2-21 一歩ずつ前に
サリアは大きな漁港だったが、目的地はここではない。
俺たちはユシラ領の中心地を目指して早々に旅立つこととなった。
が、その前に情報のすり合わせというか、今後の方針や何やかんやを話しておくべきだろう。人に聞かれたくない話しも含むので、宿の部屋で朝食を取りつつ打ち合わせをすることにした。
船の上で簡単な説明は聞いていたが、俺は改めて彼女に確認することにした。
「この辺に関しては土地勘が全くないわけだが……シリック、お前の家までどれぐらいかかるんだっけ?」
〈近いですよ。馬を使えば三日ほどです〉
「道中に村もあるんだよな。うーん。徒歩で行ってもいい距離だが……実際どう思う?」
〈早急に魔王を討つべきです〉
その声色は、固かった。
「まぁ、魔王テレザムは手負いだし、普通はそうするよな」
〈ええ。王国騎士団による討伐隊が間に合っているかどうかは分かりませんが、それはもう些細なことです。
私が魔王を倒します〉
「そっか。なら馬を借りるか」
「うま?」
フェトラスがベーコンを食べながら首をかしげた。
「そういえばいつかお父さんが言ってたっけ。馬だけは食べない、って」
「おお。俺は絶対に馬だけは食わんぞ」
「美味しくないの?」
「…………美味い」
「まぁ」
フェトラスの顔が期待と疑問に染まる。
「美味しいのに、食べないんだ」
「食わない。俺、馬って動物が好きなんだよ。優しいし、頼りがいがあるし。あいつらは俺の中じゃ便利な動物じゃなくて、相棒にするに相応しい種族だ」
「ふーん……」
「怪我して使えなくなった馬をイジメてたヤツがいたんだが、それを見た俺は、あー、えー、んと、とにかく馬は良い生き物だ」
「良い生き物、か……」
フェトラスはふと自分のパンの上に乗っているベーコンを見つめた。
「……じゃあ、悪い生き物ってどんなの?」
「――――――――難しいな」
安易に答えることは出来なかった。
良いも悪いも、当人の主観でしかない。
備蓄食料を食い荒らすネズミは人にとっちゃ悪だが、子ネズミにとっちゃ親ネズミが善だ。ペットとして飼えるネズミも存在すれば、疫病を撒き散らかすネズミもいる。
鳥だってそうだ。人に飼われ、卵を産んだり、狩りを手伝う鳥がいれば、「死の鳥」だっている。
毒蛇は悪だが、毒抜きした蛇は薬になる。
良い生き物――――全生命体に対して、良い生き物。
そんなもの想像も出来ない。きっと存在しないのだろう。
この世は適者生存。生きることは戦うこと。全ての生命体の味方は、きっと全ての敵でもある。
転じて、悪い生き物を想う。――――魔王は、生き物ではない。
俺は頭をふって、思考を止めた。
「まぁ、とにかくあとで馬を見に行こう。きっとお前も気に入るよ。悪いなシリック、話しがそれた。本題に入ろう」
〈構いませんよ〉
「まぁとにかく馬を借りて、三日後にはユシラ領に。そんで準備を調えて魔王討伐、と」
〈ええ。長い時間離れていたのですが、このサリアでも魔王テレザムの噂はあまり広まっていません。つまり、まだヤツは動いていない〉
「場所とかはどうなんだ? ヤツの根城とか」
〈恐らくはユシラの山岳地帯に潜んでいると思われます。配下の魔族は多少増えているかもしれませんが、恐れる程度ではないかと。ここは人間領域で、魔族の生息地は遠いですから〉
「そうだな。その魔王テレザムってのは、どんなヤツなんだ?」
〈直接会敵したわけではないのですが、情報を整理すると……恐らく発生から二年程度。細々とモンスターを狩り、ある程度肉体が成長してヴァベル語を習得し、野に降りてきたのでしょう〉
「二年、か。微妙なトコだな。ユシラ領のモンスターは強いのか?」
〈山岳地帯の奥には強いモノもおりますが、人間とは住み分けが出来ています。でもまぁ一般的と言って差し支えはないかと〉
「本当に微妙だな。普通の兵士が遭遇したとして、討伐出来るかどうかは運とタイミング次第って感じか」
〈……事実、五名の兵士が山岳地域のパトロールをかねての演習中に遭遇したそうです。そして即座に交戦。三名の負傷者を出し、魔王は逃亡したと〉
「追っ手は出したのか?」
〈ええ。ですが発見には至らなかったそうです。しかし確実に山岳地域に潜んでいることでしょう〉
「ほう。根拠……つーか、理由でもあるのか?」
〈山火事の件数が増大しました。調査の結果、魔法を使用したような痕跡が発見されています〉
「面倒だなぁ。火属性か」
〈山岳地帯なので、燃えるモノはあまり無いんですけどね〉
ふと見るとフェトラスは完食していた。
すりすりと自分の腹をなでながら窓の外を見ている。
「退屈かフェトラス」
「ううん。大丈夫。大事なお話しなんでしょ?」
「まぁな。悪いがしばらく大人しくしておいてくれ」
「はーい」
俺はカップに入っていたスープに口をつけた。ぬるくなっている。
「んで、お前がサシでやりあったとして、勝率は?」
〈必ず殺します〉
「……聞き方が悪かったと謝るべきか?」
〈冗談ですよ。ふふっ、ロイルさん緊張しているんですか?〉
真面目な話題に紛れ込んだ、茶化すような表情。
この野郎。すっかりシリックだな。
まぁいい。
「お前一人でやれるのか?」
〈大丈夫です。言わせてもらえば、このミトナスが屠ってきた魔王達に比べると雑魚ですよ〉
「銀眼ヤッたって言ってたよな。マジか。どんな奴だったんだ?」
〈――――それは、また追々〉
彼女はちらりとフェトラスの方を見た。
それは、同じく銀眼保持者であるフェトラスを気遣っているように見えた。
「まぁ勝率が高いならそれでいい。だが実際どう戦うつもりなんだ? お前、人間と共闘したことってあるのか?」
〈そりゃありますよ。そして今度も、普通に戦うだけです。私の戦闘形態は覚えてますよね? あの姿に戻り、テレザムを穿つだけです〉
「そういや、あの姿って任意でなれるんだっけか。……なれるんだよな?」
〈ええ〉
シリックは布に包んでいたミトナスを取りだし、立ち上がってそれを構えた。
シン、と部屋に静けさが訪れ、間も無くミトナス本体が鳴動し――――。
〈――――問題なくいけます〉
と、変身に至るまでもなく、シリックは微笑みを浮かべた。
もしコイツが「所有者の事情なんて知ったことか。身体さえあればこっちのもの。この世の魔王を全て刈り尽くしてやんぜ!」みたいなヤツだったら、と思うと恐ろしい。コイツは人間社会に紛れる術を覚えたわけだし。
だけど、シリックが浮かべた微笑みは「魔王を狩るのに問題はない」という類いのモノではなく「ちゃんと戦えるから安心してください」という、俺とシリック本人のための微笑みだった。
「分かった。まぁ細かいことは道中でも話すとして、概ねの方針は決まったな」
まずユシラ領を目指す。
装備を調え、山岳地帯へ。
そして魔王テレザムを発見し、討伐する。
えらく簡単に聞こえるが、まぁ、実際簡単だろう。
思えばカウトリアを失って、森に入るだけでもビビってた俺だが、いつの間にかそんな恐怖は小さくなっていた。魔槍ミトナスと対峙したり、何だかんだモンスターと戦っているウチに感覚が取り戻せてきているのかもしれない。
(魔王と戦う、とか普通に言ってるんだからなぁ……我ながらどうかしてる)
危険な感覚だ。
聖遺物である魔槍ミトナスがいるからだろうが、ちょっと現実も見よう。
モンスターと戦うのは何とかなる。
魔族と戦うのはかなり厳しい。
魔王は無理。
今の俺の実力じゃ、足手まといもいいところだろう。
いつかシリックに「魔王ギィレスを倒したこともある俺は役に立つ」とか言ってしまっていたが、ぶっちゃけ役に立たない可能性が高い。もし魔王テレザムがテクニカルなタイプなら攻略に口添え出来るかもしれないが、火属性の魔王ってのは大体が直情的だ。単純に力と力のぶつかり合いになるだろう。
怪我はもう完治したが、戦士としてのロイルは、あまり強い方じゃない。
ただカウトリアが強力だっただけだ。
ふと気になって、シリックに問いかけた。
「あのさ。俺とお前って、結構仲良くなれたよな?」
〈え? ……まぁ、ええ。そうですね〉
「歯切れが悪いな」
〈いやだって、私……こんなに長い間会話を重ねたのって、ロイルさんだけなんですよ?〉
「あー。そういやそうだったな」
〈だから、仲が良いかって聞かれると、答えづらいです。そもそもどういう状態が「仲が良い」と呼ぶべきなのかも分かりませんし〉
「悪かった。聞き方変えるわ」
俺が気になったこと。
「俺が魔槍ミトナスを使う、ってどう思う?」
〈お断りです!!!!!!〉
反射的に怒鳴られた。
〈確かにロイルさんとは長い時を過ごしたように思えますが、カウトリアのマスターとなると話しは別です! イヤです! 断固拒否です!!〉
「わ、分かった分かった」
何なんだよカウトリア。お前、いったいどんなヤツなんだよ。どんだけ怖いんだよ。
ちょっとした興奮状態に陥ったシリックをなだめつつ、残っていた飯を手早く食べ終えた。
「じゃ、細かい作戦は道中で。現地入りして最新情報を得たら、作戦を見直す。準備が出来次第討伐に向かうということで。いいな?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「見ろフェトラス。これが馬だ」
「わぁぁぁぁ……」
馬小屋にフェトラスを連れて行くと、彼女は子供らしい感嘆を上げた。
「綺麗だね! なんか、強そう!」
「いや馬はか弱い生き物だ。繊細で優しくて、臆病なんだよ」
「こんなに筋肉モリモリなのに?」
「走るに特化しているだけさ。戦いには向かない、草食動物」
「ふぇぇぇ」
自分の数倍もの大きさをほこる馬を前に、フェトラスは小躍りした。
「触ってみてもいい?」
「後ろに立ったら蹴り殺されるから、気を付けろよ」
「蹴りこっ!? ……強いじゃん!!」
ドラガ船長の給金は大層多く、金貨にして五枚分ぐらいあった。
給料の良い都市で働いたとしても一ヶ月分以上に相当する。二週間程度で稼ぐにはあまりに多かった。いつか彼に、改めてお礼が言えたらいいのだが。
そんなわけで馬を借りるのは余裕だった。買ったわけじゃない。ユシラ領もそこそこ大きい所なので、組合がある。そこに馬と証明書を返却すれば、賃料のいくらかが返ってくるシステムだ。馬にもお財布にも優しい、完璧なプランだ。
その他に、薬や便利な道具などを買いそろえる。
服とナイフを新調し、靴も新しいものを購入した。
つまりはオールコーディネイト。さようならボロ服。こんにちは文明。俺は新しいシャツに袖を通しつつ、自分が人間の世界に帰ってきたことを改めて実感した。
「おー。お父さん、かっこいい」
「ふん。三男にも仕立て服、ってな。着飾れば誰でも良く見えるもんさ」
「元々かっこいいけど、更にすてきー」
「お前の可愛らしさには負けるぜベイビー」
「そーゆーのは真面目に言って!」
「ああん!? そんなこっ恥ずかしいこと、真顔で言えるか!」
「たまに言ってくれるじゃん!」
「そりゃ実際お前が可愛いからだな!」
「……えへへー」
なんて茶番を繰り広げつつ、俺たちは気持ち新たに漁港サリアを後にした。
「よーし、出発だ!」
「おー! ……ところでお父さん、なんか元気というか……爽やか? だね? 何か良いことあったの?」
「服が新しいからだろ」
「そうかなぁ。そういえば昨日の夜、どこに行ってたの?」
バレてたのかよ。
「どこにもいってないヨ」