2-3 シリック・ヴォール(偽名)
女の裸。
上半身のみではあるが、それは俺にとってとてつもない衝撃を与えた。
実際に見るのはどれぐらいぶりだろうか。
男子特有のアレなアレで、俺の脳内では凄まじい処理が行われた。
神速の演算にはほど遠く。
しかして、それは男子なら誰もが持つ強靭かつ剛速の演算能力。
「キ
(おっぱいだ)
ャ
(おおきい)
ー
(きれい)
ー
(はりがよい)
ー!」
叫び声と共にかがまれ、腕で隠される。
だがすぐに思い直したのか、彼女は近くにあった剣を手に取ろうとした。
女性にしては背が高いようだ。
髪色は柔らかな黄色で、肩より少し長い。
割と筋肉質で、農民というより「戦う系統」の仕事に就いていると思われる。
俺は秒で処理を終え、まずフェトラスに叫んだ。
「フェトラス、モンスターの気配だ! 戦闘準備!」
「えっ、うそ、ほんと!?」
「その女性を護れ!」
「はっ、はい!」
俺は抜剣し、女性と、それに駆け寄るフェトラスに背を向けた。
「気を付けろよ! 森の中から来る!」
「ほんと!?」
「ああ! ……くっ! ちょっと始末してくる!」
俺は女性陣二人に背を向けたまま森の中へと駆け出す。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉ……ぉぉ……おー、なんつってな」
そしてある程度の所まで来ると立ち止まって、木に背中を預けた。
「あー。ビビったぁ。女の裸とかすんげぇ久しぶりに見たな……いやー、ええもん見たー」
おおきいおむねでございました。
それは例えるならば、草原に咲く大輪の向日葵。
目と記憶に鮮烈な彩りを与え、なんかもうしあわせ。
ダメだ。思考を落ち着かせようと詩的な表現を試みたが語彙力が死んでる。
やれやれ、とため息をつく。
もちろん先ほどの女性に告げたモンスター云々は嘘である。
あの場での俺たちは女性にとって「沐浴の際に現れた不審者」だ。なので俺は、とりあずその第一印象を「突然現れてモンスターから救ってくれた親子」にスリ変える為に一芝居打ったわけだ。
もうそろそろ女性も水から上がって、装備を固めているだろう。俺はゆっくりと戻ることにした。
川辺に戻ると、予想通り装備を済ませた女性とフェトラスが微妙な距離感を保ったまま身を低く沈めていた。
……なんか、すっごい警戒してる。
「戻った」
「お父さん! 大丈夫だった!?」
凄まじい剣幕である。
「お、おう」
「わたしがいるのに襲ってくるモンスター……ほ、本当に大丈夫!?」
「あ」
そうだった。
フェトラスはもうモンスターに襲われない。奴らはこちらを視認するや否や、即座に逃げ出してしまうのだ。彼女がいる限り、雑魚は全て逃げる。
なので襲ってくるのは必然的に「絶対強者」ぐらい強いモンスターか、トチ狂っているかのどちらかである。
しまったなぁ、と思いながら、俺は「まぁいいや」とも考えた。
「襲われたわけじゃないさ。逃げ出していったよ。よっぽど腹が減ってたのかもな」
「そ、そう……まぁ無事で良かったよ……」
ほっ、とジェスチャー付きで胸をなで下ろしたフェトラス。
そうこうしていると、女性がこちらに声をかけてきた。
「あ、あの……本当にご無事ですか?」
綺麗な発音だ。まるで人の前で喋ることに慣れてるような……割と高貴な方なのかもしれない。ならこっちのしゃべり方も、無礼が無いようにしないとなぁ。
「ええ。突然の騒ぎでご挨拶もロクに出来ずに申し訳ないです。俺はロイル。そっちは娘のフェトラス。旅する親子です」
「あっ、ええと……シリック・ヴォール、です」
この言いよどみ方……偽名だな(断定)
しかも見ず知らずの俺に対して、この対応。旅慣れしていないようだ。(高確率)
同じ詐欺師に二回騙されるタイプだ。(きっと)
俺は第一印象による個人的な決めつけを行い、ほんの少しだけ警戒心を緩めた。
俺のささいな特技の一つだ。悪意と善意とそれに裏切られながら育ち、戦場という極限状況で人生の多くを過ごしてきた俺は、相手がどういう人間なのかを見抜くのが得意だった。
じゃなきゃ普通に死ぬからな。これは能力というよりも経験だ。
さて、目の前にいる女性。こういう手合いは、主義や思想、ようするに根幹的な部分に触れなければチョロく扱えるタイプだ。
「シリックさん、ですね。いやぁ、久々に人間に……あー、えー、と」
落ち着け俺。
裸なんて思い出すな。
「はーい! わたしフェトラス!」
「フェトラス……?」
「うん! お花と同じ名前! 見たことないけど!」
無邪気に片手を上げて元気に挨拶するフェトラス。
いきなり裸を見られた上に、モンスターがいる! なんて叫ばれて戸惑っていたシリックさんだったが『わたし素直な子です!』みたいな子供の動作を見て少し安心したようだった。
「よろしくねー!」
「は、はい。よろしく……」
フェトラスはいきなり俺の方に向き直って
(はじめてお父さん以外の人間と会えた!)
ってワクワクした顔を俺に見せつけた。
シリックさんは既にフル装備だ。レザーアーマーを身につけており、軽装のようだがやはり戦える人間らしい。武装は片手剣と弓のようだ。
「シリックさんは、ここで何を?」
「あっ、私は、その……ええと……」
「深く詮索する気はないのでご安心を」
「……ちょっと、捜し物を」
「捜し物、ですか」
「ええ……ですが……はぁ……」
ため息だ。
「ロイルさん達こそ、こんな危険な森で何を? 失礼ですが、こんな小さな子を連れてここを歩くなんて、山賊や人さらいでもしませんよ」
危険。
ああ。危険なんだこの森。
知らなかった。
「ここら辺には熊に似たモンスターが出るし……まぁ、こんな所歩いてるぐらいだからその辺はご承知なんでしょうけど……改めて問いますが、ここで、何を?」
「あのねー! わたし達、村を探してるの!」
「村? こんな所で?」
「でも中々見つからないの」
「そりゃそうでしょう……」
呆れたようにシリックさんは肩を落とした。
「この辺で一番近い村なら、浜辺の漁村……アルドーレしかありませんよ?」
「えっ。浜辺に村があったんですか」
「えっ」
「えっ?」
どうやら情報のすりあわせが必要らしい。
俺はとりあえずパンと両手を打って、「とりあえず出会った記念です。よろしければご一緒にお食事でもいかがですか?」と商人風の笑顔を浮かべた。
「いやー。実は俺、このフェトラスの母親を探してるんですよ」
もちろん嘘である。
「自分は昔傭兵だったんですが、戦地でこの子を保護して、なんだか愛着がわいちまいましてね。色々と面倒見てるうちにこの子が『お父さん』なんて呼んでくれるようになって。そしたらもっと愛着がわいちまいまして」
ここはほとんど本当。
「そのうち『この子を母親と再会させたいなぁ』とか思うようになって、そんで傭兵辞めて旅人になったんですよ」
半分嘘で、半分本当。
「ただアテが無いまま彷徨いまくったせいで、この子には不便や苦労をかけて申し訳なく思ってる現状です」
的なことを俺はゆっくりと説明した。
雑な食事をしつつ、シリックはシリックで自分の携行食糧を口にしていた。
フェトラスがあんまりにもそれに興味を示すものだから、ちょっと食料の交換をしたり。まぁそれはとりあえず置いておこう。「なにこのボソボソだけどめっちゃ甘いの!」うるさいぞフェトラス。
――――俺の話は八割ぐらい嘘だし、要所でフェトラスが「えっ、オカアサンて何?」とか言い出して誤魔化すのが大変だったが、とりあえずシリックは話しの半分を信じてくれたようだった。
「まぁ……色々アレですが、その子がとても懐いてるのは分かるので、人さらいや子供を害する人間じゃないことは、信用します」
「色々アレ、と申しますと?」
「そもそもこの森を訪れるには、絶対にアルドーレ漁村を通るはずなんですよ。だって、海からでないとこの森には来られませんもの」
「――――――――」
「そして――――」
俺とシリックの間に緊張感が走った。
腹の探り合いが行われる。
「この子――――」
改めてシリックがじっとフェトラスを見つめて。
「――――――――えっ?」
シリックは呆然と驚愕の呟きを漏らす。
俺は一瞬だけ自分の剣の位置を確認した。
そしてそれはシリックに伝わった。
「――――――――」
「……この子が?」
「――――――――」
「…………はぁ」
シリックが漂わせたのは沈黙ではなく、絶句だった。
それを見て俺は両手を挙げる。
「すまないが情報を小出しにする。そして、出来れば質問はしないでほしい」
「……え、ええ……わ、私も殺されたくないです」
「え?」
そのワードに反応したのは、フェトラスだった。
「殺す?」
「違う。落ち着けフェトラス。大丈夫だ」
「……そう」
ちらり、とシリックを見ると彼女の顔から血の気が失せていた。
「――――――――」
「すいません。あー。えーと。はっきり言いますが、この子はちょっと特殊なんですよ。それでシリックさんに、初めて出会った人間にどうしても聞かなきゃならない事がある」
「――――あ、ああ、まさか、そんな」
ずいぶんと勘の良い女だ。
頭の回転が速いのか、それとも、やはり、ヴァベル語のせいか。
ヴァベル語。それは天より降る言葉。
空を見ては「空」という名前知り。
青を見ては「青」という名前を得る。
俺はフェトラスと出会った時、こう思った。
『あ。魔王だ』
無人の世界で、見た瞬間に、魔王だと認識した。
「シリックさん。貴女は、フェトラスを、どう思いますか?」
正直に教えてくれ、と念を押すと、シリックは後ずさろうとした。しかし可哀相なことに腰が抜けてしまったようだ。
「ま――――」
「ま?」
「マジか――――」
「まお、えっ?」
シリックはがくがくと震えながら半泣きのまま、笑顔を浮かべた。
「マジか。やっぱりあるんだ。ここに、私の捜し物はあるんだ!」
「え」
「うわあああどうしよう。どうしよう。やっぱりあるんだ。やった! あるんだ! ああ! でもやばい! 何よこの状況! 聖遺物を見つける前に、魔王を見つけて! いや、見つけられた!? でもどうして!? どうして魔王と人間が親子なのよ!」
「お、おちつけ」
「お、お父さん。この人大丈夫?」
「お父さん! 大変だ。魔王が人間をお父さんとか呼んでる! なにそれ調教!? 洗脳!? そんなこと可能なの!? 嘘だ。絶対嘘だこれ! ははは私、狂っちゃった!?」
あー。なるほど。
人間は、俺とフェトラスを見るとこういう風になるのか。
「フェトラス」
「えっ、なに?」
「シリックさんが混乱してるから、ちょっと俺とやってほしいことがあるんだけど」
「なにかな?」
「題して、絶対に笑っちゃダメゲーム」
「笑っちゃダメなの?」
「おう。フェトラスが笑ったら俺の勝ち。笑わなかったらお前の勝ち」
「うん! わかった!」
フェトラスはキリッとした表情を作った。
「ゲームスタートだよ、お父さん」
「フェトラスは可愛いなぁ」
「えへへへ」
瞬殺である。
「はいお前の負け」
「はうあッ!?」
「フッ、ふふっ……お前、その顔めっちゃ面白い」
「えっ、ちょ、どんな顔!?」
「ぶはははは! 表情豊かだなお前!」
「うー! 悔しい! わたしも! わたしもやる!」
「いいぜ? やってみな」(キリッ)
「お父さんかっこいい!」
「だろ?」(キリッ)
「むきー!」
なんてやりとりをして、俺はシリックの方に向き直った。
「驚かせてすまない。でも、まぁ、なんだ。見ての通り、大丈夫だ」
「――――――――」
「ある程度、腹を割って話したいんだが、いいだろうか?」
「――――少し、時間を、クダサイ」
「もちろん」
短時間で俺が得たシリックという人間。
・若い女性。
・軽装で、旅慣れしていない。
そして何よりも重要なのが「一人」だということ。
つまり最悪のケースになってもどうにか出来る。
だからシリックは『実験台』として最適だった。
ごめんね、と心の中で真摯に謝る。
こうして俺は、俺たちは、自分の事を語り始めたのだった。