一日目。フェトラスの見た目。
時間は少し戻って、ロイルとフェトラスが出会った日のこと。
「あーうー」
まだ言語を操れない魔王。
どうやって育てたものか。何を食べさせればいいのか。
干し肉は気に入ったようだが、やっぱり乳とかいるんじゃないだろうか……。そんな不安はあったが、俺は“一瞬”後に「ま、いいか」と呟いた。
「あうー」
「気長にやるさ。どうせ他にすることもない」
とりあえずは満腹になったらしいので、俺は周囲の警戒を緩めた。
さて、とりあえずどうしよう。
俺はじっと魔王の顔立ちを眺めた。
「ふぇ?」
「……ふむ。綺麗な顔立ちしてんな」
赤子特有の、みずみずしい肌だ。
目は漆黒で、吸い込まれそうになる。
髪の毛は柔らかくて、細い。
ほっぺたを指でツンツンすると、プニプニしてた。思わず俺の顔がほころぶ。
「可愛いなお前。将来は美形だな」
「あぅ~」
「ギィレスは禿げてたが……あれ、自分で剃ってたのかなぁ」
「うぃ?」
俺が殺した魔王ギィレスのことを思い出す。
ハゲてた。でも、よく考えたら確かにアイツも整った顔立ちをしていた。殺戮の精霊としては長く生きた方だから、若々しさはあまりなかったが。
あと服がゴツかった。鎧みたいな布……精霊服を着ていた。
俺はじっと魔王の服装を眺めた。
「あう~?」
果たしてこの幼子は自分が着ている物の価値が分かっているのだろうか。
精霊服。
脱着可能ではあるが、この服も『精霊』だ。服の精霊? っていうの?
一部の高位な精霊が身に纏っている、語弊はあるが『生きている服』である。
精霊。それは意思を持たない、生きていないモノ。けれども他者に影響を与える、強大で脆いモノ。
光のように。暴風のように。大地のように。火焔のように。神樹のように。闇のように。
精霊服は、高等精霊にのみ寄り添う、精霊の一種。
存在理由は不明である。
高等精霊の守護が趣味なんだろうか。
暑ければ薄手になり、寒くなれば分厚くなる。長くなったり、短くなったり、強度も変わる。損傷しても時間が経てば徐々に修復されていたり、自動洗浄機能もある、要するに良い所どりの完璧な服だ。デメリットが一個だけあるけれども。
魔王ギィレスも着ていたが、あいつはしょっちゅう服の装いを変えていた。決戦時は「魔王の戦闘服」状態で、防御力が高かったことを覚えている。雑な斬り方では裂けなかった服だ。
潜入した時に見たのも合わせると、演説用、きらびやかな王族風、聞くところによると、下町で遊ぶための変装用や、パジャマまであったらしい。
ギィレスは武闘派というより、宗教のトップみたいなヤツだったから、オシャレにも気を遣っていたのだろう。
現在、魔王が着ているのは……なんて言えばいいんだろう……えーと……私服? 通常形態? 実はあんまり詳しくないのでよく分からないが、とにかく、普通な感じの服だ。
「これが精霊服かぁ。こんなゆっくり風に触るのは初めてだが、手触りいいな。生地を少し分けてほしいもんだ」
(精霊服は貴重品だ。でもまぁここは無人島だし、売る相手もいないし、俺が着飾っても超無意味だな……。便利だけどね、精霊服。伸縮自在で自動清浄効果付き。魔力を通せば色や形は使用者の思うがまま、だったか。まぁ普通の人間に魔力なんて無いからこれもまた無意味で)
「あう?」
「いや、なんでもないよ」
ひっぱって強度を確認してみたが、そこそこに丈夫だ。
「あうー!」
怒られた。
白い生地。黒いラインが何本か流れてはいるが、かなり簡素なデザインである。下に履いてるショートパンツは真っ黒。白黒のモノトーンだ。靴は履いていない。だが、確かギィレスが履いていたブーツのような物も精霊服だったので、成長すると共に纏えるようになるのだろう。
「手触りは……なんかさらさらしてんな」
「あう?」
抱っこしながら腹回りをなでると、魔王は不思議そうな顔をした。「なにしてんのアンタ?」的な。
「いやな、精霊服に素手で触った事なんてなかったから……どんなもんかなぁ、って」
「あう」
「これアレだろ? 汚れは弾くし、濡れてもすぐ乾くし、でも濡れた状態が好ましいなら保湿もするんだろ? 快適すぎてうらやましいんだが」
「…………」
「魔王や高等精霊が纏う、別の精霊……だっけか。サイズも変えられるんだろ?」
「うぅ」
「………………」
「…………やんっ」
「いや、ち、ちょっとだけだから。ちょっとだけ、おじさんにその服を貸しておくれ」
「あー! うー!」
「ちょっとだけだって! マジ、こんなすべすべの服に包まれるとかどんな気分なん!?」
「やー!」
がぶり。
指を噛まれました。ものっそい。
「うおおおお! ここ最近で一番痛ぇぇぇぇ!」
「や!」
魔王は半泣きで、口には俺の血が。
「ああ、もう。ほら。ばっちぃから……ん? 待てよ? その血を精霊服で拭いたらどうなるんだ?」
「あむ?」
(血……他者の血がついたらどうなるんだろう……。異物である事に違いはないから、汚れとして拒絶されるのか? その場合は服につかずに、顔中に血が広がるだけ? それとも一度吸着してから、汚れを消すのか? 蒸発? それとも精霊服が食っちまうのか?)
実験したい、と思ったと同時に俺は精霊服の袖で魔王口元を拭いた。
結果、魔王の口周りは綺麗になった。
白い袖は赤く染まる。
(ふむ……なるほど。やっぱり基本は普通の服、か。このあと、だんだん汚れが消えていくんだろうな)
「あう……」
「お。ああ、すまんすまん。考え事してたわ」
「むぅ」
「つーかお前、わりと適切に相づち打つよな。やっぱ意思疎通出来てる感じ?」
「ばー」
「……干し肉食べる?」
「あう! あう! あううう!!」
「やっぱ言葉分かってるね、キミ」
「あう! あうううう!!!」
「分かった分かった! ちゃんとやるから!」
「あ!」
もぐもぐもぐもぐもぐ。
魔王は咀嚼を覚えた。
現在、人間が有している精霊服の数はとても少ない。
高位の精霊と凄まじい信頼関係にあって、なおかつ、その精霊が死に際に友好の証として、つまり遺品として差し出すという事でも無い限り、人間の手に渡ることはほぼ無い。
精霊と敵対して、殺害してからはぎ取るなんてことは不可能だ。持ち主である精霊の「譲渡する」意思がなければ、精霊服は持ち主の死後、本体と共に消え失せるからだ。
そんなこんなで「魔王の精霊服」なんて物は一生人間の手に渡ることはないだろう。
更に言うなら、デメリットがある。人間の手に渡った精霊服には「使用回数制限」があるのだ。
使えば使うほど精霊服は力を摩耗していき、最後には光に還る。
戦闘に用いれば、たぶん数回で消え去るだろう。あるいは日常的に使うとしても、おそらく二年が限界のはず。
そして王族が保有する精霊服は、儀式や礼典でのみの使用に限られ、代々永く、時々使われる。
まぁ王族クラスともなると、高等精霊と顔見知りの人間も何人か抱えているようなので、時折他の精霊に袖を通してもらって力を補充しているらしいのだが。
「いいなー。精霊服いいなー。いつか貸してくれよぅ。パーティの時に着たいよぅ」
パーティに出る機会なんて永遠にないだろうけどな。
(あるいは。この殺戮の精霊が死ぬ時に――――)
「う?」
「ごめん。いまの無し」
“一瞬”よりも短い“刹那”で思考を止める。
今から育てようっていうのに、何を馬鹿なことを考えようとしたんだ俺は。
俺が育てるのは殺戮の精霊なんかじゃない。
ただの、話し相手だ。
「だから、まぁなんだ。仲良くしようぜ」
「う!」
魔王を拾って初日。
まだまだ先は、長い。
「設定の説明」を本文に入れると冗長な文になりそうだったので全部カットしてたんですが、しばらくはこういう背景描写とか、キャラの掘り下げに力を入れてやっていきたいと思います。
キャラクターの外見で一番語ったのが「カルンくん」だった事に気がついて愕然としたので……。