フェトラス狂乱編・一件落着
時間軸が《現在》に戻ります。
あらすじ
三体の月眼。結婚の魔王エクイア・セッツ、遊戯の魔王パーティル、美醜の魔王ポーテンスフとの交流をすませたフェトラス。
そして複雑にして自由すぎる月眼達の在り方に触れ続けてしまったせいで、自分も彼らと同じ月眼なのに、わたしだけ我慢してばかりだという事実に改めて気がついてしまった。
ロイルはいない。帰って来る気配もない。自分には何も無い。ただロイルを待つだけの人生。……もういっそのこと奪い返しにいった方がいいのでは? 他の月眼の在り方のように、もっと自分本位に。
だからセラクタルに戻ると同時に、彼女の精神は決壊した。
……月眼の間には精神安定の作用が働く。だがセラクタルには無かったのだ。
その結果彼女は、星を砕くのではなく、世界の仕組みを丸ごと壊そうとした。
それを止めたのが、ロキアスが預かっていたロイルからの手紙だった。
狂気の月眼はそれで何とか鎮まる。
そして最後に、ディアウルフは彼女の前に立ったのであった。
「マジで寒いから帰ろう」
ディアは最初の方は手を差し伸べてくれてたんだけど、いまは精霊服が作ったポケットに両手を突っ込んでいる。わたしはそんな彼の片手を強引に引きずり出した。
「……なんだよ」
「お手々つないで帰ろう」
わたしが微笑みながらそう言うと、ディアはものすっっごい眉間にシワを寄せてイヤそうな顔をしてみせた。
だが、彼は何も言わない。黙ってわたしと手をつないでくれる。
「あ。もしかしてまだわたしが怖いなら、遠慮するけど……」
「やかましいわ」
ぎゅっと、ディアはわたしの手を強くにぎってくれた。
「えへへー」
嬉しくてニコニコしちゃう。
呑気な笑い声をあげると、ディアは深いため息をついた。
「……別に、そんな気を遣って子供っぽい態度取らなくても大丈夫だよ」
「えっ、ごめん。全然そんなつもりない」
「マジかよこいつ」
真顔で目を見開くディア。だけどだんだんと肩をゆらして笑い始めた。
「流石というか何というか。フッ、クク……」
「やったぁ。ディアが楽しそうだ~」
「もういいから止めろそれ。……普通にしててよ」
「いやぁ。あんなにハッスルした後で普通に振る舞えと言われましても。お姉ちゃんちょっと困っちゃうな~」
――――まだ完全に心が落ち着いたわけじゃない。
だけど今はそういうネガティブな情報をディアに渡したくない。なので、わたしは笑って誤魔化した。そしてディアもそれに合わせて半笑いで頷いてくれる。
「あーはいはい。そうですね。そうですねー。帰ろう」
「うん!」
さようなら凍てついた氷河。
この領域の在り方に、さっきまでの私はすごく救われていました。
ありがとう。
現在位置もユシラ領の方向も分からなかったので、ディアに色々と聞きながら、ついでに寄り道してご飯を食べたりしつつ、半日かけてわたし達は帰宅することが出来た。
「ただいま~」
「おかえり」
「ディアもおかえり」
「……ただいま、っと」
どさりとベッドに腰掛けたディアは深い息を吐いたまま静止した。
「…………」
「ん? どうかしたディア?」
「……あー。まぁ、なんだ。改めて一息つくと聞きたいことが多すぎるというか」
「まぁそりゃそうだよねぇ。色んなことがあったし、色んなことが秘密にされてるからねぇ」
「聞けば、どの程度答えてくれるの?」
「致命的なこと以外なら何でも答えるけど、この世界って割と厳しい場所なんだよね」
言葉を選びながら、安全な言い回しをしてみる。
もちろんディアには伝わらない。
正確に言うならば、ただの殺戮の精霊/魔王に伝えてはいけない。
「んじゃ聞きたいことを適当に並べるから、答えられるのがあったら答えてくれよ」
「いいよ」
わたしは椅子に腰掛けながら、ふと思い立って再び立ち上がる。
「そうだ。お酒を飲んじゃおう」
「……珍しいね」
「まぁね。酔ったことはないんだけど、なんだか飲みたい気分なの。あ、ディアはまだダメだからね!」
「はいはい」
ディアはまだ背が小さいんだから! 等という余計なことは口にせず、わたしは棚に一本だけ置いてあるお酒を手に取った。
お父さんが好きだった銘柄だ。いつもは料理に風味付けで使うぐらいなんだけど、今日ぐらいは飲んでもいいだろう。ちなみにそこそこお高いので、無駄に飲んだりはしてこなかった。
【清氷】からの【泡活】
お酒の入ったグラスに、角の無い丸い氷を浮かべる。そして割り材を使わずにお酒自体をシュワシュワにする魔法。お父さんが好きだった飲み方だ。
ちなみに味の広がり方がちょっと過激なので、少量ずつしか作らないのがポイントだ。放っておくと風味がすぐに劣化してしまうから。
「ディアも何か飲む? ジュース作ってあげようか」
「一つ目の質問。……その酒、一口でいいから俺にも飲ませてくれない?」
「ええー? だめだよぅ。ディアが酔ったらどうなるか分からないもん」
「姉貴が酔わないんだから、俺だって大丈夫だろ」
「むぅ」
ちなみに魔王が酔うか否かは個人差がある、らしい。
大半は酔わない性能だが、中には人間のようにベロベロになってしまう者もいるんだとか。
そしてディアはまだ小さい。
「むぅ」
二度、うなってみる。
「…………まぁ、いいか」
なにせウチの弟分は勇者様だ。もうわたしの(過)保護なんて必要ないのかもしれない。
「じゃあ一杯だけね。まずはそれで様子見」
「え。一口じゃなくて一杯飲んでいいの?」
「一口じゃ何も分からないでしょ。あ、ダメそうだとわたしが判断したら取り上げるからね?」
そう答えるとディアは嬉しそうに立ち上がって、棚からグラスを取りだしてきた。
「やった。実はその酒自体を泡立たせるってのに興味があったんだ」
「ふぅん?」
「俺じゃ絶対に扱えない魔法だし」
「――――ふぅん?」
なんて面白い弟分だ。可愛すぎる。
「じゃあ普段はどんな飲み方するの?」
「えっ」
氷で冷やされたお酒よりも、もっと冷たい空気が流れる。
「……ナンの、事カナ?」
「ジュースのシュワシュワは今までも作ってあげた事あるのに、お酒自体を泡立たせるのに興味があるんだぁ。ふぅーん。……しかも絶対に扱えないとか言ってるけど、それってつまりわたしの魔法のマネをしようとしたんだよね? そんなにお酒を泡立ててみたかった?」
執着の表明。
それは好奇心が発展したものだ。
そこまで言っておきながら、お酒を飲んだことが無いとは言わせないよ?
「…………試して、ナイヨ? 知らないヨ」
「ディアウルフって魔王は、やってもないことに対して『無理』なんて判定をしないんだよね」
「…………っ…………」
冷たい空気に、わたしの微笑みが混ざる。
「……ふふっ、どっちが口癖を言うのが早いか、我慢比べだね?」
「………………」
慈悲の心 VS 諦めの自白
なおディアは割と頑固な部分があるので、耐久勝負になると結構長引く。
なのでわたしは早々にフィニッシュを決めることにした。
「あーあ。お姉ちゃんとの約束を破って、嘘までついちゃうなんて」
「…………いや……」
「せめてどっちかだったら、お姉ちゃんここまで悲しい気持ちにならなかったのに」
ディアは両手を挙げた。降参のポーズだ。この子は頑固ではあるが、判断が速い。
「約束を破ってお酒を飲みました。ごめんなさい」
「ふふっ」
ディアウルフは即認めた上で謝罪を表明した。
そうかそうかー。お姉ちゃんを悲しませるのがそんなイヤか~、なんて。これを口にしてしまうとディアは絶対に否定するので、からかわずにおく。
・ディアはお姉ちゃんを悲しませたくない。
その事実だけがわたしの胸の中に刻まれる。誰にも否定出来ないい事実だ。えへへ。
黙ってお酒を作り、ディアの手元にグラスを返す。
「それじゃあ、何に乾杯しようか」
「……じゃあ、親父に」
異論が無い。質問も無い。
「乾杯」
捧げてグラスを交わして。わたしたちはお父さんが好きだった味を確認する。
「ん。……んん? 久々に飲んだけど、風味が変わってる」
ボトルの残量は二割ぐらい。最初に開けた頃に比べると変化が生じている。
「瓶にも個体差があったりするけど、それとはちょっと違う。気が抜けてるわけでもない。甘みが少し出てるのは……何かを足された様子もないのに、なんでかな?」
「……一回開けたせいで、瓶の中に入った空気と混じったからじゃないかなぁ」
「おお、なるほど。そういうこと。へー」
なんて繊細な液体だ。ともあれ久々に飲んで、お父さんとの思い出に少しひたる。
だけど今はディアが目の前にいるのだから、ディアのお話しを聞いてみよう。
「それでもう一回質問するんだけどさ、普段はどんな飲み方してるの?」
「……そんなにいつも飲んでるわけじゃないよ、と前置きさせてほしいんだけど」
「ふふっ。いいよ。一年に一回ぐらいね」
「飲み方は、状況による。氷がある時もあれば、グラスすら無い場合だってある」
「なにそれ。野外で飲んでるわけ?」
「……そういう事も、ある」
「…………なんかすごく含みがあるけど、詳しく聞いてもいい話し?」
「あー…………うーん…………」
すごく言葉の切れが悪い。なんだなんだ。どうしたのディア。
「絶対に……あー……えっと…………あのさ」
「うん」
「絶対に紹介しないけど、正直に言う」
「しょうかい?」
「最近とっ……友達と飲むときがあって。それで」
「友達!? ディアにお友達出来たの!? だれだれ!? 教えて!?」
「紹介しねぇって言ってんだろ!」
「なになになに!? 誰!? わたしの知ってるヒト!? それとも、いや、大丈夫! ヴァベル語が通じなくても友情は育めるよ!」
「やかましいわ!」
椅子から立って詰め寄ったわたしをディアはゆっくりと押し返して、再着席させた。だからわたしはガタガタガタッ! と大きな音を立てて、椅子ごとディアの隣りに移動する。
「ええい、なんだそのキラキラした目は。嬉しそうにしやがって」
「じっさい嬉しいよ! 良かったねディア!」
「あー! うざーーい!! 腕を触ってくんなッ!」
「え、やば。すごく聞きたい。どんなヒト? どういう出会い方? なにして一緒に遊ぶの?」
質問を重ねるたびにディアの顔が険しくなっていって、最後の問いでため息をついた。
「…………あのね姉貴。俺にもプライベートってもんがあるわけ。言いたくないことだってあるの。お分かりいただける?」
超真顔だ。どうやら彼の根幹に関わるかもしれない問題らしい。
まぁそりゃそうだ。
殺戮の精霊/魔王が、友達を作る。
――――――それはもう月眼案件一歩手前ではなかろうか。
幼い頃から既に殺戮の資質をコントロール出来てたとはいえ、それは自分より強い者への恐怖か、あるいは無関心のどちらかが原動力だったはず。
そんなディアに。災害の魔王に、お友達が。
すごいぞディア。やはり私が手を貸すまでも無い。
だから今は口すらも出さない方が良さそうだ。
「うー、分かったよぅ」
すごすごと引き下がるポーズを見せつけて、だけど椅子の位置はそのまま。並んでグラスを手を取る。
「ところでシュワシュワ割りはどう?」
「あー。口当たりは良いんだけど、飲みにくいって感じ。香りを強制的に開かせてるから飲み方をこっちでコントロール出来ない。酒に従ってる感じがしてちょっとイヤかも」
(飲み慣れてるヒトが言いそうな感想だな)
そう思いつつ「お父さんも一杯しか飲まなくて、後は別の飲み方に切り替えてたよ」とだけ答える。
「普通にシュワシュワ水で割るのは?」
「未経験。……発泡する湧き水の所にまで行って飲んだことは無いかな」
「そっか。それはじゃあ次の機会だね」
「えっ……本当に今日はコレだけ?」
物足りないと、ディアは言外に叫んでいる。
カワイイ度が高すぎてわたしは「ぷっ」と吹き出した。
「あんまり飲み慣れてるアピールしないで欲しいな」
一度は見逃したけど、あまりにも隙だらけなので、流石にツッコミを入れる。するとディアは気まずそうに沈黙したのであった。
「ふふっ……でもまぁ、そうだね。次はディアの好きなお酒を紹介してよ。それを色んな飲み方で試してみるの楽しそう」
「好きな酒?」
ディアがきょとんとした表情を浮かべた。
「俺が好きな酒は、コレだよ」
彼が指さした先にあるのは今テーブルの上に置かれている、赤いリボンが特徴の銘柄。
お父さんが好きだったブランデーだった。
お家にあったから?
わたしがたまに飲んでいたから?
もしくは、お父さんが好きだったから?
いずれにせよ、なんだかお父さんの新しい居場所が一つ増えたみたいでわたしはすごく嬉しくなった。
そんな風にして、わたしはセラクタルに戻った。
自分のお家に帰った。
お父さんの思い出と、ディアがいるお家に。
ため息を一つついてみる。
――――今夜は、お父さんを探さなくても、泣かなくても、眠れそうだ。
こうしてわたしは数十年ぶりに、ぐっすりと眠れたのであった。
まぁ氷河で泣き疲れるぐらい泣いたから当たり前なんだけどね。
どうやらしばらくの間は、月眼の間に行かなくても良さそうだ。
寂しさは変わらず。
だけど今はお父さんの言葉がある。
気長に待っててくれたら嬉しいな、だなんて。
お父さんが嬉しいなら、わたしはそうするよ。
頑張ってお話しのネタを集めて、世界中のレシピをかき集めて、こんどはわたしがお父さんにたくさんの『ごちそう』を作ってあげるの。
なんでも作ってあげるね。
そして何でも作れるように、これからもがんばるんだ。
ここがわたし達の楽園だ。
だからここで大人しく待ってるね、お父さん。
はやくかえってきてね
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
〈Ω・おい〉
[なんだい?]
〈Ω・ブッ飛ばすぞお前〉
[へぇ! どうやって?]
〈Ω・全てを賭してでも〉
[その必要性と価値は、果たしてあるのかなぁ。ついでに言うなら勝算は?]
〈α・勝算ならある〉
[えっ!? マジ!? ――――え、それ本当!? しかもアルファがそれを提示するなんて! 早速見せて観せて!]
キャッ……キャァッ……と悍ましいはしゃぎかたを示すロキアスに、神々はため息をつきたくなった。
〈D・なおその方法についてだが、アルファとオメガ以外は全員が拒否している〉
そんな声が響くと、ロキアスのテンションは途端に下がった。月眼が鎮まるレベルで。
「ンだよ期待させやがって。誰だ? って言ってもどうせクティールなんだろうけど」
〈α・その通りだ。永凍の魔王クティールの博物館に、お前を並べさせる用意が我々にはある〉
「あー、はいはい。了解りょうかい。極論にして暴論。最終装置じゃないか。そんなもったいない使い方すんなよ」
月眼の魔王に、月眼の魔王をぶつける。
果たしてロキアスが指していた「もったいない」とはどの価値のことについて言及しているのだろうか。
3代目の月眼にして、ギリギリなんとか会話と交渉が成立する神々の協力者。
そんな観察の魔王ロキアス自身の事か?
それとも『クティールが高確率で要求を呑む切り札』のことか。
それはつまり、月眼ロキアスを、月眼クティールの生け贄にするという切り札――――。
どちらにせよ、神々はそこで沈黙を示した。
つまんねぇ、という嫌悪感を隠そうともせずロキアスはソファに身を沈める。
「それで? なんで僕をブッ飛ばす、というかクティールまで持ち出すなら『殺したがる』が正確なんだろうけど……とにかくそうしたがる? 理由が分からないな」
[E・本気で言っているのか……?]
「さっぱりだね。むしろお前等は僕を褒め称えろ。暴走したフェトラスを鎮めたのは誰だ? お手紙を届けた僕だ。他の誰にも出来ない偉業だ」
〈B・それは確かにそうではある〉
〈F・だがお前は、あのような慎重さが求められる状況でも観察を優先しようとした〉
「……当たり前のことでは?」
ロキアスはすっとぼけるように首をかしげた。
その仕草は皮肉的なものではなく、本気の戸惑いを表していた。
「観察を優先しようとしていた? ……なんだ? なんだなんだ? 僕が滅私の気持ちでお前等に付き合っているとでも? そんな義理は思い付かないな。僕はお前等のご主人様であるカミノ・ジェファルードに会った事すら無いんだけど」
ロキアスの口調にほんの少しだけ不愉快そうな音色が混じる。
それを感じた神々の感情が対立した。
なだめようとする心。
分からせてやりたいと思う心。
恐怖と、敵意と、敬愛すべきジェファルードの願い。
そして争うのは無駄であるという当たり前の事実。
そんな総意を一言でまとめると。
〈D・もう少し手心を加えてくれないか?〉
懇願に近い要請がはじき出されたのであった。
これからも良い関係を続けていきたい。それがお互いのためであるという、分かりきった現状維持。
その退屈な答えにロキアスはわざとらしくため息をついた。
「珍しくオメガがケンカ売ってきたからワクワクしたのに」
〈Ω・適切な表現でなかったことを撤回し、謝罪する〉
「もうちょい感情込めて謝れよ。今のお前らなら出来るだろ?」
〈Ω・ごめんね〉
「キャラ変が過ぎる! ……ちょっと面白いから許すよ」
予想外の一撃で愉しくなったロキアスは姿勢を正した。
「まぁ、まぁ。そうだな。僕達は大人だ。それなりに熟した知的生命体だ。感情が望むことが最優先であるからこそ、時には感情を排して話し合おう」
〈α・同意しよう〉
「それで? お前等が気に入らなかったのはフェトラスが手紙を読む時に観察しようとした点だろ?」
〈B・その通りだ〉
「だけど、あそこで観察しない僕は、僕じゃない。ご理解ご協力の程は?」
〈C・理解はしよう。だが、協力は出来そうにない〉
「……そうだね。ちょっとリスキーではあったね。僕も少しだけ反省しよう。殺されてもおかしくなかったというか、普通に殺されかけたし」
「【次邪魔したら本気でブチ殺すぞロキアスッ!】」
フェトラスがソレを放った時、彼女は銀色の瞳をしていた。
呪詛に近い魔法。ナイフで刺すようなものではなく、確実に溺死させるようにまとわりつく、泥のような粘液。
あれが「ロイルの手紙をはやく読みたいから邪魔しないで?」という愛に基づいた月眼の魔法だったら、八割方僕は死んでいただろう。
殺意が高いせいでむしろ助かった、とも言える。
まぁフェトラスは『次邪魔したら』とも言っていたしな。優しい言葉にも聞こえるが、もしかしたら二段構えの魔法だったのかもしれない。本当に次がない、二撃確殺のような。総じてそういう魔法は一撃必殺よりも強い意図が含まれる。
まぁ呪文構成が意味不明すぎて、魔法の意図が読めないから想像なんだけどね。
属性すら分からん。なんだあれ。面白すぎる。もう一回観せてほしいな。普通の魔王がくらったらどんな結果になるだろう。……愉しそうだなそれ。
〈Ω・ロキアス〉
[なんだい?]
〈Ω・ごめんねってば〉
[急になんだよ。謝罪ならさっき受け取ったぞ]
〈α・とにかく、だ。我々が言いたい事としては、あのように狂乱したフェトラスに対してロイルの手紙は有効だろうが、その際にお前がつついてしまってはより状況が悪化する可能性がある。そのような破滅的な事態に繋がるかもしれない観察は容認出来かねる〉
[ずいぶんな早口だね]
〈F・だからやめてね、と我々はお願いしたいのだ〉
[お前等のリスク管理は本当に極端だな。あそこでどんなに僕が観察したって、ロイルの手紙という切り札があるんだからハッピーエンドに決まってるじゃないか。なんでそこが分からないかなぁ。不思議だなぁ。絶対観た方がいいじゃないか]
〈D・――――お前にとってはそうかもしれない。だがフェトラスにとってはどうだろう〉
[他者の事情を、僕が考慮するとでも?]
〈D・だが結果として、お前は考慮したではないか〉
[む。――――まぁ、ね]
そう。あれは確かに考慮だった。
観察の魔王が、観察しないことを選択した。
〈D・お前は喋るネズミを解剖しない、と表現したことがあったな。それに通じるものがある。お前が黙って手紙を渡し、余計なストレスを与えることなく粛々と退場していればフェトラスはお前に感謝の念を捧げただろう〉
[その結末には確かに利があるけど『今は亡きロイルの手紙を読むフェトラス』を観察する方が、僕には愉しいんだよ。…………まぁ、最後には考慮しちゃったけどさ]
〈D・私は、私だけは……お前が考慮することを知っていたよ〉
そんな言葉にロキアスはふと彼女のことを……カウトリアのことを思い出した。
[ああ、そうか……確かに、大人の振るまいではなかったかな]
比較するものではないかもしれないけど、フェトラスの渇望は彼女の渇望によく似ている。だとしたら僕は。
[悪かったよデッドバース。言いたくないことを口にさせたね]
〈D・いいさ〉
[ごめんね]
〈D・流行らせようとするな〉
少し柔らかくなった雰囲気。ここは月眼の間。次なる客を待つための空間にして、楽園への出入り口。
エクイアとパーティルは相変わらずだった。
ポーテンスフの大きな変化は予想外だった。
残りの月眼達は、いまどうしているだろう。
そしてどうかき混ぜたら、既知は未知に変化するだろう。
愉しみだよフェトラス。
今の彼女は満たされている、とは言いがたいが少なくと乾いてはいない。
しばらく月眼の間に来ることは無さそうですらある。
どうやって次の楽園に案内しようかと、ロキアスは目を閉じて思考を走らせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ハッ!?」
「どうした姉貴」
「………………手紙…………」
「うん?」
[手紙って、もしかして一通だけじゃなくて他にもある?]
久しぶりによく眠れた次の日。
そんな当たり前の想定に、フェトラスは気づいたのであった。