2-10 銀眼の魔王よりも強い者
敵対するは魔槍ミトナス。
シリックの身体を操り、その身を狼のような生き物に変貌させている。
大きさは変わっていないが、人間と同等サイズの狼となるとかなり驚異的だ。四足歩行する動物と同じく、細かに制動を操っている。
また、その身は全身を鎧で覆っており、先ほど剣で叩き付けてもうっすらと傷が入る程度でしかなかった。力の入れ方を誤れば、こちらの剣が折れてしまいそうだ。
槍の柄から穂先めいた刃が生え、それが鎧になったわけだが、どうやら攻撃性能はないらしい。通りすがりに体当たりされてもダメージは少なそうだ。
ヤツの攻撃手段は、握りしめられた魔槍ミトナス本体。
それでこちらを突き殺そうとしてくる戦闘スタイルだ。
俊敏に動き、守りは堅く、攻撃は鋭い。
とことんシンプルだ。故に攻略法が見つからない。
魔王殺害に特化した聖遺物。
鎧はおそらく魔法を弾く効果もあるのだろう。そしてその槍は、魔王を貫くことが出来る威力があるわけだ。
(そんなもんと、ただの人間がどうやって戦えっていうんだ?)
素朴な疑問である。
気になるのは魔槍ミトナスの穂先が割と短めであること。もうちょっと伸ばせば、もっと凶悪になりそうなものだが。
「ってぇ、あぶなッ!」
〈コレも避けたか……手加減なぞ初めてしたが、存外に難しいものだ〉
死線なんて越えたくない俺は、必死こいて魔槍ミトナスの突進をかわしながら、ひたすらに情報分析を行っていた。フェトラスが今何をしてるかなんて、確認するヒマもない。
「手加減って言うわりには、急所ばっかり狙ってきやがって! どれもこれも、当たったら死ぬレベルだぞ!? 人間の脆さなめんな!」
〈知っているよ。人間の身体は、魔の者と戦うようには創られていない〉
「んじゃあもうちょっと、話し合いでなんとかしてくれませんかねぇ!」
俺は鉄剣を防御にしか使っていなかった。
打ち込んでも無意味だろうし、露出した部分を狙うのも心情的に難しい。あれは魔槍ミトナスでありながら、外側がシリック、フェトラスの友達だからだ。
(出会った直後なら、躊躇いも少なかったんだろうけどなぁ……!)
俺がかつて行ったのは無血クーデター。出来る限り人を殺さないようにしてきた。しかし、俺はそれ以前は英雄で、その前はただの兵士で、その前は傭兵で、その前は……ひどい人生を歩んできた。
外道なことはしていなかったが、悪いことはしてきたと思う。命令や、必要に応じて敵を、人間を殺したことだってある。
(でも今の俺は、シリックを殺せない。殺したくない……!)
そしてフェトラスだ。
もし俺が傷ついて血を流せば、あの娘はきっと「楽に墜ちて」きたりせず、隕石みたいな速度で突っ込んできて魔槍ミトナスを倒してしまうだろう。
未熟と呼ばれた銀眼の魔王。
でもあいつの本気を、俺は知っている。
「でも実際、どうしようもねぇなコレ!」
〈確かにな。お互いに手詰まりのようだ。人間、お前はよい戦士だな〉
「そいつはどうも! お前が狩ってきた魔王に比べると、歴代何位よ?」
〈魔王と比べる、だと? ははは。塵芥に等しいわ〉
「素直に応えてくれてアリガトウよクソッタレ!」
かー! むかつく! こいつむかつく!
だがしかし、基本を思い出せ。
心は熱く、頭はクールに、だ。
俺は丁寧に剣を構え直して、防御の姿勢を取る。
〈ふむ……出来れば殺したくはない。なので行動不能にして、あの魔王を呼び寄せようかとも思ったが……〉
魔槍ミトナスは天を仰いだ。
〈どうやらお前はよほど信頼されているらしい。空を無様に駆け回りながらも、こちらのことはあまり気にしていないようだ〉
一瞬の隙を逃さず、俺も空を眺めた。おお。確かに走りまわっとる。
〈しかし無様とはいえ、まさか飛行をモノにするとはな。忌々しくも流石は銀眼の魔王だ〉
「……空を飛ぶって、そんな驚くようなことか?」
〈当たり前だ。飛ぶように創られていないものが飛ぶなど、無理がありすぎる〉
「でも鳥や竜はともかくとして……空を飛ぶ魔族だっているじゃないか」
〈それは元々、飛べるように創られているからだ。だから奴らは速く走ることが出来なかったり、長時間の運動が出来なかったりする。普通の魔王は空など飛べん〉
「ふむふむ。勉強になるな」
何故か知らないが、魔槍ミトナスは俺と会話してくれている。チャンスだ。ちょっと休憩しよう。ついでにもっとお勉強でもさせてもらうとしようか。なにせ喋る聖遺物とかめちゃくちゃ貴重品だからな。
「――――殺戮の精霊の目的はなんだ?」
〈文字通り、殺戮だ。奴らは殺すために生きている〉
「本当に? 本当にそれだけなのか? 少なくともアイツは、無意味やたらに殺し回ったりしていないぞ」
〈我には関係の無い話しだ〉
「そうか……んで、お前はなんでそんなに魔王を殺したがる?」
〈お前には関係のない話しだ〉
「ごもっともで……でも、実際のところ聖遺物って何なんだよ。誰が何のために創ったんだ?」
〈…………ああ。あの女とは、カウトリアとは会話してこなかったのか〉
「カウトリアと、会話? 出来るのかそんなこと」
つーか、カウトリアって女だったのかよ。知らんわ。
〈――――さて、そろそろ遺言でも聞いておこうか〉
え。
あ。うそ。マジで?
俺は慌ててその場から緊急回避を行った。
(会話しながら、何か仕掛けられた……!)
〈無駄だ〉
強い風が吹いた。そして、空中にきらめく無数の刃を俺は見た。視認出来ないほどに薄く、だが強靭であろう刃を。
〈お前の犠牲が魔王を呼び寄せ、我がそれを狩り、結果として無数の人間を救う。これを人は『必要犠牲』と呼ぶらしいな〉
「ちょっ」
今まで視認出来なかったものが急に見えたのは何故だ? 風が吹いて揺らいだからだ。否。風ごときに揺らめくものなら、とっくの昔に看破している。どのような角度であってもそれぞれが俺が認識出来ないように……ああ! 思考がもどかしい! 位置設定されていた超常のものだ風の影響など受けるはずがない!
つまりこの揺らめきは、予備動作――――!
〈アアアアアアアアアアア!〉
咆吼と共に、空間に固定されていた刃が射出される。
避けられない。数が多すぎる。
死――――俺はありったけの刃を身にくらって、全身に強い灼熱感を覚えた。熱い。燃えてしまったのではないだろうか。――――ぬ。
「グハッ!!」
〈……我の前に立ちふさがったお前が悪いのだ〉
熱い熱い熱い痛い痛い痛い! めっちゃ痛い! ああああ! クソ! クソ!
のたうち回って激痛を誤魔化そうとするが、効果は薄い。
息を切らせながら自分の状態を確認すると、見事に全身が血まみれだった。防具も何も付けてないのだから仕方ないのだが、服も綺麗に切り裂かれている。
「てっ、めぇ……!」
〈さぁ! 銀眼の魔王よ! 降りてくるがいい! このままでは人間が死ぬぞ!〉
致命傷ではない。だが、手当をしなければ失血死してしまうだろう。
やばい。やばい。やばい。
こんな血まみれの俺を見たらフェトラスは――――!
「 殺 す 」
凍てついた銀が、音も無く大地に降り立った。
〈凄まじい速度だ……まぁいい。ようやくのご対面だな。さぁ、滅ぼされろ魔お〉
「殺す」
お願いだ、やめてくれ。
たのむ。
やめてくれ。
「フェトラス……!」
シリックを殺さないでくれ。
魔槍ミトナスは突進。フェトラスはそれを何と片手でいなした。
交差した瞬間、フェトラスがミトナスの本体を掴む。
〈むっ!?〉
「――――」
それは無造作な動きだった。捕まれた槍を取り戻そうと、狼が両足で踏ん張る。だが、フェトラスは引かなかった。石突きを地面に突き刺し、土手っ腹に拳を打ち込む。
だが、効かない。
狼の身体は鎧に包まれており、衝撃こそあれダメージは少ないようだった。
〈喰らえッ!〉
「――――」
その鎧の刃が逆向き、剣山のようになる。
先ほど俺が喰らったのに似た、射出攻撃が始まる。
「――――」
しかしフェトラスの精霊服の方が反応が早かった。
白い生地に走る黒いライン。色が拡大して、漆黒のコートに換わる。
魔王の精霊服の、戦闘形態だ。
フェトラスはそれを構え、片手で顔を守りながら、それでも決して槍を手放そうとはしなかった。そして、打ち込まれた刃は音も無く精霊服に打ち込まれ、そしてポロポロと地面に落ちた。
〈ハハッ! ハハハ! 強い、強いな銀眼! 流石だ!〉
「――――」
鎧を失った狼は、改めて両足で立ち踏ん張り、フェトラスを睨み付けた。
〈だが我は魔槍ミトナス! 魔王を絶殺するモノなり!〉
「――――」
槍から再びトゲが生えてくる。流石にフェトラスは槍から手を離し、距離を取った。そして最初に見た時とは段違いのスピードでトゲは生えそろい、あっという間に鎧を形成した。
〈魔王、魔王、魔王! 忌まわしき殺戮の精霊! 銀眼を抱いたお前だけは、確実にここで仕留めてみせる!〉
「――――」
〈かつての銀眼を葬りし、我が力の本質。雷の刃を喰らうがいい!〉
ため息が聞こえた。
「 死 ね 」
終末の呪文が紡がれる。
「―・―・・――・【星濁天溺】」
瞬間、大地は堅さを失い、まるで流砂のように滑らかに胎動した。
瞬間、魔槍ミトナスは足下から吹き上げた液状化した大地に飲み込まれる。それは高く、高く上り詰めて。
「―・・・―・――【虚停】」
固まってしまい、柱と化した。
ああ、あああ。
「ふぇと、ら……」
呼びかける勇気が出なかった。
フェトラスは、ああ、なんだよあの柱。あの中にシリックを閉じ込めたのか? そんな、なんてことを。あれじゃあ窒息死……いいや……もう圧死しているかもしれない……。ああ……フェトラスが、人を殺してしまった……。
(でも仕方なかった)
そう思ってしかるべきなのだが、どうしてもそうは思えなかった。
「ふぇとら、す……」
呼びかけたわけじゃない。ただ、すがりついただけだ。
そうして振り向いた銀眼は、どこまでも凍てつく殺意を携えていた。
殺戮の精霊、魔王。
確かに恐怖の権化だ。
「――――」
「フェトラス」
でも俺は。
「――――」
「フェトラス」
娘の名を呼び続けた。
「――――」
「フェトラ、ゲホッ!」
むせた。弱々しく確認すると、どうやら血を吐いてしまったらしい。
それでも拳を握りしめ、俺は震えながら立ち上がった。全身の痛みで失神しそうになったが、即死するほどじゃない。
だったら俺には、やるべきことがあるはずだ。
俺は、嗤った。
「い、いやぁ……無様な所を見せちまったな。でも助かったよ、ありがとう」
「――――」
「大変な、辛い思いをさせちまったな」
「――――」
「気にするなよ。仕方なかった。お前は何も悪くない」
「――――」
「だから」
「――――」
「もういいよ、フェトラス」
「――――」
ぽろぽろと。
凍てついた銀眼からは、こちらを振り返った時から、涙がこぼれていた。
「おと、ぅさん……!」
駆け寄ってきた娘を抱き留めて、悶絶の声を押し殺す。
「おとうさん、おとうさん、お父さん! 死なないで……死なないでよぅ……!」
「だ、大丈夫だ。生きとる。ちゃんと生きとる」
フェトラスの顔をしっかりと見つめ、血まみれの微笑みを浮かべてみせる。
彼女の瞳は黒に戻っており、かわいいおめめでおとさんはっぴー。まるで世界がお花畑に包まれたようなき・ぶ・ん。
「でも死にそうじゃん! ど、どうしよう! どうしよう! どうしよう!」
「き、傷が治る魔法とかあったら良かったんだけどな……」
この世界に回復魔法は存在しない。
子供でも魔族でも知っている一般常識だ。
「とりあえず、傷の手当てを早くしたい所だな……まず血を止めないと……」
「血、そうだ、血を止めよう。これ以上流れないように、どうしたら、どうしたら! どうしたら!!」
絶叫の自問を続けるフェトラスの目に、再び銀色が灯る。今度は、燃えるような目つきで。
「血を! 止める! その傷を殺す......!」
「お、落ち着けフェトラス」
意識がもうろうとする。頭が上手く回らない。
「ええと、お父さん、熱いのと冷たいのどっちがいい?」
「何する気だよお前……」
「傷口を灼くか、凍らせるか聞いてるの!」
「どっちも怖いよぅ……」
乱暴すぎる手段だ。しかし、そうも言ってられないか。
「漁村にたどり着いて治療を受けるか、その前に失血死するか……一個しかない命だから、危ない橋は渡りたくないな……よし……じゃあ、凍らせ」
バギッ!
「え」
ベキベキ……メリメリ……!
爆発音。
〈魔ぁぁぁぁぁおおおおおおおおお!〉
魔槍ミトナスが、柱を内部から打ち砕き、飛び出してきた。
マジか……アレでも止まらないか……。
(絶対死んだな、俺)
俺は泣きたい気持ちになって、フェトラスを抱きしめた。
もう言葉も出ない。
でも、そうだ、最期くらい、ちゃんと目を見て言っておきたい言葉がある。
〈殺すッ! 魔王は、必ず殺す――――!〉
「フェトラス、あのな俺は」
「うるさい!! いまそれどころじゃないの!! お父さんが、死にそうなの!!」
魔槍ミトナスは着地に失敗して、ベチャ、と情けなく地面に倒れ込んだ。
〈………………?〉
「お父さん、お父さん、ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね。いま血を止めるからね」
「お、おう。てかアイツ大丈夫か?」
「えと、えと、一個いっこ凍らせてたら時間がかかるよね、ええと、落ち着いて、落ち着いてわたし。大丈夫。出来る。やれる。絶対やる。わたしはお父さんの娘。だから、絶対に大丈夫」
〈おい、人間〉
「……なんだよ」
〈魔王はどこだ〉
「あー! うるさい!! ちょっと黙ってて!!」
〈えっ。あ、はい〉
「……【凍膜】!」
「寒っ! 冷たっ!!」
「よ、よし! 上手に出来た! お父さんごめん、すぐに村に連れて行って……あああ! かくにん! 村に連れて行けばいいんだよね! そこなら、何とかなるんだよね!」
「たたたたたぶんんんさむさむさむ」
「飛んでるヒマはない……村の場所も知らない……んんん! なら! 【天視】――――【超躍】!」
視界がブレた気がした。
思わず目を閉じて。
そして次の瞬間、目の前の光景が激変していた。
「えっ。ここ、どこ?」
「村ぁっ! 速く、早く! ねぇお父さん、こっからどうすればいいの?」
村?
えっ、どうやってここに来たの?
「な、なんだあんたら。どっから出てきたんだ?」
近くの岩場に立っていたオッサンが、呆然とした声で質問してきた。人間だ。
「え、と」
「ひとだ! 助けて! お父さんが死んじゃう!」
「! こら大変だ! ものすげー怪我してるじゃねぇか! おい、そこを動くなよ! すぐ医者を連れてきてやる!!」
「お願い! 助けて! お父さんを助けて!」
涙で揺れる黒眼。村人の反応は即決だった。
「ま、任せとけ! 大丈夫だ娘っ子、すぐに助けたらぁ!」
オッサンは血相変えて駆け出した。めっちゃ速い。砂浜を爆走して、村の方へと走っていく。
「おとうさん、おとうさん……お願いだから死なないでよぅ……」
「…………たぶん死なないから心配すんな」
傷口どころか、全身が凍り付いているような気分だったが、心臓の鼓動は確かだ。
「……助かった、のか?」
現実味が無い。
何が起きたのか理解出来ない。
でも、まぁ、とりあえず、生きてる。
俺は冷え切った手でフェトラスの頭をなでまわし、そしてフェトラスはいよいよ号泣を始めたのだった。
消えた。
人間が消えた。
魔王はどこだ?
……魔王? 逃がしたか?
いや、違う――――これは――――
ええええええ。うそー。マジで?
我、どうすりゃいいの?