2-29 夜を燃やすモノ
ベッドで眠っていると、いきなり身体を引きずり起こされた。
「なっ、何事!?」
びっくりして叫んだら、薄暗い部屋の中に銀色の灯りがともっていた。
「お父さん、ヤバイ」
銀眼。
寝ぼけた頭がいきなり「死」を察知してパニックを引き起こす。だがそれは刹那で収束する。要するにビックリしすぎて逆に冷静になったのだ。
「どうしたフェトラス」
「たぶん魔王テレザムがこっちに来てる」
――――ははっ。マジか。
俺は現実逃避の苦笑いとため息をついて、即座に武装を固めた。
「俺はシリックと合流してくる。恐らくヤツはもう魔王の所に向かっているはずだ。間に合うとは思えないが、とにかく合流する。フェトラス、距離と方角は分かるか?」
「そこまでは分かんない……でも、来てる。近づいてる」
「そっか。てか何で分かったんだ?」
「説明し辛いんだけど……」
フェトラスは少しうなって、こう続けた。
「空気がすごい勢いで逃げてる、みたいな」
恐ろしい表現だった。
「何もかもがしっちゃかめっちゃか。空気が逃げようとしてるのに、引きずり戻されてる……そんな感じ」
「そうか……もう少し聞きたいこともあるが、悠長にお話ししてるヒマはなさそうだな」
王国騎士の武装を身に纏った俺は、深呼吸をして気持ちを鎮めた。
まぁ鎮まるわけもないのだが、ちょっとした儀式みたいなモンだ。
「さて、フェトラス。良い子でお留守番してるんだぞ?」
「……いってらっしゃい」
「いやいやいや。返事しろや。良い子でお留守番してるんだぞ?」
「…………怪我、しないでね」
「ちくしょう。怪我したらスッ飛んでくるってか」
俺を起こしてからフェトラスはずっと銀眼を抱いている。
だがいつぞやのように戦闘意欲が旺盛なわけではない。我も失っていない。これは精神的な理由で発露した銀眼ではなく、肉体的な……殺戮の精霊としての条件反射みたいなものなのだろうか?
同じ区域に、魔王が二体。それがフェトラスに銀眼を宿らせているのだろうか。
もしかしたら人間の伝承に残っていないだけで、野良魔王は案外遭遇率が高くて、存外殺し合ったりしているのかもしれない。しかし少なくとも魔王が共闘するなんて事は人類史上一度も無かった。あったらきっと、人間はとうの昔に絶滅している。
(フェトラスとテレザムが共闘するなんて事は絶対に無いと思うが、魔王同士の殺し合いってだけで余波が凄そうだ。やっぱり参戦は不可。怖すぎる)
気配だけで銀眼が出るのなら、対面すればどうなることやら。
「分かった。かすり傷一つも負わない」
「約束してくれる?」
「約束しよう。だから俺を信じて待ってろ。様子見も許さない」
「分かった。信じる。……行ってらっしゃい」
俺は誓うとは、口にすることが出来なかった。
宿屋から飛び出す。まだ真夜中。人通りは無く、誰も彼もが就寝中のようだ。
しかし俺はすぐに気がついた。東の空に浮かぶ雲が、赤く照らされていることに。
「火属性の魔王……なぜ急に来た? タイミングが悪かったのか? それとも聖遺物であるミトナスに反応したか? あるいは、やはりフェトラスなのか?」
わからん。
わからんが、状況が逼迫していることは分かる。
シリックは実家の方か? あるいは隊の詰め所か? いいや、ヤツなら既に魔王と交戦していてもおかしくない。
答えは東の空の下にある。俺はそちらに向けて走り出した。
そういえば怪我は完治しているようだ。重たいはずの装備だが、問題無く動けている。
「完全武装ってわけじゃないが、ええい、どうせ魔王相手にゃ無意味!」
俺は走りながら様々なシチュエーションを想定した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ずっといた山の方と違って、人間のいるところに近づくと燃えやすそうなものが増えていった。
木。草。モンスター。動物。
適当に燃やしながら、食べながら進んだ。
右の木を灰にし。
左の草むらを焼き払う。
痛いのが怖いから人里には近づかないようにしていたけど、それは間違いだったらしい。
燃やせるものが増えていく。
食べられるものがたくさんある。
燃やしすぎて炭にしてしまい、食べられなくなった。
どうやら気分がいいらしい。以前よりよく燃やせるようになった。
それがまた気分を良くさせる。
星空は見えない。
でも、ボクの【炎常】が世界の闇を切り裂いていく。
慰めの星空はもういらない。
必要な物はこの大地にある。この星にある。セラクタルにある。ボクは天を仰ぐのを止め、次の獲物を探すべく俯きがちに嗤った。
右手の茂みから大型のモンスターが飛び出してきた。
なので、右腕の炎で焼き払った。しかし彼は割と強いヤツだったらしい。身悶えながらも地面を転がり、その身を灼く炎を鎮火させた。
「グルルルル……!」
「やぁ。こんばんわ」
どうやら自分はハイになってるらしい。
目の前の強敵が、とても美味しそうに見える。
「キミは灰にならないでくれよ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔王の気配を感じ取った私は瞬時に覚醒。
それとほぼ同時に武装展開し、完全にシリックの身体を獣のソレに作り替えた。
〈魔王――――!〉
駆け出す。どうやらここは二階らしい。だが関係無い。頭の中は殺意しかない。
我は窓から飛び出して近隣の屋根に飛び移った。
今まで通りだ。魔王は殺す。それだけだ。
〈魔王魔王魔王魔王! 魔王! 殺すッ!〉
絶対に殺してみせる。
この世から全ての魔王を駆逐する。
〈魔王ッ! 殺すッッッ!!〉
しかし。
口から狂乱の言葉がこぼれる度に、沸騰した頭に冷水が一滴垂れる。
我はミトナス。追跡槍ミトナス。魔王を殺す聖遺物。
しかしこの口からこぼれる言葉は、シリックの音色だ。
そのシリックの声が、憎悪をまき散らしている。
〈殺す殺す殺す殺すッ!〉
歪んだそれを聞くたびに、我の心は殺意以外を思い出していく。
何年も契約者を縛り付けたことがある。だけど、こんなにも濃密に契約者の身体で喋ったことはない。
〈殺す……!〉
そうだな。この身体を担うようになって、たくさん喋ったな。
コミニュケーション、というヤツだったか。
たくさんたくさん、初めてのことがあったな。
笑ったりしたっけな。
不思議だな。
〈魔王は殺す〉
うん。そうだね。
〈必ず殺す〉
そして、我の燃えさかる憎悪に、さらなる一滴が。
どうして魔王を殺すの?
〈我は魔王を殺したいからだ!〉
なんのために?
〈殺すために〉
この魔槍の切っ先には、必ず魔王がいる。
だけど我は知った。
この身の前には敵が。
そして思い出したのだ。
我の後ろには、護るべきものがあるのだと。
〈ブッ殺す!〉
それはそれとして、口から出るのは呪詛だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺は「遅かった」とまず思った。
現在位置はユシラ領を出て十五分ほどの位置。
魔槍ミトナスと、魔王テレザムは既におっぱじめていた。
かなり走ったから心臓がバクバクなっているが、それとは違う理由で心臓が鼓動を狂わせる。
それはかつて体験した伝説。
聖遺物と魔王の戦いだった。
しかし派手すぎる。
俺がギィレスとやり合った時は室内だったし、どちらかというと暗殺に近いものであった。
でも、眼前のコレは、どうだ。
魔王テレザムは目に付く全てを燃やしながら歩いてきたのだろう。
山からこちらまで、一直線ぎみに炎の道が出来上がっている。
右手、左手と順番に燃やしてきたが如く。いまだ燃え続けている木々はいずれ山火事を引き起こすだろう。
魔法の残滓。殺戮の爪痕。魔王のレッドカーペット。
そして戦場は最も激しく燃えさかっている。
「ははっ、速いねキミ! 【炎柱】!」
〈殺ォォォすッッッ!〉
シリック――――ミトナスは狼の形態で走り回り、時折あの〈不可視の刃〉で魔王を攻撃しているようだった。だが魔王テレザムは呪文一つでそのトラップを燃やし尽くす。
炎の柱が天に昇り、夜が消えていく。
雲を赤く照らしていたのはコレか?
どうやら徹底的に火属性に特化した魔王のようだ。気がつけば両手に炎を宿している。
〈チィッ!〉
セオリーが通じない焦りか、それとも何か隙でも見えたのか。ミトナスは魔王に突進し、槍を突き立てようとする。
「おっと、危ないあぶない!」
〈――――死ねッ!〉
魔王が突進を回避したのだが、ミトナスは凄まじい追撃を見せた。神速の突きが魔王の身体に吸い込まれていく。
「 【影炎】 」
が、魔王が呪文を口にした瞬間、彼の身体が蜃気楼のように揺らぐ。ミトナスの突きは実体のない幻を散らしただけで、魔王本人はあっさりと後退していた。
舌打ちが聞こえそうな表情のミトナス。
対して、魔王テレザムはその瞳を炎で照らし、真っ赤に染まっているように見えた。
「うん。無理」
遠目で観察していたが、アレに割って入るなんざ無理だ。
かすり傷どころじゃない。余熱で死ねる。
見に徹した結果、両者は膠着状態に陥っているのが分かった。
攻撃パターンというか、戦況の運び具合がほぼ同じなのだ。
不可視の刃を生成。
それを燃やされる。
本体特攻。
かわされる。
それの繰り返し。
疲労はたまるだろうが、お互いに致命傷を負うことは無さそうだ。
時折魔王テレザムが「 【炎常】 」と唱えて両手に炎を装填。そしてそれを投げつけるという戦法も採っていたようだが、素早いミトナスには当たりそうになかった。
余波であたりの物が大地ごとバンバンと燃えているが、その辺もミトナスには通じてないらしい。呼吸とか大丈夫なんだろうか。
「しっかし、参戦出来ないとはいえ……これ、どうなるんだ?」
五分五分の状況。
互いの相性が良いのやら悪いのやら。
これをひっくり返そうとするなら、方法は二つだ。
すなわち根比べ。どっちが疲れ果てるのが先か、という話し。まぁもちろんそんな結末は訪れない。
もう一つの方法。
それは、いつ「切り札」を使うのかということ。
ミトナスが誓ったのは絶殺であって、瞬殺ではない。故に切り札を温存してしかるべき。
対して魔王の方はどうだろうか。
天から降り注ぐヴァベル語にて名前を授かり、人間に対する復讐心で研ぎ澄まされた炎という牙。
――――だがそんなステータスから考えるに、扱う魔法の種類が少ないのが気になる。バリエーションが豊富ではないのだ。確認出来ただけでも四つぐらいしかない。
炎常。両腕に炎を宿す魔法。
炎柱。炎の柱を出現させる魔法。
影炎。自分の身体を蜃気楼のように揺らめかせる回避のための魔法。
そして炎束。どういう理屈かは分からないが、背中から炎が吹き出して自身を加速させる魔法。使い方によっては追撃者を焼き尽くしながら逃げ切るという、攻防一体の魔法だ。
わからん。
ヤツの切り札が、想像出来ない。
炎という、完全攻撃特化な属性のくせに、攻撃的な魔法が無いのだ。
炎常と炎柱は攻撃魔法とも呼べるが、すくなくとも俺が知っている炎魔法に比べるとぬるい。
「ギィレスも火属性を主に使ってたけど……戦い方がまるで違うな」
まぁギィレスは国家を形成するクラスの魔王だったし、あちらの方が凶悪なのは当然なのだろうが。
ということは、魔王テレザムの切り札は、ギィレスのそれよりも劣るだろうか?
「――――まぁ、そうだとしても俺にゃ無理だな」
カウトリアがあったとしても、難しい気がする。
人生三体目の魔王。
テレザム。
かつての強敵に比べると弱いが、いやはや、あれを人の手だけで倒そうと思うなら、最低でも五百人の精鋭が必要だろう。
そうこうして俺は戦況を見守っていたのだが、ある事に気がついた。
気がついてしまった。
「えっと……もしかして」
気がつきたくなかった。
こいつら、どんどんユシラ領に近づいていってる。
「中々燃えないねキミは!」
〈死ぃぃぃねぇぇぇぇ!〉
「ははっ! いいよ、どんどん邪魔してくれ!」
〈殺す殺す殺す殺ス!〉
「だけど、そろそろいいかな?」
〈!〉
「キミを燃やすのは楽しそうだけど」
〈貴様……!〉
「この距離なら、燃やせそうだ」
魔王テレザムは左腕に残った炎を投げつけた。
それはミトナスを通り過ぎ、茂みに隠れていた俺の頭上を通り過ぎ、ユシラ領の近隣にあった牧場の柵を燃やしてみせた。
「あは! 当たった! 当たった! 燃えた! はははははは!」
〈殺すッ!〉
「いいよ、踊ろう。もっと踊ろう! 実に燃やし甲斐がある。キミも、人も、街も!!」
(このままじゃコイツら、ユシラ領のど真ん中で戦争しそうだ。街が燃える。宿が燃える。フェトラスが、来る。それはダメだ。絶対にダメだ。ならばどうする。俺は戦えない。絶対に勝てない。ならばどうする。ああ、もう。コレしかないのか)
俺は固く剣を握りしめて戦場に躍り出た。