2-6 魔王の証明(序)
山の中腹に見える建造物の残骸。
近寄ってみて分かったのだが、やはり完全に朽ち果てていた。割と頑丈に作られた屋敷だったようだが、適当な壁を蹴ってみるとバキリと穴が空いた。
「ここまでボロいと危ねぇな……。おいフェトラス。あんまり近づくなよ」
「おー。すごいねぇ。おっきいねぇ。誰が住んでたんだろう」
「魔王ですよ! 絶対魔王ですって!」
「シリックはちょっと落ち着け」
どーどー、と彼女をなだめつつ、辺りを見渡す。
生存者……というか、住んでる者がいるようには見えない。危なっかしいので動物もいないようだ。小虫はやたらと多く、完全に森の一部と化していた。
「さて」
俺は辺りを詳しく検分しながら思考を働かせた。
魔族がいた、という話しだったが、この建物は木材を使用している。なのできっとこの屋敷は仮住まいのようなものだったのだろう。奴らは本気出せば堅牢な城ぐらい作ってみせる。
そういえば駆け出しの魔王、とかシリックは呼んでいたな……。
加えてここは未開の地だった。つまり人間がいないどころか、魔族の集落も、折り合いをつけるべき魔王もいなかったのだ。ルーキーの一歩目としては、確かに利点が多かろう。
欠点としては未開の地であるが故に、ここが環境として完結しているということ。森を大々的に切り開いたり、乱獲したり、外来種の作物なんかを育てない限りは贅沢なぞ出来なかっただろう。しかしそういう気配も見当たらない。十年前の話しとはいえ、ここはあまりにも「未開の地」すぎる。
その辺の情報を鑑みるに、やはり大した魔王が住んでいたわけではないようだ。大人しそうな、祭り上げられて戸惑う魔王、みたいなのが夢想される。
「残骸の中には調度品とかがあんまり見当たらないな……食器ぐらいありそうなものだが」
「魔族や魔王が使った食器、ですか……なんか……あ、いえ、なんでもないです」
もしフェトラスがいなかったら、きっとシリックは「魔王が使った食器とか、汚らわしいですね」ぐらい言っていただろう。
殺人鬼が使っていたナイフ、とかだとコレクターが高値をつけて買い付けることもあるが、魔族や魔王のアイテムを欲しがる人間などいない。“魔”に対する本能的な恐怖を由来として、激烈な嫌悪感を抱かずにはいられないからだ。
かくいう俺も、フェトラス以外の魔王が使っていたアイテムなど欲しくない。
「まぁたぶん『木製の食器を使っていて、それが風化して森の肥やしになった』が正解なんだろう」
「ふーん……あんまり文明度が高くなかったんですね」
「文明度というか、たぶんよっぽどのザコ魔王だったんだろうな」
魔族の献身についてはよく知らないが、人間に当てはめて考えれば分かりやすい。つまり、そこそこ好きな相手と、愛する相手。誕生日プレゼントの金額に差が出るのは当然だ。ここの魔王はその程度の存在だったのだろう。
「さて。そう考えると……やっぱり通りすがりの英雄説には疑問点が多いな」
「え。なんでですか?」
「元々穴だらけの説ではあるがな。とにかく『未開の地をソロで旅が出来るほど強い英雄』なんて者がいたとしたら、こんなチンケな屋敷に住んでいた初級魔王と相打ちになんてなるはずがないからだ」
「怪我してた、とか」
「なら戦わずに逃げただろうな」
「逃げようとしたけど、捕まったとか」
「なぶり殺しにされるだろうな」
「将来性抜群の魔王で、ここで倒さないと世界が滅ぶと予感した、とか」
「……タイミングが悪かった、ってか?」
いずれにせよ、やはり聖遺物など無いと判断するのが妥当だろう。
俺とシリックがブツブツと質疑応答していると、フェトラスが不審な挙動をしているのが目にとまった。
「どうしたフェトラス」
「ん……なんか、ここ……」
振り返ったフェトラスは見たことのない表情をしていた。
不安と、不快感。
ゴキブリのつがいを見たような顔だ。
「どうしたんだ」
「ここ……なんか、嫌な気持ちになる」
一瞬言葉を失った。
「嫌な気持ち?」
「上手く説明出来ないんだけど、ここにいたくないような、でもここで何かしないといけないような」
まさか。
いや、そういえば。
いやでもアレって。
思考がもどかしい。まるで紙に書かれた迷路を見ているみたいだ。
カウトリアがあれば秒でゴールまでたどり着けるのだが、今の俺は行ったり来たりを繰り返している。
しかし紙に書かれた迷路であるが故に、ゴール、つまり結論が既に見えている。
足りないのは、その結論に至るための道筋である。
とりあえず結論だけ取り上げよう。
もしかしたら本当にここには聖遺物があるのかもしれない。
いや、でも、だって、そんな否定的な言葉が続く。この迷路が不完全品で、ゴールにたどり着けない仕様になっている可能性だってある。だけどとりあえず、俺はこの感覚に従って実験してみる事にした。
「フェトラス。ちょっと目を閉じてみろ」
「こう?」
「んで、その場でグルグルと回ってくれ」
「こ~う~?」
「本当素直だなお前」
「え~へ~へ~」
「もういいぞ。目は閉じたままで」
ゆっくりと止まったフェトラス。やがてフラフラしていたが、自然と、フェトラスの身体はある方向を向いた。屋敷の一番崩れた所。よく見ると土砂崩れのような物に巻き込まれた形跡がある。
「よし、フェトラス。目を開けていいぞ」
「ほい」
「悪いがもう一回、同じことをしてくれ」
「はーい」
「これって何の意味があるんですか?」
疑問を呈したのはフェトラスではなくシリックだった。
「ちょっとした実験だよ」
「実験?」
「ぐるぐる~」
「フェトラス。止まって。目は閉じたまま」
そしてフェトラスは、先ほどと全く同じ位置に身体を向けていた。
「目を開けてみろフェトラス」
「はい」
「目の前の光景に見覚えは?」
「見覚えもなにも、さっき見たのと同じだよ」
「目を閉じて回ったのに、全く同じ景色が見える。これってどういうことだと思う?」
「あっ……」
「むぅ? 偶然じゃないの?」
目を見開いたシリック。
のんきなフェトラス。
「……もしかしたら、もしかするかもしれんな」
人類の天敵が魔王だとして。
では魔王の天敵とは?
食物連鎖の頂点は、どうやって倒す?
それが聖遺物だ。
聖遺物を持ち、魔王を狩る者。
それこそが「英雄」と呼ばれる、魔王の天敵だ。
一部の魔王は、その天敵たる聖遺物の気配を近距離なら感じ取れるらしい。
そしてフェトラスは発生から一年も経ってないが、銀眼抱き、月眼を降臨させた。規格外の魔王だ。もしかしたら聖遺物の気配だって感じ取れるかもしれない。
……もしかしたら、気配の有無を掴ませるのは魔王ではなく特定の聖遺物の特徴なのかもしれないが。
とにかく、問題は別の所にある。
「ここにはマジで聖遺物があるかもしれんが、掘り返すのは手間だな……十人がかりでも一週間ぐらいかかりそうだ」
屋敷は朽ちている。
「どうするシリック? 無駄かもしれないが、三人で頑張るか? たぶん一ヶ月以上はかかるだろうが」
「うーーーん……ここまで可能性が高いとなると、一度領地に戻って応援を呼んだ方がいいかもしれませんね。捜索隊とは別の人間も借りて……」
「いや可能性は低いんだけどな」
「でもゼロじゃないんでしょ?」
「……まぁ」
「ゼロじゃないなら、私にとっては高確率です」
かっけぇなシリック。
俺がそんな驚きをこっそり抱いていると、フェトラスが俺の袖を引っ張った。
「この中に、お父さんの捜し物があるの?」
「かもしれない、ってレベルだけどな」
「そっか。うーん。なんかヤな感じはするけど……お父さんの捜し物なら、手伝うよ」
まばたき。
銀。
えっ。
「どのぐらい吹き飛ばせばいい?」
なんでそんな簡単に伝説級の力を振るおうとするのかなぁこの子は……。
背後でシリックが腰を抜かす音が聞こえた。
「いいかフェトラス。あんまり派手にすると聖遺物ごとフッ飛ばすかもしれないし、崩落が激しいとお前も危ない。なので、少しずつやっていこう」
「了解。じゃあ……目に見えるものを、えーと、どうにかする?」
「……そうだな。ただ、あんまり無理をするなよ?」
「大丈夫」
銀眼を抱いたフェトラスはクールにそう答えて、屋敷の残骸と対峙した。
「吹き飛ばすんじゃなくて、どかす、削る、消す、それか投げる? …………そうね……なら」
一呼吸。
「全て割れろ。【拓道】」
無音。
「…………?」
「…………」
「どうしたフェトラス」
「失敗した」
「はぁ。失敗ですか」
「ちゃんと呪文考えたけど、作用しないみたい」
「そ、そうか」
「イメージが足りないのか、イメージを表現する呪文が異なったのか……ごめん、少し時間をちょうだい」
「ゆっくりやれよ。疲れたら休憩して飯でも食おうぜ」
「うん」
それからフェトラスは、いくつか呪文を唱えていたようだが、全て不発だった。
たまに暴風が吹いたりもしたのだが、崩落が進むだけで、邪魔な物の除去には至らない。
休憩しろよと声をかけても、銀眼の魔王は「終わらせてからにする」と。
「全てを塵に。【塊尽】」
「燃やし尽くせ。【炎清」」
「……飲み込まれろ! 【至無】!」
等々。
失敗が十個ぐらい続いて、フェトラスは地団駄を踏んだ。
「あああああ! 上手くいかない!」
「お、落ち着け」
「だいたい魔法って何なのよ! いみわかんない!」
「お、俺もわからん」
楽に墜ちる時は一瞬で魔法を作り上げたようだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。魔法って何なんだろうな。
「ああああ! もういい! 諦めた! おなかすいた! もういい!」
「えっ」
「最初からこうすればよかった……【クリームパスタ】ァァァァ!!」
ぶわっと、白い腕が生えた。
あ。これ見たことある。
こうしてフェトラスは巨人の腕みたいな魔法で、瓦礫を山の奥へとブン投げていった。
「あっ! いけない! こんなの当たったら動物が死んじゃう!」
「そ、そうだな」
「あばばばばばば」
シリックは腰を抜かしたままずっと壊れていた。
こうして、建物の残骸はおろか、土砂崩れの除去までもある意味手作業でこなしたフェトラス。
そしてその奥の奥に触れそうになった瞬間、巨人の腕は音も無く消失した。
「どうした?」
「……………………なんか、すごく、嫌な物が」
「マジか……」
俺は切り開かれた道を進んだ。
固い土砂の中。
俺は近くにあった木の板みたいなのを使って、その辺を掘り返してみた。
やがて、石とは違う、固い感触。
中から出てきたのは、漆黒に赤いラインが入った、不気味なまでに美しい槍だった。