図書館と、その主。
暗黒の連絡通路を越えて、扉を開く。
そうして目に飛び込んできたのは、落ち着いた色合いをした灰色のカーペットと、無数の本棚の群れだった。
数え切れない、という意味での無数。その言葉の意味がなんとなく実感できる。
本棚、本棚、本棚、本棚――――。
溢れかえりそうな本が、整然と並んでいる。これはこれでセラクタルでは見た事の無い光景だ。
(だけど……予想していたよりは、なんだか普通の光景)
本棚がたくさん並んでいる。だけど、無限に連なっているわけでもない。
ここの空間は広いけど、言ってしまえば常識的な広さだ。普通の一軒家の二十倍ぐらい。貴族の館で例えるなら五倍ぐらいだろうか。
そして吹き抜けの高い天井。首をグッと上に向けないと天井が見えないくらいに高い。
ざっくり言えば、ここの空間は小さな街レベルの広さを持っているように見えた。……あくまで目の届く範囲では、という話しだけど。
それはそれで確かに大きな空間と言えるけど『月眼の楽園にしては控えめだ』という印象の方が強い。ポーテンスフさんの「世界で一番大きな絵」を観たわたしからすると、図書の魔王が運営する図書館なんて『比較対象が山レベル』に大きいものだと勝手に想像していたのだけど。
直感的な空間への印象はそんなとこ。さて、次は細部だ。
すぐ近くにあった本棚に近寄ってみる。……重厚な色合いの木製だ。
数え切れないぐらいに並んでいるソレは『ただ本を収める木枠』ではなく、大切な本を収めるに値する確かな存在感があった。
まるで棚自体が本を尊んでいるみたい。すごく立派な本棚だ。よく見ればデザインが列によって異なる。木目も違うし、同一の物を創り出したというよりも、頑張って似たような本棚を集めたかのような。
だけどそんなシンプルな感動は、呼吸を二回しただけで消え去る。
次に訪れる情動は「ドン引き」に近い感性だ。似たような本棚を集めた一列。その数が三十を超えるとなると異様でしかないだろう。頑張って集めるにしても、すごい執念だ。
(いや、もしかして造らせた……のかな?)
魔法で自作した、なんてことは考えられない。わたしだって釘や簡単な道具を造ったりしたことはあるけど、ここまで丁寧に本棚を組み上げることは出来ない。何故なら必要性がないからだ。普通の魔王なら奪うだろうし、わたしなら買う。
本棚を作るのも好きなのならまだ納得は出来るけど、ウワサに聞く図書の魔王メメリアは本棚を作ることよりも本を読むことを愛している。だったらわざわざ自作することもしないだろう。
人間的に例えるなら、素人が頑張って食器を作るよりも、プロが作った食器を買った方が楽だし早いのと同じ。パンはパン屋で買え、というヤツだ。
……それにしたって疑問がある。ここの主である図書の魔王メメリアがセラクタルにいたのはもうずっと昔のことだ。カミサマ達の言い分によればこの楽園は『膨張し続けている』って話しだし、新規の本棚とかどうやって集めているんだろう。
というかそもそも、新しい本ってどこから仕入れてるんだろう。
疑問が膨らんでくるけど、わたしでは答えられない。予想は出来ても確信は得られない。なぜならここは図書の魔王メメリアのための楽園だから。
さて。本棚が並んでいるのは、まぁ図書館として当然だとしても。それにしたって本棚しかない。机や椅子は一つも見当たらないのにはちょっと違和感を覚える。
空間の壁を這うように階段が続いているのも見えた。長い階段だ。ゆったりと螺旋を描くように階段が上へと繋いでいる。途中で廊下と合流して、階層のようなものが見て取れる。
どうやら少しの移動で色々な本棚が見える造りみたいだ。
本が置かれている位置を記憶しているのならば、目的地にたどり着くのがすごく容易なんだと思う。
わたしからすればちょっぴり不自然な光景だけど、この楽園の主であるメメリアにはとても効率の良い配置なのかもしれない。
足音を殺して三歩だけ前に進む。
(うわっ。……うわぁぁ!)
空間への認識が完了して、次は空間への実感。
目の前には整然と本棚が並んでいる。色とりどりの背表紙が並んでいて、配置の法則はまだうかがい知れない。
なだらかにカーブする階段、その階段を追いかけるように本棚が並んでいるのだが、その棚の数倍の本がきっちりと収められている。
(わぁ! わぁぁ! すごい!)
本のサイズは高さも幅もバラバラ。どんな法則性で並んでいるのかは知らない。タイトル名順なのか、作家順なのか、ジャンル別なのかもまだ分からない。
危険が無いかどうかの調査を終えてからの、単純な観察。
そして目に付くのは圧倒的な本の量。それにわたしはシンプルな感動を覚えた。
直近にある本棚をもう少し近くで拝見する。棚はわたしの身長よりも少し高くて、幅は両手を広げたのと同じぐらいのサイズ。収められている本の数は……たぶん、四百冊、くらい? 本のサイズがまちまちで誤差が大きいと思うけど。
この空間には本が敷き詰められている。
だけど決して雑多ではない。ゴチャゴチャとしている印象こそあれど、法則性なんて見抜けないけど、ここはわたしが知らない美学とルールと秩序で成立した、整然とした空間の一種だと、わたしはそう感じた。
足元のカーペットはふっかふかで、わたしが足音を殺す努力なんてまるで無意味だった。たぶん走っても音は立たないだろう。
だけど相手は月眼/図書の魔王メメリア。
どこで読書をしているのかは知らないけど、もしも彼女がわたしの生みだしたささいな空気の振動で「いらっ」としてしまったら、わたしは死んでしまうらしい。
【ルールその1。図書館ではお静かに】
勇気を出して、さらに一歩。
(わぁ……わぁぁぁぁ!! すごーい!)
無数の本が、死ぬ程たくさん。本当に圧倒的だ。
きっとただの人間であれば、わたしが視界に収めた本を読むだけで、一生が終わる。
ここは無作為に本を積み上げた場所じゃない。
空間の造りにこだわりがあって、本棚一つにも愛着があるような。
きっと並んでいる本は、この楽園の主メメリアさんにとって宝物なんだろう。
(……ごほうびではなく、宝物)
自分で思い描いた言葉だったが、それはストンと腑に落ちた。
カーペット。本棚。高い天井。複数の階層。そしておびただしい量の本。他に語れるような特徴はない。
本。本。本。
名前に偽り無し。ここは完全に図書館だ。本のために造られた楽園だ。
だけど、この『図書館』という単語だけでは正確な情景描写とはいえない気がする。
でも他になんて言えばいいんだろう? カーペットがあって、本棚があって、すごくたくさんの本が整然と並んでいて。
優しい色合いの白い壁紙。窓はないけれど、空間は明るい。月眼の間と同じような発想のライティングだ。光源が無いのに明るい。
階層を分けるかのような廊下もそう。よく見えたら、どうやって支えているのか分からない造りの部分があるような気がする。ものすごく頑丈な金属がカーペット内に仕込まれているとしても、物理的には少し無理があるんじゃないだろうか。
この楽園が魔法的な力場で支えられているのは明かだ。
でも、そんなに突拍子も無い場所じゃない。
よく観察しないとこの違和感には気がつけない。
(……ああ)
思わず声が漏れそうになる。
そうか。分かった。この楽園の解像度が上がった。
ここは『月眼の魔王の楽園にしては、あまりにも誠実に造られた図書館』なのだ。
本を読むだけなら、無限にページがめくれる本を作れば良いだけ。
百ページの本に、一億の物語を詰め込めばいいだけ。
でも違う。違った。
本だけじゃ足りない。こだわりの本棚、適切な光量、無数の本棚を敷き詰めるのではなく、きちんと空間も保持されていて。
そこまで考えて気がついたんだけど、温度もやや涼しげに設定されている。ならばきっと、湿度の管理まで完璧なんだろう。
『本を陳列するために現実を書き換えている』という表現はある意味では正しいのだろうけど、それでも逸脱しているわけじゃない。慎み深くて、穏やかで、美学を感じ取れる。
傲慢な覇王が造った場所じゃない。
誠実な職人が創り上げたかのような空間。
ここは単なるビブリオマニアが造った、本で埋め尽くされた地獄じゃない。
図書の魔王メメリアが造った、本の楽園。
ここは彼女にとって最高の『図書館』なのだ。
この図書館を他の言葉で例えるならば、きっと『宝石箱』が相応しいんだと思う。
愛という言葉の中身を構成している、月眼達がおおむね抱えている執着性。それを一言で表すならば『それ以外には何も必要じゃない』という境地。
であるのならば、それに対する扱いは他と一線を画す。とても大切で、愛おしくて、かけがえのないもの。きっと宝石を愛するものはソレを無造作に袋に突っ込んだりしない。きちんとしたケースに収めることだろう。ちょうどこの楽園のように。
こうして、わたしはようやく月眼/図書の魔王メメリアの楽園を実感したのであった。
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月眼 図書の魔王メメリア
楽園『図書館』
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ルールその1。図書館ではお静かに。
これは基本中の基本だ。ルール違反はおそらく死。
足音は特に意図せずともカーペットが殺してくれる。
気を付けなくちゃいけないのはわたしの「おぉ」とか「わぁ」みたいな驚きと感動で漏れる声の方だ。
ルールその2。図書館では飲食厳禁。
これも基本と言えば基本だ。本が汚れてしまう可能性があるし、匂いが他の人に迷惑になるからだ。まぁここには図書の魔王メメリアしかいないから、彼女が自身の楽園で優雅に紅茶を飲みながら読書する分には全然構わない。だが来館者は別だ。
ルールその3。図書館では魔法厳禁。
許されない。当たり前。
というわけでわたしは静かに図書館を歩き回って、メメリアさんを見つけないといけない。他のルールはその時に必要な要素だ。
とはいえ、徒歩で無闇に探し回るのは少しばかり骨だ。ここは広いし、物陰ならぬ本棚影だって多い。
図書の魔王メメリア。彼女は基本的に大きな椅子に座ってゆっくりとページを読み進めることが多いそうだ。だけど本棚の前で立ち読みのように過ごすこともあれば、場合によってはカーペットに直接寝転ぶこともあって、階段に座って読むこともある。――――つまり彼女は読み方にこだわりがないとも言える。
もしかしたら本の内容によって変えているのかもしれない。
わたしだってレシピ本を読む時は、寝転がって読むんじゃなくてキッチンに立ちながら読むことの方が圧倒的に多い。
逆にお父さんの子孫達に本を読み聞かせる時は、椅子に座っている事が多い気がする。
まぁとりあえず、階段で上を目指してみよう。全体を見回せるし、何らかのアクシデントが発生したとしても、飛び降りるという選択肢を得られるから。
(……でも実際、戦闘状態になったらどうするんだろう? 図書の魔王メメリア。彼女は本が燃えたり汚れたりするから、攻撃性の高い魔法ってほとんど使わないらしいけど)
月眼。図書の魔王。メメリア。
――――生まれ持った属性は『刻印』
概念系の魔王でありながら、その一部は物理現象でもある。そんな魔王らしい。
あるいは逆なのかもしれない。物理現象としての刻印が、概念を孕んだような。
例えるならそれは家の玄関に飾られる『表札』のようなものだ。
ただの加工木材集合体。ヒトはそれを家と呼ぶ。そして表札が置かれた時に誰かの家としての存在を強く確立する。
あるいは剣に刻まれた銘。それは作り手の名前かもしれないし、持ち主を表す装飾になるのかもしれない。
もしくは皮膚に刻まれた入れ墨。それは誰かにとっては群れの証で、もしくは罪人だと謳うための刑罰にもなり得る。
墓に刻まれた墓標。全てを表すには石碑は小さすぎて、また真実が記されているかどうかも定かでは無く、故人からのメッセージなのか、遺された者の祈りなのかも第三者には読み取れない刻印。
刻印。名付け。方向性を定めるモノ。
(それを一方的に押しつけられる魔王……強そうって表現よりも、怖いって感想の方が強いなぁ……)
ロキアスさんやカミサマ達から図書の魔王の戦い方はある程度聞いているけど、割と取り返しの付かないモノが多いんだよね。
刻印。刻みつけた印。
強制的な名付け、あるいは投げた石が当たりやすくなるように設置された的。そして最悪なのが役割の押しつけだ。
この者は罪人である。全ての者は、石を投げよ、と。
わたしがお父さんの魂に施したマーキングは確かに刻印ではあるのだけれど、達成するのにフォースワードを何回唱えたことやら。
図書の魔王メメリアは、そんな高難易度なことをダブルワードで達成するらしい。彼女が口にする呪文は、きっと誰にもマネが出来ない。
(魔王は魔王と戦う機会が存在しない。だから初手で『呪文禁止』の措置を取ることがあまりにも強すぎる戦術にはなるけど、普通はそれに気がつかない。そもそも、魔王相手にそれを施すのは困難極まる――――だというのに、図書の魔王メメリアはそれをいとも容易く行える素養がある)
わたしはかろうじて体術が使えるけど、だからといって応戦は不可能だろう。なにせこっちの魔法が封じられたとしても、相手は魔法を使い放題なんだから。
しかも性格は好戦的ときた。
勝てる気がしない。
さらに言うなら、会話不能らしい。
……生きて帰れるかな?
そんな事を考えながら階段を静かに上っていく。
どこにいるかなーと色々な所に視線を飛ばしてはみたけど、動く物は一つもない。
そういえば、空気中のホコリすら見えない。カーペットがあるんだから、どうしたって糸くずのようなものが散ってしまうはずなのに。
ふと気になって、階段に沿って置かれている本棚に目をやり、なんとなく一冊取りだしてみる。とても綺麗な、新品の本のようだ。全く汚れが無い。傷はおろかチリ一つ付いていない。
(……? どこの言葉で書かれた本なんだろう)
背表紙にも表にも、なんだか文字のような物が記されている。だけど見た事も無い形。ページをパラパラとめくってみたけど、全く読めなかった。
表紙は別として、中身は文字(?)しか無い本だ。製本技術はそれなりで、ページのサイズにほんの少し散らばりがある。
(もしかしてわたしが読める本って一冊も無い?)
マジかよそんなことある? と思いながらその本棚の背表紙を順番に眺めていく。
「Durata della vita della galassia」
「La finitezza del nulla」
「宇宙弦理论」
「unobservable matter even dark or light」
そんな見た事も無い文字列だったり、読めそうで読めない文字ばかり。けど、ちゃんと読めた背表紙もあった。
「有の前の無に含まれる矛盾」 ――――すごい。読めるのに意味不明だ。
それを手に取ってページをペラペラとめくってみるが、専門用語みたいなのがズラーリと並んでいてチンプンカンプンだった。読めるのに、理解が出来ない。
静かに本を閉じて、ゆっくりと元の場所に戻す。
読めない文字の類いは、もしかしたらお父さんがたまに言っていた「神様の言語」というヤツなのかもしれない。
棚一つで、約400冊。そして読めるタイトルは三つぐらい。
……もしかしたらこの巨大な図書館で、わたしが読める本ってとても少ない?
図書の魔王メメリアを探しつつ、階段を上り続け、途中で読める背表紙があったらたまに手を取ってみて。
中には全ての背表紙が読めるタイプの本棚もあった。誰かの日記? みたいな内容ばかりだった。ひたすら日記帳を盗み続けたらこの本棚が完成するかもしれない。いや、きちんと製本されていたから売り物ではあるんだろうけど。恐らく。たぶん。
製本……そういえば、本棚に収められているのはきちんとした本ばかりだ。
スクロールとか、石版みたいなのは見当たらない。
まぁ後者はどちらかといえば博物館の領域ではあるんだろうけど、この図書館ではスクロールは本として認定されていないのだろうか。だとしても革紐で綴じられたタイプの本も無いってのは、どういうことだろう。
ここの本棚に並んでいるのは、わたしにとって『最近開発された高価な本』と同種のものだ。ページが綺麗に裁断されていて、ノリで綴じられていて、外側がしっかりとした造りのもの。一冊で金貨数枚は必要な代物だ。
数世代にわたってそれを集めた? カミサマから買った? どうやって輸入してるんだろう。まさか全部自作本ということはありえないだろう。彼女は本を読むのが好きなだけだ。パンが欲しければパン屋に行くべきだ。……魔王が買うか奪うかはさておき。
情報が無いのだから、考えるだけ無駄なことばかりだ。
なんでだろー? 不思議だなー? と首を傾げる以外に出来ることはない。
そしてようやくわたしは最上階と思える場所にたどり着いた。
階段の終わり。近い天井。途中で数え忘れたから誤差はあるけど、たぶん二十階層ぐらい。
この終わりの階にももちろん本棚は並んでいたけど、たった一点、明確に違うものが存在していた。
大きな木製の椅子。背もたれがかなり深くなっていて、半分寝ているような姿勢で落ち着ける椅子。
その隣りには小さなサイドテーブル。本が五冊積まれている。
だけど周辺に人影はなくて、辺りは怖いくらいに静か。
指を鳴らしてもカーペットや本棚が吸音材になって響きはしないだろうけど、今になってわたしは一歩も動くことが出来なかった。
――――そう、わたしはこの楽園にきて初めて強い緊張感を覚えていた。
ヒトの気配はない。だけど椅子と、積み上げられた五冊の本が痕跡を訴えている。
ここで待っていれば、確実に図書の魔王メメリアが現れる。
今彼女は何をしているんだろう。次の本を物色しているのだろうか。それとも次の本を探す途中で立ち読みを始めてしまったのだろうか。それか、あり得ないけど軽食でも摂っている?
どうあれ、ここ以外にヒトの痕跡は無かった。
わたしが階段を上っている間、本棚の影で見えなかったであろう図書の魔王メメリア。
わたしは自分がとてつもなくラッキーなのか、あるいは最悪のパターンを引いたのか分からずに硬直し続けた。
ロキアスさんとの会話を思い出す。
[まず最初に。ルールその1の前に、最も重要なルールを説明しておく。これは基本を通り越して楽園に入る絶対条件だ。――――絶対に、絶対に、彼女の読書を邪魔してはいけないよ]
「そ、それはもちろん。ちゃんと読み終わって話しかけてくれるまでは待つつもりなんだけど……一個質問していい?」
[どうぞ?]
「図書の魔王メメリアが本を読み終えたタイミング。それが一区切りついた後ならいいんだろうけど……例えばシリーズ物を読んでいて、次が最終刊だってタイミングにわたしが現れたらどうなるんだろう?」
[なるほどなるほど? 次の本がいつも以上に読みたくてたまらないモードのメメリアか]
「そうそう。読後の余韻を邪魔するのも悪いことだとは思うけど……」
[次の一冊が、次の一ページたり得るシリーズ本を読んでいるメメリアか。そりゃ考えられる中で最悪のパターンだな。彼女の読書を邪魔したのとイコールに近い]
「……その場合はどうすれば?」
[…………]
「…………」
[……えーっと……頑張って……生き延びてね? としか]
「あぶぁ」
もし図書の魔王メメリアがここに現れるとして。
ここで重要なのは『残された五冊の本』だ。
それを直すこともせず、次の本を求めた図書の魔王。
この図書館の整然さを見るに、彼女は本を読み散らかすタイプではない。(サラクルさんが現役の時はそういう事も多々あったらしいけど)
つまり彼女は本を棚に直すことよりも優先すべきことがあってここを離れている。その理由は何か? もちろん読書のためだ。
シリーズ物だったら、即攻撃されるかもしれない。
お願い。どうかシリーズ物じゃなくて、番外編とかにして。あるいは何かの『伏線』の部分を読み返すために既読の本を取りに行った、とかにして。
お願いします。
誰に祈ったわけではないが、わたしはそう願いながら、精霊服の内側に収めていた『秘策』を取りだした。
やがて、結構な時間が経った。
おそらく立ち読みか何かで二冊ほど読んだであろうレベルの時間。
その姿が見えた時、わたしは反射的に臨戦態勢を取りそうになったぐらいだ。
その姿、漆黒。つまり精霊服の戦闘形態の色に見えたからだ。
一歩、また一歩と彼女は階段を上ってくる。片脇に三冊の本を挟みながら、もう片脇に一冊、そして片手で本を読みながら。
(移動の時も本を読むってちょっとお下品でなくて!?)
なんて言いがかりを思い浮かべながら、わたしは硬直し続ける。
ただ、待ち続ける。
図書の魔王メメリア。
彼女はとても可憐な見た目をしていた。
ウェーブのかかったダークブラウンの髪質。
後方に流れるように伸びた、細身の双角。
纏っている精霊服は、よく見ると戦闘形態ではなく、光の反射を抑えるためにあえて黒色を選択したような風味を抱いていた。
はっきり言って小柄だ。背が低くて、お手々もこぶり。お顔だって小さい。
だけど目だけが大きめ。そこには静かな色合いの月眼が浮かんでいた。
魔王は美形が多いとお父さんは言っていたけど、図書の魔王メメリアは、美形というよりは、可愛らしい外見をしていた。めちゃくちゃプリティー。あと靴もかわいい。黒いドレスに、艶やかで赤いパンプス。まるで物語に出てくるお姫様みたい。豪奢じゃないのに存在感が強くて、とても似合っている。
(かっわよ)
この外見で好戦的とな? うわぁ、絶対に微笑みながら距離詰めてきて一撃必殺するタイプじゃん。
最悪のパターンかもしれない。
彼女は現在読書中だ。
心の中で悲鳴を上げながら、わたしはひたすらに硬直することを選びつづけた。
階段を上りきった彼女が、片手で器用にページをめくろうとしたその時。わたしという存在感を感じ取ったのだろう。彼女は静かに顔を上げた。
[………………]
「…………」
ぺらり。
[……………………]
「…………」
ぺらり。
[……………………………………]
「…………」
彼女は本ではなく、ずっとわたしの方を見つめている。
ぺらり。
[……………………]
「…………」
ぺらり。
わたしはまるで命乞いのように、手にしていたスケッチブックのページをめくり続けた。
ロキアス「彼女とは会話が出来ない。そして彼女は本を読むのが好きだ。
では彼女との対話に手書き文字というツールを使ったらどうなるだろうね?
……どうなるんだろうね!?」
フェトラス「まさかそれが秘策とは言わないよね!?」