6 「緑色の魔族、カルンとの出会い」
「おかえりお父さ……だ、誰!?」
「紹介しよう。魔族のカルンだ」
落成間近の新居で身体を休めていた魔族を浜辺まで案内し、俺は彼をフェトラスに紹介した。
「お初にお目にかかります、魔王様。私はカルン・アミナス・シュトラーグス……西方の魔窟リングロルドより我らがケティナックの……」
なんかやたらと固有名詞が連発する長い長い口上をカルンは述べた。
「……という事情にて、この地へ参りました」
要約すれば、親玉に「人間に迷惑をかけるために、旅をしてこい」と命令されたらしい。
しかしコイツ、俺の前じゃ「魔王」とか呼び捨ててたくせに、いざフェトラスの目の前に立ったら態度が一変しやがった。完全にフェトラスの格下であろうとしている。
そんなカルンの自己紹介を受けたフェトラスはモジモジとして、急に俺の背後に隠れた。
「…………なにやってんだお前?」
「うー……だって…………なんか…………」
え、やだ。まさかこの子ったら人見知りするわけ? 普段の快活さとはうって変わって、なんだか意外に思える。
カルンはカルンで非常に困った顔をしていた。魔王様に嫌われたのか、口上にヘマでもあったのか、いや無いはずだ、といった感じの顔。オロオロしてる。
「えっと……」
「は、はい……」
空気がバキバキと凍り始め、すごく気まずい。
「おいおい。お互いそう構えるなよ」
「だっ、だって……この人、魔族なの?」
「はい。私は魔族でございます、魔王様」
カルンが「チャンス!」とばかりに話しかけると、フェトラスはますます俺の背後に隠れた。個人的な感情としては、その、なんか嬉しい。しかし、だからと言ってカルンの奴を放置するわけにもいくまい。
「フェトラス。カルンはな、お前の魔法で怪我をしたらしいぞ」
「わ、わたし!?」
「お前、たまに海に向かって魔法をブッ放してただろ? いつかのそれに当たったそうだ」
「……本当?」
フェトラスは俺のシャツをギューと握りながらも、ちょこんと顔を出した。しかし、どうやらカルンと目が合ったらしい。すぐに引っ込んだ。そんな彼女の襟首をつかんで、カルンの正面に立たせる。
「悪いことをしたときは、謝る。というわけでカルンにごめんなさいと言え」
フェトラスは身体をプルプルと震えさせたが、カルンのコートに浮かぶ血染みを見た途端にシュンとした。
「ごめんなさい、カルンさん」
「えっ、いや、あの。どうかお顔をお上げになってください、魔王様。私如きに頭を下げる必要など……」
「ううん。悪いことをしたのはわたしだから……というか、本当にわたしがやったの?」
「謝ったくせに往生際が悪いな、お前」
思わず突っ込むと、フェトラスは涙目になった。
「だっ、だってー!」
「わ、私が打ち落とされたのは、ちょうどあの辺でしょうか。突然海面が爆発し、その余波に巻き込まれてしまいました」
カルンが指差したのは、広大な海。うん。フェトラスの憂さ晴らし場だ。
「確定おめでとう。犯人はお前だ」
「うう、ごめんなさい……」
フェトラスは再度、頭を深々とさげた。見事な謝り方だ。誠意がある。
「ま、魔王様。どうかお顔をお上げください」
「半分は俺のせいだから、俺からも謝るよ」
そう声をかけると、カルンの眼差しがキッと細くなった。
「要らぬ。貴様の詫びなど、欲しくもない」
わーお。すごい敵意。
「お前、俺とフェトラスじゃ大分接し方が違うな」
冷たく俺を見るカルンにぼやいてみた。「魔王には黙っていてくれ」とか、「魔王に会わせてくれ」とかお願いしてきたくせに。
「フェトラスには敬語のくせに、俺にはため口だしな。というかため口以下か。今ようやく分かった。お前、はっきり言って俺を見下してるだろ」
「人間風情を対等に見よと? はっ、ふざけるな。いくら私が怪我をしているとはいえ、お前を殺すなど容易い。そのような脆い存在に敬意など……」
「お父さんを殺す? えっ、カルンさんは敵なの?」
その口ぶりにギョッとした。
慌ててフェトラスの顔をのぞき込むと、瞳の色が変化しているのが分かった。
黒いはずの瞳が、怖いくらい冷たい銀に。
銀に。
瞳が、銀に。
(銀眼―――!!)
俺の思考は久方ぶりに停止した。
が、それ故に俺の思考は光の速さで全身を駆け巡る。
(ちょっと待て。マジかよ。銀眼? 伝説級一歩手前じゃねぇか。あり得ない。嘘だろ。なんでフェトラスが。早すぎる。ありえない。資質? 育てすぎた? 俺には抱かなかった<感情>をカルンには抱いた? こればっかりは「まぁいいか」じゃすまない――――銀眼を抱くとはつまり、世界を滅ぼせるってことだぞ!?)
初めて見るフェトラスの表情。
そこには無邪気な子供ではなく、世に君臨すべき魔王がいた。
「敵なんだ。じゃあ、さよならカルンさ―――」
「ま、待てフェトラス!!」
俺は慌ててフェトラスの肩を揺さぶった。
「なっ、なにお父さん?」
「なにじゃない! お前、何するつもりだ!」
「何って…………なんだろう?」
ふっ、と。フェトラスの銀眼は黒い瞳に戻った。
「お? んん? わたし、いま変だった?」
あれぇ? みたいなしゃべり方が余計に怖い。
カルンは尻餅をつき、顔を真っ青にしてガクガク震えていた。きっと失禁寸前だ。
「ま、魔王様。違います。違うのです……決して私はそのような……魔王様の敵などでは……」
「あっ、そうか。お父さんを殺すとか言ってたよね。じゃあカルンさんはわたしの敵だ」
「い、いえっ! 決してそのような真似はいたしませんっ!!」
「んー? でもそう言ってたよね……?」
「申し訳ありません。アレは、その、言葉のあやでございます! 私はこのお方に決して手出しをいたしません!」
可哀相なくらい慌てふためくカルン。顔が更に蒼白になっている。血の気の失せた緑色。
魔王に謁見して、調子にのっていた一分前とは大違いの表情だ。
「…………本当?」
「はい。我が魂に誓います。私はこのお方……魔王様のお父上には絶対に手出しいたしません……!」
「そっか。それならいいんだ。もービックリするようなこと言わないでよぉ」
「も、申し訳ございません」
ハラハラしながら見守っていたが、どうやら空気は弛緩したらしい。俺は集中を解いて、ため息をついた。
怖かった。正直に言う。フェトラスは怖くないが、銀眼はダメだ。あれは怖い。すごく怖い。ちょっぴり死を覚悟したというか、フェトラスと戦う所までイメージしてしまった。
だが今のフェトラスは、いつものフェトラスだ。
俺はため息を深呼吸に変えて、そっと彼女の頭をなで繰り回した。
「きゃっ。い、いきなりなにお父さん」
「なんでもねーよ」
カルンはそんな俺たちを見ながら、ガチガチに固まった身体で奇妙な動きで震えていた。恐怖のせいで、脳みそがスパークしてしまっているのだろう。
「とにかく、こいつがカルンだ。お前も俺以外の奴と話す機会が欲しかっただろうと思って連れてきた」
動機の一つでもある“怪我の謝罪”は済んだから、あえて口にはしなかった。
フェトラスは頬に手を当ててつぶやく。
「そういえば、わたしってお父さん以外の人とお話したことなかったっけ」
「ああ。いい機会だからカルンの怪我が治るまで、色んな話しを聞くといい」
フェトラスにそう告げてから、カルンを見る。
「お前もそれでいいよな? どうせ怪我が治るまでは旅立つことも出来ないだろ。コイツの話し相手になってほしい」
そう声をかけると、尻餅をついて震えながら茫然自失となっていたカルンが慌てたように立ち上がった。
「えっ、ええ、お父上殿のお言葉は私にとっても有り難い。もし魔王様がよろしければ、お仕えしたく存じます」
急に俺に対する口調が丁寧になりやがった。現金な奴だ。
「えっと……じゃあ、カルンさんはわたしのお友達?」
「いえ。あくまで部下として、お側に置いてください」
「なんで部下なの? お友達じゃダメなの?」
「と、とんでもございません。魔王様は全てを統べるお方。ましてやフェトラス様は銀眼でいらっしゃる……私のことはどうか従僕としてお使いください」
そういえば、魔族という輩は大抵が魔王の配下にいたがる習性を持っている。絶対的な力に対する畏怖だろうか。それとも本能だろうか。もしかしたらコレもまたフェロモンのせいかもしれない。
魔の一族を従える、魔の王。
魔王は精霊の一種で、魔族ではない。しかし魔族は魔王を崇拝する。まるで片思いみたいだ。力関係が逆転することはあり得ない。それがどのような事実を表しているのかは分からないが……。
この辺は人間にとってあまり研究が進んでいない分野でもある。俺たちにとっての神様が、魔族にとっての魔王なんだろう、ぐらいの認識だ。
「ま、いいか。考えてもどうせ分からん」
「いかがしましたか? お父上殿」
「そのキモイ喋り方は止めろ。普通でいい、普通で」
「……分かりました。貴方がそう言うのならば、そうしましょう」
口調をコロコロ変えるカルン。難儀な奴だが、これ以降は安定するだろう。
「じ、じゃあ……これからよろしく、カルンさん」
「呼び捨てにしてください、魔王様」
「……カルンさんが私のことをフェトラスって呼んでくれたらいいよ」
「では、フェトラス様と。よろしいですか?」
「……様、要らない」
「それだけはお許し下さい」
カルンはようやく微笑んで、ひざまずいた。
「カルン・アミナス・シュトラーグス。本日をもって、フェトラス様の指揮下に入ります。これ以降は私は私でなく、フェトラス様の一部でございます故、どのような命令にも即座に従うことを誓います。死ねと命じていただければ、塵一つ残さず消滅いたしましょう」
愉快な光景だ。
緑色の魔族が小さな女の子に異様な言葉を告げながら、深々と頭を下げている。どこの喜劇だ。愉快だがナンセンス。きっと売れないな。
「お、お父さぁん、この人なんか怖い……」
「まぁそう言うな。要は慣れの問題だ」
怯えているフェトラスの頭をガシガシとなで回し、励ます。なで回す手がフェトラスの角を感じ取った。普段は髪に隠れて見えないが、この小さな双角はいつもフェトラスの頭に生えている。
いつかはカルンも、この角みたいに慣れるだろう。
こうして、新しい関係が築かれた。
親と、娘と、娘の手下。人間と魔王と魔族…………うぉ、なんか凄い事になってきたな。
夏の日差しも弱まった頃。浜辺の白さは穏やかさを増している。
「…………ま、いいか」
そう、全ては変化していく。その変化を受け入れることこそが、人生を上手く生きるコツだ。
銀眼。その『資質を持った魔王』のみが許される破滅の前兆だけは、どうにも受け入れがたいのだが。「ウチの娘ったらチョースゲーの」なんて言えるはずもない。
銀眼は、シャレにならん。
しかし考えても考えても、どう足掻いたって俺の手には負えなかった。
フェトラスは銀眼を抱いた。
つまり彼女は『資質を持った魔王』だ。
殺戮の精霊。その極地に至ることが、彼女には出来るのかもしれない――――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「フェトラス様、お腹はすいていませんか?」
「フェトラス様、こちら果物でございます」
「フェトラス様、キノコを御用意いたしました」
「も、もういいよぉ……もういいから……」
カルンと出合って三日目。フェトラスはカルンの過保護っぷりに怯えていた。
フェトラスはまだ幼く、“統べる魔王”の器ではない。
だがカルンはそんなフェトラスを見限らず、逆に大臣の子供のご機嫌を伺う役人みたいな感じになっている。
流石のハラペコ魔王といえど、カルンが差し出した食べ物には中々手を出さなかった。フェトラス曰く「よく知らない人からもらうご飯は、なんか美味しくない」だそうだ。
「はむ…………もぐもぐ」
まぁ、結局食うんですけどね。
しかしカルンも結構やり手だ。フェトラスの食いしん坊属性を既に掴んでいる。
彼はあの手この手で、様々な食べ物をかき集めてきた。まだ怪我をしていて十分な活動は出来ないはずなのだが、ヒマさえあれば森の中に突き進んでいって、何らかのお土産を手にして戻ってくる。まるでそれだけが自分に出来ることだと言わんばかりに。おかげさまで、俺達の食生活は豊かになった。
ある程度回復すると、カルンはたまに動物までも狩ってくるようになった。普通の肉はやはり美味い。肉食動物は臭みこそあるが、モンスターの肉に比べると木剣と聖剣くらい違う。草食動物は最高に美味かった。
「こんなに動物がいたとはな……俺は滅多に遭遇しなかったぞ」
「モンスターの多いこの地域に住まう動物は、特別警戒心が強いですから。探すにはコツがいるのですよ」
「ふぅむ……そんなものか……ま、いいや。今後ともヨロシクな」
フェトラスのための動物とはいえ、俺もご相伴にあずかっている。なので文句など一つもない。
だから俺は「今後とも」という言葉を使ったのだ。
だが。
もしかしたら、俺はカルンを発見した時に殺すべきだったのかもしれない。
この考えは数年間、俺につきまとうことになる。