2-1 空に舞い墜ちる
これより第2部です。
空を飛ぶ。
これは人間が持つ割と原始的な欲求だと俺は思っている。
鳥のように、伝説の竜のように。世界の果てを見て、そして我が家に帰る。そんな好奇心と安心がセットになった全能感を人は欲している。
しかし実際に空を飛んで分かったのだが、小難しい理屈は抜きにして、これは楽しい。すごく爽快だ。フェトラスの魔法(?)で風圧が減殺されているようだが、それでもその風圧で頬の形が勝手に変わる程度には速い。
「おひょひょひょひょ! 楽しいなこれ!」
「うん!」
気持ち悪い笑い声をあげながら俺は空の旅を楽しんだ。
青い空。白い雲。眼下の海は煌びやかで、風は熱と冷たさという二つの顔を示す。
そして太陽の下に置いた氷が溶ける程の時間が経って。
俺は飽きた。
「…………」
「…………」
フェトラスも飽きていた。
そりゃ空と海しか見えないからな。たまに大きな雲があったりして、それに突っ込んだ時とかは快哉の声をあげたが。
(んー。割と強引に連れ出されたわけだが……マジで、これからどうしよう?)
もう俺にカウトリアの気配は感じられない。常人と同じ思考速度だ。まぁ普段からカウトリアを使っていたわけではないのだが、こんな風に「どうしよう?」と悩んで答えが出るまでにかかる時間に対して、違和感を覚えずにはいられない。
体感時間は変わらなくとも、世界や状況は刻一刻と変化していくからだ。
そう。例えば。
「おなかすいた……」
「聞こえてんぞフェトラス」
こんな風に。俺が答えを出す前に、新しい問題が出てくるわけだ。
「ねぇお父さん。お父さんが住んでた大陸って、あとどれぐらいでつく?」
「……船で数ヶ月はかかったからな。凄まじく遠いぞ。俺らと船の速度差なんて見当もつかんが、同じぐらいかかるんじゃないか?」
「マジすか」
フェトラスは俺を抱きかかえるように飛んでいるわけだが、その力が少し抜けた。
「ちょ、やめて! 落ちたら死ぬ! 絶対死ぬ!」
こわい!
「あわわわ、ごめんごめん!」
フェトラスはしっかりと俺を抱え直した。くそう、まだ一歳にもなってない我が子にすがりつくとか、お父さん恥ずかしい。
(お父さん、ね。うん。なんかまだこそばゆい)
父としての自覚はあるが、父としての在り方なんて知らない。カウトリアがあれば、今後の方針ぐらいすぐに導き出せただろうが……。
「……ん? どうしたのお父さん?」
「……いや、なんでもない」
ま、いいさ。
この子だって、まだ「娘」になってまだ日が浅い。
一緒に成長していこう。同じ時を過ごし、同じ物を食べて、違う気持ちを育てて、ケンカしたりして、もっと仲良くなっていこう。
(キザな台詞を用意するなら、愛し合っていこう、ってか? ハハン、愛なんざ知らんわ)
それはさておき。空の旅である。
まぁ楽しいのも気持ちいいのも確かなのだが、飽きが来ている。そして不安がある。いきなりフェトラスが魔力切れ(?)的な、スタミナ消耗的な意味で力を失って墜落したら二人とも死ぬからだ。
フェトラスは腹が減ったとも言っていた。
慣れない空の旅でもあるし、適度に休憩を挟んでいかなくては。
「フェトラス! 次になんか島っぽいのが見つかったら、一旦降りようぜ! 休憩して飯でも食おう!」
「…………あー」
「え?」
色よい返事がもらえると思っていたのだが、フェトラスは言葉を濁した。
「島……うん。島ね。でも、その、出来たら島よりも大陸の方が、いいかなぁ、って」
「は? なんで?」
「……たぶん、だけど……一旦降りたら、また空を飛ぶのって、ちょっと難しいかもしれないんだよね」
「歯切れが悪いな。なんでだ? また魔法唱えりゃいいじゃねぇか」
「たぶん、唱えられない」
もしカウトリアがあれば、俺の思考はすぐに仮説を立てられただろう。
しかし俺の人間並みの思考力では、フェトラスが二の句を告げる間での短い時間では、狼狽することしか出来なかった。
「お家を出た時は『飛んでいこう!』って思ったから、魔法っていうよりも根性みたいな感じだったし」
「さっぱりわかんねぇ。どういうことだよ」
「あー。お父さんは魔法使えないもんね。あのね、魔法って二つの唱え方があるみたいなの」
そして――――それからフェトラスが語った内容は、本気で分かりづらかった。
まず彼女自身が魔法を知識としてではなく、ある意味で本能的に使っているせいで体系が整っていないということ。
人間だってなぜ右腕を動かせるのか、そして意思がなくとも例えば「テーブルから落ちそうなスプーンを反射でキャッチ出来る」のかを説明出来るヤツはいない。
ともあれ簡単にまとめると、こういうことだった。
魔法には呪文が必要であること。
カルンが使ったりしていた「炎閃」「雷閃」「灼葬」「空蛇」のように、魔法の内容をヴァベル語を用いて世界に魔法使用を表明すること。
だがフェトラスが口にしたのは呪文ではない。「ステーキとりあえず百人前」だ。うむ。たしかに呪文じゃない。ただの願望だ。よしんばそんな呪文があったとしても、効果が「空を飛ぶ」なんて、予想出来るヤツはいないだろう。
とにかくフェトラスは呪文ではなく願望を口にした。だから、再現が難しいらしい。
その時のテンションや、やる気、モチベーション、そういうあやふやで上下しやすい、わけのわからん衝動的な気持ちで飛んだから「同じ気持ちにならないと飛べないんじゃないか」とフェトラスは予感したのだった。
そういえば、確かに。俺が知っている魔女も魔族も、魔王ですら、フェトラスのような魔法の使い方をしたヤツはいない。
異常だ。
俺が読んだテキストにも乗ってなかった――――魔法の生成なんて項目、真面目に受けた記憶はないが――――とにかく、魔法には呪文が必須だった。炎を使うなら、炎の言葉が絶対にいる、はずだ。
思い返すのはあの悪夢。
夢の宮廷料理フルコース。
絶対に存在しないはずの、七重属性魔法。
もしも他の魔王がその魔法を唱えようと呪文を構成したら、いったいどれほどの呪文量が必要になるのだろうか。
そりゃ確かに、フェトラスだって独自言語で構成していたようだが、世界に訴えかけたヴァベル語は、魔法の規模に比べるとあまりにも短い。
(神様でも殺すつもりかよ、とはあの時思ったもんだが……)
殺戮の精霊・魔王。
月眼の、魔王。
ぞくりと身体が冷えた。
存在が確定している月眼持ちの魔王は、伝説の大魔王だけだ。
つまりフェトラスには、疑いようもないくらい、世界を滅ぼす力と権利がある。
「ねぇお父さん」
「なんだ」
「………………」
「……なんだよ」
「あはは。あの時さ、ほら、浜辺で大げんかした時。カウトリアを通じて、一瞬で全部わかり合えた時あったじゃん」
「ああ。あったな。もう出来ないだろうけど」
「いま、あれが出来たら良かったのにね」
思考ではなく、反射的な直感で俺はフェトラスを抱きしめた。
「心配すんな」
「――――ん」
「ただ、これだけは覚えておけ。俺はもうお前がああなったら止められんから――――やめてね?」
「ははは。分かってるよ」
並みの聖遺物じゃ太刀打ち出来ないだろうな。
カウトリアがこの手にあったってもう無理だ。
フェトラスはもう、俺との戦いを知っている。
それが経験だ。成長だ。そして魔王の成長伸びしろは。
「あー! もー! 海と空しかない! 大陸どこー!」
「つーかお前、飛び続けてるけどマジで平気か!? 急に落ちたりしないよな!」
「正直わかんない!」
「嘘だろお前!」
「て、低空飛行しとく?」
「こんな絶海に落ちたらどっちみち死ぬわ!」
「か、帰る?」
「おお、そうだな! この無鉄砲娘! 腹ペコ魔王!」
「あー! それ言ったなー!」
「さっきお前、腹減ったって自分で言ってたじゃねーか!」
「あははは! そうだった!」
笑い声。そして。
「!」
フェトラスはいきなり急上昇して、雲より高く、太陽と距離を詰めた。
「え、ちょ、なに!?」
「お父さん、あれ」
フェトラスが顔を動かした方向を見ると、渡り鳥の群れが飛んでいるのが見えた。
「おお。鳥じゃねーか」
「鳥! 鳥だ! とりにく!」
「……いや、流石にアレを捕まえるのは無理だろ」
「魔法で打ち落として、キャッチして、飛びながら食べる!」
驚きと戸惑いを、俺は上手に隠せただろうか。
いまフェトラスは、殺して食うと、そう言ったのだ。
「――――飛んでるのに他の魔法使ったりしたら、この飛行魔法の効果が切れたりしないか?」
「あ。うーん……そ、そうかも」
「よし、諦めろ。危ない橋は渡るな」
「りょ、りょうかい……」
それでも諦めきれないのか、フェトラスはしばらく「うー」とうなりながら渡り鳥の群れを見つめていた。
「ん?」
「どうした」
「……鳥ってさ、どうやって空を飛んでるんだろう。魔法じゃないよね」
「風に乗ってるんだろ。羽ばたきで飛ぶのは最初だけで、あとはどっちかっていうと、ゆっくり落ちてるんだよ」
「ふーん……なるほど……高度を稼いで、滑空してるのか……羽根で風を受け止めて、上昇して……でもわたし翼無いしなぁ……」
フェトラスはそう呟いて、俺にこう言った。
「お父さん。ちょっと私の背中の方に回ってくれる?」
「背中って……おんぶみたいな?」
「そうそう」
空中で体勢を変えるのは中々に恐怖だったが、俺は言われた通りにした。そしてしっかりと彼女にしがみつき、それから彼女の意図をさぐる。
「なんだよ」
「えっとね、百回に一回ぐらいの可能性で、落ちるかもしれないけど、試していい?」
「頼むからもっと分かりやすく説明してくれ」
「あー。そうしたいのは山々だけど、説明してるウチに感覚が薄れそう! ごめん、でも絶対大丈夫だから、しっかりしがみついてて!」
「え」
いきなり、凄まじい風圧が俺の身体を襲った。
「なっ――――!」
パニック。何も考えられない。カウトリアはもういない。
「 【堕楽】 」
ふわりと、身体が軽くなった気がした。
いまのは、魔法?
「やった。出来た」
「――――い…………いやいやいや! おまえ! なにしちゃってんの!!」
俺はフェトラスの耳元で絶叫した。
「いきなり何なん! わけがわからん! 怖い! 普通に怖いわ!」
「お父さんって実はけっこう臆病だよね」
「だから生き残ってこれたわ! 悪いか!」
「素敵」
フェトラスは「あははっ」と軽やかに笑った。
軽やか。うむ。まるで今の飛び方みたいだ。
「な、何をしたんだ?」
「鳥の真似。飛ぶんじゃなくて、ゆっくりと落ちるの。楽しく、優雅に、ひらひら~って」
「…………俺はな、臆病な上に、そんなに賢くもないし、察しも悪い。カウトリアが無いんで今は特にそうだ。しかもいきなり死にかけた気がして、心臓バクバクで、頭が回らん。この哀れなビビリ野郎に、分かりやすく説明してくれ」
「驚かせてごめんなさい」
「……いや、いいけどよ」
「あのね、大陸が予想以上に遠いって分かったし、お腹空いたし、実は魔法が切れそうだったの。ステーキ百人前が、すごーーく遠くに感じちゃって」
モチベーションの低下か。
つーか魔法が切れそうって、マジかよ。
「でも鳥さんを見てたら、ああいう風に飛べばいいのかぁ、って思って。そしたら魔法が唱えられそうだったから、切り替えたの」
「魔法を、切り替えた……ああ、だからいきなり風圧が激しくなったのか」
「うん。これはゆっくり落ちるための魔法。だから、楽だよ。安全にもっと遠くまで行けるんじゃないかな」
「そ、そうか。お前が楽ならそれでいいんだが、次からは心の準備をだな……」
「ごめん。すぐに唱えないと、感覚が薄れそうだったから。魔法ってね、呪文を唱えたら出るようなものじゃないの。出せるって思った時にしか使えないの」
「理解が及ばねぇ。これだから魔法使いは。もういい。分からん。お前の好きにして」
「――――えへへ」
フェトラスは「好き」という言葉に、なんか変な反応をした。
「ただこれ、落ちてるからね。海に落ちきる前に、上昇するための魔法を考えなきゃ」
「ええええ!? いまから考えるの!?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。わたしは天才。やれば出来る子。きっとすごい子。お父さんの子」
「完全に同意出来るのが一個しかねぇ!」
「それで十分」
緩やかな風の中、フェトラスの呟きが聞こえた。
「わたしは魔王フェトラス。お父さんの子。だから、絶対に大丈夫」
強い確信だった。
まだ一年と生きてない彼女が得た、人生の根幹にして、絶対の価値観。
俺はみっともなくフェトラスにしがみついていたのだが、自然と肩の力が抜けた。
「……島が見えたらさ、とりあえず降りようぜ」
「そうだね」
もしもカウトリアがあれば、きっと俺は、
「フェトラスがこの短時間で魔法を一つ見いだしたこと」とか。
「一度唱えた呪文の持続時間が長すぎること」とか。
「鳥を殺そうとしたこと」とか、そういう事を考えたんだと思う。
でも俺は「鳥を殺そうとしたこと」についてのみ、短い解答を出した。
フェトラスはもう知っているのだ。
自分が色々なものを殺してきたことを。
虫を、モンスターを、魚を、もしかしたらカルンを。
きっと彼女はそれを少し受け入れたのだろう。生きる、ということを考えたのだろう。だから大丈夫だ。狩りと殺戮は違う。だから平気だ。
魔法のことはもうどうでもいいや。考えてもどーせわからん。
なので、俺は「次の島では動物がたくさんいたらいいなぁ」とか「何を作ろうかなぁ」という事を考えることにした。
どうやったらフェトラスを笑顔に出来るかな? と。それだけを考えて俺は娘を抱きしめ続けたのであった。
そしてしばらくして。
高度が下がって。
落ちて、下がって、落ちて。
「おっとー!? 島っぽいの発見!」
「いや……島じゃないな。大陸だ」
「お父さんの故郷!?」
「俺の故郷はもっと遠い。別の大陸だな。人間領域か魔族生息地かは分からんが……まぁいい! とりあえず降りようぜ!」
「うん! ぶっちゃけもう滑空出来る距離もあんまり残ってないしね!」
さてさて。
いつの間にか始まってしまった俺たちの旅だが、とりあえず無事にゴールにたどり着けそうだ。
ゴール。つまり「フェトラスに美味いものを食わせる」
きっと明日には別のゴールが見えるだろう。そしてそれを何度も何度も繰り返して
――――俺たちの旅は続いていく。