2-9 魔槍ミトナス、発動
〈アアアアアアアアアアアアアア!!!〉
変化が起きていた。
聖遺物の方はというと、一本の槍から、無数の槍がまるでトゲのように生えつつある。無数の穂先がメリメリと伸びていく。
そしてシリック。彼女の肉体も同様に変化が始まっていた。
「くっ、シリック! その槍を放せ!!」
〈アアアアアアアアアアアァァァァ!!〉
まるで聞こえちゃいない。
瞬間、フェトラスが銀眼を抱いた気配を覚えた。
「フェトラス、お前は動くな!」
「でも!」
〈ア。アア……アアアアアッ!!〉
見ろ言わんこっちゃない! 聖遺物にフェトラスの存在を認識されたッッ!
トゲは生え続け、やがてソレは熟した実のように槍からこぼれ落ち、シリックの身体にぺたぺたとくっつき始めた。規則正しく、足下から上へ。
その間にもシリックの肉体変化は止まらない。彼女はひざをつき、槍を握ったまま四つん這いになった。その美しい顔は白目を剥きながらも絶叫を続け、顔つきが変化していき、やがて体毛が生えていき、それはまるで――――狼のようだった。
(聖遺物の暴走!? いや、それとも、最初からそういう聖遺物なのか!?)
なんて考えてる場合じゃない! とにかく、アレをシリックから引きはがさないと!
俺は慌てて鉄剣を抜き、シリックが握る槍をはじき飛ばそうとした。
しかし彼女は人間離れした動きでそれを回避する。四つん這いという動きにくいはずの姿勢で跳躍してみせたのだ。
やがて彼女の身体は槍の刃で覆われ、それはまるで鎧のように見えた。シリックはこちらを警戒しながら、身体が変わっていく痛みにあえぎながら、それでも上下左右に動き、まるで新しい身体の試運転をしているようだった。
もはや交渉は不可能だ。意識がないのだろう。
(思考略奪、肉体変化、形状変化、ちくしょう、あんな痛そうな声で――――)
俺は剣を構え直した。
緊張感は既に最高潮だ。いきなりの強敵出現に、俺は絶望的な気持ちになる。
(正直勝てるとは思えねぇ……!)
ならどうする? 逃げるか? どうやって?
「フェトラス! 一旦距離を取りたい! お前、飛べるか!?」
「えっ、えと、ごめん、そんなこと全然考えてなかった! たぶん無理!」
「はぁ!?」
ぎょっとして振り返ると、やはりそこには銀眼のフェトラスがいた。
「アレから逃げるわけにはいかない!」
「マジかよ……!」
〈アア……アアアア……〉
やがて苦痛の悲鳴は静かになっていった。
そして代わりに、言葉が漏れ始めた。
〈ま、おう……魔王……魔王殺す……殺す……魔王、殺す……!〉
ぞわっと鳥肌が立った。
それはシリックの声ではなかった。
(喋る聖遺物! まさかこいつ、代償系か!? シリックは、もう……!?)
「殺す?」
(ええい反応すんなフェトラス!)
思考が乱れるだろ!
「上等だよ……おいで、ケダモノ」
挑発し返すなぁぁぁぁ!
「待てフェトラス! 言ったよな、俺たちはヴァベル語が通用する者とは決して戦わない! アレも同様だ!」
「そうは言ってもお父さん。アレはわたしを見逃してくれそうにないよ」
「まぁ待て落ち着け! 俺に良い考えがある! 即ち、話せば分かる、だ! ハローそこの、えーと、聖遺物さん! お名前教えていただけます!?」
やぶれかぶれで問いかけると、意外なことに返事があった。
〈お前……カウトリアの、マスター……〉
「!? ……分かるのか」
〈痕跡、ある……なぜお前が、魔王と並び立っている……〉
片言気味だったソレが、段々と明確な意思を示し始めた。
〈なんだ、コレは……あれからどれぐらい経った、のだ……コリスは、どこ……ああ、もう死んだのか……そうだ……ユトもバーラも、ディフレッグも死んだ……〉
人の名前、か?
俺は臨戦態勢を解かずに声をかけ続けた。
「何があったかは分からんが、この地にいたとされる魔王が消えて、十年が経っている。改めて問うが、お前の名前は?」
〈――――ミトナス。魔槍ミトナス〉
聞き覚えが無い。歴史の表舞台に出てこなかった聖遺物なのだろう。
「それで、ミトナス。悪いんだけどその身体の持ち主を返してほしい。お前の出番はまだ後だ」
〈何を言う……我の敵が、そこにおるではないか……なぁ、銀眼ッッ!〉
裂帛の咆吼。
それはシリックの喉から発せられたものだった。声帯が引きちぎれてしまうんではないかと心配になるくらいの、絶叫。
〈我、魔王を突き殺すモノなり……この肉体の持ち主も、我にそう願った……! 故に我は、その目的を遂行する……!〉
なるほど、魔王殺害の意思が鍵か! 発動条件は分かったが、今はどうでもいい!
「ちっがーう! シリックが倒したいのはコイツじゃなくて別の魔王だ!」
〈洒落臭い……なぜカウトリアのマスターが魔王を庇い立てするかは知らぬが……よく見ればあの陰湿な女はここには居らぬようだな……ならば大人しく引っ込んでおれ……!〉
あの女?
誰のことだ?
一瞬だけ呆けた。
それは当然のように、隙となった。
俊敏な動作でシリックが……ミトナスがフェトラスに迫る!
(否応なく戦闘開始か!)
獣の動作で突進し、そのまま右手に構えた槍を突き刺そうと飛びかかるミトナス。俺はそれを遮るために、鉄剣を持って身体ごと受け流そうと試みた。
だが直前に小刻みなステップを刻まれ、ミトナスは迂回し、そのままフェトラスの側面を狙ってくる。
「ちょ……!」
「【防閃】ッ!」
紡がれた閃光が、それを直前で押しとどめた。
〈小賢しい……!〉
「防御魔法!? いつの間に覚えた!?」
「ごめん、お話ししてるヒマとか無さそう! 【獣拘】!」
ミシリ、と何かが歪む音が聞こえた。
見ればミトナスの身体がまるで見えない重りで潰されそうになっていった。
「これでたぶん、だいぶスピードは殺せたはずだよ! で、どうするのお父さん!? これ、シリックさんだよね!? 殺しちゃダメだよね!」
「当たり前だああああ! 絶対殺すなよ!」
とは言いながら、フェトラスのおかげで少し余裕が出来た。おそらくあの槍の本体をシリックから引き離せば、弱体化……人間に戻せるに違いない。
人間の姿や、命をそのまま代償とするレベルの聖遺物なら、俺たちは瞬きの間に消滅していたはずだからだ。
しかし生じたはずの余裕をミトナスはあざ笑った。
〈ふ、ふは。フハハハハハ! 銀眼と相対するのは久しいが、どうやら未熟者らしいな! この程度の魔法で、我を止められるものか!〉
銀眼の魔王で、未熟!? こいつどんだけ歴戦の勇者だよ!
ミトナスは鬱陶しそうに身体を震わせ、重厚なはずの拘束を振りほどいた。
〈貴様らの関係は分からぬが、どうやらこの身体の持ち主は、カウトリアのマスターと縁が深いものらしい……我を殺さない、などとほざいておったな。ならば遠慮無く、一方的に滅ぼさせてもらうぞ魔王!〉
はい、ピッキーン閃きました!
「フェトラス! 俺が食い止めるから、とりあえずお前だけでも逃げろ!」
「でも!」
「大丈夫だ! こいつは人間を殺すようには出来ていない!」
「! 了解! 上空で待機……いや、上から狙う!」
「戦うなぁッ! 黙ってお父さんのカッけぇところ見てろ!」
「……ふふっ。【避空】!」
なんとフェトラスは走って空を昇っていった。ダダダー! って。ちょっと滑稽。
〈逃すか!〉
「させっかよ!」
今度こそ鉄剣でその身を打つ。
フェトラスが放った重力的なものに俺も巻き込まれたが、鎧を纏った身に剣を打ち込み続けていたらそれは霧散した。
ミトナスは忌々しそうに空へと避難したフェトラスを睨み付ける。そして、その狼の顔で俺を睨み付けた。
〈貴様……それでもカウトリアのマスターか? なぜ魔王を庇う!〉
「俺が庇ってるのは、その身体の持ち主だよ! フェトラスにうっかり殺させるわけにはいかねーからな!」
俺の前で、あいつに人殺しなんてさせてたまるか!
そういう意図で放った台詞だったのだが、ミトナスは〈ふん。よほどこの者が大切か……〉という誤解をした。まぁ訂正すると面倒臭そうなので、黙っておこう。
案の定ミトナスは俺を敵視せず、ひたすらに空を駆け上がっていくフェトラスを睨み続けていた。
っていうかあいつ、どこまで走るつもりだ。そろそろいいだろ。もう十分高い所だろ。……もしかしてあの魔法、走ってないとダメなのか?
『ひーん。即席の魔法でとりあえずお空に逃げたけど、どうしよう! 止まったら墜ちちゃう!』 とか言ってそうだ。
なにはともあれ一安心だ。ある程度の高度を稼いだら、あの楽に墜ちる魔法の存在をフェトラスは思い出すだろうし。
それにしても、ああ、一瞬で全部の気力と体力を持って行かれた気分だ。まだ気は抜けないが、俺は久々の死線に今更ながら身体を震わせた。
「さぁミトナス。状況は決まったぞ。大人しくその身体を返せ」
勝利宣言である。
〈馬鹿め〉
罵倒された。
〈我が捕捉した魔王を逃がすわけなかろう。地の果てまでも追い詰めてやる。今までも、これからも、な〉
「貴様……まさか……今までも、だと? じゃあ今までのお前の持ち主は、みんな」
〈ああそうだ。契約に従い、我は目的を果たすまで止まらぬ〉
「人生を代償にしているのか!?」
この地の魔王の秘密が一つ解けた。
やはり未開の地でソロを旅する英雄なんていなかったのだ。おそらく、ミトナスとどこかで交戦状態になった魔王が逃げ出して、たどり着いたのがここ。そしてそれを追ってきたミトナスが魔王を討ち滅ぼし、相打ちになったのだろう。
「なんてことを……逃がしたのはお前の落ち度でもあるだろ! 人間を何だと思っている!」
〈我の契約は、魔王を殺せば止まる。私はただそれだけの聖遺物だ〉
「なっ」
〈無論、契約者には事前に警告したぞ。魔王を殺すまで我は止まらぬと。それでも構わぬと応えた者の勇敢さを、我の契約者を、他人にとやかく言われる筋合いは無い。我ら、魔王を殺すモノなり〉
魔王殺害特化の聖遺物――――!
代償が人生と考えると重すぎるが、このミトナスの強さはそうじゃない。恐らく、契約が解除された瞬間に普通の人間に戻れるのだろう。もしかしたら肉体の損傷も無かった事になるのかもしれない。そう、つまり人生が代償なのだ。
発動して、次に意識を取り戻した時、全てを終わらせている聖遺物。人生に空白を作る槍。
だが解除されない限り、その代償を支払い続けなければならない。
文字通り、地の果てで、絶え果てるまで。
単純明快で、極悪な聖遺物だ。
まさに魔槍と呼ぶに相応しい。
「……それ以外の方法はないのか。その身体を取り戻すためには、あいつを、フェトラスを殺さないとダメだっていうのか」
〈そうなるな。そういう契約だからな。この者も納得しておる〉
「するわけねーだろ! シリックが、フェトラスを殺したいだなんて!」
和解したんだ! 奇跡があったんだ! 友達になれたんだ!
〈この者は願ったぞ。魔王を殺したい、と。そのためならば全てを捧ぐと〉
「シリックの魔王とフェトラスは別者だ!」
〈同じだ〉
ミトナスは憤怒を表明した。
〈魔王を殺すために、我とこの者は一体となった。そして魔王がいた。だから殺す。それだけだ。もしこの者が他の魔王を殺したいというのなら、我は再び力を貸そう。いいか――――我らは魔王を殺すのだ〉
だからフェトラスは魔王じゃなくて俺の娘で、それはシリックも分かってくれてて、自己認識がラベルで、それさえ上手くいけばアイツは人間の街中でも飯が――――あ?
いま、なにか閃きそうになった。
〈さて、カウトリアのマスター……いいや、今はただの人間か。我は魔王を殺すためなら何でもする〉
あ、やべ、考え事してるヒマは無さそうだ。
〈お前とあの銀眼は、不可解なことに行動を共にしているようだ。ならばお前を傷つければ、あの魔王はどう動くかな……?〉
フェトラスがどれぐらいの高さにいるかはもう分からない。今は、ミトナスから目を離すことが出来ない。
〈出来れば殺したくはないが、仕方なし。あの女に呪われてしまうだろうが、それもまた仕方なし。我は我として在り続けるために、この者を人間に戻すために、お前の命を使わせてもらおう〉
戦闘、再び開始。
人間 VS 魔槍
勝ち目は、どうあがいても無い。