2-25 親子レベル3
詰め所の中にはわずかだが人間がいた。
昼夜を問わず駐在しているのだろうが、その動きは少しだけ慌ただしいように感じられた。
まぁそりゃそうだ。
魔王が発生して、聖遺物が獲得されたのだから。
この詰め所の中はすでに臨戦態勢ということになる。
シリックは手慣れた様子で受け付けに向かい、小さな部屋の鍵を借りていた。
受付の男が「そちらの方が?」とシリックに尋ね、彼女はこくりと頷いてみせる。
「ではまず団長にお目通しをした方が……」
〈不要。まず私から状況を説明します〉
「しかし……」
〈いいから。無闇に時間なんて掛けたくないの。要点をしぼるために話し合いがしたいだけ。なんなら外でやってもいいのよ?〉
若輩のシリックによる、強気な発言。
受付の男は少しだけ不機嫌になりながらも、彼女に鍵を手渡した。
「一応、そちらの男性がいらっしゃったことは団長に報告するからな」
〈構わない〉
鍵を受け取ったシリックは足早に進み始める。
〈こっちですロイルさん〉
「お、おう」
俺とフェトラスはそれに付いていく。
色んな人がすれ違い、全員が「こいつが……」という視線を送ったあと「えっ。なんで子供?」と首をかしげていた。
通された小部屋。
本当に小部屋だ。もしかしたらこれ、取り調べ室じゃないか?
〈実際取り調べ室です〉
「お、おう。まぁどこでもいいや。それで、一体全体どうなってんだ? まず聞きたいのは俺の立場なんだが」
〈ロイルさんは、私に協力してくれた魔王退治のスペシャリストということになっています。聖遺物を発見出来たのもあなたのおかげ、ということに〉
「なぜ」
〈ほとんど事実ではないですか〉
「……そういえばそうだった」
表現方法の差異はあるが、まぁ、確かに。
〈私一人で聖遺物を発見した、ということより信憑性がありそうでしたし。何より、あなたを引き込むことによって時間が短縮出来ます〉
「というと?」
〈聖遺物を誰が使うのか、という選定。それを省略します〉
なるほど、としか言えない。正論だ。
この魔槍ミトナスは〈シリック〉にしか使えない。
「つまり俺の役割は、このミトナスがお前にしか使えないということを証言するという事だな」
〈そうです。ついでに言うのなら、申し訳ないのですがテレザム討伐の際にはロイルさんに同行してほしいと考えています〉
「俺が一番聞きたかったことにも繋がるな。おい、単騎狩りってどういうことだよ。まさかお前、部隊の編成すらせずにたった一人で片付けるつもりか?」
〈その通りです〉
「無茶だ」
俺は吐き捨てた。
「この辺にどんなモンスターがいるかは知らないが、なんだってわざわざ一人でやろうとするんだよ。さっきのフォートにしても、お前を心配してだな」
〈同じ理由です〉
シリックはため息をつきながら呟いた。
〈この詰め所にやってきて――――私は自分の甘さを知りました。私は、ここにいる自警団のメンバー全員のことを、よく知ってしまっている〉
その眼差しに宿るのは、戦う理由だった。
〈トップである団長はもちろんのこと、先輩、同僚、後輩、非戦闘員の事務員まで。私は、シリックは全員のことをよく知っている。好きと苦手があっても、嫌いな人は誰一人としていなかった〉
「……巻き込みたくない、と。そういうことか」
〈ええ。誰にも死んで欲しくないと、私は思ってしまった。だから、魔王テレザムには私一人で挑もうと思います〉
「酷い思い上がりだ」
俺は少し強めにそう答える。
「シリック。魔槍ミトナスは多くの魔王を屠ってきた。その戦いっぷりを俺はわずかだが体感している。銀眼も倒したんだろ? 確かにすげぇよ。超一級品の聖遺物だと賞賛するよ。でもな、お前は何にもわかっちゃいない」
最早問題はお前一人のものではなく、この地に住まう全ての人々の問題なのだから、なんて説教臭いことを続けようとしたのだが、激昂したシリックにそれは遮られた。
〈私は今まで一人と一本で魔王を屠ってきた! それは自負でも誇りでもなく、事実だ!〉
「……そりゃそうかもしれんが」
〈私は、ここにいる誰も死なせたくないと、そう思ってしまった! だから、そうするのだ! 人間の誇りなど、矜持など、覚悟なぞ! そんなことは私の知ったことではない!〉
俺はシリックの言いたいことが何となく分かった。
何故魔槍ミトナスは魔王を屠り続けてきたのか。
それは魔王を殺したいから。
それは魔王を殺せるから。
だが今のミトナスは――――〈シリック〉は違う。
「誰にも死んでほしくないから、一人で戦うと?」
〈……そうだ〉
「じゃあもしお前が負けちまったらどうするんだよ」
〈負けません。必ず、倒します〉
「まぁお前なら一人でもやれるかもしれないが、みんなでやった方が勝率は確実に上がるぞ?」
魔王退治の基本は「リンチ」である。
集団で寝込みを襲うのが最も有効な戦略と言える。
〈そのわずかばかりの勝率を上げるために、皆の命を賭けるのは分の悪い……頭の悪い戦略です〉
「わざわざ言い直すなよ」
やれやれ、と俺はため息をついた。
「フェトラスー。今の話を聞いてどう思った?」
「えっ。あんまり話について行けなかったから何となくしか聞いてなかったんだけど」
「それぐらいで丁度良い。実際、お前はどう感じた?」
「えー…………えっと、シリックさんは、魔王テレザムに勝てるの?」
〈勝てます。今までの経験上からすれば、難敵ではありません〉
「それってどういう理由で?」
〈魔王の傾向、と言いますか。直接見たわけではありませんが、この街の状況が魔王の力量の証明です。この街は平和すぎる〉
「街が平和だと、魔王は弱いの?」
〈もし魔王が強ければ、とっくの昔に復讐の炎によってこの街は燃やされているでしょう〉
「それが明日来ないという保証は?」
〈ツッ――――〉
見事な切り返しだった。
そう。確かに。もしも魔王テレザムが十分に力をつけており、予測よりも強いとしたら。今まさにこの街めがけて魔法を放とうとしていたら。そう考えるとシリックの戦力測定は、本当に無根拠である。
「今のシリックさんは、ちょっと変だよ。好きな人を護りたいって気持ちはすごーく分かるけど、置いてけぼりにされるわたしたちの気持ちも、ちょっと考えてほしいな」
〈ですが……!〉
「わたしは戦えないかもしれない。でも、何か出来るよ」
〈…………。〉
「だから落ち着いて、お父さんに話を聞いてみようよ。ね? 魔王退治のスペシャリストさん?」
そう言って俺に微笑むフェトラス。
いまこいつは、割ととんでもない事を口にしたのだが。
魔王退治のスペシャリスト。
イヤだ。そんなものなりたくない。
おれはおまえをたいじなんて、
ブンブンと頭をふって、ついでに首をゴキゴキとならした。
「…………魔王テレザムの根城は調べがついてんのか?」
〈ある程度の地域にはしぼれているようです。私がいない間に、確かな目撃情報も得られています〉
「怪我は。もう完治してんのか」
〈ええ。完全に。ですが配下たる魔族は見当たらないようです。定期的に魔法を使っており、その痕跡は全て火属性によるものだと〉
「痕跡の規模は」
〈大樹を燃やし尽くし、崖の一部を融解させる程度だそうです〉
「強いな」
〈…………〉
「否定してくれなくて良かったよ。どうやら冷静に戦力分析は出来るらしい」
〈当たり前です。魔王の序列としては相当に下位だとしても、やはり魔王。そこら辺の人間やモンスターと比べると、強くて当たり前です〉
「ね。ね。そのテレザムさんとわたしってどっちが強いと思う?」
「答えるなシリック」
俺は鋭い目つきで制した。
「フェトラス。今の質問はなんだ」
「えっ……と。その」
「調子に乗んな」
吐き捨てると、フェトラスがゆっくりと涙目になっていった。それを見た俺は少し狼狽えそうになったが、ここは叱り時なのだからちゃんと怒らなくてはならない。
「お前は戦わせないと、そう言ったな?」
「でも……」
「何か勘違いしてるようだから、改めて言っておくぞ。もしお前が戦うということになったら、恐らくミトナスはお前に狙いをつける」
「!」
〈!〉
「確かに約束はした。シリックはいきなり襲いかかることはしないだろう。しかし、魔王テレザムを討伐する際に、魔王フェトラスまでもがそこにいたら集中なんて出来るわけない。つまるところお前は戦場にいちゃいけないんだ。その前提を忘れんな」
言いたいことは別にあるのに、俺はそんな言い方をしてしまった。
本当に言いたいのは、こんなことじゃ、ないのに、俺は。
あーもー。カウトリアが居てくれりゃあなぁ。
そしたらきちんと自分の意思を伝えられるし、何ならテレザムだってサクッと俺が狩っちまうのに。
取り調べ室に静かな沈黙が舞い降りる。
俺はコホンと咳払いをして、改めてフェトラスの方に向き直った。
「お前も、シリックも、俺も、ちょっと落ち着こうぜ。全員頭に血が昇っちまってる」
「…………」
〈…………〉
「つーかシリックよ。茶ぐらい出せ。茶。喉が渇いちまったよ」
〈あ、すいません。そこまで気が回らなくて……〉
「まぁ無理もないんだけどよ。慣れない状況で、更には魔王が近くにいる。取り繕おうにもボロボロだ。でもな、まずは冷静になれ。ここはシリックの居場所だぞ?」
〈――――ええ、そうですね。私ともあろうものが焦ってしまいました〉
シリックは〈お茶を用意させます〉と言って席を立ち、俺とフェトラスの二人きりになる。
先ほど怒ってしまったのもあって、ちょっぴり気まずい。
しかし俺はフェトラスに向かって両手を広げて見せた。
「すまんフェトラス。少しキツく言い過ぎたかもしれん。未来永劫許さない、というわけじゃないならちょっとお父さんに抱きしめられてくれ」
「…………ほんと、お父さんは卑怯。そんな言い方されたら困る」
悔しそうな表情をしながらもフェトラスが俺の腕の中に収まる。ぎゅっ、と抱きしめてその温もりを、香りを、存在を実感する。
「俺はなぁ。お前に危ない目にあってほしくないんだよ。いや分かる。分かるぞ。お前だって、俺が危ない目にあうのはイヤだと、そう言いたいんだろう」
胸の中で彼女がうなずいた。
「でもな、俺はお前のお父さんなんだよ。俺に親はいなかったけどさ、子供の頃は……ずっと誰かに守ってほしいと願っていたし、頼れる人がほしかった」
「うん……」
「そういう意味じゃ、俺は……上手い言い方なんてわかんねぇけどよ。とにかく、俺はお前を守ることで、あの時欲しかった親みたいなのになることで、あの頃の俺を救っているんだ」
「うん……」
「つーわけで、俺のために、黙って守られてくれ」
彼女は顔をあげて、情けない泣き顔をさらした。
「やだ」
「やだ、て。マジか」
「やだよぅ。なんかヤだよぅ」
「なんでだよ」
「お父さんは、わたしを通して、昔の自分を見てるの? お父さんには、お父さんがいなかったから、わたしのお父さんになってくれたの?」
彼女はポロポロと泣き始めた。
心底動揺する。何故だ。何故俺の娘は泣いているのだ。
「だから、魔王なのに、一緒にいてくれるの?」
「あっ。えっ? ごめん、もう一回だけ言ってくれるか?」
「お父さんは、お父さんになりたかったから。それだけの理由で、魔王のわたしと一緒にいてくれるの? あの島じゃわたししかいなかったから、っていうだけで、もしも普通に人間がいたら」
再び意識が飛ぶ。
「ちがうよ」
必死で、その真意だけ言葉にして、俺はフェトラスをしっかりと抱きしめた。
「誤解されるの怖いから、色々スッ飛ばして結論だけ言うから聞いてくれ」
「うん……」
「俺はお前が好きだから、お前を守りたいんだ。お前が大好きだから、お前と一緒にいたいんだ」
「………………なら最初からそう言ってよぅぅぅ…………お父さんのアホぉ……!」
「ごめん。ごめんってば」
「次そんな、なんかよく分かんないこと言ったら、未来永劫許さないんだからぁ……!」
「ほんとな。またお父さんの悪いクセが出ちまってた。小難しいこと考えすぎて、ワケ分かんないこと言っちまったな。ごめんな。ああ、もう喋るの止めるわ。俺はフェトラスが好きだ。だから、これからもよろしくな」
「お父さんのボケぇ……!」
俺も泣きそうになりながら、でも、少しだけ嬉しいとも感じていた。
そうだ。魔王がどーのこーのとか、銀眼だろうが、どうでもいい。
最初の動機は「話し相手になってほしい」だった。
そしていつの日か、彼女が俺を父と呼んだ。
それは慣れない呼び名だった。
でもいつしか、動機も理屈も思惑も全部が不要になった。
俺はこいつが好きだから、一緒にいたいんだ。
そんなシンプルな再確認。
二人でまた一つ、階段を上れた気がした。
また親子レベルが上がった。だから、俺は嬉しいと思った。
さて。
無言で抱き合っていると、外から騒がしい声が聞こえてきた。
《団長! 困ります! 今は重要な作戦会議中でして……!》
『だったらなおさら俺が参加するべきだろうが! 邪魔するなシリック! お茶がこぼれてしまうではないか!』
「ドーン!」
というかけ声と共にドアが乱暴に開かれた。
「よう客人! お茶を出すのが遅くなって申し訳ない! 子供もいると聞いて茶菓子も持ってきてやったぞ! お! なんだ。親子の抱擁中か! いいな! 美しい光景だ!」
いかつい男が入ってきた。
その元気の良さに呆気にとられる。
「やぁやぁ! さぁお茶だ! 飲むがいい! あえてぬるいのを持ってきたから、どんどん飲むがいい! ちなみにトイレはこの部屋を出て真っ直ぐ進んだ所にあるぞ!」
「あ、ご丁寧にどうも……」
フェトラスをそっと放して立ち上がる。
「えっと……ロイルと申します」
「うむ! 俺はガッドル! よろしくな客人! さぁ!」
ドン! と勢いよくガッドル氏は椅子に座り大きく手を広げた。
「作戦会議を始めようではないか!!」
部屋の入り口ではシリックが頭をかかえていた。