28 「お父さんが過ごした一日」
お父さんと目が合った。
その表情をうかがうよりも速く、
パシッ。
「あいた」
ビンタされた。ちょっぴり痛い。
そのあとすぐに、ギュゥと、力強く抱きしめられた。
お父さんの心臓はドキドキしていた。
『フェトラス』
密着しているせいか、実に明確に心が読めた。
『フェトラス、俺はもうダメだ。……そうかぁ、俺は死ぬのかぁ。まいったなぁ……』
わたしの内側を、断片的な思考情報が光の速度で舞い狂う。
『まぁ……いいか。これが結果だ。予想通りだしな。受け入れるしかない』
これはカウトリアの速度だ。彼の加速された思考ががわたしの脳内を染め上げる。
『フェトラスには二つの実がなる。剣と盾の実だ』
そう、それがわたしの名前。花の名前。
『お前は誰かを傷つける剣か? それとも誰かを護る盾か? お前はどっちだと思う? フェトラス……』
それを知るために、本当に後悔するかどうかを知るために、わたしは。
『俺には関係無い話しだっつーの』
……まぁ、そうなんだけどさ。
『お前はフェトラスだ。剣でも盾でも魔王でも……どれでもいいじゃねぇか』
ダメなんだ。どっちかじゃないと、どうやって生きたらいいのか分からないんだ。
『だいたい何だこの魔法。全然止まらんぞ。昔のお前だったら一発で魔力切れ起こしてたくせに』
お父さんが止めないから、完璧に作っちゃったんだよ。
『魔力切れを狙ってはみたが……もう完全に無駄だったな。疲れたっつーの。もう無理。動けません。はい、諦めました』
………………。
『ギィレスは銀眼すら抱かなかった。きっと抱ける資質すら持ってなかった。だから殺せたんだろうな。なのにお前ときたら、銀眼どころか月眼って。頭がおかしくなるかと思ったぞ』
月眼……わたしの瞳はあの月色の竜巻と同じような色をしているのかな。
『続く作戦も失敗だし。あーあ。竜巻綺麗だったなー。俺の予想じゃ全部足せば消滅するはずだったのに、まさかクリアカラーになっちまうとは。なんだよあの魔法。本当に最強じゃねぇか』
どうやらお父さんは遊びながらも打開策を実行中だったらしい。すごい執念だ。
『剣……投げ捨てちまったな~。でもしょうがねぇや。自分でもこうするって、戦う前から分かってた』
剣は振り上げたのではなく、後ろに投げ捨てただけ……?
『殺せるわけねーだろ。デコピンとかしてごめんな。痛かったか? ビンタについては謝らんぞ。お前の唱えた呪文は、強すぎる。こんなもの人に、生き物に向けちゃいけません。めっ! です。マジで二度と使わないでくれよな』
それって……わたしを心配してるの? 痛くなかったよ。ぜんぜん、いたくないよ。ごめんなさい。ぜったい、もうつかわないよ。
『くそう、実は怖いんだぞ。あと何秒生きてられる。もうすぐ死ぬ』
竜巻……死はまるでアリのような速度でお父さんに迫ってきている。
『……怖い』
繰り返されたその一言はわたしを破壊した。
『怖い。怖いよ。嫌だよ。死にたくないよ……』
わたしは一瞬でその恐怖に染め上げられた。
『なんでだよ。いやだ。死にたくない。怖い。こわい。怖いよ。ねぇ、なんで? おれが悪かったの? 分からないよ。どうすればよかったんだよ。怖い。死にたくない。怖い。助けて。怖いよ』
―――押し殺していた悲痛。
お父さんは、こんな感情を抱きながら遊んでいたの?
『あの時に戻りたいよ。ご飯たべて笑ってたあの時に。なんでもないことで笑えたあの時に。だってまだ半年も経ってない。なんでこうなったんだよ』
繰り返される願いと問いかけ。答えは誰が持っているんだろう。
『こわい。やだ。しにたくない。いきていたい。やだよ。こわいよ………………』
時間の流れで言えば刹那。だけど嘆きは永遠のように続いた。
悲痛としか言いようが無い。
こんなの、聞くだけで心が折れる。
可哀相になる。泣きたくなる。申し訳なくなる。謝りたくなる。許してほしい。悲しまないでほしい。泣かないでほしい。笑っててほしい。ああ……殺したくない……。殺したくなんて、なかった――――!!
気づくのが遅すぎた。
状況は手遅れだ。
お父さんの嘆きがわたしの胸を穿つ。
それは一方通行の悲鳴。わたしの嘆きはお父さんに届かない。ううん。届いちゃいけない。
だってわたしは殺戮の精霊・魔王。お父さんは、わたしが殺すんだ。今から、殺してしまうんだ。
だから……わたしはえいえんにゆるされちゃいけない。
『こわい。こわよ。いやだよ。たすけてよ。こわい。こわい。しにたくない』
(ごめん。ごめん。そうだよね。ゆるして。ごめん。ごめん。ごめんなさい――――)
カウトリアの世界。
一瞬永遠也。この無限に続く一瞬の果てで、お父さんが死んじゃうまで、わたしは届かない謝罪を繰り返すしかない。なんて相応しい罰だろうか。きっとわたしは、お父さんが死んだあとに、わたしを殺したくなる。それでおしまいだ。
ああ、また一つ分かった気がする。
わたし。殺戮の精霊。魔王。フェトラス。
わたしは死ぬんじゃなく、自分で自分を殺してしまうんだ。
だって、殺すしか、出来ないのだから。
『こわい。いやだよ。こわいよ。たすけて。たすけてよ。こわい。こわい。しにたくない』
(ごめんなさい。ゆるしてください。ころしたい。わたしこそが、ころされるべきだ)
竜巻はまだお父さんにたどり着かない。
さっきから同じ場所からほとんど動いていないようにも見える。
嗚呼――――この地獄は、当分の間続いてくれる。それが少しだけ、ありがたい。
なんの贖罪にもならないけど、わたしの中で、わたしを殺す決意がこれ以上ないくらいに高まる。
もう魔力はない。お父さんが死んだら、お父さんの剣で、首を貫こう。
『こわい』
「おとうさん」
『しにたくない』
「すぐにわたしも殺すからね」
そして――――お父さんの嘆きが、止んだ。
『……ま、いいか』