8日目 この大陸のモンスター事情
魔獣イリルディッヒとの邂逅から翌日。
いや、正確に言うなら「超美味い肉」を食った翌日のことだった。
「おはようフェトラス。はい、これは朝ご飯だよ」
「や!」
フェトラスは飯を食わなかった。
「……ん?」
「や!」
「いや食えよ」
「や!」
「……食べなさい」
「や!」
食べなかった。
(ちょっと待て。お前まさか『いまさらモンスターのくっさい肉とか食べないわよぉ』みたいな感じになったのか? いやいやいや。フェトラスさん。あんた人生舐めてますね。黙っててもエサが寄ってきて、しかも俺が調理とかしちゃうもんだからお調子に乗りました?? 動物の肉とか無理だから。狩れないから。罠でも仕掛けないと無理だから。えっ、あっ。もしかして舌が肥えたの? やべぇ。やっちまった? 今日もモンスターたくさん狩らないとダメ? そして結局動物の肉が食えなくてフェトラスが大爆走しちゃうの? 森に? 駆け抜ける? 青春しちゃう?)
俺は深呼吸して、フェトラスに再びこう言った。
「食え」 (命令)
「や!」 (笑顔)
「食べてください」(お願い)
「や!」 (笑顔)
「……た、食べてくれたら、もっと美味しいものをあげるよ?」 (交渉)
「や!」 (満面の笑み)
「食えやコラアアアア!!」 (実力行使)
「やーーー!!」 (激しい抵抗)
食べさせました。
でもなんてことはない。無理矢理口にブチ込んだら、フェトラスはそれを笑顔で食べた。
「あむあむ。あー」
「あ、焦らせんなよ……」
どうやら舌が肥えたとか、そういうわけではないらしい。良かった。モンスター肉を拒否なんてされたら、あとは果物ぐらいしか食い物はない。そしてそれは、時期が移り変われば採れなくなる可能性が高いのだ。
「虫を食うのは抵抗あるもんなぁ……モノによっちゃぁ美味いんだけど、量が少なすぎる。ありゃメインディッシュの添え物――――珍味の一種と思ったほうがいい」
「あむあむ」
「まぁ何はともあれ。たんとお食べ」
フェトラスは無心で飯を食っている。
俺はそんな彼女をひとしきり愛でたあと、洞窟の外に出て背伸びをした。
「ん~~! さて!」
まず俺は魔獣イリルディッヒの羽根を回収した。
昨日は動物の肉に夢中で忘れてたが、これはきちんと管理しなければならない。
《絶対に食わせるな》
それは約束よりも重い、俺と魔獣の契約。
破って得があるとは到底思えない。
魔獣の羽根は合計で三枚あった。
どれもが美しく、そして異常に固い。もし王都にでも持ち込めば、金貨よりも高い価値が付くだろう。
「ふむ……食わせる以外なら何にでも使って良いと言っていたな……」
何に使えるだろう。
羽根ペン? インテリア? 加工して武器に? もしくは「俺が食う」とか?
魔獣の羽根。もしかしたら、すごい栄養があったり、すごい能力が身につくかもしれない。
可能性を列挙して、一番現実的だったのが「加工して鋭い棒状の凶器にする」だったのだが、暗殺以外に使い道は無さそうだ。
「……よし! 保管しておこう!」
いつか何かの役に立つかもしれないしな。
そんなこんなで、俺はイリルディッヒの羽根を手に入れた。使い道は、当分無い。
「フェトラス-。森に行くぞー」
「あい!」
俺はフェトラスの手を引いて森の中へと赴いた。今日は三匹のモンスターを狩るつもりだ。
「昨日みたいなことはもう金輪際お断りだが、やっぱ備蓄の食料がいると思うんだ」
俺が風邪をひいたり、怪我をしたりしたら狩りに出られなくなる。するとフェトラスは空腹でフェロモンが全開になり、モンスターが大挙して浜辺に押しかける事になるだろう。
そんなヤバい状況下で、俺は死にそうに辛いコンディションで連戦に挑まなくてはならなくなる。想像するだけで胃が痛む。あと普通に死ねる。俺は決して戦闘能力が高い方ではないのだ。
「干し肉……ああ、燻製とかも作ってみたいなぁ。ただ残念なことに、俺は製法をよく知らんのだ。普通の煙でいぶしても不味いだけだろうなぁ」
「うーせー?」
「燻製な。つーか、お前が全部食っちまった干し肉は、実は燻製品だったわけだが」
「くーせー……ほーにく?」
「ククク……将来教えてやんぜ。お前は最高のごちそうを、既に完食した後だということを……マジ……一欠片も残さず……俺のとっておきを……くくく……くっ、うっ、うっ」
「あー。あっ、あー……」
涙を浮かべるとフェトラスは動揺したようだ。
いやいや、この程度で半泣きになってしまうとは俺も年を取ったものだ。いやまだ若いつもりではあるのだけれど。二十代だし。
……ん? 実際俺っていま何歳だったっけ? 出自不明な上に、カウトリアのせいで時間感覚も狂ってるから、ぶっちゃけ自分の年齢が分からん。
「ま、いいか。なにはともあれ、狩りに行こうかフェトラス」
「あい!」
ふと気づいた。
話し相手が欲しいと思って育てている魔王だが。
現状、会話は成立しなくても意思疎通は出来ているように思える。
俺の寂しさはとっくの昔に、魔王が殺してくれていた。
森に入った。
いつもならすぐにモンスターをの気配をかぎ取れる。そしてフェトラスを囮にしつつ、俺がそれを迎撃する――――という流れなのだが。
「……はて」
今日に限ってはその気配も遠かった。
まぁ魔獣イリルディッヒとのやり取りは昨日の話だ。
その直前に俺はモンスターとの連戦を繰り広げている。
「もしかしてこの辺の刈り尽くしちまったか?」
そもそもモンスターというのは、概ねが群れで行動する。だが、この大陸のモンスターは俺が知っているモンスターとはかなり生態系が異なるようだった。
まず、種類が多すぎる。
テリトリーの概念を無視したような、多種多様なモンスターを高頻度で見かける。それは実は異常なことなのだ。
まず「俺の知っている常識」で言えば、一定区画に住めるモンスターはせいぜい三種類が限界である。パワータイプ(大型)、テクニカルタイプ(中型)、スピードタイプ(小型)の三つだ。
だが、この大陸に来てから俺が遭遇したモンスターの種類はゆうに三十を超える。
常識の十倍だ。
しかも「全て弱い」のである。
「……………………」
「う?」
「……………………」
「うー……うー!」
「……………………」
「おーーー!!」
「あっ、すまん。飛んでた」
俺は現実世界の速度に帰ってきた。
向こうの世界で得たのは「異常だ」という曖昧だが寒気を覚える結論。
まるでフェトラスのために用意されたような環境――――。
「それはないか」
「あう?」
「………………」
「う?」
「……やめたやめた。仮定と推論ばっかりで、結論を導き出せない。情報が足りないし、思慮が足りないし、なにより必要性が無い」
「???」
俺はそっとカウトリアの能力を引っ込ませた。
つーか、フェトラスと出会ってからカウトリアに頼る頻度が多すぎる。魔女に没収されてからは、戦う機会も少なかったからほとんど使ってなかったのだが……。
「そんだけ俺も必死って事かねぇ?」
「?????」
「独り言だよ。ごめんなフェトラス。今日は果物でもかじろうぜ」
「うー」
魔王は雑食である。悪食と言ってもいいかもしれない。要するに何でも食う。
そしてフェトラスはそれに輪をかけて暴食だ。クソ不味いモンスターも笑顔で食べるし、渋い果実もモリモリ食べる。
でも思い返せば、干し肉や昨日食った動物肉の時はそれ以上の笑顔で食べていたような気がする。
さて、魔獣イリルディッヒが口にしていたあの謎のヒント。
《いつかお前を食わない》
とは、どういう意味なのだろうか。
――――そしてこれもまた、考えても結論が出せない類いのものではあった。
「ッ」
「!」
モンスターの気配。
だが、こちらを目指しているわけではない。
これは。
「ん……どうやらちょっと強いのが近くをウロついてるらしいな」
「――――」
フェトラスのフェロモンのせいではなく、単純な遭遇戦だ。
昨日刈り尽くしたせいで、テリトリーに空白が出来て、そこを我が物にしようと寄ってきた強者だろうk(いやいやちょっと待て。俺はなぜ気がつかなかった? おかしい。おかしすぎる。多種多様なモンスター――――それは分かるが、同種を見かけることが少なすぎる! テリトリーはどうした。群れはどうした。どうして、ほぼ全てのモンスターが単体行動を取っている!?)
常識外、などではない。
これははっきり言って、作為だ。
俺は待機しているフェトラスを振り返った。
「あう?」
「――――俺はアホか」
フェトラスが発生したてではなく、既にこの辺一体を掌握している魔王説。
俺が思い描いたのはそれだ。
でも、ないわー。そらないわー。
この能天気な面を見ろ。たぶんチョウチョウとか見かけたら「ふあー」とか言いながら追いかけて迷子になるぞこいつ。ははは。想像するだけでかなりかわいい。
ではなぜ?
この辺のモンスターの生息法則が常識外なのには、どんな理由が挙げられる?
未開の地だから?
うわぁ、いきなり結論っぽいこと考えたけど、これ思考放棄に近いよなぁ。でも、それ以外に説明するのも難しいなぁ。
常識外、という評価は俺の、つまりは人間の物差しで測ったことにすぎない。
そして人間がいないこの未開の地では、このようにモンスターが多種多様かつ単独行動を取りまくるのが普通のこと、なのかもしれない。
(あるいは……この地が既に、他の魔王のテリトリーである可能性)
俺は血の気が引いた。
(ここは既に魔王の国で、多種多様なモンスターが雑多に暮らしているのは、王に統治されているから。大陸にあった王国も、様々な人種が入り交じっていた。それと同じだ。多種多様なモンスターがテリトリーを同じくしているのは、即ち全てのモンスターが「住民」というカテゴリーに属しているから)
うわぁ。
否定しようのない絶望的な仮説立てちゃった。
だが同時に、魔王と魔王がつるむ事はあり得ない。
そりゃ発禁物の創作に出てくるような愉快な魔王には「友達の魔王」もいるんだが、現実は違う。
魔王。殺戮の精霊。そんな彼等が同族と会うことは滅多にないらしい。
殺し合うしか出来ないから、お互いに避けているんだろうか? その辺はよく分からん。過去に数回だけ魔王同士が争ったこともあるそうだが『大惨事であった』としかテキストには書いてなかった。まぁ古い伝承だ。
魔王は精霊。
彼らは繁殖しない。
愛を語らない。
故に同族に対して、優しくする理由は欠片も無い。
......そうは言っても、魔王同士が戦ったという状況は俺が生まれてから一度も発生していないようだが。まるで無意識のうちに不可侵条約を結んでいるかのような、そんな印象がある。
気がつけば長い“一瞬”が過ぎていた。
「あ」
そういえば強そうなモンスターの気配があるんだった。
「やべぇ。ボーっとしてた!」
「あう」
いつも食っているモンスターの数倍は強くて、魔獣の爪先ぐらいの強さを持つモンスターを俺は斬り殺し、食料に変えた。
本日の教訓。
答えを知る術がないのに、考えても無駄である。
考えるのは、必要性がある時だけで十分だ。
考えれば、答えは“一瞬”で出るのだから。
動物とモンスターの違いについての考察。
動物とモンスターの違いは、戦闘能力の有無と言っていいだろう。
動物は生きるために狩る。
モンスターは、狩るために生きる。そしてモンスターは肉食と雑食こそいるが、完全なる草食はいない。
果たしてモンスターは何を狩るために進化したのか。あるいはデザインされたのか。
それに対する答えを私は
(それ以降の文字は血で染まっている)