2-28 誰も知らない内に回る世界
「というわけで明日、魔王テレザム討伐に向けて俺は出発する」
宿屋に戻った俺はフェトラスと再会するなりそう言い放った。
「というわけで」
「うむ。そういうわけだ」
俺が両腕を組んでそう言うと、フェトラスは怪訝な表情を浮かべた。
「……説明になってないんだけど」
「まぁな。これは言ってしまえば決定事項なんだよ」
俺が淡々と言うと、フェトラスは俺のマネをするかのように両腕を組んでうなった。
「全部ちゃんと話すって約束……誓いだったと思うんだけど?」
「もちろん忘れちゃいないさ。だけどまず、話しの結論だけを提示させてもらう」
「結論?」
「俺はシリックと魔王テレザムの討伐に向かう。そして、お前はここでお留守番をしてもらう」
そう伝えると、フェトラスは激烈にシブい表情を作った。
「決定事項、ね……。わたしが納得するかどうかは、お父さんにとって大した問題じゃないってこと?」
「その表現は大いに語弊があるんだが……ただ、分かってほしい。俺はお前を連れて行きたくない」
俺は一度だけ言葉を切って、真っ直ぐにフェトラスを見つめた。
「絶対に、連れて行きたくないんだ」
果たしてその言葉はフェトラスに届いてくれたのだろうか。彼女は不満げなため息をつきながら、やがて諦めたような声を発した。
「むぅ。どうあっても連れて行く気は無いってことだよね」
「その通りだ。すごいなフェトラス! ゴリ押しの説得だったのに通用するとは! 流石は俺の娘! 理解が早くて助かる! お前のそういうとこ好き!」
褒めて伸ばすが俺の方針である。
フェトラスは顔を赤らめた。
「ほ、褒めたからってわたしが納得すると思わないでよね!」
「いやいや。しないと思うよ。でもここで納得してほしい。そうしたら俺の中でのフェトラスの評価が急上昇して、凱旋のあかつきには領主の館で盛大なパーティーを開くだろう。美味い物食い放題だぞ」
「ご飯で釣ろうとしてる!?」
「釣れたらいいなと思ってる!」
「くー!!」
「うはははー!!」
悔しそうに地団駄を踏むフェトラスに、俺は引きつった笑いを見せる。
「まぁ実際、真面目な話。お前が魔王テレザムと会ったらどうなるか分からない、と言うことが最大の理由だ。魔王同士が邂逅する話って、実はほとんど無いんだよ。危険度が読めないから、ここは大人しくしておいてほしい」
同じ区域に魔王が二体。そんな状況は史実では数える程しかない。魔王同士の交戦記録なんて、眉唾物の冗談しか存在しないのだ。
小説や演劇の中ではたまーに見かけるが、内容がブッ飛びすぎてシュールギャグみたいな扱いを受けることうけあいだ。そもそも創作物で魔王を出すと言うこと自体が、現実とかけ離れているという風潮がある。
絵本クラスなら許されるが、真面目に魔王を語るとなると、人間の手に負え得ない。魔王という名の殺戮の精霊。ソレが今までに何人の人間を殺してきたのか? 『きっと神様が殺した数より多いだろう』と言われている程の存在を物語に登場させるには、卓越した文章力かアイディアが必要になる。だから普通の人間は魔王を創作物に出したりしない。
「特に今回は、聖遺物であるミトナス=シリックが絡んでいる。お前の気持ちは分かるが、それでもな。……頼むから大人しくしてて欲しいんだ」
「わたしが行ったら迷惑ってこと?」
「迷惑で済めばいいなぁ、って程度にはビビってる」
「…………むぅ」
絶対役に立つのになぁ、とフェトラスは小さくこぼした。
そのぼやきに対し、俺は素直に思う。
(確かに。お前が本気で戦えば、魔王テレザムなんて瞬殺だろう)
宮廷料理を願うまでもない。恐らく、タイミングさえ完璧ならば『豚を丸焼きにする』ぐらいの労力で魔王討伐は成されるだろう。
しかし。しかしだ。それは果たして良い事か?
同族殺し。フェトラスのメンタル。レベルアップ。力の暴走。返り討ち。銀眼への覚醒。
不安要素やデメリットが多すぎるし、甚大すぎる。
メリットは「魔王テレザムの討伐」と「もしかしたらシリックの解放」の二点しかない。対費用効果が極悪に劣悪。
故に、フェトラスが戦う事に賛成は出来ない。
そんな一連の、俺の思考を説明すれば、フェトラスは納得するだろうか?
それとも、全ての事柄に対して反論を述べ、同行を強く願うだろうか?
分からない。言ってみないと分からない。既にフェトラスは幼児ではない。幼くとも、自我を確立させた一個の意思が確かにある。つまり単純な相手ではないのだ。きちんと戦略や意図を持って説得に当たらないと、最悪の事態に陥る。しかも容易に。
かと言って誤魔化したり騙したりするのは彼女に対し不誠実だろう。
そしてその不誠実さは、近いか遠いか分からない未来で、確実にしっぺ返しを俺に喰らわせるんだと思う。もしかしたら最悪のカタチで。
だから俺は、真摯に彼女にお願いするのだ。付いてこないでくれと。
「フェトラス。俺はさっき『どうなるか分からない』と言ったが、『想定しているパターンの全てが最悪』と言い換えてもいい。要するに何が起こるかは、なんとなく想像がついてるんだ」
「さいあく」
「お前に説明したくもないぐらい、最低な結末を俺はいくつか思い描いている」
人間が育てた狼が群れ遭遇して、野生に帰るように、フェトラスがテレザムに刺激され魔王として目覚めてしまったり。
強者と強者の魔法がぶつかり合い、周辺一帯を壊滅させたり。
フェトラスが死んでしまったり。
銀眼ですら世界の危機だというのに、ソレを超えてしまって――――文字通り、全てを統べて殺してしまう――――殺戮の精霊の本分が果たされたり。
魔王テレザムがフェトラスにビビって軍門に降る、なんてのはメルヘンチックすぎる。魔王が徒党なんて組んだら、世界は三日で荒野になってしまう。
どれもこれも可能性はそれぞれ低い。
しかし、どれか一つでも起きてしまえば、致命的だ。
例えば、俺の考えられる最悪の事態が起きる可能性が1%だとしよう。そして、そういった類いの最悪があと98個あるのだ。どうしようもない。
もちろん完全無欠のハッピーエンドも用意されているのかもしれないが、そのたった一個の希望は、残りの九十九個の絶望を鮮やかに彩るためだけに存在している。
「……とりあえず、誓いを果たそう。お前が去った後なんだが」
俺は事細かにシリックとガッドル団長とのやりとりを説明した。
何が起きたのか。どういう方針が採られたのか。彼は、彼女は、どんな感情を抱いたのか。
そして俺が何を思ったのかを、正直に話した。
「――――というわけだ。分かってくれ。俺は臆病だから、お前が戦場に行って起こりうる可能性の全てが恐ろしいんだ」
俺が持てる限りの全てをぶつけた。ここで降りてくれと、心底願った。
しかしフェトラスは、不安でいっぱいの俺の言葉に、こう続けてくれた。
「分かった。要するにお父さんは不確定要素を減らしたいんだね」
「は」
目が点になった。
「お前……すごいな。自分が絡んだ話なのに、そこまで正しく自己評価が下せるのか」
素直に感心した。これは、子供の思考ではない。
「うーん。この宿屋さんに来てずっと考えてたんだ。わたしは一緒に行きたいのに、お父さんがそれを許してくれない理由を。わたしはきっと何かの役に立てるはずなのに、お父さんは連れて行かないってずーっと言い続けてる。その理由は何だろう、って」
「おう……」
「優しく表現すると、お父さんはわたしのためを思ってそうしてるのかな、って。わたしが怪我をしたり、嫌な思いをしたり、もしかしたら銀眼を通り越して――――また……お父さんとケンカしたりするかもしれない、とか。そういうイヤな事態が起こらないように、わたしを関わらせないようにしてるのかなぁ、って」
「その通りだ」
「そんな事になったら、わたしはテレザムさんよりも厄介な存在なのかなぁ、って」
「厄介なんかじゃない」
俺は思わず大きな声を出した。
「いいか、それは違う。……本質的には正しいのかもしれないが、違う。何故ならお前も俺も、そんな厄介事は望んじゃいないからだ!」
「…………そうだね。今のはちょっとズルい言い方だった」
「お前の言い分は、とても正しい。理屈が通ってる。だが俺の感情を全く考慮していない。いいか、確かに俺はお前が暴走することを恐れている。不確定要素を排除したがっている。でもな、それは決してお前が厄介だからじゃない。今のお前がソレを望んでいないから、排除したいんだよ」
「……………………」
「…………大きい声を出してゴメンな」
俺は素直に謝り、フェトラスの想いを引き出すことに再び専念する。
「優しい表現、って言ったけどさ。じゃあ強い表現だとどうなるんだ?」
「…………思ってることをそのまま言ってもいい?」
「いいよ」
「怒らない?」
「絶対に怒らない」
「…………あのね。もし、わたしがテレザムさんと会って、何かが起きて、テレザムさんよりもわたしが『厄介な』ことになったら」
部屋の空気が凍り付いた、
「お父さんとミトナスは、わたしを殺すのかなって」
俺は無言でフェトラスを抱きしめて。
そのまま関節技を決めた。
「あいたたたたたた! 痛い! すごく痛い!」
「ほーれほれほれ。存分に痛がれ。その苦痛、俺の胸に訪れた痛みの一割にも満たないと知れ」
「いたたたたたァッ! 折れる! 肘が折れるゥ!」
「俺の心の痛みは、その百倍と知れ」
「十分じゅうぶん!! もういい痛たたたたたた!」
本気の懇願だったので関節技を解除。俺はそのままフェトラスに頭突きをして、そしてようやく優しく抱きしめた。
「アホウめ」
「うう、ひどい」
「半泣きにでそんな哀しいこと言うんじゃねーよ」
「だってぇ…………」
「ばーか、アーホ、とんまー、まぬけー」
「ひどい」
フェトラスの頭を優しくなでながら罵倒すると、彼女はクスクスと笑った。
「結局、連れて行ってはくれないんだよね?」
「おう。大人しく待ってろ」
「分かった。ちゃんと大人しくしておく。でもね」
フェトラスはトンと足音と立てながら俺から離れた。
「その代わり約束して欲しいんだ」
「なんだ」
「怪我しないでね」
「任せとけ」
「怪我したら許さない」
ニコニコしてる。
でも目が笑ってねぇ。
「……あー。怪我って、どの程度まで許される?」
「かすり傷の一つも、許さない」
(無理すぎる)
いや本気で無理だ。人間に襲われた経験を持つ魔王相手に、かすり傷の一つも負うな? そりゃつまり魔王に近づくなと言ってるに等しい。
「……最初はシリックが魔王テレザムと交戦する」
「うん。聖遺物」
「シリックは自信ありげだったが、万が一の場合は、俺がミトナスを使って魔王を倒すことになると思う」
「ふーん?」
「その万が一の状況になったら、多分俺は怪我をする」
「だーめ」
「無茶苦茶言うなよ。怪我をしない戦いなんて、神様でも無理だぞ」
「わたし神様に会ったことないから分かんない。とにかく、絶対に怪我をしないこと。それがわたしがここで大人しく待つ条件」
気がつけばいつの間にか、フェトラスは俺に対して交渉を開始していた。
「お前なぁ。条件て」
「わたしばっかり我慢するのは、ふこーへーだよ」
「お前の為を思ってだな」
「わたしはお父さんの為を思って、だよ」
いかん。話が速攻で平行線をたどっている。俺は早々に妥協した。
「じゃあどうしろっていうんだ? いいか、俺は絶対にお前を戦場へは連れて行かない。何故なら危ないからだ。お前も、もしかしたら俺も」
「そんな危ない場所にお父さんだけ行かせるなんて、わたし耐えられないっ」
「お前が行ったらもっと危なくなるわ。まず戦いに集中出来なくなる。魔王を倒すことじゃなく、お前を守り抜くことが目的になっちまう」
「じゃあ距離を取って、魔法でお父さんの援護をするよ。それなら大丈夫でしょ?」
「魔法ねぇ……実際のところ、お前ってどのぐらい魔法が使えるんだ?」
思い返せば、こいつがどの程度魔法について使いこなせるのかを俺は理解していない。
最初の魔法は、火を熾そうとして洞窟の中を温めた。そして木の枝を灰にした。
やがては安全に火を熾す魔法を使いこなすようになった。
釘やノコギリを作った。
【食べ物シリーズ】では絶大なる破壊を見せた。
空を飛んだ。
楽に墜ちた。
よく分からないが、アルドーレ漁村に瞬間移動までしてみせたっけか。
そして銀眼。あの時は、なんだか色々な魔法を使っていた気がする。
炎閃。雷閃。雷閃走閃。空蛇。魔人を造り(あ、この辺は月眼か)
大地を操りミトナスを拘束したり。攻撃を防いだりもしてたっけか?
つまり……そう、銀眼の時は多彩な魔法を使いこなせるようだが、通常の状態だと、どうにもあやふやだ。
「お前が初めて魔法を使った日の事を覚えているか?」
「うん。覚えてる。……きっと一生忘れないよ。魔法は完璧に使いこなすもの。危ない物を、安全に使いこなすこと」
「それが分かってるならいい。そしてそれを踏まえた上で、お前が完璧に使いこなせる魔法ってどのぐらいある?」
「完璧って言うと、実はあんまり無いかも……だいたい、その場の勢いで組んでるから、再現が難しいのが多い気がする」
魔法については造詣が深くないので何とも言えないが、そういう物なのだろう。
しかし「その場の勢いで組む」って何だ。適当かよ。
「釘とか道具を作るのは、まぁちゃんと出来ると思う。いっぱい作ったし。あとは火を熾すのと
……………………あ、あははは……」
フェトラスは「完璧だって胸を張れるのはその二つぐらい」としょんぼりした。
いやはや。
完璧という言葉に対する姿勢が、とてつもなく実直だ。
「ち、ちょっと練習すればすぐ完璧になる魔法は多いと思うよ!」
「最高だなお前。思慮深く、謙虚で、何より正直だ。それはお前が獲得した美徳だ。父親としてではなく、一人の個人としてお前のそういう所は素直に尊敬する」
真面目な顔をしてそう言うと、フェトラスも表情を凜とさせた。
「そうだな。練習を重ねれば、いつかお前も戦力に数えていい日が来るかもしれない。でも忘れないでほしい。例えお前が世界で最強になったとしても、それでもやっぱり俺はお前に戦ってほしくないんだよ」
「どうして?」
「娘を戦わせる父親に、俺はなりたくないからだ」
「……お父さんを守る娘なら?」
「ハッ。小娘如きに守られてたまるか」
俺は自信満々に言い放った。
「そもそも戦いたくねぇんだよ俺は。でも今回は、乗りかかった船だ。お前がミトナスに追われるのがイヤだから試行錯誤した結果がコレなんだよ。だから遂行する。そうじゃなきゃ俺はただのペテン師だ。そんな無様を晒して生きるのは、どうにも居心地が悪い」
「うー。言ってることは分かるけど……」
「まぁ今回は耐えてくれ。お前の魔法も練習不足だし」
「…………分かった」
「そんで、願わくばこれが俺の人生におけるラストバトルであって欲しいもんだ」
「………………そうだね」
「はい、じゃあお話をまとめますよー。お前はここで大人しく俺の帰りを待つ。そして俺は、出来るだけ怪我をしないようにする。以上だ」
「………………………………うん」
長い沈黙の後、フェトラスは頷いた。
やれやれ。コイツは本当に正直だ。
フェトラス自身は気がついてないようだが『何かあったら全力を出す』と、その銀眼が語っている。
銀眼。
何度見ても恐ろしく。
そして美しい死の色。
逆に言えば、何も無かったら、何も起きない。
(ここが落としどころかねぇ……)
きっと、言って聞かせられるものではないのだろう。危ないから走るなと言っても、駆け出してしまうのが子供だ。
そして転んだり怒られたりして、走ってはいけない理由を身体で覚える。
こいつの場合は、転んだ後に何が起こるか分からないという爆発物めいた特性を持っているせいで悩ましいのだが。
(まぁ結局の所、シリックが魔王テレザムを完封しちまえばいいだけの話だ)
期待はしていない。
何かが起こると想定して動くべきである。
しかし、想定しすぎてこんがらがるようじゃ本末転倒だ。
「……そろそろ飯でも食いに行くか」
「うん!」
パッと笑顔の花が咲く。
黒いおめめのフェトラスは「ソーセージ!」と元気に片手を上げながら叫んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜がきた。
ここはさむい。
温かくなるためにいろいろ燃やしてはみたけど、もうこの辺に燃えるものはない。
たわむれに岩を燃やしてみたら、熱すぎてこまった。
どろどろに燃える赤いみずみたいだ。
少しはなれた所にいると具合が良かったけど、なんだか落ち着かない。
どうしてボクはこんなことをしているんだろう?
ニンゲンに付けられた傷はもう治った。痛くない。でも思い出は痛い。こわい。
赤いみずから目をそらして、夜空を見上げた。
星が、みえない。
どうやら目が灼かれたらしい。
ちらつくのは炎の残像ばかり。
すぐに治まるんだろうけど、今は星が見えない。
ボクは哀しくなってクチビルをかんだ。
さみしい。
かなしい。
どうして?
ボクが何をした?
たぶん何もしていない。
なのになぜ、ニンゲンはボクを?
何をした……何をしていた……何もしていない……歩いてただけだ……何もしてないのに……
何を…………ボクは………………
――――じゃあボクは、何が出来るのだろう?
最近、ずっと唱えている魔法がある。
【炎常】
炎を両手に宿して、維持。
それを放つと狙ったモノがよく燃える。
どうしてこんな事が出来るのかは分からない。
けれど、ボクは燃やすことが出来る。きっと、いつか、何もかもを。
今までのボクは何もしていなかった。
そして今は、出来ることがある。
では尋ねよう。
ボクは、何を燃やしたい?
寂しさを癒やす星空は、もう見えない。
ボクは立ち上がり、遠くの方に見える小さな灯りを……ニンゲンが住んでいると思われる場所を目指して、歩き始めた。
全てを燃やそう。
この痛くて怖い思い出を燃やそう。
寂しさと哀しさを燃やそう。
人間を燃やそう。
こうして、ユシラ領は炎に包まれることになる。