2-22 彼女達の成長
街道を馬で進む。
フェトラスはいつもより高い視点、なおかつ軽快に進む馬の乗り心地を大層気に入った。
「すごいすごい! なんか、お馬さんと合体してるみたい!」
そのはしゃぎっぷりを、俺は内心でほくそ笑む。
(ククク……すぐにケツが痛くなるとも知らずにノンキなものよ……まぁ言っても俺も馬に乗るのは久々だから、あとでケツの皮がヒリヒリしちまうんだろうが)
馬具は使い込まれたものらしく、滑らかだ。新品には新品の、中古には中古の心配事があるが、これはその真ん中に位置するような絶妙に塩梅のいい装備だった。しかしクッション性が死んでいる。
(定期的に休憩取って行くのがいいんだろうなぁ)
などと思いながら、後方を走るシリックを確認する。
「ぶはっ」
「え?」
「ぶはははは! シリック、お前大丈夫か!?」
彼女はもの凄い表情で馬にしがみついていた。
〈だ、だだだ大丈夫ですよ! ええ!〉
明らかに馬を怖がっていた。
最初はシレッとした顔をして馬に乗っていたから気がつかなかったが、よくよく考えると彼女は馬に乗るのが初めてだったな。
スピードを制御して、併走する。
「おいおい。そんなへっぴり腰じゃ、馬も落ち着かないぞ。記憶の読み取りとやらはどうした」
〈ややや、そ、そうは言ってもももも〉
「実際乗ってみると、違うもんか?」
何はともあれ会話にすらならない。俺は一旦馬を止め、シリックを下馬させた。
「どうした貴族様。馬ぐらいでビビんなよ」
〈そうは言っても……生き物の背に乗るなぞ、こう、不安で不安で〉
「何が不安なんだよ」
〈いきなり転んだらどうしよう、とか。私が乗っていることで馬が疲れないだろうか、とか。もしかして私を乗せるのがイヤになって、振り落とされたらどうしよう、とか〉
「不安症かよ」
〈突然モンスターや魔族に襲われたら、私はこの馬を守れるのだろうか、とか。この馬の上で戦闘形態になったら絶対に傷つけてしまうな、とか。そういうことを考えると、不安で〉
「あー」
なるほど。
そういうタイプの不安もあったのか。
「とりあえずこの辺は安全だから、余計なことは気にせず馬に慣れろよ。っていうか街を出た時は普通に乗ってたじゃねぇか」
〈それは、まだ街が近かったからで……遠のけば遠のくほど、魔王テレザムに近づくことになる。それはつまり、死の領域に踏み込むと同義です。だから……〉
ビビリすぎである。
あとエゴイスティックなのか、優しいのかもよく分からんな。
「んじゃあちょっと速度を落とすから、まず馬に慣れろ。彼女は馬に乗れるんだろ? だったらすぐに慣れるはずだ」
〈うう、お手数をおかけします……〉
というわけで牛歩のような速度で進むことになった。
シリックはまだ及び腰だったが、先ほどよりはマシに見える。改めて俺は周囲を見渡した。
「ここは整備された街道だし、次の村の位置だってはっきりしてる。この辺のモンスターはとうの昔に駆逐されてるだろうし、人の往来だって活発だ。そう考えたらお前のいう危惧は杞憂だろ?」
〈それは知っています。でも、知識と経験は似て非なるものです〉
「ふむ? まぁ言いたいことは分からんでもないが……俺はその記憶の読み取りとやらを実感出来ないから、何とも言えんな。ああそうだ。ずっと聞きたいことがあったんだ」
〈なんですか?〉
「ほら、ドラガ船長の船に乗る前の町。お前がブッ倒れたり、フェトラスが牛肉食ったあの町。あそこで自由時間取ったじゃないか。お前あの時なにしてたの?」
〈ああ、あの時の〉
「なんだかんだ船上では忙しかったから聞けなかったけどさ。お前が経験した世界は、どう見えた?」
何気ない質問だった。
だが、反応は鮮やかだった。
シリックは微笑んだ。
まるで、聖母のように。
〈素敵でした〉
「すてき」
〈ええ。戦わなくていい、という状態は私にとってあり得ない時間でした。そのあり得ない時間の使い方を私は知らなかった。でもロイルさんは「歩くだけでいい」と言ってくれた〉
短い相づちを打つ。
風がふいて、草が心地よいざわめきを立てる。
〈そして私は歩き始めました。目的地はおろか、理由もなく。魔王を追うわけでもなく……。そして町の外れで、球遊びをする子供を見かけました。ちょうど足下にボールが転がってきたので、それを投げ返すとお礼を言われたんです。ありがとう! って。とっても元気に〉
「……そっか」
〈本当はその時「一緒に遊んでみたいなぁ」って思ったんです。でもすぐに疑問に思いました。球遊びなんてしたことない。やった所で得られる技術は無い。私の役には何も立たない。――――なのにどうして私は、彼らに混ざりたいと思ったのだろうか、と〉
「楽しそうだったからだろ」
〈いいえ。違うんです。私はただ球遊びがしたかったわけじゃなくて、彼らの笑顔を見ていたい、って思ったんですよ〉
武器のくせに、変ですよね。そういってミトナスは笑った。
〈でも結局、私は彼らにボールを返したあと、また歩き始めました。次にたどり着いたのは森の入り口でした。魔王はいないけど、モンスターぐらいは出るかもしれない。そんな森です〉
「ああ。町外れにあったな。俺らはその手前で引き返したけど」
〈その時私はこう思いました。もし凶悪なモンスターが現れたら、あの子供達が危ないなぁ、って。でもそんな事は起きないんですよね。もしそんなモンスターがいるのなら、あの子らはあそこで無邪気に遊んでたりしない〉
「まぁ孤島だったし、モンスターなんて最初からいないんだろうな。大型の動物ぐらいはいたかもしれないが、侵入を知らせるトラップぐらい仕掛けてるだろうし」
〈ええ。もちろん私はそれも知っていた。だけど、おかしな話ですよね。私は今まで積極的にモンスターを狩ったりしてこなかった。私の敵は魔王だけです。でもあの時、私は自然と「もしモンスターが現れたら、狩ろう」って決意してたんですよ。自分でも驚くくらいスムーズに〉
「………………」
彼女は気がついているだろうか。
先ほどまでは落ち着かない様子だった馬が、優雅に歩き始めたことに。
〈戦わなくていいのに、戦おうとした。しかも魔王以外に。……軽く、自分を見失いかけましたよ〉
朗らかに自嘲する彼女に、俺は優しく語りかけた。
「そりゃお前、見失ったんじゃないぞ。むしろ逆だ」
〈逆、ですか〉
「見つけたんだよ。戦う理由を」
馬が落ち着きを取り戻したので、牛歩である必要もなくなった。会話していう内にシリック本人も慣れたのだろう。俺たちの旅は快調に進み始めた。
かに見えた。
そう。
新たな問題が発生したのである。
くー。
ぐー。
ぐー。きゅるきゅるきゅる。
「おい」
「ん!? なにかなお父さん!?」
「乗馬の振動にも負けない、何かの蠢きを感じたんだが」
「気のせいだと思うよ!?」
「お前がぴったり寄せている背中から、俺の腹にダイレクトで伝わる感情があるんだが」
「遠回しな表現ありがとう!」
「腹が減ったのなら正直にそう言え」
「いやぁ、残念! お腹すいてないよ!」
「……牛肉をミンチにして、丸めて焼いたもの」
「ハンバーグ!」
グー! ギュリギュリギュリ!!
「お前の腹の音は、時々恐ろしい旋律を奏でるな」
「あー! もーー! お腹すいてないってば!」
俺は馬を止めた。
「なぜに嘘をつくのかねキミは」
「う……だ、だって……」
ごにょごにょとフェトラスは「まだ街を離れてそんなに経ってないのに、もうお腹空いたとか言えるわけないじゃない」という事を回りくどく説明した。
「そういえばお前、最近なんか様子がおかしいよな。めっちゃ食うかと思えば、いきなり節食したり。なんなの? ダイエットでも試みてるの?」
「だってぇ……ご飯食べるのって、お金かかるんでしょう……?」
「はぁ。お金ですか」
「うん……わたし達のお家があった所じゃ、わたし達しかいなかったけど……ここはそうじゃないんでしょ? お肉も、スープも、果物も、野菜も、みんな誰かが育てたり守ったりしてる。そしてわたし達がそれを食べようと思ったらお金と交換しなくちゃいけない…………合ってるよね?」
「おう、その通りだ。すごいな。教えてないのによく気がついたもんだ」
俺が感心したのだが、フェトラスの表情は曇ったままだった。
「わたし、知ってるんだよ。わたしがお腹いっぱい食べるのに必要な金額で、何が買えるのか」
「………………」
「だからわたし、我慢するの」
「……………………」
「だってお父さん、あんまりお金持ってないもん」
問題です。
自分の娘が、言外に「お父さんは甲斐性なし」と言ってきました。その時、この元英雄にして国家反逆罪に問われた経験も持つこのロイル様は、月眼とも対峙したことある究極の生きるレアケースたる俺様は、どう思ったでしょう?
①罪を犯してでも金を稼ぐ
②戦火に身を投じ、地位と名声を得る
③王国騎士団の装備を売る
そして④。シリックと共に魔王テレザムを討ち、その名誉の全てをカッさらい、領主から報酬と地位をふんだくり、貴族として食っちゃ寝の生活を確保する。
正解は。
「フェトラス」
「な、なに?」
「お前、成長したなぁ」
「……そうかな。最近じゃあんまり身長伸びたりしてないよ?」
「そうじゃなくて。内面の話だ。嬉しいよ」
「そう?」
「おう。だからこそ俺は、戦えるんだ」
魔槍は駆けるのをやめ、歩き、そして見つけた。
魔王は喰らい続け、そして世界を知った。
ならば俺はどうだろう。
彼女らに負けないように、俺も成長しなければ。
⑤ 頑張る
短い言葉だが、それに自分の命を賭けようと、俺はしみじみ思ったのであった。