三日目 キミが産まれた日
目が覚めると、魔王が目の前にいた。
「えっ」
「えう?」
「いや……いやいやいや」
「いあ?」
「なんで立ってんだお前」
魔王が二足歩行していた。
いや待て。それはおかしい。
早すぎる。成長が。
「あうあーうー」
「いや、あうあうじゃなくて」
俺は布団からのそりと起き上がって、魔王を抱きかかえた。うむ。重い。つーか、身長も伸びてる。確実に伸びてる。何もかもが五割ほど大きくなっている。
「えっ、なんなの? 魔王ってそんなに急激に成長すんの? ヤバすぎだろ」
「うえ?」
首をかしげると、それに同調するように魔王も首を傾げる。かわいい。
かわいいのだが。
(この成長速度は明らかに異常だ。もし世界に普遍的に発生する魔王がみなコイツと同じような成長速度を持っているとしたら、人間はとっくの昔に滅びている。だってまだ拾って二日だぞ? このままじゃ一ヶ月もしないうちに成体になっちまう。成体の魔王なんて、聖遺物抜きじゃ狩るのにどれぐらいの戦力がいると思ってるんだ)
もしかしたら、話し相手になるよりも早く、殺し合いする相手になってしまうかもしれない。
「いや、負けねーけどさぁ……」
「あうあうーあ!」
俺の独り言を無視するように、魔王は何かを訴え続けている。まだ言葉ではないが、似たような音の繰り返し。
「はいはい、どーせお腹すいたんでしょ」
「う!」
辺りを見渡すがめぼしい食料は無い。夜中にフェロモンまき散らされても困るので、寝ぼけながら色々と食わせたのは何となく覚えているんだが。わー。すごい。全部食われてる。
「お前もしかして、食った分だけ成長するとか? えっ、もしかして巨人みたいになっちゃう?」
魔王ギィレスは、人間よりも少し大きいくらいだった。正確な年齢は不明だが、割と健啖家だったらしい。つまりよく食うヤツだった、と。でも生き物としては妥当なサイズだった。(精霊だけどね)
つまり流石に巨人にはならないだろう、と俺はアタリを付けた。
肉体の成長限界、とか。
肉体が成熟したら魔力的な何かの成長が始まるのだろうか、とか。
精霊服のように、その存在を維持するための摩訶不思議パワーを食物から得るのだろうか、とか。
色々考察してはみたが、とりあえず目の前の魔王はお腹がペコペコ状態らしい。
「分かった。とりあえず狩りにでも行こう」
「う!」
「歩けるんなら、もうおんぶ紐はいらねぇかなぁ。せっかく作ったけど」
「うー。やー」
俺は洞窟内ですらりと抜剣して、空いている左手を魔王に向けて差し出した。
「そんじゃ、ま。行きますか」
「いー!」
森に入った瞬間、生き物の気配が感じ取れた。
こちらに向かってきている。
真っ直ぐな、気持ちのいいくらいの敵意。説明不要のモンスターだ。テリトリーを侵されたクマよりも俊敏に、まるでたき火に向かって飛んでくる虫のように。
「おい、しばらくそこを動くな。分かるな?」
「えぅ?」
「じっとしてろ。すぐに……一瞬で終わる」
「あい」
割と開けた所に魔王を立たせる。はっきり言ってしまえば囮だ。まぁ呼び方は生け贄でも疑似餌でも何でもいいが。
魔王は言いつけ通りに直立不動。俺はそんな彼女から少し距離をおきつつ、こちらに向かってくるモンスターの気配に道を譲る。
「リリリリリリリリ!」
「へい、らっしゃい!」
そしてすぐにさようなら。
魔王に飛びかかろうとしたモンスターを軽く両断して、血と臓物を撒き散らかす。
「うー!」
まるで興奮したかのように彼女は喝采をあげ、テトテトとモンスターの遺骸に近づいた。
そしてそのまま顔を――――。
「うぉぃ! ちょっと待てぇぇい!」
「や! やん! やー!」
慌てて魔王を抱き上げた俺。手の中で魔王がジタジタと暴れ回る。
「腹減ってるのは分かるが、いきなり食おうとすんな! お前は野生動物か!」
「うー! うおあういううー!」
はよ食わせろと言わんばかりにもがき続ける魔王。少しだけためらったが、俺は大きな声を出した。
「めっ!!」
「!」
びくり、と魔王の身体が少し震える。
「これはまだ、食べちゃダメだ!」
「…………ぅぅ」
綺麗で真っ黒な瞳が、ウルウルと揺れる。
「毒があるかもしれない。鋭い骨があるかもしれない。寄生虫がいるかもしれない――――。そりゃ魔王なんだから、意にも介さず完食出来るかもな。でもダメだ。俺の目の届くうちは、生肉なんて食わせない」
「うぅ……うー……」
別に理解を求めているわけではない。ただ、俺が真剣なのだということを伝えるためだけに、俺は彼女の目をじっと見つめながら、優しくゆっくりと語りかけた。出来るだけ真摯に。
「お前だって、出来れば美味いもん食いたいだろ? モンスターの肉は総じて不味いけど、焼けばまだマシだ。洞窟には塩だってある。だから今は我慢しろ。分かるな?」
「ん……」
しゅん、と魔王がうなだれる。
それを確認した俺はそっと彼女を降ろした。
「よしよし良い子だ」
「ゲゲゲゲキョゲゲゲキョ!」
「どっから沸いて出た!?」
唐突に現れたモンスターをこれまた両断する、がしくじった。木陰から飛び出してきたモンスターに上手く対応出来ず、俺の剣はモンスターの右腕らしきものを吹き飛ばすに留まる。
(やべぇ!)
「ッ、ま――――!」
咄嗟のことで、何と呼びかけたらいいのか分からなくて、俺は混乱した。
(そういえば、この子の名前を考えなきゃ)
どろり、と世界の速度が遅延する。
(俺の身体は左に流れつつある。切り返す……は間に合わないかもな。ギリギリだ。もう一撃たたき込むのは容易だが、この子が怪我をするかもしれない。魔王の耐久値、というか精霊服は不意打ちには対応できない。警戒するか、あるいは怪我をしてからようやく服の硬化が起こる。そしてこの子の肌はモチモチのプルプルだ。せっかくの女の子なんだから、怪我なんてさせたくない。つーかマジそんなことはこの際おいておいて、このモンスターの対応だよ。ああなんか久々にフル回転してるな。いつもありがとうよカウトリア。よし、改めて集中だ。モンスターとの距離、俺の身体の慣性、総合判断……ああ、なんだ。俺が怪我をすればいいだけか)
慣性に逆らわず、俺はそのまま半回転した。そして、左腕でモンスターの進行を遮る。
「させねぇよ!」
「ゲゲゲゲ!」
堅い腕と、俺の左腕が交差する。
(たぶん折れたりはしないけど、ダメージあるなコレ。受け流し……ん。出来そうだ)
慣性はまだ生きている。それをコントロールしながら、モンスターの腕を払いのけて、あとは全力で右手の剣をブチ込む!
「オラァッ!!」
「ゲギョ――――!」
そして今度こそモンスターの命を絶つ。
俺は剣についた血も払わず、即座に納刀。右手で魔王を抱え、左手で今ブッ殺したモンスターの遺骸を引きずり走る。
「どんだけ空腹なんだよ! とりあえず緊急離脱! まずはメシだー!!」
「あうあー!」
もう一匹のモンスターはとりあえず放置。
俺たちはそれぞれに大声を出しながら森の中を駆け抜けた。
「へいお待ち! 毛むくじゃらモンスターの丸焼きだ!」
「うああああー!」
雑な血抜き。適当な解体。とりあえず食えそうな部分をザッと焼いて、塩を振って調理完了。
結構なおあずけを食らっていた魔王は、今度こそようやく飯を食うに至った。
「あむあ、っちゃ! うー。あむ、あむ、あむ」
「慌てて食うからだよ……少し冷ませ」
ふー、ふー、と熱々のモンスター肉に息を吹きかけて冷ます様子を見せつける。魔王はすぐにその食べ方を覚え、知性ある生き物らしい食べ方をするようになった。
(さっきは――――)
魔王は、モンスターのブチ撒けられた臓物に食いかかろうとしていた。地に落ちた肉塊に飛びかからんとするその様は貪欲、強欲、暴食、どんな言葉も似合いそうにない。あれはまさに――――片鱗だった。
魔王。
異常な成長速度。
拭いきれない、未来への不安と恐怖。
(殺戮の――――)
「まっ! まっ! あむあむ。まっ!」
って、こいつめちゃくちゃ幸せそうにモノを食うよな。
「――――美味いか?」
「まっ!」
その時。
俺は初めて、この子の笑顔を見た。
上機嫌な瞬間は何度かあったが、ニッコリと笑ったのは初めてのことだった。
「――――お前、やっぱ可愛いな」
「まー?」
「ああ、気にすんな。食え食え」
「あう!」
俺も倣ってモンスター肉を口にする。
びっくりする程まずい。まず固い。あとパサパサしてる。すごく不味い。
でもこの子は、幸せそうに食べている。笑っている。一生懸命食べている。
この気持ちは、何だろう。
俺は肉にかぶりついている魔王に声をかけた。
「お前の名前なんだけどさ」
「う?」
「――――その花言葉は “可能性を勝ち取る” あるいは “運命を信じる”」
「…………」
「フェトラス――――それがお前の名前だ」
「う!」
魔王は、フェトラスは骨だけになったモンスター肉を俺に差し出した。
「う!」
どう見てもお代わりの要求だった。
反射的に苦笑いを浮かべた俺だったが、それは徐々に愉快な気持ちに変わっていって、俺は笑い声をあげた。