2-24 好き嫌い
時間は流れて夕方。
俺とフェトラスは飯を食ったり、街を見たりして時間を潰しつつシリックを待った。
「良い所だね、お父さん」
「……そうだな」
実際、ユシラ領は良い街だった。
田舎だし、裕福とは言いがたいが、この街には貧困層が少なかった。
そりゃ乞食のような人間も当然いたのだが、泥水をすすったり腐ったゴミを食ってるようには見えない。つまるところ、俺が育った環境に比べるとだいぶ「ぬるい」街だった。
その理由は自給自足が成立しているおかげだ。
この街の雰囲気は「慎み深い」と言ったもので、その自給自足のバランスは控えめに保たれている。
豊作だったから沢山食べよう、というよりも、余った分を備蓄に回す習慣が根強いのだろう。
そんなわけで交易も安定して行われており、外来者も一定数いるようだ。
「ただ山岳地帯に囲まれているおかげで交易中継地点としては成り立たない。だから」
「ねぇ」
俺が持論を展開していると、フェトラスがそれを遮った。
「お父さんの話しは面白くない」
「む……お前が街の印象を聞いたんだろうが」
「そーだけどさー。分析? っていうのかな? そういうのじゃなくて、もっと単純にこの街が好きかどうかって話しなのにさ」
「分析せにゃ好きか嫌いかの判断なんて出来ねーだろ」
「ええっ!? そうなの?」
フェトラスは酷く驚いたようだった。
目を丸くして、両手を顔の横で広げて見せる。
「好きとか嫌いって、分析しないと言っちゃダメなの?」
「む」
「えっと、なんて言ったらいいんだろう?」
彼女は少しの間うんうん唸って、やがておそるおそる俺に尋ねてきた。
「好きな理由がないと、好きって言っちゃダメなのかな」
「……いや、全部がそうってわけじゃなく。モノによるとしか」
「お父さんは、わたしのこと分析してるの?」
「まぁ多少は? 分析ってほど大げさなもんじゃねーけど」
「……わたしのどこが好きなの?」
「うえぇぇ。それ聞いちゃうの?」
「ああ、いや、それはそれで興味深いんだけど、そうじゃなくて。その……わたしの好きな所があるから、わたしのことが好きなの?」
フェトラスは一生懸命に言葉を選びながら、ずっと俺の顔を不安そうに見ていた。
「じゃあ、もしわたしが変わっちゃって、わたしの好きな所がなくなったら、嫌いになっちゃうの……?」
「すごい飛躍したな。なんか変なもんでも食ったのか?」なんて、茶化すことも出来ないくらい、彼女は俺の解答を恐れていた。俺はまずそんな彼女の頭をなでる。
「あのなフェトラス」
「うん」
「考え過ぎ」
「……うん」
「好きとか嫌いとかは、案外フラフラと変わるもんだ。昨日まで大好きだったガールフレンドがいたとして、でも浮気現場とか見ちゃったらそりゃー大嫌いになっちまうだろ?」
「うわき?」
「あー。すまん。例えが悪かった」
でも、なんて例えればいいんだコレ。
好きと嫌いがひっくり返る理由。
愛が憎しみに反転する瞬間。
「………………例えば、だ。ここにリンゴの樹があるとする」
「ふむふむ」
「すごく美味しいリンゴがなる樹で、フェトラスがそれを大好きだとする」
「うん。きっと好きになる」
「じゃあもしその樹が、リンゴの実を付けなくなったらどうだ?」
「枯れるの?」
「いや、ただ実がならないだけだ」
「うーーん……別に嫌いはならないと思う。残念ではあるけど」
「そうだな。じゃあそんな樹が、久々に実を作った。お前は喜んでそれを食べる」
「もぐもぐ!」
「しかし、それがクッッソ不味いリンゴだったら、お前はどう思うだろうか」
「どうって…………残念だなぁ、としか」
ダメだ。伝わらん。もしかしたらコイツ、嫌いなモノって無いんじゃないか? アレが好きとかコレが好きとか、そういうのはよく言っているが。
「そもそもお前が嫌いなものってなんだ?」
「わたしが嫌いなもの?」
尋ねた瞬間に記憶が蘇った。
銀眼。月眼。アレは、力が溢れるばかりで嫌いだと、彼女は唯一そう言った。
良くない記憶を思い出した俺は少しだけ不安になったが、当のフェトラスは笑ってみせた。
「んーーー。ない!」
「そ、そうか。無いのか」
「美味しくないのはあっても、嫌いな食べ物なんて無いよ」
別に食べ物の話しをしていたわけじゃないんだけどなぁ、なんて思いつつ俺は「うらやましい限りだ」とだけ答えた。
「まぁお前の感覚に則って言うなら、俺はこの街が好きになれそうだよ。今はただ様子を見てるってだけで、ちゃんと好きになれそうな予感もしてる」
「最初からそう言えばいいのに」
ぶーん、と彼女は両手を広げて走りだした。穏やかな風を突っ切って、白地の精霊服がひるがえる。
そんな風にしてのんびりと時間を潰したりしていると、遠くから俺たちを呼ぶ声がした。
〈ロイルさーん。フェトラスー〉
「あ、シリックさんだ! おーい!」
ぱたぱたとフェトラスがそちらの方へ駆けていくので、俺もそれに付いていく。彼女は「どーん!」と言いながらシリックの胸元に飛び込んだ。
〈わわっ、どうしたんですか?〉
「別にー?」
〈……ふふっ、そうですか〉
はて。今フェトラスはシリックに抱きついたのか、それともミトナスに抱きついたのか。あるいは両方なのだろうか。聞けば答えてくれるだろうか。あるいは何にも考えていないのだろうか。
遠目でも分かるくらいに、シリックはピリピリしていた。
上手な作り笑いで隠してはいるが、その戦意たるや、俺も釣られて緊張してしまいそうな程だった。
「ようシリック。団長さんとやらのお叱りは終わったか?」
〈ええ。ついでにヤツの現在の動向も聞いてきました〉
「――――そうか」
ぜひ詳しい話しを聞きたい所ではあるが、こんな道ばたで作戦会議をするわけにもいかない。道行く一般人にとって「魔王」というキーワードは、冗談か警鐘のどちらかでしかないからだ。わざわざ民を不安にさせるのはよろしくない。
「んじゃあ、どうする? さっき言ってた通りお前の家に?」
〈――――それなんですが。出来たら詰め所の方でお願いしたくて〉
「詰め所? お前がさっきまで居た、自警団の所か?」
〈ええ。そこで一室借りたいと思います〉
「お前の家では何か問題が?」
何せシリックの家は領主の家だ。ベッドもふかふかだろうし、長旅をねぎらって風呂を沸かしてくれるかもしれない。あとご飯が美味いと言っていた。
しかしシリックはそんな淡い期待を斬り捨てるがごとく、小声を発した。
〈家族の前で取り繕う自信が、ありません〉
その手は優しくフェトラスをあやしながら。
その微笑みは夕方の空によく似合う穏やかさで。
けれども眼差しは、鋭い刃物、いや、まさしく〈槍〉だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
シリックに案内され詰め所に赴くと、フォートがいた。
彼は俺を胡散臭そうにじろじろと見て、シリックに向き直った。
「……そいつらが?」
〈ええ。魔王退治のスペシャリストのロイルさんよ〉
頭の中で「ふぉおおおおおおおお!! なんちゅう肩書き付けやがったこの野郎ぉぉぉぉぉ!!」と絶叫しつつ、俺はクールに片手を上げた。
「そんな大層なモンじゃねぇよ」
「ふーん……ま、強そうには見えるが、英雄にも見えねぇ。やっぱりお前も聖遺物とか持ってんのか?」
「まさか」
そう否定しつつ、そっと腰にかけていた剣を隠す。まぁ普通に手遅れだったが。
「騎士剣……!?」
「違う違う。これはもらい物だ。俺は騎士じゃない」
「えっ。騎士剣ってもらえんの!?」
フォートが食いついてきた。
おのれ若者め。お前も騎士に憧れるクチか。
「えっ、と。あの、その、いきなりで、その、本当に不躾だとは分かってるんだが、その騎士剣、少し見せてもらっても……?」
「……はぁ。まぁ気持ちは分かる。ほらよ」
俺は鞘ごと剣をフォートに手渡した。
「重っ!」
「刀身を見るのは構わんが、抜ききるなよ」
「わ、分かってるよ……こうやって持たせてもらえるだけでも有り難い」
恐る恐る、ではなく、喜びを噛みしめるようにゆっくりとフォートは剣を検分した。その手つきは宝石に触れるような、うっとりとしたものだった。
「おお……重い! でかい! 固い! あと普通に鋭い! これが騎士剣! 初めて見た! わー! すご…………こほん」
カチャリ、と少しだけ晒していた刀身を鞘に収めて、フォートは俺に剣を返却した。
「あ、ありがとよ。ちょっとはしゃいじまった」
「……気持ちは分かる」
「さっきはバタバタしてたから全然気がつかなかったけど、確かに騎士剣だ。いや本物見たのは初めてだけど、俺の想像以上に騎士剣だ」
興奮さめやらぬフォートは咳払いをしつつ、姿勢を正した。
「何はともあれ、えーとロイルさん? あんたが魔王退治において必要不可欠な助っ人だと聞いたんだが、それは真実か?」
この野郎シリック。そういう設定を口走ったんならここに来る前に説明しやがれ。
「さっきも言ったがそんな大層なモンじゃない。ただのアドバイザーだ」
〈ごめんフォート。私たちちょっと作戦会議するから、通してくれない?〉
「――――」
途端にフォートは不機嫌になる。
「お前、さっきもチラっと聞いたけど、魔王を単騎狩りするって正気か?」
「えっ」 思わず声が出た。
〈ええ。正確にはロイルさんにも同行してもらう事になるんだけど、戦うのは私だけ〉
「なんでだよ! そりゃ俺たちじゃ戦力にはならないかもしれないけど、お前だけ戦うってのは意味がわかんねぇよ!」
〈それも含めての作戦会議を今からするの。っていうかフォートはいつからここの門番になったの? いい加減通してほしい〉
「おま……! お前が無茶苦茶するみてーだから、止めるためにだなぁ!」
〈フォート〉
シリックは少しだけ彼に歩み寄り、その顔をのぞき込んだ。
〈どけ〉
ヒュッとフォートが息を呑む音が聞こえた。
「お前……」
〈――――ごめん。ちょっと気が立ってるから〉
俺はシリックが実家に連れたがらない理由を悟った。
なるほど。
確かにこの調子では、隠しきれないだろう。
事実、フォートが小さく「お前……誰だ……?」と口走ったのを俺は聞き逃さなかった。