。
「みんな逃げ出してしまうかな。それとも群れとなって、ボクに燃やされに来てくれるのかな」
この、悪魔が――――!
「それは愉しそうだ」
いつかの魔王ギィレスと同じ表情を浮かべたテレザムは、スッと片手を振り下ろした。
そうして、一瞬で炎の壁が消え失せる。
壁で遮断されていた喧噪が耳に届いた。
「火が消えたぞ!」
「見ろ! フォートだ!」
「団長もいるわ!」
「あれは……倒れているのはシリックか!」
「消火班! 戦闘だ! 武器を取れ!」
その数はおよそ三十。
武装した自警団の連中がそこにはいた。
「下がれフォート! 無茶しやがって!」
「ああまったくだ! 若造のクセによ!」
「あれが……魔王……!」
全ての人間が魔王の姿を捉える。
そしてもれなく恐怖を覚える。
だが、隣りにいる戦友の震えが、己の背筋を凜とさせる。
「へへっ。膝が震えてるぜマイガ」
「お前もな、シミラー」
「怖くて当たり前だ! おい野郎ども、あんなの自分のガキに見られたら、毎晩寝小便垂れるぞ! ここで食い止めるッ!」
「俺はもうチビったよ!」
「俺もだよクソッタレ!」
喧噪が怒号に変わっていく。
倒れた団長と同僚。炎に身をさらした勇敢な若者。そして部外者の俺。
この地を守らんとする自警団は、己の誇りを守るために剣をかかげた。
「ねぇ一人目」
「……」
「ボクは君を一人の個人として認めた上で、君を燃やす」
「……」
「でもその前に、『人間』という種族を燃やしてみるよ」
「……」
「だってこんな機会、逃せるわけないじゃないか」
その顔は愉悦に満ちていた。
邪悪だ。一瞬でも「こいつがフェトラスみたいに良い奴だったら良かったのに」と考えてしまったことが恥ずかしい。
魔王ギィレスも、テレザムも。こいつらは揃いも揃って人間の敵だ。
と、ここで俺は慌てて周囲を見渡した。
フェトラス。まさかフェトラスは来てないよな?
痺れなんてどうでもいい。痛みも知るか。
俺は何とか半身を起こし、あたりにフェトラスがいないか探した。
「いない……」
良かった。
本当に良かった。
信じよう。あいつはきっと、俺との約束を守って待っててくれている。
……あ。
俺、怪我してんじゃん。
「約束……守れなかったな……」
なーーんて呟いてる場合じゃねぇ!
やべぇ! どうする! どうすりゃいい!
「行くぞ貴様らァァァ! 俺達の力を見せつけてやれぇぇぇ!」
『うおおおおおお!!!』
「あはっ――――あはははははは!」
破れかぶれで突撃を開始する自警団の面々。
哄笑のまま、それを迎え撃つ魔王テレザム。
ダメだ。勝てるわけがない。一人残らず殺される。
あとはどうなる。俺が殺されて、ガッドルが殺されて、シリックが殺されて、フォートが殺されて、それからどうなる。
きっと街が燃やされる。たくさん殺される。
そして遅かれ速かれ、魔王達が出会ってしまう。
ちくしょう! ちくしょう!
俺は八つ当たりのようにミトナスの柄を睨んだ。
何が絶殺だ! 普通に返り討ちにあってんじゃねーか! なんなんだよ! 代償型のくせに、あんな駆け出しの魔王に負けてんじゃねぇーよ! 俺らまで巻き込みやがったくせに! カウトリア(は適合型だったが、少なくともテレザムより強いギィレスなんかには負けなかったぞ! ふざけやがってちくしょうが! 魔王テレザムがいきなりこのユシラ領に現れたのは計算外だったかもしれんが、一人で突撃するなよな! 最強の単騎に、単騎で挑んでんじゃねーよ!)
視線を戦場に移す。
魔王テレザムは両手に炎を宿し、それで人間を殴って吹き飛ばしたり、炎を放ってなぎ払っていたりした。
「げ、ゲシュアスー!」
「ふりかえるな! 全方位からかかれ! 一方が死んでも、三方向から斬り捨てろ!」
「畜生が! 人間を甘く見るなよ!」
「いい……いいね! これが人間か! はははは! さぁ死ね!」
(もう何人吹き飛ばされたことか。七人ほどが地に伏していて、三人はフッ飛びながら燃え尽きた。殺されている。死んでいく。あれが殺戮の精霊・魔王。だめだ。勝ち目なんてない。このままユシラ領が燃えて、フェトラスが来て、どうしようもなくなる。怪我をしないという約束はもう破ってしまったけど、それでも最悪の事態だけは避けないといけない。どうする。どうすればいい。何が出来る。魔王を倒すには何が必要だ!?)
聖遺物だ。言われるまでもない。
だがミトナスはもういない。
(シリック……人の姿に戻ってはいるが、人格はどうだ? まだミトナスに代償を払ったままなのか? だとしたら、本体は槍ではなくシリック自身だという可能性はどうだ? だめだ。もしシリックの身体がミトナスに支配されていたとしても、戦う術がない。魔槍ミトナスの攻撃方法は全て槍本体が行動起点になっている。その槍がこんな有様じゃ……待てよ? 確かいくつかの聖遺物には、細かな傷くらいは自己修復するモノがあったな)
「隊列を乱すな!」
「まとまってたら、まとめて吹き飛ばされるだけだろうが!」
「じゃあせめて呼吸くらい合わせろ!」
「応ッ! 挟撃行くぞ!」
「君たちは勇敢だね! あっちの二人は逃げ出してしまったというのに!」
(魔槍ミトナス。槍の本体から穂先をはやし、それを鎧にしたり、不可視の刃に変えたり。ならばまだ可能性がある。槍の再成。もしくは、見えないだけでまだミトナスは在る。そうとも。シリックの鎧はなぜ消失した? 力の供給が途絶えたからか? いいや。槍とシリックが距離を置いても、彼女は彼だった。つまりまだミトナスが死んだと仮定するのは早計だ!)
俺はまだコントロールの効かない身体を引きずりながら、ミトナスの柄に手を伸ばした。
(あるいはこの身体に残った電撃が、ミトナスの力に還るかもしれない! 希望はそこにしかない! 頼むぜおい! 歴戦の聖遺物よ! お前の、いいや、俺達の宿敵がそこで嗤ってんぞ!)
柄に触れて、そして気がついた。
これは聖遺物ではない。
それはただの、残骸だった。
(くそったれが! ダメだこりゃ!)
ぽろりと手からその残骸がこぼれ落ちる。
百秒の恐怖が来た。
千秒の絶望が来た。
万秒の諦めが来た。
そしてそれらを、俺は刹那で駆け抜けた。
こぼれ落ちた残骸が地に落ちた。
次に訪れたのは、百秒の思案。
それだけで十分だった。
あの名を脳裏に描いた
瞬間から、コレは始まっている。
だったら、どうする。
決まってる。
呼ぶのだ。
俺の相棒の名を、高らかに。
「来い……カウトリアァァァァ!」
ぷつりと視界が闇に染まって。
そして、刹那の地獄が始まった。