2-30 その事に、まだ誰も気がつく事は出来なかった。
俺は地獄の戦場に躍り出た。
大声で自分を鼓舞したりしない。
これはようするに不意打ちの一種なのだから、わざわざ自分の存在をアピールする必要はないのだ。
ただひたすらに「一撃を入れる」。そのために俺は魔王テレザムの視界の外を駆け、その楽しげな背中に向けて剣を振り下ろした。
〈馬鹿者ッ! 何故出てきた!〉
俺の姿を視認したミトナスが叱責を飛ばす。
おいおい、頼むぜ。それが演技だと信じてるぞ?
「オラァッ!」
斬りかかる瞬間は流石に声がもれた。
ふい、と魔王テレザムが視線を動かす。
炎に照らされた瞳が楽しそうに細まる。
バフッ。
手応えの無い音がした。
俺の剣は揺らいだ精霊服をなでて、通り過ぎる。
「クソッ!」
「おやおや。どうもこんばんわ」
「ツァラァァッ!」
再び剣を振るうが、手応えが薄い。
ここで俺はようやく、魔王テレザムが着ている精霊服に目が行った。
戦闘形態じゃない。
フェトラスが着ているソレとは違い、魔王テレザムの精霊服はゆったりとした白いローブで、赤のラインが数本走っているだけだ。
もしこの精霊服が戦う気なら、もっと凶悪かつ複雑なデザインが施されているはず。つまり。
(この野郎。余裕ブッこいてやがる)
そしてイコールで、コイツには余裕がある。
そんな魔王が、こちらに向けて片手を上げた。
カウトリアの能力には遠く及ばないが、人間の持つ基本的な能力の一つとして、俺の世界が少しだけスローになった。火事場の馬鹿力。追い詰められた時の走馬燈。
(やばい。死ぬ。殺される。燃やされる。でもチャンスはここしか無かった。頼む。頼むぞミトナス。――――隙は作ったから、早くコイツを殺せ!)
街に近づけさせるわけにはいかないので、いきなり現れてビックリさせ、その隙にミトナスに狩らせる。俺はそのためだけに飛び出したのだ。
打ち合わせなんてしてない。ミトナスの切り札も知らない。魔王テレザムの実力もテンションも不透明。だからこそ、命を賭ける瞬間はここにしかない。もたもたしていたら、命が何個あっても足りなくなる。だから俺は冷静に自分の命を使い捨てようとした。
死中にこそ活路有り、だ。
しかし。
〈ツッ、ふぅッ!〉
「おわっ」
何をトチ狂ったのか、ミトナスは魔王テレザムへ一撃入れる事よりも、俺の命を優先させた。体当たりするように突撃してきて、あっというまに死から距離が離れる。
「な、なにしてんだお前! 今のチャンスだったろ!」
〈馬鹿か貴様は! 命が惜しくないのか!〉
「惜しいに決まってるだろうが! でも、死ぬよりおっかない事がこの世にはあるんだよ!!」
(例えば怒ったフェトラスとかな!!)
叫び返しながら魔王テレザムの様子を伺うと、彼はゆったりと立ち尽くしていた。
「えーと……それで? 君は誰なのかな?」
「……人間だよ、魔王」
「そりゃ見れば分かるよ。そういう事が聞きたいんじゃない」
乱戦の結果、立ち並んでいた火柱。
それが落ち着き始めて夜が息を吹き返す。
魔王テレザムはまず、その夜を殺した。
「 【炎柱】 」
ゴッ、といきなり何も無い所に火柱が立ち上がり、周囲が明るくなる。
「ボクは殺戮の精霊・魔王テレザム。そして君は誰かな? ボクが聞いてるのは、君の役割だよ」
魔王テレザムは微笑む。
「君はボクにとっての、何なのかな?」
勝ち目が無い、とまず思った。
そういう意味で、俺はコイツの「敵」ではない。
しかしただ燃やされるだけの「薪」になるつもりもない。かといってコイツに食われる気もない。俺は「餌」じゃない。もう少し上等な表現がいい。そう、例えば。
「俺はお前の、敗因だよ」
「はいいん。へぇ。ほぅ。クスクス。面白い」
魔王テレザムはまるで少年のような見た目をしていた。
茶色に近い長髪。ローブで隠されてはいるが、細身なのが分かる。手足もまだまだ成長が足りないようで、言動も子供のようであった。
だけどクスクスと。そう嗤う様子は疑いようのないくらいに殺戮の精霊のソレで。
なんだか悲しい気持ちになって、俺はミトナスに小声で尋ねた。
「ミトナスさんミトナスさん。あなたの切り札ってどんなもの?」
〈……紫電だ。少し詳しく言うと、あの不可視の刃は帯電性を持っている〉
「はぁ。つまりは雷で切り裂く、みたいな」
〈早く、鋭く、余波が大きい。おおむね必殺だ〉
「なるほど。一緒に殺さないでくれてありがとう」
そりゃ隙を作っても使えないわな。
「普通に一撃入れずに、俺を助けてくれた理由は?」
〈一撃を入れた程度では戦況が変わらんと思ったからだ。故に、お前の話しを聞こうと思った。ロイル。魔王殺しのスーパーアドバイザー。その名は伊達か?〉
「自分から名乗ったことねぇよ」
あと微妙に盛ってんじゃねぇよ。スーパーてなんだスーパーて。
だがこうやって会話をしているだけで、魔王テレザムの事が分かる。
ヤツは俺達の会話に口を挟もうとすらせず、ただニヤニヤと俺を見ている。
街でも、聖遺物ミトナスでもなく、人間を。
「あー。魔王テレザム?」
「なんだい?」
「少しだけ俺とお喋りしてみる気はないか?」
「……どうだろう。あまり興味はわかないな」
魔王を相手に「会話しようぜ!」なんて。俺を抱きかかえたままのミトナスがギョッとしたのが分かった。しかし気にしない。魔王テレザムが俺の言葉に応じたからだ。
「そうか。じゃあまず興味をわかせることから始めよう。お前、いま俺をどうやって殺そうか……燃やそうか、考えてたりする?」
ほう、と魔王がため息をこぼした。
「すごい。どうして分かったんだい?」
「お前は一度人間に襲われた。きっと人間を恨んでいるだろう。そして、お前が街を襲うのは今回が初めてだ。つまり……俺は、お前が《久しぶりに見た人間》ということになる」
「うんうん。それで?」
「ここらの有様を見れば後は簡単だろ? お前は燃やすのが得意だ。大好きだ。なら人間をどう燃やそうか、とワクワクするのは当然の話しだろう」
「そうか。ボクの行動はそんなに分かりやすいか」
少し照れたように嗤う魔王。
「――――分かりやすいついでにもう一つ。お前、そろそろ新しい呪文を試したくなる頃だろ?」
「何もかもが正解だよ人間。【界炎】」
炎が広がった。
魔王テレザムは両手から光の線を放ち、俺達の周囲を取り囲む。そして世界が燃え広がった。
轟、と。
炎の柱が連立……炎の壁が俺達を逃すまいと形成された。
「どんな味がするだろう。どんな臭いがするだろう。どんな色で燃え上がるんだろう。どんな悲鳴が、遺言が、断末魔が聞けるだろう。どんな感情が見られるだろう。どんな気持ちになるだろう。ああ、楽しみだ。ボクは君を逃がさない。せっかく出会った一人目だ。ここで必ず燃やしてみせる」
「ミトナスさんミトナスさん」
〈なんだアホ〉
「状況、悪化しちゃいましたね」
〈 〉
最早ミトナスは返事すらしてくれなくなった。
なので俺は要点だけを一方的に喋るとする。
「ヤツは基本的に俺を襲うだろう。お前が来たら迎撃する、という程度の作戦で動くはずだ」
〈根拠は〉
「あいつ、さっきから俺しか見てない」
〈そうか。で? どうする?〉
「ヤツの魔法パターンは少ない。これはほぼ確信に近い勘だ。しかしこれからは新しい魔法がいくつか飛んでくると思う」
〈ますます厄介だな〉
「いいや、そうでもない。つまり使い慣れてないんだよ」
〈……ふむ〉
「俺は気合いで逃げまくるから、お前はとっとと切り札を使え。最悪、俺を巻き込んで構わん」
〈――――お前が死んだら、フェトラスはどうなる〉
「考えたくもない」
〈じゃあ巻き込むだとか、そんな事を言うな〉
ミトナスは深いため息をついた。
〈そもそも我の切り札、紫雷槍は発動に時間がかかる。おそらく使えないだろう〉
「……まぁ雷系のお約束だよな」
フェトラスが扱っていた「雷閃」もそういう魔法だった。チャージが必要なのだ。
しかしあの魔王テレザムを相手に、そこまでの時間が稼げるとは到底思えない。きっとやろうと思えば即座に消し炭にされるだろう。
しかしヤツは俺を殺すことではなく、どうやって燃やすか、に執心している。ただ殺すための魔法ではなく、ヤツの鬱憤を表現した、《芸術的な焼き加減》を求めるだろう。
と、考え事をしているヒマがなくなった。
魔王テレザムが一歩目を踏み出したのだ。
「……とりあえず、打ち合ってみるわ」
〈分かった。死んでこい〉
「ヤだよ」
〈お前が自殺志願者だというのは、もう分かった〉
「死にそうになったら助けてね」
ふらりとミトナスが俺から離れる。
そうして戦火に包まれた鉄火場に、炎の幕が上がる。
(出来れば精霊服が戦闘形態になる前に殺すッ!)
そんなささやかな希望を胸に、俺は剣を振るってみた。
だが当たらない。魔王テレザムは冷静に剣先を見つめ、器用に避けてみせた。
「そんなに慌てないでほしいな。いまどうやって燃やすか考えてるから、もう少しお喋りしようよ」
「怖すぎるわ!」
「さっきは自分からお喋りしよう、って提案してきたくせに」
「火が大好きなくせに、頭ん中は冷静だなオイ!」
小手先の剣じゃかすりもしないらしい。
では、反撃を喰らう覚悟なら!
必死の剣ならどうよ――――!
炎に照らされた剣がギラリと光を反射する。魔王テレザムは流石に顔色を変えて、俺から大きく距離を取ろうとした。が、逃がさない。二撃目なんて考えてない俺の特攻は魔王の胴体をないだ。
「クッ!」
瞬時に精霊服が呼応する。剣が当たる直前、その攻撃軌道に沿って魔王の白きローブが深紅の輝きを放った。
ガキィン! と、鉄を打ったような音が響く。
「痛いな、もう!」
痛いということはダメージあり。よっしゃ、百万回ぐらいやれば殺せるかもな! そう自分を勇気づけて、次に狙うは首筋。精霊服の庇護が及ばない、露出した部分。
「チッ!」
「と見せかけて顔面だオラァァァ!」
剣に込めた力をふんわりと抜いて、代わりに右手で思いっきりブン殴る。
右目を打ち抜くと、固くて柔らかいような感触を覚えた。
「あああ! 【炎常】ッッ!」
先ほど見たものとは比べ物にならないくらいの炎が、魔王の両腕に宿る。
危機感と熱を覚えたので咄嗟にバックステップで距離を取ったが、魔王は躊躇わずに俺を追撃した。
「痛かった! ああ、そうだね。コレは痛いね! ならばこうしよう!」
炎が宿った両腕。
魔王はその炎を投げつけることなく、拳に宿したまま、俺に殴りかかってきた!
危なっ 熱っ! 怖っ!!
同時に三つぐらいのセンサーが稼働して、俺は反射的に盾で防御した。
そのままガンガンと殴られ続け、やがては盾が持てないくらい熱される。
「ちょ、おまっ」
「ほらほらほらほらほらほらほら!!」
ひどいラッシュだ。
凶悪すぎる。
「新しい呪文はどーしたよ!」
「ならこれを【炎剰】と名付けるまでさ!」
殴られるたびに、どんどん息苦しくなる。
熱が高まり、それはどんどん俺に束ねられていく。
あ。
これ詰んでる。
「助けてミトナス!」
〈紫電槍!!〉
パチパチと、小さく何かが爆ぜる音。
それはすぐに衝撃に変換される。
「ギヤアアアアアアア!!」
「うわっ。びっくりした」
凄い勢いで感電した。
俺はドサリと膝から崩れ落ち、盾も手放した。
意識だけは飛ばすまいと踏ん張ったのだが、どうにも体が痺れて力が入らない。
このまま燃やされる-! と嘆いたが、ミトナスが俺を抱きかかえて再び離脱してくれた。
魔王の呟きが聞こえる。
「あちち。なんかビリッと来たけど……今のなに?」
〈……わざわざ解説する義理も無い。すぐに殺してやるから待ってろ〉
「あは。待たされるんだボク」
魔王テレザムは「ふー」と呼吸を整えて、本当に待ってくれた。
ちなみに俺はまだ痺れてる。
「み、、なす……」
〈落ち着け。今のは切り札の一歩手前……いや、三歩ほど手前だ。命に別状はない〉
「そ、、スか」
〈まぁおかげさまで、せっかく溜まった分を使い果たしてしまったが〉
なるほど。電撃でこうやって痺れさせて、動きが取れなくなった所を本体の槍でブスリ、というのが切り札だったのか。徹底的に槍だなコイツ。
「すまん……やっぱ足手まといになったな……」
〈……それを分かりきった上で死地に飛び出してきたのだろう〉
理由は聞かずとも分かるがな、とミトナスは微妙な表情を浮かべた。
「やっぱ魔王は強ぇな」
〈今回のは相性が良くない。が、別に強敵でもない〉
「勝ち目は?」
〈愚問だな。我は魔槍ミトナス。全ての魔王を屠るモノなり〉
「そっか……すまん。少し休む。回復したらまたちょっかいかけに行くわ」
〈まだやる気なのか?〉
「どうせこの炎の壁からは逃げられないだろ」
俺達を取り囲んでいる炎は、炎柱に比べれば薄そうだが突破は難しそうだ。
全身火傷程度で済めばまだラッキーだろう。
魔王テレザムは強い。
流石は魔王だ。殺戮の精霊は伊達じゃない。
こいつが成長して魔法のバリエーションでも増やした日には、目も当てられない状態になるだろう。
人間に手傷を負わされた魔王。やはり、一筋縄ではいかない。
(――――もしフェトラスが、こいつと戦ったら)
どうなるだろう、なんて疑問が浮かぶ前に俺はその思考を斬り捨てた。
だめだ。あいつはここに来ちゃいけない。
絶対にダメだ。
助けに来るなと言った。
だけど、魔王テレザムが来たらどうすればいいのか、は伝えていない。
だから魔王テレザムはここで殺すしかないんだ……!
俺が静かに覚悟を決めた時。
そして魔槍ミトナスが駆け出した時。
魔王テレザムが両手を広げ、迎撃の構えを見せた時。
助けが現れた。
「ぬおおおおおお熱いーー!! だがこの程度の障害で我が道を阻めると思うなよッ! うおおおお熱いのはどうしようもないがな! せっかくかぶってきた水が、ほとんど蒸発したわ! これが魔法か! それとも魔王の実力か! だが負けはせぬ。我が背負いし家名と誇り、この程度で燃え尽きてなるものか! そう、我が名は――――!」
名乗りを聞かなくても分かる。
相変わらずよく喋る男だ。
ユシラ領自警団・総括団長ガッドル・アースレイ。
その人だった。