三週間目 空腹の魔王は訴える。
「ねぇねぇお父さんお父さん。これなに? あれなに? ふむふむ。じゃあアレってどうなってるの? コレってどういうこと? ふむふむ。そうなら、アレはコレでコレはソレでふーむ。――――なるほど。わかんない!」
ざっくりと、フェトラスの言動をまとめるとこんな感じだ。
こいつには深慮という言葉が欠けており、思ったことを何でも聞くし、独り言もガンガン使うし、そして頭の回転が速いのか割と適切な解答を導き出して、でも結論は「よく分からない!」というのが多かった。
その結論に対して俺は。
「分からない事を分からないって素直に言えるフェトラスはすごいなぁ」
と。
だってそうじゃん? 解答を導き出してるのに、自分が至れてないって分かってるんだ。そしてそれを認めるというのは、案外難しい。
俺のかつての上司だって、作戦の穴を指摘すると「そんな事は分かってる!」とか「じゃあお前が代案出せよ!」とか。
酷いのになると「そこに気がつくとはやるな。実はお前を試したんだ」とか言い出す。
(っても……子供だしなぁ。素直で当然か)
そう。フェトラスは外見は既に赤ん坊のそれではないが、まだ生後一ヶ月も経ってないのだ。
拾った頃に比べると身長も体重も五倍ぐらいになっている。
精霊服もデザインこそ変わらないが、フェトラスの成長に合わせて大きくなっていた。
(若干細身だが身長が高い。スタイルの良い子に育ちそうだ。しなやかな筋肉とバネを持っていて、系統的にはスピード属性のテクニカル系統と言ったところか。戦士、騎士、暗殺者のどれかと言われれば、騎士が一番近いだろうな。多分殴るよりも蹴りを覚えさせた方が護身術としては優秀だろう)
兵士の思考だった。
いかんいかん。別にそういうのはフェトラスに求めてない。
(フェトラスは……)
健康優良児だ。
熱を出したこともなけりゃ、怪我をしたこともない。
転んだことくらいはあるが、ケロっとしていた。そもそも精霊に痛覚ってあるのだろうか。
「髪も伸びたなぁ」
「髪……ねぇお父さん。髪って、なんで生えてるの?」
「…………そりゃお前、あれだよ…………頭部っていうのは弱点だからな。それを保護する、天然の鎧だ」
「鎧って言うには弱すぎるんじゃないの? 細いし、さらさらしてるし、すぐ取れるし」
「強い太陽の光とか、小虫とか、そういう弱いけど積み重なるとダメージになるものを防いでるんだよ」
「弱いものから守る?? 意味あるのそれ?」
「森で小っちゃい虫とか見かけるだろ? それに噛まれたらどうなると思う?」
「ちょっと痛いぐらい」
「じゃあその虫が百万匹で襲ってきたら?」
「……すごい痛い?」
「普通に死ぬわ。まぁ百万は言い過ぎたが。とにかく雑魚でも侮るな。極小のダメージも積み重なれば致命傷に至る。そして、そういう極小のダメージを防ぐのが髪、ってイメージだな」
「ふーん。そしたら全身から髪が生えればいいんじゃないの?」
「はやしてみろよ」
「どうやって?」
「できねぇよ」
「なんで?」
俺は思わず「知るか」と言いそうになったが、反射的に“一瞬”を過ごしてしまう。
「やっぱり必要がないから生えないんだろうな。自分の足の裏を見ることは出来ても、脳天を見ることは誰にも出来ない。だから髪がある。そして見える部分は自分で守れ、ってこった」
「生えた方が便利なのに……」
「たぶん暑苦しいぞ」
「あ。モンスターとかはたまに全身から髪が生えてるのがいるよね」
「毛な。そういう意味じゃ、俺にだって腕毛ぐらい生えとるわ」
「へ~。本当だ。よく見えたら生えてる……」
自分の体毛を見せると、フェトラスはしげしげとそれを眺めて、突然むしり取った。
「痛ぁぁぁ! くはないけど! いきなりなにすんだよ! びっくりするわ!」
「ああああごめんなさいごめんなさいや~め~て~」
ヘッドロックして頭を振り回してやる。
フェトラスは笑いながら抵抗した。
フェトラスの吸収速度は、まさに「乾燥させた海草」のようだった。水を与えればどんどん膨らんでいき、大きく、瑞々しくなっていく。
お喋りに飢えていた俺は喜びと共に口を開き、フェトラスはそれを余すところなく飲み込んでいった。
喋れるようになってから、フェトラスの個性が分かるようになったのが何よりの贈り物だった。
こいつは、とても良い子だった。
俺が知ってる魔王とは似ても似つかない。
俺はフェトラスに飯を与え続けただけで、他には何もしてない。なので俺の教育の賜というよりは、こいつの性根なんだろう。
いただきます、ごちそうさまが言えて。
ありがとう、ごめんなさいが言えて。
いつもニコニコしてて、花とか見るのも好きで、空の青さ、海の大きさ、森の空気や色。そういう綺麗なものを「綺麗」だと認識していて、それを大事にしている節がある。
フェトラスは「綺麗なお花だね」と言って、それを千切ったりはしない。見て、微笑む。それだけだ。
ほらな? いい子だろ?
どこが魔王だよ。普通にいい子じゃねぇか。
そんな良い子の質問には、きちんと答えたくなるのが大人の矜持だ。
だから俺はフェトラスとの会話を楽しみつつ、そしてそれを大事にした。適当な受け答えをしたとしても、雑な結論は決して出さない。
例えば。
「ねぇねぇお父さん。血はどうして流れるの?」
(血が流れる理由……人が争う理由……血で血を洗うってのは最高の冗談だな。そこまでして争いたいものか? そりゃ俺だって人並みの生活を得るために血を流してきた。だが、その道に終わりが無いっていうのはガキの頃の俺だってすぐに分かったぞ。そして「もう十分だ」と割り切ることも出来た。それが出来ない、争い続ける人達は何を求めているんだろう……動物やモンスターにあるのは欲だけだ。そしてその欲は自分と家族を満たせればそれで完了する。なのに人、魔族、魔獣に魔王……ヴァベル語を扱う生き物はみんなみんな、血を流すことが好きだよな……何が「知恵あるモノの言語」だ。知恵があるのなら、それを使ってもっとこう、平和に……ああ、だから「知恵あるモノ」の言語なのかな……それを使って、血を流すことを止めなさいっていう、神様の――――)
とまぁこんな具合で。
フェトラスは濃密な一日を。
俺は“永い”一日を過ごしている。
「お父さん?」
「血が流れる理由か。それはな」
(アホか。フェトラスが聞いてるのはそういうことじゃねーよ)
「飯くったり、酒を飲んだりすると血がドクドクと流れるのが強くなる気がするんだが、たぶん、そうやって全身に栄養を運んでるんだろうな。口に入れたものが、指先まで広がるようにするために血が流れてるんだよ」
「なんで赤いの?」
「青とか緑とか、黒とか……そういう血を流すやつもいるぞ」
「ふえー。そうなんだ」
フェトラスの疑問に答える時、俺は同時に自分の知識の洗練のようなモノが行えていた。きちんと答えようとした結果だ。裏付けが取れないので正解かどうかは分からないが、まぁ、違ったら後で謝ろう。
確認が取れる日が来るかどうかも分からないし、な。
「ところでフェトラス。そろそろ腹減ったんじゃないか?」
「うん! よく分かったねお父さん!」
「つーかお前は常時腹が減ってるからなぁ」
「む。そんなことないもん。我慢できるもん」
「我慢してんじゃねぇか。腹ペコ魔王め」
「はっ、腹ペコじゃないもん!」
これ以上からかうと本格的にへそを曲げそうなので、俺はフェトラスの頭をなでた。
手には魔王の双角の感触。
さらさらとした黒い長髪。
その下に浮かぶのは、柔らかな笑顔。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その笑顔が曇った日のことを話そう。
「朝だー。起きろフェトラス」
「ん……」
「飯の時間だよー」
「……ごはん!」
「ははは。目覚めの呪文みてーだな。腹ペコ魔王」
「む! お腹すいてないもん!」
「ほら昼飯だぞー」
「わーい! ごはんだー!」
「あんまり美味くなくてごめんな」
「美味しいよ?」
「マジかよ……流石腹ペコ魔王……」
「それやめてよ!」
「晩飯はちょっと豪華にいくぞ」
「わ! なにこれ!」
「浜辺に打ち上げられていた魚だ」
「は、初めて見た……」
「これは美味い。採った時はまだ生きてたぐらいだし、きっと美味いぞ!」
「一人しかいないの?」
「一匹、な。残念ながらコレだけだ」
「良い匂いがする……美味しそう!」
「半分ずつな」
「わ、わかった」
「まぁ先に食えよ」
「いただきまーす!!」
「お前一口で八割食うとかどんだけだよ!!」
「だ、だって口が勝手に!!」
「腹ペコか!! いや、もういっそ飢えた獣だな!! さかな! おれも食べたかった! もう頭の部分しか残ってない!! ひどい! おれ、かなしい!」
「ごめんなさいごめんなさい! 泣かないで!」
「この……腹ペコ魔王!!」
「それ止めてって……もう! お腹すいてないもん!」
「今しがた食ったからだろうがぁぁぁぁぁ!!」
「お腹すいてないもん!!」
「お腹すいてないもん!!」
終生、彼女が使い続けた口癖の誕生であった。




