2-2 祝福が去り、残されたもの
無事に浜辺に降り立った俺たちはそろって背伸びをした。
「んーー!!」
「んんんーー!!」
浜辺……そう、俺たちがほんの少し前に住んでいたロケーションと同じ浜辺だ。しかしそこは慣れ親しんだ我が家ではなく、見知らぬ浜辺。
「おお~」
フェトラスはその未知の光景に目を輝かせていた。
「お父さん! ここ、どこ!?」
「知らねぇ!!」
たぶん俺も、似たような輝きを瞳に抱いていのだと思う。
知らない、とは言ったものの、ここがどこかを冷静に考えてみる。
俺が住んでいた大陸ではない、と断言は出来る。しかしここがどこかと言われると見当もつかない。だいたい浜辺ってのはどこも似たような作りだ。砂浜は白くて、付近に生えている木もだいたい同じだ。
人間領域か魔族生息地かはまだ判断出来ないが……。
「とりあえず、だ。何をするべきかなぁ」
俺は自分の疑問を口に出した。
カウトリアがあれば……いや、もうこの思考は止めておこう。カウトリアはもう無いのだ。もしアレがあれば、と考えても所詮それは無い物ねだり。だから自分で考えよう。
まずは現状の把握。
正直疲れた。
姿勢は固定されてたし、しがみつくために体力も気力も消耗した。今更気がついたが、結構喉も渇いてる。そういえばフェトラスは腹が減ったとも言っていたな。何か食べ物を、
「…………フェトラス」
「ん~、ん? なに?」
「いま凄いことに気がついた」
「なにかなー」
「俺たちの荷物、全部家に置いてきた」
荷物。
あの島で色々作ったもんさ。スコップ等の道具、寝具、というか家そのもの。まぁその辺はいい。だが、着替え、料理道具、なけなしの傷薬、保存食。そういうものを一切合切置いてきたわけだ。
剣だけは流石に腰にブラ下げてはいるが、これってどうよ。
見知らぬ土地で、裸一貫。
これはやばい。
「…………」
「……まぁ、何とかなるんじゃないかなぁ?」
「ほう。その根拠は?」
「え。だってお父さんいるし」
わー! 全幅の信頼だぁ!
こわーい!
ここがどこかも分からないのに!
どんなモンスターが住んでるとか、魔族の生息地域なのか、人間の領域なのかも分からないのに!
ど、ど、どうしよう!?
俺が絶句していると、フェトラスは首を傾げた。
「お父さん?」
その瞳には、なんの不安も映ってなかった。ただ、不安そうな俺が映っているだけだ。
そしてその不安が伝染する前に、俺は天を仰いで、必死こいて頭を回した。
「――――よし! まずは腹ごしらえだな!」
「おー!」
俺の装備は剣と、普通の服。
フェトラスは……精霊服だけ、か。
「お前ポケットの中になんか入ってたりする?」
「ポケット? えーとね、これだけは持ってきたよ」
そう言いながらフェトラスが取りだしたのは小袋。
俺の貴重品が詰まった、割と重要なアイテムだった。
「おお! それ持ってたのかよ!」
「とりあえず要るかなー、って。でもごめん、ご飯とか果物は持ってきてない……」
「いやいや、とりあえずコレがあればいい。他の物はどうとでもなる」
俺はワシワシとフェトラスの頭をなで回し、小袋の中を覗いた。
わずかな金貨。
大切なアクセサリー。
友の遺品。
ついでに魔獣イリルディッヒの羽根が三枚。
俺は安堵のため息をついた。
金と思い出があれば、とりあえず人は生きていける。
まぁここでこの金貨が使えるかどうかは不明だが。
「まぁ何はともあれ腹ごしらえ……いや、水の確保だな。念のため聞くがフェトラス、お前空とか飛べる? 上に浮くだけでもいいんだけど。近隣の様子が知りたい」
「えっと……やっぱ飛ぶのはちょっと難しいかも。わたし羽とか持ってないし、鳥さんより重いし」
「浮くのは? 上にふわ~って」
「浮く。カルンさんみたいに?」
「――――そうそう。カルンみたいに」
「でもわたし、カルンさんみたいな翼持ってないよ。なんかイメージしづらい」
「自分の体重を軽くするとか、空を地面に見立てるとか、ジャンプ力を強化するとか、そういう発想じゃだめか?」
「高い所からゆっくり降りるのは覚えたけど、自分で高度を稼ぐっていうのが、あのね、ごめん、上手に説明出来ないんだけど……ごめんなさい。謝るから、そんな顔しないでほしいな……」
そんな顔。
俺は今、どんな顔してんだ?
いきなり俺は自分の顔をブン殴った。
「ええっ、ど、どうしたのお父さん!?」
「大丈夫だフェトラス。お前の言う『そんな顔』の野郎はブッ飛ばしておいたから」
「痛いでしょ!? や、やめてよ!」
「大丈夫だ。痛いのは顔じゃない」
「?」
俺は深呼吸して、彼女の手を取った。
俺は馬鹿か。娘に頼り切ってどうする。
彼女の前は俺が歩くんだ。
不安な顔なんて、すがるような視線なんて見せるな。
俺が見せつけるのは、かっちょいい男の背中だけだ。
「とりあえず森にでも入るか。今後の方針を話しながら、果物探したり、動物を狩ったりしよう」
「ごはん!」
「流石に森でたき火するのは手間がかかるが、このまま浜辺に拠点作ってもしょうがねぇ。移動するぞ」
「どこを目指すの?」
「まず必要なのは飲み水。ついでに食い物。そして目指すは高いところだ。そこなら辺りを見渡せるし、お前の魔法でどうにかなるだろ。もしかしたらまた飛べるような気持ちになるかもしれないし。あとは道中で村かなんか見つけられたらラッキーだな」
「おお~。なるほど~。ところで村ってなぁに?」
「人間とかがたくさんいる所だ。俺たちが住んでた家が並んでて、色々な人が協力しながら住んでる」
「ふーん」
話しながら、手を引きながら、俺は森に入った。
そしてすぐに気がついた。
まず自分が覚えたのが、恐怖であることに。
「――――――――フェトラス」
「なーに?」
ウキウキした声だった。
ご飯が楽しみなのか。
見知らぬ土地が嬉しいのか。
なんにせよ、水を差すわけにはいかない。
「人間の村があったら、動物の肉がたくさん食べられるかもしれないぞ」
「てんごく!?」
「正直わからんけどな。でも俺たちの家よりかはマシだと思う。思いたい」
「ど、どっちなの。とりあえず期待してもいいの?」
「期待する分には構わんが、アテにはするな。俺もここがどこか分からないからな」
「そっかぁ。ふふ、楽しみ」
俺は自分の恐怖をごまかすためにフェトラスに話しかけたわけだが、すぐに限界が訪れた。
怖いものは怖いのだ。俺はフェトラスから手を離して抜剣した。
「どうしたのお父さん? モンスター?」
「……いいや。違うよ」
俺はもう
カウトリアが
ないのだ
それはつまり
いきなり強敵に
襲われたら
死ぬのだ。
この程度の思考、以前ならまばたきよりも短い時間で「実感、対策、覚悟」まで持って行けた。だが今は違う。この程度の思考に三歩も必要だなんて、今の俺にとっちゃ逆に新感覚だ。
怖い。
だって俺は、弱いのだから。
「フェトラス。人間の村があったら、とは言ったが逆のパターンもある」
「逆?」
「ここが魔族の生息領域だったパターン、だ」
「魔族。カルンさんみたいな人がいっぱいいるの?」
「魔族ってのは種類が多いからな。人間は一種だが、魔族は多種だ。緑色もいれば赤色も青色も、二足歩行や四足歩行、飛ぶやつ歩くヤツ、本当に色々いる」
「そうなんだ。それがどうかした?」
「ぶっちゃけ魔族が出たら、お前に頼ることになる」
「え。なんで?」
「魔族は基本的に、人間を殺したがるからだ」
「!」
ちょっとした既視感。
すぐ背後にいる娘から立ち上ったのは、死の気配だった。
「魔族は人間を、お父さんを殺そうとするの?」
「ああ」
「カルンさんは……ああ、でも……ああ、そっか……ふーん」
何かを納得したかのような。つまり受け入れたかのような。覚悟を決めたかのような声色。
怖くてたまらなかったが、俺は振り返った。
そこには銀眼の魔王がいた。
「わかったよお父さん。魔族が出たら、わたしの出番なのね」
「――――違うよ」
「え? でもいま」
「違う。違うんだよフェトラス」
今の気持ちを、なんと伝えればいいのだろうか。
この恐怖と不安と、それに相反するような、情けない安堵。
ああ、だめだ、連鎖する。
(この感覚を俺はよく知っている)
(もちろん解決方法も知っている)
(だが、時間がかかりすぎる――――!)
俺はかつてない程に、カウトリアを想った。
ここまで自分がカウトリアに依存していたとは。
俺は大声をあげたくなった。
うずくまって、泣きたくなった。
でも出来ない。してはいけない。
俺がすべきことはたった一つ。
俺は嗤った。
「魔族が出てきたら、たぶん人間である俺に驚くと思うんだよ。で、同時に魔王であるお前にも驚く。さて、ここからが重要だ。いいかフェトラス。俺たちはヴァベル語が使える者とは決して戦わない」
「どうして?」
「戦う必要がないからだ。話せば分かる、ってのは素晴らしいことだよな」
「??」
「もし人間がいたら、水と飯をくれって俺が交渉する。でも人間じゃなくて魔族がいたらお前が交渉してほしいんだ。ご飯とお水ください、ってな」
「ください、って言ったらくれるかなぁ」
「その点は、魔族だったら間違いなくくれる。なにせフェトラスは魔王だからな。お前は自分がどういう存在かまだ分かってないようだが、その辺についてはおいおい説明する」
「うーん……分かった」
「だが覚えておいてくれ、判断はお前に任せるが、当面のあいだは俺のことを信じてほしい。誰に何を言われようとも、お前が俺の娘だってことを、忘れないでほしい」
銀眼の魔王に俺は視線で射殺された。
「お父さん? えっと、今のはよく分かんなかったけど、わたし、怒っていい?」
「――――ああ、もちろんさ。怒っていい。その方が俺も安心出来る」
「むぅ」
フェトラスは目を閉じて、やがてため息をついた。
「……ま、いいや」
俺の口癖を真似たフェトラス。
そして開かれた瞳には、黒くてくりくりした可愛いおめめが戻っていた。
わぁーい。いつものフェトラスだぁ~。
思わず幼児退行しちゃうくらいお父さん安心~。
そしてその瞬間に悟った。
俺は、あれこれ考えない方がいい。
飯。探す。
敵。斬る。
娘。守る。
それだけでいい。
「のど乾いたね」
「腹も減ったな」
「この辺に果物……生えてないなぁー」
「そうだなー」
俺は抜剣したまま、もう片方の手でフェトラスと手を繋いだ。
何があってもこの子を護る。
それは結論だ。
魔王だろうが俺より強かろうが、そんなことはどうでもいいのだ。
ごちゃごちゃ考える必要はない。
どうせ何を考えたって結論は同じで、変えてはいけないのだから。
いきなり凶悪かつ凶暴かつ強靭なモンスター・魔族・魔獣・いっそ魔王に襲われたとしても。今の俺に出来ることなんてたかが知れている。
だから出来ることを増やそう。
例えば――――。
――――ああ、ほら、また、余計な事を考えている。
俺はちょっぴり立ち止まって深呼吸をした。
知らない土地の香りだ。
ここから先、何が起こるか分からない。
「お父さん?」
でも繋いだ手の平の温度は、変わらない。
「ごめんなフェトラス。お父さん、頑張るからな」
「? うん。わたしもがんばるね!」
これでよし。
俺は弱い。とっさに敵に襲われたら、きっと以前のようには戦えない。
俺はカウトリア握って以来『死線を越えたことがない』のだ。
むしろ死線を越えないように思考して、対策して、聖遺物の使い手として振る舞ってきた。
そして後に残ったのは慢心だけだ。カウトリアさえあれば全部どうにかなるという傲りだ。
ずっと戦ってきたくせに、強靭な肉体だって持ってない。必要無かったから。
(戦ったら死ぬかもしれない。俺はそれが怖い)
――――カウトリアがあれば、死ぬかもしれない、と思うより速く動けた。
(何が起こるか分からない。俺はそれも怖い)
――――カウトリアがあれば、何が起きても最善が尽くせた。
カウトリア。依存しきった俺。
聖遺物の祝福。
それを失い、俺は「普通」という、まるで呪いのようなものに変化した。
(でもそれは、当たり前のことなんだ。俺は、魔王ギィレスと戦う以前の俺に戻らなくては)
さぁ行こう。
もう歩み始めていたが。
覚悟を決めるのに多大な時間を要したが。
改めて、これが俺の第一歩だ。
さぁ行こう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして俺たちは道中で見つけた食べられる野草なんかを拾いつつ歩みを進めた。
森は広大で、野生動物やモンスターの気配しかなく、文明は感じられなかった。
しかし川を発見出来たので、とりあえずは一安心。川が在るところに文明在り、だ。
ここも未開の地か? とか、ここって実は俺たちが住んでいたのと同じ大陸じゃないか? とか、色々な事を考えつつ、でもやっぱり結論は同じなので、俺たちはひたすらに進み続けた。
そして二日が経った。
川に沿って歩き続けた結果、俺たちはようやくヴァベル語を扱える者と遭遇する。
「あ」
「あ」
「えっ――――だっ、誰!?」
ソレは人間だった。
若い女性だった。
「き」
「き?」
「キャーーーーー!!!」
彼女が裸で水浴び中でなければ、もっとスマートに挨拶出来たのになぁ。