2-17 牛肉
中継地点の村に降り立った俺たちは、まず叫んだ。
「久々の大地だぁぁぁ!」
「足下が揺れないぞー!」
〈……一瞬で元気になったな〉
俺は船上の激務のせいで。フェトラスは退屈のせいで。両者ともに軽く憔悴していた。だもんで、それらから解放された俺たちは、ちょっとした興奮状態だった。
少しの間世話になった船を振り返り、ため息をつく。
「漁師ってのも大変なんだな……船長! 世話になった! ありがとう!」
「忘れモンだぞ」
船長は礼に答えず、ただ淡々と何かを放り投げた。
桟橋に重たい音。小さな布袋だった。
「そっちのガキは仕方ないとしても、お前もガキみてーに飛び出してんじゃねぇよ。それは給金だ。せいぜい良いモン食わせてやれ」
「おお! そうだった! そのために働いたんだった! 重ねてありがとう!」
船長は片手を振り、船内に戻っていった。これから積み荷を降ろしたり、今日釣り上げた魚を売りに行ったりするのだろう。
ちなみに昨日までに釣った魚は、船内でほとんど乾物に加工されていた。保存食の作り方の基本をおさらい出来たのは心強い経験だ。
「さてと、まずは――――」
「ご飯屋さん!」
「宿の確保だ」
「それは後にしよう!」
「あの漁師達みたいなのが続々と集まってきたら、野宿することになるかもしれんぞ。レストランは逃げねーけど、寝床は奪われるんだよ」
「手分けして当たろう! お父さんは宿屋! わたしはレストラン!」
目の前で謎の反復横跳びをしながらフェトラスは叫んだ。
「おなかすいた!」
【ミトナス視点】
興奮したフェトラスを押さえるのがロイルには難しかったらしく、すごく複雑な顔をしながら彼女を僕に預けた。
「すまん。迷惑かけるかもしれないが、コイツと一緒に飯屋の席を確保しておいてもらえるか?」
〈構わないけど……いいの? その、色んな意味で〉
「すまん。牛肉が食えると分かったせいか、あいつ見たことのないテンションになっちまってて……」
〈そういえば船長に熱心にレストランのメニューを聞いていたっけ。僕も、聞かれたけど〉
「実際どうだ? あいつは、フェトラスは――――」
ロイルが心配そうにフェトラスを見つめる。
僕も同じように視線を動かすと、そこには謎めいた行動を取っている子供がいた。スクワット、と言うトレーニング方だろうか。「んっ! んっ!」と笑いながら上下運動している。
〈僕には……お腹が空いてどうしようもないけど、極限状態までエネルギーを使って空腹状態を強くして、食事をもっと楽しみたい! って衝動に駆られた『変な子供』にしか見えない〉
「ならいいが……じゃあ、頼む。あいつと一緒に行って、先になんか食っててくれ」
〈逆に尋ねたいんだけど、ロイルの方こそいいの? 僕が彼女と二人きりになるってことは――――心配しない?〉
僕はロイルに、布を巻き付けた魔槍ミトナス本体をちらりと見せた。
〈僕が無害だと、そう信じられるのかい?〉
「あー」
彼は「そういう意見もあるかぁ」みたいな顔をして、不器用に笑った。
「もし、万が一、お前とフェトラスがぶつかることになったら。そんな事は考えたくもないんだが、きっと誰にも幸せにならないだろうな。誰も得をしない、悲しい結末になる」
〈――――――――〉
「でも、お前は戦いたくないし、フェトラスもそれは同じだ。だから、信じることにするよ」
〈何をだい?〉
「……あいつの食欲?」
そう言いながら彼が浮かべたのは嬉しそうな笑みだった。
それを見た瞬間、自分の心の中にあった不安がかき消える。
〈分かった。じゃあ、先に行って食べてるよ。僕はこの村についての知識があるから大丈夫だけど、ロイルはどうだい? 宿の場所とか分かる?〉
「方向と宿の名前だけ教えてくれりゃ、あとはどうにかするさ」
僕はロイルに簡単な説明をして、それを聞いた彼はフェトラスに「ミトナスと先に飯を食ってろ」と伝えていた。
「うん! わかった! でもあんまり食べないでおくね! よーーーく噛んだりして、なるべくお父さんと一緒に食べられるようにする!」
「ハナから俺の到着を待つ、というプランは?」
「たぶん我慢できない!」
「正直なヤツだ。じゃあ、俺からも注文を」
「なーに?」
「俺が来るまで何を食ってもいいが……ミトナス、いや、シリックがダメと言ったら素直に諦めろ。予算の都合もあるからな。ぶっちゃけ俺たちはまだ貧乏だ」
「おー。そっかぁ……」
ロイルは僕に、その食事の予算額とやらを告げた。
想像よりもかなり多かったが、とりあえず了承の意思を示しておく。
「あと、これが一番のお願いなんだが。俺が来るまで、絶対に牛肉は食うな」
「なんで?」
「……説明はしない。ただ、それだけは守ってくれ。お願いだ」
「分かった。でも、お父さん来たら食べていい?」
「もちろんだ。一緒に食おうぜ!」
「なら待つ! 余裕で待つ! 超待ってる!」
それは微笑ましい光景だった。
シリックの記憶の中でも珍しいほどの、とても幸福な家族の姿。
……親バカと、ファザコン? とでも呼べばいいのだろうか? いや、少し違う気がする。とても仲の良い親子には確かに見えるのだが……。
親。子。
人。魔。
英雄と、魔王。
仲良くしてはいけないはずの、そもそも出来るはずがない、呪われた関係性。綺麗な絵なのに、まるで絵の具の材料が血であるかのような――――。
こんな光景をジガフット辺りが見たらどう思うだろうか。
いやいや、それよりも何よりもカウトリアだ。彼女がこんな光景を見たら、見たら……。
〈うわぁ〉
「え? ど、どーしたいきなり変な顔して」
〈……なんでもないよ〉
僕は苦笑いを浮かべて、今にも駆け出しそうな子供に手を差し伸べた。
〈フェトラス。今から僕はシリックになりきるから、キミもそれに合わせてほしい〉
「そっか。今から色んな人とスレ違ったりするもんね。分かったよ!」
訓練の一つというか。
僕はまだ自分の状態に慣れていない。
このような状態に陥ったのは完全に想定外であったが、利便性が強いということは判断出来る。自分の戦闘形態では、船に乗ることはとても難易度が高いからだ。
なので手っ取り早く、シリックの真似をすることにした。魔王にたどり着くまでの短い間だが、十全にこなせるようになっておけば何かの役に立つだろう。
改めてシリックの記憶を読み取り、一度だけ深呼吸をして、僕はフェトラスに微笑んだ。
〈それじゃあ――――フェトラス、手を繋いで行きましょうか。出来るだけお父さんとの食事の時間もほしいから、なるべくゆっくり。走ったらダメよ?〉
「うん!」
フェトラスは自然と僕の手を取った。
「それじゃあお父さん! いってきまーす! 早く来てね!」
「おう! 後でな!」
僕、いや、私はフェトラスとお話ししながら歩いた。
「ねーねー! ここのご飯って、アルドーレのよりも美味しいかな!?」
〈あそこのレストランは、腕は普通で材料が悪い、って感じかしら。種類にしても鮮度にしても、調味料の種類にしても……そう考えると、この村も似たようなものかしら〉
「つまり同じくらい美味しいんだね! 楽しみ!」
〈そう言ったつもりは無いんだけどなぁ……フェトラスは食べる事が大好きなのね〉
「うん! だってご飯食べると幸せじゃない? それが美味しいものだともっと幸せで、あとお父さんが一緒だったら最強だよ!」
〈あらあら。じゃあ、お父さんと美味しいご飯、どっちが好き?〉
「えっ――――それって、比べることなの?」
〈あ、いや、別に困らせるために聞いたわけじゃないのよ。ごめんなさい〉
村人が通り過ぎる。
私達を見て、少しだけ微笑んでいた。
「うーん。シリックさんの質問は難しいなぁ。どっちも好きだし、どっちが無くなってもイヤだし、ああ、でも――――ああ。そっか」
〈?〉
「えへへ。答えが分かった」
〈あら、そうなの? じゃあ教えてくれる?〉
「恥ずかしいからダメー」
〈なによ~教えてよ~。もうそんなんじゃ、言ったも同然じゃない〉
「……お父さんには言わないでね?」
〈そんな恥知らずなことはしない。大丈夫よ。秘密は絶対に守るから〉
「あ。別に秘密じゃないの。お父さんはもう知ってるし、わたしが直接、いつか改めて言いたいだけ」
〈そう。分かったわ〉
「あのね、ご飯は好き」
〈うん〉
「お父さんのことは、愛してる」
〈――――――――え〉
えへへへへへと盛大に照れるフェトラス。
そして私僕我は、そこで意識を失った。
【ロイル視点】
シリックに教えてもらった宿屋はすぐに分かった。看板出てるし、小さな村の構造からしても分かりやすい位置にあったからだ。
俺とフェトラス、そしてシリックの分と二部屋を取るか、あるいは三人部屋を取るかで俺はおおいに悩んだが、結局は三人部屋にした。
そりゃ悩むわ。シリックが普通の女の子なら当然別々にするが、今はミトナスの精神で動いている。アレをどうにかするというのは、酔いつぶれた女性に狼藉を働くよりもタチが悪い。まぁそのキーワードだけで勃ちはいはい何でもありませんごめんなさーい!! そもそもフェトラスが同室なんだから絶対しませーーーん!!
宿賃節約したいしね。
それに、人間と魔王と聖遺物が一緒に寝泊まりするなんて、愉快だしね。
俺は前金を払って鍵を手にし、王国騎士の装備と、持っていたわずかな荷物を部屋に置いてから宿を出た。剣と簡単な防具だけは手放さない。
中継地点としての村。
名前なんだっけ。忘れた。でもたぶん二度と来ないから別にいいや。
前もって教えられたレストランは探すまでも無い。大通りにある唯一のレストランなのだから、歩いていればすぐに見つかるだろう。
そろそろフェトラスは何かを口に入れて「おいしい!」と叫んでいる頃だろうか。
「おとーーーさーーーん!!!」
絶叫が聞こえた。
幻聴かな。
「おとーーーさーーーん!!!!!」
いや、これ幻聴じゃねぇ。
俺は慌てて駆け出して大通りを目指した。
大通りの一角が少しザワついている。
五人ほどの大人が心配そうに何かを取り囲んでいる。
そしてその中心からは、娘の声が。
「どうしたフェトラスッッ!!」
「あ! お父さん! どうしよう、シリックさんが!」
「どうしたっ!」
人をかき分けて駆け寄ると、フェトラスが地面に座り込んだシリックを抱きしめていた。
「シリックさんが、なんか急に倒れて……」
「倒れたぁ!?」
聖遺物が? いや、それはさておきだ。
慌ててシリックの容態を確認すると、彼女はブツブツと何かをつぶやいていた。
〈出異**寝症*鰓璃*異Fa*症ん素螺ッ主鰓最希*〉
(ヴァベル語じゃ……ない?)
ただ、なにか規則性があるような。
でも、じっと聞いていると気分が悪くなるような。
魔王の独自言語ならぬ、聖遺物の独自言語か?
「一体何があったんだ!?」
「わ、わかんない。ただ急に……」
俺たちがそろって狼狽えていると、近くにいる人が「医者を呼んだ方がいいんじゃないか?」と声をかけてきた。
「そうだな。俺たちは旅人で、この村については詳しくない。申し訳ないんだが、医者を呼んでくれるか?」
「わ、分かった」
「おい、シリック! しっかりしろ! おい!」
軽く頬を叩いてみる。
パチパチ。
パチパチ。
バチバチ。
少し力を入れて頬を打つと、謎の呟きが一瞬途切れた。
〈適性半*Toda*星最希*陟膳*Da*多〉
呟きの規則性が、変わったような、もっと意味不明になったような。
「お、おい! シリック!」
〈Wo師*星徒――――えっ?〉
「えっ」
〈えっ……なんですか、これ〉
会話出来てる。
「そりゃこっちの台詞だ! おい、大丈夫かシリック!」
〈シリック? ――――嗚呼、ああ、そうか、そうだった〉
よろよろとシリックは立ち上がり、辺りを見渡した。
〈い、一体何が〉
『そりゃこっちの台詞だ(よ)!』
俺とフェトラスの声がハモった。
周囲の人も心配そうにはしてくれたが、とりあえずシリックが平静を取り戻したので、色んな気遣いの言葉を頂戴しつつ、その場は解散となった。
医者を呼びに行こうとしてくれた男だけは最後まで「本当に大丈夫か」と尋ねてきたが、当のシリックが、
〈ごめんなさい! 慣れない船旅のせいで疲れが溜まっていたようです。でも少し休んだら治ったので平気ですっ! ご心配をおかけしてすいません。そして、ありがとうございますっ〉
と空元気には見えないような、でもさっきまでの様子が異常すぎたから嘘にしか思えないような、そんな元気な返事を可愛らしいポーズでしたので、男は何度もこちらを振り返りながら去って行った。いい人だ。
んで、改めて。
「何があったんだよ……」
「分かんない……」
〈分かりません……〉
「あー。えっと、もういいや。人もいないからはっきり聞く。ミトナス。お前、本当に大丈夫か?」
〈シリックで結構ですよ。ちゃんと大丈夫です〉
「……お前、今の自分がどういう状態なのかちゃんと把握出来ているか? 意識を有したまま人間に戻ったことって、今まで無かったんだろう?」
〈それも大丈夫です。理由はなんとなく想像つきますし〉
「じゃあなんで倒れたりしたんだよ」
〈それは……ごめんなさい。分からないんですが……でも、もう大丈夫です〉
「本当かよ……さっきまでのお前、なんかブツブツと呪文みたいなこと口にしてたぞ?」
〈呪文? どんな?〉
「どんなって言われても。えーと、その……再現出来ねぇけどよ」
俺たちはそろって沈黙し、はぁ~と長いため息を吐いた。
「まぁ、確かに今は平気そうだからいいんだけどよ。理由が分からないのは怖いな。フェトラス、本当に何も無かったのか? いきなり?」
「普通にお話ししてただけだよ。別に何も……」
「何を話してたんだ?」
「え? ご飯食べるの好き~みたいな」
「うむ。いつも通りのお前だな」
となると本当に原因不明だ。
「本当に疲れてただけ、とかだったらいいんだけど」
〈それはあるかもしれません。戦闘形態は解いてるとはいえ、心と体は未だに一致はしていませんし。もしかしたら、記憶の読み取りに夢中になりすぎて少し疲れてしまったのかもしれませんね……〉
「……そうか」
〈でも、もう大半は読んでしまったので、こんなことは二度と起きないと思います〉
「…………そうか」
とりあえず、ここで話していてもラチがあかないことは分かった。
ちらりとフェトラスに視線をやって、こう聞いてみる。
「腹は減ったか?」
「うん!」
素直に答えるということは、相当に腹が減っているのだろう。ちょっぴり減っている、ぐらいの腹加減だとコイツはだいたい「お腹空いてないもん!」と意地を張る。
「んじゃ、さっさと飯でも食って、早めに宿に戻るとしようか」
〈そうですね。何だかんだ言って、私もお腹が空きましたし〉
「じゃあ決まりだ。ただ、体調が悪くなったらすぐ言えよ?」
〈大丈夫です。が、了解です〉
【レストランの店主視点】
見慣れない、そしておかしな客が来たなぁ、とは思ったよ。
中々に戦えそうな男と、ちゃんとした騎士っぽいねーちゃんと、子供が一人。観察した結果、どうやら男と子供は家族で、ねーちゃんは知り合いって感じだった。
組み合わせ自体は別にどうでもいいんだが、こんな村に子連れで来るっていうのは少々特殊だ。厄介者としか思えない。
でも、その親子はなんか楽しそうでな。
見てれば見てるほど、疑うこっちが馬鹿らしく思えたもんさ。
まっ先に「牛肉はありますか!」とか初めて聞かれたぜ。
俺は「漁師達が来るって分かってたから、あらかじめ捌いておいたヤツがあるよ。食うかい?」と言いながら、簡素なメニューを差し出した。
子供は「お父さんお父さん! 全部食べよう!」とか言うし、親父の方は「落ち着けフェトラス。そんなことしたら明日を生きる金が無くなる」「今を生きよう!」「こんなタイミングで言うセリフじゃない」って会話をこなしていた。本当に仲が良さそうだ。
対しておねーちゃんは静かなものだった。俺がメニューを渡そうとすると「サラダと、パン。あとは、豆を使ったスープをください」という簡素な答えが返ってきた。戦う人間のくせに肉が嫌いなのかね。
結局のところ、そいつらが注文したのは安いコース料理みたいなラインナップだった。強いて言うなら、男が大食漢なのか結構な量を注文されたって事ぐらいかね。そして。
「あと牛肉なんだが……この店で、一番高いのって言ったらどんなもんだ?」
「一番高いの、ときたか。そりゃ漁師連中の船長クラスが食うヤツだな。でもある意味予約されてるようなもんだから、悪いが提供は出来ない」
「――――この子は、牛肉を食ったことがないんだ」
「はぁ? そんなにデカいのにか?」
「ああ。事情があって、な」
まぁそりゃ事情はあるだろうよ。こんな所に来る子連れとか、犯罪者か逃亡者だ。
「だから、せめて生まれて初めての牛肉は、美味いものを食べさせてやりたい」
「親心だな。しかし、さっきも言った通りアレは船長……つーか、ちょっと厄介な客がいてな。乱暴でめざとい男さ。そいつは上等な肉を他の客に出すと、怒るんだよ」
ほんのちょ~~っぴり同情しつつも断ろうとすると、子供が静かな声を出した。
「おとーさん……わたし、大丈夫だよ」
「フェトラス……」
「高いの? ってよく分かんないけど、お父さんと一緒なら何でもいいよ。だから、そんな顔じゃなくて、笑ってて?」
とても静かな声と、微笑みだった。
風が吹けば、諦観と共に飛ばされる野花のような。
それは死んだ女房がたまに浮かべていた、俺を見守る微笑みだった。あの時の俺は酒に狂っていて、大事な物が見えなくなっていて、それが今でも後悔で。
「分かった」
「えっ」
「持ってくるから、食わせてやんな。ただし、ぜってー誰にも言うなよ」
「い、いいのか?」
「バレねー程度に切り分けてやるよ。本当に少しだけだけどな。おい嬢ちゃん。ん? 坊主か? まぁどっちでもいい。肉の焼き加減の好みは?」
「やきかげん?」
「……食い応えのある肉と、柔らかい感じの肉。どっちが好きだ?」
「えっと、どっちも食べてみたい……えへへ……」
それは女房にプロポーズした時の以下略。
「分かったよチクショウ!」
俺はキッチンに戻り、コックを任せてる男にメニューを通した。
そして牛肉だけは、俺が調理に回る。
いいぜ。嘘か本当かは知らねーが、初めての牛肉なんだろ? せいぜい美味く焼いてやるから味わいやがれってんだ。けっ。ちくしょうめ。てやんでぇバーロー。
そいつらは賑やかに飯を食っていた。
といっても元気なのは子供だけだったけどな。
親父は笑いながらたしなめたり、ねーちゃんは微笑んでたり。
何食っても「おいしー!」って叫ぶから、周りのテーブルにいたヤツらもなんか楽しそうにしてたよ。飯屋冥利に尽きる、ってのかね? まぁ俺も素直に嬉しかったさ。
んで、あの子供がどんな顔して食うかなぁ、とか考えたらよ、そりゃ調理にも真剣味が増すってもんだよ。久々に気合い入れて焼いたね。
普段ならウェイターに持っていかせるんだが、焼いただけじゃなく、配膳まで俺がやっちまった。
「おらよ。お待ちかねの牛肉だ。よく焼きと、半生な。出せる量はこれが限界なんで、勘弁してくれや」
「いや、いい。無理を言って悪かった。ありがとう」
「おおおおおおおととととととお父さん。これなに」
「言ってただろ? これが最強の肉だ」
「さいきょう。牛さん」
「おう。俺はいいから、二つともお前が食っちまえ」
「いいいいいいの!? こんな輝いてるのに!? ゆ、湯気出ててるのに!? においが! においがすごい! 鼻がやばい!」
あんまりにも必死な形相だから、俺はちょっと引いた。
「いただきまーーす!」
それはそれはとても大きな宣言だった。
周囲の客も「なんだ何だ」と注目する。
ぱくり。
【乱暴な船長の視点】
飯屋に入ると「いただきまーーす!」というデカい声が聞こえた。
何事だ? と視線をやると、見知らぬガキがステーキを食う所だった。
めざとい俺はそれが、船長たる俺こそが口に出来る「良い肉」だということが分かった。あのオヤジ、あんなガキに俺の肉を出しやがったのか?
暴れてやろうか、なんて考えた。
そして次の瞬間。
「――――――――おいしい」
ガキが、ポロポロと泣き出した。
えっ。なんで泣いてんの。
「おとうさん。これ、おいしい」
ポロポロと、泣きながら肉を飲み込んだ。
そんなに腹が減っていたのだろうか。
ガキは涙を一生懸命拭き取り、泣き止むまで決してフォークを手に取らなかった。
「おいおいフェトラス。何も泣くこたねーだろ。ほら、全部食えよ」
「うん。でも、えへへ。涙が止まってからにする。味わって食べたい」
鼻水をすすりあげて、子供はニッコリと笑った。
それは父親にだけ向けて見せた表情だったのだろうが、周囲にいる人間全員が、それに見惚れた。
子供はもう一口、肉を食べた。
次の瞬間、子供はダンダン! と地面を踏みならし、バンバン! と自分の太ももを叩いた。そしていよいよ絶叫を開始する。
「おーーいーーーしーーーー!! なにこれなにこれ! 肉? え、これ本当にお肉? なんなの? こんなの、すぐにみんなが食べ尽くして絶滅するんじゃないの!?」
ぱくり。
「くっ……はーー!! 柔らかい! こっち柔らかい! 果物食べてるみたいに、なんか口の中がじゅわ~って! あ! これわたしのよだれ!? いや違う!」
ぱくり。
「こっちのよく焼いたのもすごい! 噛めば噛むほど味が広がっていって、あ! もしかしてこれパンとかと一緒に食べるともうなんか何かなんか!!」
パンにソースを絡ませて、肉と一緒に食べる。
「やっぱりーー!! おわああああああ!」
違うテーブルに座っていたジジイがその子供に声をかけた。
「お嬢ちゃん。美味しそうに食べるねぇ。実はワシ商人でな。珍しい塩をもっとるんじゃが……どうだい? 試してみるかい?」
「お塩? あ! 海のあじ! くれるの?」
「おいおいフェトラス。止めとけって。知らない人に迷惑を……」
「いいんじゃよ、いいんじゃよ。えーと、あの岩塩はどこに……貴重品じゃから持ち歩いて……おお、あった。ほらお嬢ちゃん。ワシが砕いてやるから、かけて食べてみなさい」
めざとい俺にはその岩塩がやたらと高級品であることが分かったが、どうでもいい。あれで肉を食うと確かに美味い。
パラパラ。「いただきまーす!」ぱくり。
その子供の髪の毛が、一瞬逆立ったような錯覚を覚えた。
「ほわああああ! お父さんお父さん! これ! わたしの腕! なんかブワーって!」
「鳥肌立ってんじゃねぇか。す、すいませんね。そんな貴重な物を……」
「ええんじゃ、ええんじゃ。こんな岩塩よりもっと貴重なモノが見られたわい。こちらこそありがとう」
肉を口に運ぶたびに、その子は太陽みたいに、天使みたいに輝いた。
それは牛肉の味を讃えるというよりも、世界に対してお礼を言っているようだった。
だが輝く太陽はいつか沈んでしまう。
最後の一切れを口にして、その子は「もうこのまま死んでもいい」みたいな笑顔を浮かべたのちに、空っぽの皿を前にして絶望的な表情を浮かべた。
「あっ……無くなっちゃった……」
しょんぼりしている。
だけど気を取り直して、その子はまず父親に、そして料理屋のオヤジに、岩塩を別けてくれたジジイに丁寧なお礼を口にした。
「ありがとう。とても、とても美味しかったです」と。
「本当はもうちょこっと食べたかったけど」なんて。
俺は息を大きく吸い込んで叫んだ。
「おうおうおうオヤジィ! てめぇ、俺の肉をなに勝手に他の客に出してんだぁ!? アアン!? 気に入らねーな!」
「あっ、ドラガ船長……! あ、いや、コレはだな」
「気にいらねーから、もう今夜は肉なんて食いたくもねーよ! そこのガキにでも食わせてろ!」
「えっ」
「おうガキ! 俺が奢ってやるから残さず食えよテメェこの野郎! 俺は代わりに、えーと、そうだな、えーと……えっと......なんか適当に持って来いやぁ!」
そこにいた全員が幸せになった夜でした。