2-27 折れない槍を折る方法
今から出発する、というシリックに対して、俺は何と声をかけたらいいか迷った。
まず彼女の視線が〈これ以上は譲らない〉と断言している。確認を取るまでもない。
そして心情的にも理解は出来る。むしろ、よくぞここまで我慢したと言って良いだろう。本来ならばこの地に着いた瞬間に、単独で飛び出すことも可能だったのだから。
そうしなかったのは、シリックに義理を果たしたとみるべきか。
それとも、もしかしたら、フェトラスと距離を取ることを恐れたのか。まぁその辺は確認しないでおくとするか。わざわざ草むらをかき分けて毒虫に刺されちゃたまらない。
だがやはり止めねばなるまい。
「シリック。今からと言ってもだな、部隊編成すらまだ始まってないんだが」
〈一時間もあれば出来るでしょう。ですよね、団長〉
「うむ! まぁ誰でも良いというのなら、可能だ。しかし万全を期したいのでやはり明朝に出発とする」
〈――――交渉不成立。では私は一人で行きます〉
「まぁ、待てよ。そんなに急いでどうする」
〈貴方に危機感はないのですか? 魔王テレザムがどの程度回復したのか、どのぐらい人間に殺意を抱いているのか。もしかしたら、まさに今、この街に向けて魔法を放とうとしているのかもしれないのに〉
それは先ほど、フェトラスが指摘して通りの内容だった。
だが、なんだろう。違和感がある。
その口ぶりは「さっきフェトラスがそう言ってたじゃないですか」という言葉が省略されているのではなく、まるで「本能的に危機感が強まった」ような気配だ。
先ほどガッドルと打ち合った際に、聖遺物のチカラを使用した際に、何かを感じ取ったのだろうか。
「魔王が今すぐにでもやって来る……そう言われると答えにくいが。でもお前の言ってることが事実だとは証明は出来ないだろう?」
〈最悪の推測が打ち立てられる今、その最悪を想定して動くのは当然では? それを見過ごすに相応しい理由を、私は怠惰以外に知らない〉
「辛辣なこって」
俺はやれやれと肩をすくめ、ガッドルの方に向き直った。
「ちなみに一時間後だと、何人編成になる?」
「そうだな。六人ぐらいだと思われる。隊としてはかなり小規模だ」
「明日だと?」
「十二名だ。メンバーも具合が良いのを選べる」
「よし、決まりだ。シリック。やはり今すぐというのは却下だ」
〈……却下? いま貴方は、却下と口にしたのですか?〉
誰に口をきいているのかと。ぶわり、シリックが怒りのオーラを纏う。
俺はそんな彼女に近づき、耳打ちをした。
「っていうか、今から直で山岳地帯に向かうとなると、フェトラスを完全に置き去りにする形になるぞ」
〈……あ〉
「俺すらも置き去りにするというのなら、まぁ、フェトラスの方は大丈夫としても、お前が打てる保険が成立しなくなる」
〈……むむむ〉
「断言するが、今から黙って行ったとしたら、フェトラスは確実に魔王テレザムを目指すぞ。ついでに不機嫌な様子で」
少し離れて「な?」とシリックに苦笑いを浮かべてみせる。
〈…………では、二時間後で〉
「そもそもだ。二時間後っていったら行軍に支障が出るぞ。夜になるぞ。つーかお前、魔王テレザムがどのぐらい離れた所に根城を作ってるかとか、その辺は押さえてるのか?」
〈必要ありません。どうせ見つける〉
「あー。そうか、追跡能力があったんだっけか。でも果たしてそれは魔王テレザムに有効か?」
お前が最初に目星を付けたのは、魔王フェトラスなのに。
言外にそう含ませると、シリックは沈黙した。
「ただどっちにせよ、そんなんじゃ俺は同行出来ないな。今のお前は獲物に突進するイノシシだ。付き合いきれん」
そう言い放つと、シリックは哀しそうなため息をついた。
〈では、どうしろと? 準備が整うのを、朝が来るのを大人しく待てと? 無理だ。きっと押さえられない。私は我慢ならない〉
「そこを何とか……」
〈無理だと言ったであろう! いいか、今この瞬間にも魔王が人里に降りてくるかもしれないのだ! 空を飛ぶか? 遠距離から火球を放つか? 魔族の群れと邂逅し、一挙に軍団を編成するかもしれないとは、考えられないのか!?〉
悲痛な絶叫だった。それは焦りだった。
この街の人を護れないかもしれないという、恐怖を伴った焦燥。
〈幸い、魔王は今私の知覚外にいる。つまりそこまで距離が近しいとは思えない。だが相手は超常の者。殺戮の精霊・魔王! 逆に不思議だ。お前達は何故そこまで悠長に物事を考えられるッ!〉
鋭い叫びが放たれ、その後に訪れる静寂が強調される。
〈……こんな気持ちで、夜を越せだと? 無理だ。逆に疲れてしまうよ〉
そう呟いたシリックの姿が、鎧を纏っていく。
魔槍ミトナス本来の姿。戦闘形態だ。
彼女が全力で駆け出してしまったら、もう止められる者はいない。
(やむを得んか……)
そうため息をこぼし、俺が「分かった」と言いかけた瞬間、ガッドルが口を開いた。
「シリックよ。俺はお前に聞きたいのだが」
〈……なんだ〉
「その聖遺物は、歴戦の勇者なのだろう? 何体もの魔王を屠ったと聞いたが」
〈その通りだ〉
「此度の魔王とは、そこまで警戒に値するほど強いのか?」
は? と疑問符が口から出そうになった。
なに言ってんだこのオッサン。
〈魔王が強いのか、だと? ははっ、たしかにこの槍の切っ先が貫いてきたかつての強敵と比べれば、確かに魔王テレザムは弱かろう。しかし魔王だ。三分後には信じられないぐらいの成長を見せることもある。故に、迅速に狩るべきなのだ〉
シリックの言う通りだ。
そもそも魔王の強さを問うということ自体がバカらしい。――――魔王は、強いのだ。
「ふむふむ。聖遺物として、強者として驕っているわけではないと」
〈無論だ。臆する理由は無いし、放置すると面倒な事になる可能性がある。それだけだ〉
「なるほど。こりゃあ止める理由が見当たらんわ。がははは!」
頭がおかしくなったのだろうか、と不安に思うぐらい、ガッドルの笑い方は豪快だった。
「何がおかしいんだ?」
「なに。盲人に空の色を問うな、というヤツだよ」
ガッドルはカップに手をかけ、それが空だと気づき、少し残念そうな顔を浮かべた。
「シリック。我々自警団は、魔王の現在位置をおおまかだが把握している。また、現在の魔王がどの程度の強さなのかも推測を立てている。聖遺物と混ざったお前には無用な情報かもしれんが、ともあれ戦うのに必要な情報すら確認せずに出るというのは、自信過剰であろう。驕っていない? そうかもしれんな。だが今のお前は、ただ焦りを制御出来ない子供に見える」
突然煽ってきたガッドルに対し、シリックは冷静に答えた。
〈団長、魔王との交戦経験はおありで?〉
その身は既に、完全に戦闘形態である。
「無い! あったらここにはおるまい」
〈愚者だけが賢者を笑う。こと魔王に関して私に説教するつもりなら、それはとんだ思い上がりだ〉
「そうだな。故に愚者として振る舞うとするか」
ガッドルはニヤリと笑った。
「では、俺は今から即座に編成をすまし、お前を置き去りにして魔王の元に向かうとする」
「はぁ!?」
「大声出しながら『魔王倒しに行くから、死にたいヤツは付いてこい!』って言えば、おそらく三人程度はついてくるだろう。まぁ何人でも構わん。シリックよ。聖遺物よ。お前の足がいかに速かろうと、情報という利点を持つ我らは、お前よりも先に魔王を倒す事にする」
すごい自信だった。
もしかしたら、シリックよりも先に魔王にたどり着くことは可能なのかもしれない。ある程度の根城を押さえていると言っていたしな。
しかし魔王討伐は。
……出来るわけねーよ。
「自殺行為だと思うが」
「そうかもな。まぁその時は仇討ちを頼む」
〈無駄死にすることに、なんの意味が?〉
「これは脅迫だよ、聖遺物」
ガッドル。
アースレイの者。
彼はこう言った。
「お前は我らを護りたいと、そう言ってくれた。ありがとう。故に俺は卑怯千万にもこう告げるのだ。『お前が大人しく朝を待っていれば、誰も死なずに済んだのに』と」
〈――――。〉
「団長を失い自警団はオロオロして、通常業務にも支障が出るだろうなぁ。さっきは俺が死んでも問題無い的な事を言ったが、やはり混乱は生じる。悲しむ者も少なからずいてくれることだろう。特に妻は……うむ……想像すると少しばかり足が震えるが、とにかく。聖遺物よ。俺が何を言っているか分かるか?」
〈――――――――この地は、あくまで自分たちの手で護りたいと? いきなり現れた聖遺物と、若造に全部任せて魔王討伐などさせられない。そう、つまり恥知らずになりたくないと?〉
「なんだ。完璧に通じておるではないか。煽り甲斐のない」
「シリック煽ってどーすんだよ」
「だがおかげで分かったぞ。聖遺物よ。お前を止める方法が、俺には分かった。何だかんだこうして話しを聞いてくれているわけだしな」
ガッドルは丁寧に頭を垂れた。
「つまり俺は、こう言えばよいのだ。――――俺達の誇りや矜持なぞ、お前にとっちゃ知ったことではないのだろう。だが、頼む。これは必要なことなのだ。我々が欲しいのは未来への武器だ。次の魔王が現れた時のために、俺達に経験を積ませてほしい」
はっ、と息を呑んだ。
そうか。魔槍ミトナスはずっとこの街にいるわけではない。
次の魔王なんて数十年待っても出ないだろうが、あいつらは前触れも無く突然生じる精霊だ。過去の文献によると、人間の城下町で発生したというケースもあるらしい。
そう考えるなら、次世代に魔王との交戦記録を残すことは、この自警団にとって非常に有益なことだろう。いいや、この自警団に限らない。人間全体にとって有益だ。
この提案に対し、シリックはその鋭い眼差しでガッドルを睨み付けていた。
〈貴様――――〉
「お前は魔王テレザムを狩れば、次の魔王を目指すのであろう。それはいい。己の本分を全うすればいい。だが次に魔王が現れた時、きっとお前はここには居ない。だったらどうすればいいのだ? また偶然聖遺物が見つかることを期待して、右往左往すればよいのか?」
〈それは――――〉
「シリックよ。聖遺物よ。魔槍ミトナスよ。どうか、共に未来の魔王を討つための協力をしてほしい」
頭をさげきったガッドル。
呆然と立ち尽くすミトナス。
〈…………ずるい〉
それは彼女の、敗北宣言でもあった。
戦闘形態を解いたシリックは深い、それは深い深いため息をついて、天を仰いだ。
〈落ち着かない。ロイルさん、申し訳ないのですがお手合わせ願えますか?〉
「えっ。俺?」
〈ちょっと話したいこともありますし〉
「いいけどよ……」
「なに! では話しを聞いてくれるのか! 俺達に機会を恵んでくれるのか!」
〈白々しい。団長、あなたは酷い人だ。適当に喋ってるくせに、正解を見つけるとなると猟犬みたいにソレに食らいつく〉
「ふはははは! 妻もそうやって墜としたのだ!」
〈貴方の奥さんが可哀相だ。貴方のような者に目を付けられたら、逃げるのが難しい〉
「バカめ。家庭内では既に主導権を握られておるわ!」
幸せそうにガッドルは笑った。
広場の一角を借りて、先述の通りシリックと手合わせをすることになった。
魔槍ミトナス 対 元・英雄
なお俺は手持ちの騎士剣ではなく、自警団にあった剣を借り受けることにした。俺の相棒を欠けさせるわけにはいかないからな。
『もしかしたら折れるかも』と言ったら、それなりにボロい剣を渡された。
「ちなみに聞いておくが、本気じゃないよな?」
〈適当に打ち合って、段々スピードを上げていくつもりです。ああ、ロイルさんは最初から本気でも構いませんよ〉
そう口にしたシリックは何やら集中するポーズを取った。そして人間の身体を保ったまま、魔槍ミトナス本体から発生した鱗みたいなものをその身に纏わせた。鎧モードだ。
〈…………ん。成功しました〉
「おお。さっきも見たけど、器用なことするよなお前。鎧みてーだが、実際どんぐらいの強度なんだ?」
〈事実、防具です。性能は普通の鉄とは比べ物になりません。なのでお気軽に打ち込んできてください〉
なるほど。こんな剣じゃ傷を付けることも難しいだろう。ただ打ち込んだ際の衝撃は肉体に付くはず。シリックに青あざをこしらえるのは本意ではない。
俺はなんとなく模擬戦のプランを固めつつ、構えた。
「じゃあ、最初は軽めにいってみるか」
〈はい、どうぞ〉
相手の獲物は槍である。いかに距離を詰めるかが勝負の肝であり、中距離以上を保っても勝ち目は無い。
俺はシリックを観察しつつ、話しかけた。
「それで、なんか内緒話がしたいとか」
〈フェトラスのことです〉
「ほう」
〈彼女は置いて行くのですよね〉
「無論だ。もしヤツが俺の制止を無視して戦いに乱入してきたら、どうしようもなくなる」
答えながら、軽く斬りつけてみた。
彼女は槍の柄でうまくそれを受け流しつつ、細かな足裁きで俺と距離を取った。なので即座に詰める。
足払いの機会をさぐるために、上半身に向けてのみ攻撃を放つ。シリックはそれを受け止め、はじき返し、受け流し、時には綺麗な回避も見せた。
ふむ。……普通に強いな、ミトナス。
俺は一端距離を置いて、再び口を開いた。
「もしフェトラスが魔王と対峙すれば、おそらく銀色になっちまう。それは自警団の連中にはもちろん見せられない光景だし、何よりお前がどうなるか想像がつかない」
〈……冷静であれば、見逃せるかもしれません。しかし戦いが白熱すればするほど、私の思考は聖遺物としての本能を遂行するでしょう。つまり危険度の高い方を優先する〉
「フェトラスが共闘の姿勢を見せても、お前が我慢出来るかどうか自信が無いってこと……か!」
会話しながら再び攻撃を放ってみる。
〈そうですねっ、と。多少冷静になった今なら分かる。もし私が一人で行っていたら、あの子は……フェトラスは私を追ってきたかもしれませんね〉
シリックはそれを適切に処理した。基本的に受けに回っているらしく、彼女からの攻撃はとても少ない。なので俺は打ち込みながら話しかけた。
「どうだろうな。俺が押さえれば止まるかもしれんが、逆にけしかけちまえば必ず向かうと思う」
〈そのような未来は、あったと思いますか?〉
「悪いが無いな。俺はお前よりもフェトラスを優先する」
〈それが正解です。ああ、ですがこの攻撃は不正解〉
「げっ!?」
隙をつかれ、剣が巻き上げられる。しまった、と思った時にはもう遅く、剣が上空に飛んでいく。
口を閉ざし、手と足と目を動かす。
俺はミトナスの柄を握りしめ、彼女の身をこちら側に引き寄せようとする。シリックはその力に抵抗せず、逆にこちらを押し込むように近づいてくる。
シリックの背後に剣が落下。その気配と同時、俺はシリックの足を払ってその体勢を崩そうとした。が、しかし綺麗によけられる。
「あら!?」
驚きと共に、俺だけが地面に倒れ込んだ。
〈人間にしては上々。ですが、槍との戦いは不慣れなようで〉
上から降ってきた言葉。視線をやると、眼前にミトナスの穂先が突きつけられていた。
どうやら遊ばれてしまったらしい。
「……そもそも熟練の槍使いにケンカなんか売らねーよ。ああいうのは弓とか石で倒すもんだ」
〈剣よりも槍の方が強い、と。では何故ロイルさんは槍を選択しなかったのですか?〉
「あ? 何故ってそりゃ、槍術を教えてくれる人がいなかったからだよ。騎馬に対する槍なら何度も扱ってきたが、乱戦じゃ槍は扱いが難しい。隊列を組んだ槍は強いけど、傭兵は隊列なんてあまり組まないからな」
〈そうなんですか……〉
穂先がどけられたので、俺は起き上がって砂をはたき落とした。
「戦争での槍は有効的だが、一対一だとな。距離を保って一方的に相手をしとめる、っていうのはそもそも難易度が高い。逃げ腰だったらそりゃ距離は保てるが、チャンスも得られない。それに気合いで距離を詰められたら、引くしか無いからな。超接近戦では小回りが利きにくい。生兵法で扱うなら剣の方がはるかにマシだ。そんな流れで自然と剣を選択して、今に至る」
今から槍を覚えるのは大変だし、そんな気の長い事はやってられない。
〈ふむ。分かりました。しかしいざという時は、ロイルさんにこの槍を振るってもらう事になるので、せめて基本くらいは知っていてほしかったのですが〉
「そのための模擬戦かよ……そんな大事なことなら、内緒話しとは別にだな……」
〈この槍を振るうということは、状況が悪いということです。なので、少しばかり意識を乱した状態でのロイルさんの戦いっぷりを見ておきたかったので〉
淡々とそう答えるシリックは。
「……意外と冷静なんだな」
〈諦めましたので〉
苦笑いを浮かべていた。
その後、何度か打ち合ったり、少しだけミトナスを扱ったりしてみたが、やはり俺には向いてなかった。
〈まぁ、ロイルさんがコレを扱うことは無いと思います。ただ、念のためというヤツですよ〉
とシリックは言っていたが、どうにもこうにも。
明日、魔王と戦う。
理解とは違うカタチの、実感という畏れが俺の脳裏に住み着いた瞬間だった。