2-13 聖遺物の目的。魔槍の敵。
俺は準備もそこそこに、川辺に沿って歩き始めた。
もしかしたら魔槍ミトナスはあの場所から動いていないのかもしれない。そんな事も考えてはいたが、俺は時折声を張り上げながら歩みを進めた。
「おーい! ミトナース! シリックー! どっちでもいいから、いたら返事しろーい!」
魔槍に対する恐怖感は薄い。
そもそもフェトラスがいないのだから、俺を傷つけるメリットが無い。あれは確かに脅威的ではあるが、あくまで魔王殺害特化型なのだ。
しかも喋る。なら対話によって今後の道を見いだすことは可能だろうし、何よりお互いにとって有意義であると言えるだろう。
しかし魔槍ミトナスと戦う覚悟まで捨てたわけじゃない。俺が死ぬ可能性は十分にある。――だが、何かに怯えて逃げ続けても、得られるものは刹那的な物だけだ。そして逃げるたびに別のものを失っていく。
俺は恒久的な平穏をフェトラスに与えたいのだ。
だから俺は声を張り上げ続け(出来れば近くにまで来ててほしいなぁ)などと考えていた。
「うおーい! 魔槍ー! 出てこいやー!」
「グルラァ」
「お前はお呼びじゃないな!?」
何度目かの、モンスターの襲撃。
フェトラスがいないので普通に襲って来やがる。しかも、そこそこ強いときた。
熊のようなモンスター。ただし腕が三本ある。両腕の他に背中だ。
最初はカウトリアが無いこと、怪我から回復しきっていないこと、そんな不安と恐怖で正直ブルっちまったんだが、流石は王国騎士団の剣と言った所か。太刀筋さえ迷わなければ、いとも簡単にモンスターを切り裂いた。
防具の性能もきっと良いだろう。まぁ一撃でも食らってしまったら傷口が開いて大変なことになりそうなので、基本的には回避に専念する戦い方を俺は採用していた。
「ほっ……そりゃっ!」
俺は手元に転がっていた大きめの石を熊型に投擲。
やつは嫌がるように両手を振り回し、石を弾く。
「もう一つオマケ!」
距離を詰めながら小ぶりの石を複数、再び顔面狙いで放り投げる。
熊型は反射的にそれを弾く。もう距離は詰まっている。俺はがら空きになった胴体に一閃を入れ、返す刃で足を切り裂いた。
「グルルルラアアア!」
「じゃ、お大事に!」
怪我にひるんだ熊型を置き去りにする形でダッシュ。
やつは三本の腕を有しているので、どうしても防御を優先してしまうモンスターらしかった。過ぎたるは及ばざるが如し。要するに臆病なのだ。背中に生えた腕はバックアタックを恐れている証拠でもある。
もちろん攻撃態勢に入られたらすこぶる強敵なのだが、隙を作るのは割と容易だった。
「ふぅ……とりあえず五連勝……うん……意外とイケるもんだな」
落ち着いて対処すればいいのだ。
攻撃型なら、一撃も食らわないように。
速度型なら、防具に頼りつつカウンターを。
テクニカルに攻めてくるヤツは、とりあえず逃げればいいのだ。離れて様子を見たり、どう戦うかを改めて考えれば良い。
そうだ。俺は元々こういう戦い方が得意だったんだよな。ヒット・アンド・アウェイ的な。死線なんて何度も超えてられない。
しかしカウトリアを握っていたころは逆だった。何故なら活路とは、基本的に死線の向こう側にあったからだ。俺はカウトリアを駆使して、そこを踏み越えていた。
でも違うんだ。今の俺は、逃げながら戦うぐらいがちょうどいい。
熊型を臆病だと評したが、なんてことはない。俺こそが臆病者だ。
「俺は絶対に生きて帰る……!」
しかし。
五連勝とはいえ、しょせんはモンスター相手の話しである。
魔王は論外。魔獣は無理。魔族も絶望的だ。
この森に立ち入るのは二回目なので、最初に時のような強烈な不安は無いものの、やはり「敵地」に向かう勇気は、中々出そうにない。
聖遺物があればシリックの魔王を倒してやるよ、なんてほざいていたが、たぶん無理だろう。
情けない話しだが、俺は本当に死にたくないのだ。怖いのだ。絶対イヤなのだ。怪我もしたくない。フェトラスが悲しむような事は、絶対に起こしたくない。
「むぅ……こうなると、俺たちが出会った大陸に戻るのが一番いいかもしれないんだよなぁ……」
あそこのモンスターなら大半は処理出来るし。というか、そもそもフェトラスがいれば寄ってこない。生きるだけなら、あそこほど俺たちに適した住処はないだろう。
ただ非常に重要な問題として、あそこには牛も豚もいないわけだが。
「アルドーレ漁村の人達には、フェトラスが魔王だって気がつかれなかった……シリックも、恐怖を乗り越えてくれた……もっと訓練すれば、普通に街で暮らせるかもしれないな……」
ああ、それはいいかもしれない。
そうだ。そもそも戦わなければいいのだ。
どこかで農業でもやって、フェトラスと二人で落ち着いた生活をすればいい。
あいつの食費には頭を抱えることになりそうだが、フェトラスにも何か仕事をさせて……農具とか作ってもらって……俺が育てた野菜とか食べさせて……。
春には種まきを、雨なら読書を、秋には収穫し、雪の日は暖炉で温まる。
それは未だかつて、想像すらしなかった生活だった。
春には戦って、雨の日は泥水に潜んで、秋には迷彩し、雪の日は待ち伏せした。
俺の人生はそんな感じだった。
戦わない人生。
ああ、いいなぁ。
すごく憧れる。
もう戦いたくない。
怖いし、痛いし、辛いし……。
「もう、本当やだ」
〈見つけたぞ、人間――――!〉
俺は思考を切り替えた。
ここは戦場だ。この世界は戦場だ。
俺は戦争中だ。人生は終わらない戦争だ。
「ようミトナス。久しぶりだな。意外と近くにいてくれて助かったよ」
〈……? 確認するが、お前はこの身体の持ち主と縁が深い者だな?〉
「おう。そろそろシリックを返してくれ」
〈あの銀眼はどこだ!〉
「無視すんなよ」
〈おのれ……あやつ、一体何をしたというのだ!? この気配は、一体何だと言うのだ!〉
気配、か。
ミトナスは頭を抱えながらうめいていたので、俺は黙ってヤツの独り言を聞くことにした。
〈このような事態は初めてだ……まさか銀眼が、我という明確な敵を前にして保身に走ったというのか? 馬鹿な。ただの魔王ならその発想を抱いたやもしれぬが、ヤツは銀眼保持者だぞ……!? 血は戦いの中で沸騰し、相手の背筋を凍らせて、破綻した笑みを浮かべながら絶望を振りまくはずの魔王が、なぜ、なぜ……!〉
明確な敵。保身。ただの魔王。銀眼保持者。
推理の補完に必要なキーワードがポロポロとこぼれてくる。なんとなくだが、俺はミトナスの状況が読めた。
「お前、やっぱりフェトラスを捕捉出来てないんだな」
〈フェトラス……! そう、魔王フェトラス! 我らの敵……!〉
「違う。あいつは魔王じゃない」
〈なに……?〉
「あいつは、俺の娘だ」
ぽかん、とした表情。
呆。って感じの佇まい。
〈むすめ?〉
「おう。俺のラブリーな娘だ」
〈……? そういえば、あの銀眼の魔法に捕らえられた後、脱出すると見慣れない子娘がいたな。そうか、あれはお前の娘か。魔法も使っていたが、魔女ということか?〉
ここでようやくミトナスは魔王に対する敵意を一瞬だけ引っ込めた。
〈そういえば策の一環だったとはいえ、お前には迷惑をかけたな。加減したとはいえ、すまなかった。アレも魔王を倒すために必要なこと。迫り来る重大な危機を避けるための行為であったと理解してほしい〉
「魔王殺害特化の割には意外と律儀だな。……まぁノーコメントで」
〈ふん……それはそうと、お前の娘がどうしたというのだ。我は魔女になど興味が無い。我が探し求めておるのはあの銀眼の魔王のみ〉
「だから、それが俺の娘なんだってば」
〈え?〉
「え?」
〈何言ってんの??〉
「口調。だーかーらー、あの魔王は俺の娘なんだよ」
〈何言ってんの????〉
俺は腰を降ろした。
「とりあえず俺の話しを聞いてくれよ」
はじまりはじまり~。
無人島で暮らしてました。
魔王を拾いました。
育てました。
完。――――というか、「続く」。
〈お前、頭おかしいよぉ……〉
「だからその口調なんなんだよ」
〈いや……その、こんな風に人間と対話をしたのは初めてとも言えるが、今の世の中はどうなっておるのだ? そのような夢物語……いいや、全ての生命を冒涜するが如き空想が、人間の口から出て許されるのか?〉
「しかも信じてねぇやコイツ」
〈……可哀相にな。さては例の銀眼に操られておるのか……。魔王と人間が相容れる事など決して無いというのに、その摂理すらもねじ曲げられたか。どうやらあの銀眼、戦闘向きではなかったようだが、代わりに人を操る力に長けておるのだな……〉
「うーん。話しが進まない」
〈人間。心配するな、と言っても今のお前には届かぬだろうが、我らに任せておけ。お前にも、この身体の持ち主にも、必ず平穏を取り戻してみせようぞ〉
「でもお前はその銀眼の魔王を、捕捉出来てないんだろ?」
〈うむ……。我は認識した魔王を決して逃しはしない。世界の裏側であろうとも、必ず追い詰める。だが……あの銀眼は、気配が奇妙なのだ。この世界のどこかに居るのだが、どこにもいない。まるで砂漠に埋めた一枚の硬貨だ。あるはずなのに、どこにもない〉
「じゃあ、もういない、って事で他の魔王でも狩れよ」
〈それは叶わぬ。あの魔王は確かに存在している。我が発動していることが何よりの証左。あの魔王を滅ぼすまで、この身体の持ち主は――――〉
少しだけ、辛そうに、ミトナスが呟いた。そこには確かに「思いやり」らしきものが見え隠れしている。だから、俺は問いかけた。
「……シリックは、その身体の持ち主はお前にとってどんな扱いなんだ?」
〈勇敢な者だ。魔王を知り、魔王を恐れ――――それでも魔王を倒すと心の底から願い、祈り、誓った、敬意を表すべき者だ。そして我はそれを助けるモノ。即ち、我ら魔王を殺すモノなり〉
「契約の解除は念頭にあるんだな?」
〈無論だ〉
「なら良かったよ」
聖遺物と口頭で会話をする、という人類史上でもかなりのレアケースを体験しているわけだが、俺はとりあえず安堵のため息をついた。
「話しを戻すが、お前は魔王を捕捉出来てない。そうだな?」
〈その通りだ〉
「ならどうするんだ? 地の果てまで探し求めるのか? しかし、地の果てにだってその魔王はいないぞ」
〈…………〉
「永遠にうろうろ迷子を続けるつもりか?」
〈…………〉
「それで提案があるんだが」
〈なんだ〉
「その身体の持ち主が討伐を願ったのは、別の魔王なんだよ」
〈…………〉
「つまり、シリックの勇敢さは、別の舞台で輝かせるべきなんだ。今お前がやっていることは、信念とか……性質? まぁ、ようするに全部お前の都合にすぎない」
〈…………〉
「独りよがりなんだよ、お前のやってることは」
〈……――――人間〉
俺は静かに立ち上がった。
〈カウトリアのマスターだった、という事実があるからこそ、大人しく話しを聞いておれば……魔王に魅了され、滑稽無糖な空想を垂れ流し、あまつさえ我に語ってみせるか〉
「事実だしな」
〈……人間、お前は一つ、途方も無い勘違いをしている〉
「あー。うん。それは何となく察した」
〈人間は敵ではない。そして魔王は敵だ。何故なら、魔王が存在するというだけで、我の誇りは傷つけられるからだ。故に、お前が我の誇りを傷つけるのであれば、お前も敵である〉
「一回血まみれにされたしなぁ」
〈娘に助けられ拾った命。まさか散らすために我の元に現れるとはな〉
魔槍ミトナスは構えた。
それはフェトラスと対峙した時と同様に、気迫に満ちた姿だった。脅しなどではない。この聖遺物は、俺を敵だと認識したのだ。
「……冗談キツいぜ。最後にもう一回確認したいんだが、シリックを解放する条件は?」
〈あの銀眼が消滅した時だけだ〉
「そうかい。じゃあもう一つの方法を採るしかないか」
〈……?〉
「お前を壊せば、シリックは助かるだろ?」
〈クハッ〉
魔槍は嗤った。
〈クハハハハハハハハ!〉
「――――。」
〈なるほど。確かに。あの女が好きそうな男だ〉
「カウトリアのことか?」
〈うむ。恐ろしい……とてもおっかない女だった……うぅ……まぁいい。何はともあれ、お前も戦士であろう。かつては魔王を屠った英雄。そうだな?〉
「おう。ギィレスって魔王を討った」
〈お前もまた……勇敢な者だったのだな〉
声色は穏やかだが、戦闘態勢は解かれていない。
〈勇敢なる者にして、我の敵よ。名を聞いておこう〉
「ロイルだ」
さて、ここまでは予定通り。
魔王。娘。
フェトラス。俺。
敵。味方。
いるのに、いない。
心臓がはち切れそうな緊張感の中、俺は嗤った。