2-7 内なる自己認識こそ、ラベルの文字なり。
土砂に埋もれていたはずのそれは、美しさを保っていた。まるで槍が泥を拒否したような、そんな傲慢とも高潔とも取れるような、強い意志を感じた。
フェトラスの魔法は解けたようだが、彼女の緊張感は続いていた。
「フェトラス。大丈夫か?」
「……大丈夫。でも、ソレはたぶん、ダメなもの」
断定の言葉だった。
手に取る前によく観察してみる。
槍……うん。槍だな。全てが見えてるわけではないが、形状からして槍だ。
普通の武器ではないことはもう分かっている。フェトラスの警戒心、この地の魔王のエピソード、汚れ無き槍。その他諸々。まぁ三つもあれば十分だ。こいつは十中八九、聖遺物なのだろう。
「しかしまさかあるとはね……」
正直まだ信じられないのだが、俺はそっとその槍に触れてみた。固く、冷たい感触。土砂にしっかりと埋まっていたが、なんとかそれを引きずり出してみる。
刃先の短い槍だった。これで敵を斬りつけるのには熟練の技がいるだろう。どちらかといえば、槍ではなく丈だ。棒にオマケとして刃が付いている、みたいな。
対して柄は長め。シリックの身長と同じぐらいだろうか。リーチが長いのは良い事だが、室内戦闘には向いていない。
何の金属で出来ているのかは分からないが、聖遺物特有の強固さは間違いないようだ。しかし軽い。カウトリアよりも遥かに長い武器ではあるが、重さはこちらの方が軽い。
結論。これは、素早く突き殺すための武器だ。
「シリッ――――やれやれ。おい、いいかげん起きろ」
「あばば?」
腰を抜かしたシリックはだらしなく口を開けたまま空を眺めていた。
「なんだシリック。愉快な顔して。まるで『え、さっき世界って滅んだんじゃないの? ここって天国なの?』みたいな顔になってるぞ」
「あばー」
俺はシリックの前で槍をふった。
「ほーら。聖遺物だぞー」
「せーいぶつー?」
こりゃ本格的にダメだな。
――――まぁそれも仕方ないか。なにせ銀眼を見ちまったんだ。歴戦の勇士ですら泣いてしまうほどの絶望だ。正直、俺だって未だに銀眼を見るのは怖い。慣れない。
「やれやれ……フェトラスはどうだ。俺がこれ持ってると、イヤか?」
そう娘に声をかけたつもりだったが、違った。そこにいたのは娘ではなく、魔王だった。
ピリピリと。まるで毛が逆立つんじゃないかというぐらいの敵意がそこにあった。
「お父さん。それ、ダメ」
「……そうだよなぁ。やっぱりイヤだよなぁ」
「それが、聖遺物なの?」
「おそらく。お前も普通の武器にそんな反応しないだろ」
「そっか……でもそれ、カウトリアとは全然違う。怖い……じゃないな。これは、なんだろう、不愉快? そんな気持ち」
「カウトリアと、って言っても、お前カウトリアの実物見たことないだろ」
「感じた事はたくさんあるよ。それに一瞬だけど、わたしもカウトリアの祝福を体験したし」
「浜辺のケンカの時か。そん時のお前は、どうカウトリアを感じたんだ?」
「えっと……見守ってくれてるような、綺麗だけど底が無い海のような、執念深い優しさ? みたいな?」
「なんだそりゃ」
俺は苦笑いを浮かべて、槍をぞんざいに扱って見せた。
「まぁコイツがどんな武器かは知らんが、心配すんな。俺は何があってもコイツをお前に向けたりしない」
「……それはそうだけど」
「それにシリックが帰って来られないから、そろそろその銀眼を閉じてほしいな」
「――――うん。少し落ちつくね」
長い迷いを見せた魔王フェトラスだったが、大人しく引っ込んでくれた。敵意の気配が、警戒のソレに変わる。
「つーわけでシリック。話しが進まないからそろそろ正気に戻れ」
トン、と軽く脳天をこづく。
「はっ」
「お帰りシリック」
「ろいるさん」
「……あー。まぁ、言いたいことは分かるが、それは口にしないでくれ」
フェトラスが傷つく、と小声で伝えてはみたが、シリックの反応は強烈だった。
「だ、だ、だって、あれ、ぎんがん。銀眼の魔王。むり」
ポロポロと泣き出してしまったシリック。彼女には悪いが、俺はフェトラスのことだけが心配だった。慌てて娘の方を振り向くと、フェトラスは苦笑いを浮かべていた。
「そっか。また怖がらせちゃったみたいだね。それも今度は尋常じゃなく」
「フェトラス……あのな」
「大丈夫。わたし……ちょっと、あっちでご飯探してくるね」
トコトコとフェトラスは屋敷の裏側に去って行った。
すまん。本当なら今すぐ駆け寄って慰めてやりたい所だが、原因を取り除いておかないと同じことの繰り返しだ。俺はシリックに向き直った。
「あのなぁ。ウチの娘を化け物みたいに扱うのは止めてくれよ」
「化け物じゃないですか!」
フェトラスが居なくなった途端の、咆吼だった。
「なんですかアレ! ぎ、銀眼の魔王!? 聞いてないですよそんなの! 私の領地で発生した魔王なんかとはくら、比べものにならないくらいの! 化け物ですよ!」
「――――――――」
「どうして、どうしてあんなのと一緒に居られるんですか! 狂ってるどころの話しじゃない! 最早それは、人類に対する裏切りと同じことですッ!」
どうしたもんかなこれ。
っていうか俺、普通にキレそうなんですけど。
「ああ! こわい、こわい、こわい! どうして、あんな怖いモノと、化け物と私は手を繋げたの!? どうして、ああ、かみさま……!」
「おい」
思いの外、静かな声が出た。
それが少し意外だったから、俺は「それ以上喋ったら殺すぞ」という言葉を飲み込むことが出来た。
つーかなんだよ「殺すぞ」って。ビビるわ。どんな精神状態だよ。ちょっと娘を化け物扱いされたぐらいで、ああ、まぁ、うん、殺したくもなるけど、とにかくそりゃちょっと短絡的すぎる。
俺は深々と深呼吸して、とりあえず話しを進めることにした。
「あのなシリック。信じてもらえるかどうか分からんが、俺はかつて魔王を殺したことがある」
「……へ?」
「聖遺物は失ったがな。つまり俺は元・英雄だ」
「…………へぇ」
「分かるな? つまり魔王について、俺はお前よりも知っている。それがどんなもので、どうすれば殺せるのかも、知っている」
「……」
「そしてその俺が判断したんだ。フェトラスは、安全だと」
「どこにそんな証拠が!」
「フェトラスの第一印象は、何だったっけ?」
「ツッ……それ、は……」
「まぁ銀眼なんて見ちまったら、しょうがないんだけどな。そういう意味じゃシリックの反応も普通さ。貴族のお嬢さんには刺激が強すぎただろうよ」
挑発すると、シリックは怒りで顔を朱に染めた。だから畳みかける。
「フェトラスはまだ発生して一年も経ってない魔王だ。確かに銀眼は恐ろしいだろうが、あんな子供に怯えるとはな。年長者として余裕がなさ過ぎるとも言える」
「で、でもっ!」
「腰を抜かせて、子供に気を遣わせて。なんとも恥ずかしいことで」
トドメだった。
彼女の信念を乱暴にあざ笑うと、シリックは歯を食いしばりながら立ち上がった。
「私は! ……私は!」
「――――すまん」
「わた、えっ?」
「謝る」
「……どうしてですか?」
「お前は何も悪くないからだ」
「……」
「俺だって人のことは言えない。魔王は人類の敵だ。殺戮の精霊の存在を人間は認めてはならない。そういうのは、分かってる。分かってるんだよ。シリックがそんな反応を示すのは当然だ。でも……いや、だからこそ、俺はお前に謝る。俺の娘が、お前を怖がらせてしまったことについて」
「……」
「でも、分かってくれ。あいつは……フェトラスは、俺の大切な娘なんだよ」
「……」
「あの子がお前に何かしたか?」
静かにそう問いかけると、シリックは冷静さを少し取り戻したようだった。
「……なにも、されてませんね」
肯定。この状況下でその意思を表明出来ることは、ちょっと異様な事ではある。
しかし俺はそのチャンスを逃すまいと、言葉を重ねた。
「魔王は怖い。銀眼はもっと怖い。でもお前は……俺以外ではこの世界で唯一、フェトラスの笑った顔を知っている人間なんだよ。だからお前にはフェトラスの事をちゃんと知ってもらいたい。ほら、さっきも言ってくれたじゃないか。フェトラスは怖くない、って。どうかその気持ちを、もう一度だけでいいから思い出してほしい……」
俺が真摯に頭を下げながらそう言うと、シリックは鼻水をすすりあげながら深呼吸して、情けないため息を吐いた。
「……すいません。動揺しました」
「まぁ普通はそうなると思う。ちなみに俺も始めて銀眼を見た時は、小便チビりそうになった」
「ロイルさん……どうして、いえ、どうやってアレを受け入れたんですか? 私には理解出来ません。あんなの……あんまりです……どうやったらアレを……」
「覚悟を決めたからだよ。シリックみたいに、な」
「私みたいに?」
「あの子を護ると、俺はそう誓った。他ならぬ自分のために。俺はアイツの笑顔に救われたし、アイツが好きでたまらない。大事なんだよ。可愛いヤツなんだよ。だからあまり悪く言われたり、必要以上に恐れられると、悲しいし腹が立つ」
「――――」
「理解しろとは言わない。だけど、俺はマジなんだよ」
沈黙が流れた。
木々の葉音が広がっていく。
「フェトラスは、貴方にとって何ですか?」
「世界で一番愛しい娘だ」
自然に出た言葉だった。
フェトラスには絶対聞かれたくない。恥ずかしいから。
「私にとって魔王は、殺戮の精霊は、恐怖の対象です。私はもう魔王が怖くてたまらない。お恥ずかしい話しですが、領地に戻って討伐隊に加われと言われても、うなずく自信がありません」
震えを隠そうともせず、シリックは弱々しく呟いた。
「でも」
彼女の視線が俺を捉える。
「私は――――恥知らずには、なりたくない」
「……つまり?」
「魔王が怖い。でも、ずっと怖いままで、臆病に逃げ回るだけなんて、イヤです。こんな恐怖を知ってしまったら、きっと夢にも見てしまう。だからこそ私は立ち向かわないといけない」
シリックは再び目に涙を浮かべながら、それでも力強く言った。
「私はシリック・ヴォール。憧れている人達の名前を借りているだけの、弱い者。ですがこの名を名乗る以上、私はその憧れを越さなければならない」
彼女は自分に言い聞かせるようにそう言い切って、実際にその覚悟を取り戻したようだった。
その顔は、先程の失態を取り返すための力に満ち溢れている。それが俺にはたまらなく眩しいものに見えた。
「……そっか」
「……フェトラスさんに、謝ってきます」
震えながら、シリックはフェトラスが消えていった方に足を向けた。怯えながら進むのは勇敢な行為だ。賞賛されるべき気概である。
やれやれ。ちゃんと謝る事が出来るのかね?
心配なので付いていこうとすると、フェトラスはすぐそこの物陰にいた。
「フェトラス」
「あ。おと、うふふふ、おとうさん。うふふ」
なんだその笑顔。
「フェトラスさん、すいませんでした! 動揺のあまり失礼な態度をとっ」
「あ、いいよ。気にしてないから。うふふ。うん。大丈夫だよ!」
「えっ、でも」
「いいのいいの。いまのわたし、最高にハッピーだから」
この短時間で何があった。
「良い事でもあったのか?」
「うん! すごく、とびっきりのが! エヘヘ!」
笑顔が眩しい。何があったのかは知らないが、まぁ笑顔なら......アア!? ちょっと待てコイツ!!
「お前、まさか」
「うーん? なんのことー?」
「……まさか、まさかとは思うが、俺たちの会話とか盗み聞きしてないだろうな」
「えー? 距離があったから、何を話してたのかなんて、ふっ、ふふっ! しらなーい」
「いや、いやいやいやいや」
「だから安心して、もっとシリックさんとお喋りしててよ! わたし、あっちに行ってるね?」
「お前絶対聞いてただろ!?」
俺はフェトラスの顎をつかんで、その口をアヒルみたいにしてやった。
「うぎゅ」
「てめぇ、盗み聞きとは恥知らずなことしやがって。そんな子に育てた覚えはないぞ!」
「聞いてないよ! 聞いてない! 知らない! 遠くの音を拾う魔法なんて思い付くはずもなし! だから、もっと二人でお話ししてよ! わたしこれでも忙しいんだから!」
俺の手を満面の笑みで振りほどいて逃げるフェトラス。くるっとターンして、また笑顔。
「でも一個だけ! おとうさん、だーいすき!」
「グウッ!? き、貴様……!」
俺を恥ずかしさで殺すつもりか! だいぶ高等テクだな!!
ギリィッと歯を鳴らした俺だったが、真横のシリックが「あは」と妙な声を出した。
「?」
「あは。あははは……あははは!」
「なっ、なぜ急に笑い出す!?」
「すごいです。ああ、不思議ですね。さっきまで死ぬほど怖かったのに!」
シリックは嬉しそうに笑った。
「ああ、なるほど……麦酒と書かれたワイン瓶……フェトラスは、両方なんですね」
すとん、と。その言葉は俺の胸に届いた。
「世界一怖い魔王で、世界一愛おしい娘、か……ああ、そっか、そうなんだ」
一人でうんうんと納得を進めるシリック。彼女はフェトラスに歩み寄り、その髪を優しくなでた。
「改めて。フェトラスさん、さっきはごめんなさい。あの時の貴方は、とても恐ろしかった。銀眼の魔王。あれは私の、私達人間の敵です」
「そっかー」 (笑顔)
「でもフェトラスさんは、ロイルさんのお子さんは、全然怖くないです。とっても可愛い女の子です。だから、ごめんなさい。許してほしいです」
「いいよ~」(笑顔)
「ありがとう。私と……これから、仲良くしてほしいです」
「仲良く?」
「ええ。なんて言ったらいいのかしら……知り合いの娘さん……後輩? 違うわね。うーん、そう、友達。私とお友達になってくれません?」
フェトラスは俺の方を向いて曇った表情を見せた。
「友達……ねぇお父さん。わたし、シリックさんとお友達になれると思う?」
「お前がなりたいならなれるだろ」
「……でもわたし、カルンさんとは、友達になれなかった」
そうだな。そうだったな。
「カルンは、お前と友達じゃない関係になりたがってたからだよ。でもシリックは違う。お前と友達になりたいんだってさ。だから、後はお前次第だ」
「……大丈夫かな」
「大丈夫だ。おい、お前は誰だ? 言ってみな」
「あ。そっか! そうだよね!」
フェトラスは柔らかく笑って、シリックに向き合った。
「こんにちは。魔王です」
「! ……こんにちは。人間です」
「敵同士? だね」
「そうですね」
フェトラスはその場で一回転した。可憐に、優雅に。鮮やかすぎてスローに見える。
「こんにちは、フェトラスです」
「ふふっ。シリック・ヴォールです」
そこには、魔王も人間もいなかった。
「わたしと、お友達になってくれませんか?」
「喜んで」
ただ、二人がいるだけ。
これで握手して、友情成立。美しい流れだなぁ、と思っていたらフェトラスはガバッとシリックに飛びついた。
「わーい! 初めてお友達が出来たー!」
「あらあら。ふふっ」
さっきまで怖がっていたとは思えないぐらい、シリックは優しく微笑んだ。
……そうか。さっきのフェトラスの笑顔か。俺のクソ恥ずかしい台詞を盗み聞きして「ロイルの娘・フェトラス」というラベルが大きくなりすぎて、瓶ごと隠してしまったということだろう。
中身は怖いが。中身だけじゃ地面にこぼれ落ちる。外と中。それらは一体となってこそ、個人として成立するのだ。
(認識……自己認識? ヴァベル語は俺たちの主観から生じるものじゃない、のか? 例えるなら狼に育てられた人間が、狼に見えるように……?)
難しい話しだ。この辺の考察になると、学者クラスでないと答えられないだろう。
まぁ何はともあれめでたし、めでたし、だ。
殺すような事態にならなくて良かった、と。俺は危険な感想を抱きながら、槍を地面に立てて体重を預けた。
「ところでロイルさん。さっきから持ってるソレなんなんですか?」
「あ? これ? 聖遺物」
「えっ」
間抜けな叫び声が、大空の下に響く。
シリックはそろそろ気疲れで発熱すると思う。