拾われた魔王が魔王を拾うと
ロイル視点
「魔王を拾ったんだけど」
それは、子供達が寝静まった後の事だった。
ダイニングで大人の時間を過ごしていたら……と言えば聞こえは良いが、要するにのんびりとしていた時にフェトラスが帰宅してきて、いきなりブッ込まれたのがその問題発言だった。
魔王を拾った。
……ふむ。そんなモンを拾う奴は頭がおかしいな。
なお俺は拾っただけではなく保護までしたので、もっと頭がおかしいとされている。
まぁそんな自分語りはどうでもいい。
ふらふらと出歩くことが多いフェトラス。そんな彼女がいつもより遅い時間に帰宅したかと思えば、唐突にそんな『わたし頭がおかしいんです』宣言をされたのであった。
ダイニングで共にゆったりと過ごしていた俺の嫁、旧名シリック……ユリファがきょとんとした表情を浮かべた。
「え、あの……拾った? 魔王を?」
「保護したっていう方が近いかな?」
フェトラスは苦笑いを浮かべながらそう言った。
ますます俺と同じじゃねーか。頭がおかしい者同士、これからもよろしくな。
そんな暴言をそっと飲み込んで「どういう状況でだ?」と尋ねるとフェトラスは「森にキノコ探しに行ったら、たまたま見つけただけ」と端的に答えてくれた。
俺は改めてフェトラスの言葉を噛みしめる。
魔王を拾って保護したのだと。
果てしなく狂気的で、危険極まる行為だ。
――――そして、俺と同じ行動だ。
だから俺が『なにやってんだよ!』と怒るのは非常にお門違いな事であろう。
どういう動機で拾ったのかは知らんが、確実に『お父さんもわたし拾ったから大丈夫っしょ』という成分が含まれているはずだ。
全ての反射的思考をゆったりと処理して、俺は鼻から息をもらした。
「保護、ねぇ。……犬や猫みたいに言うけど、危険な香りしかしないな」
そうは言いつつも、実は現実味があまりない。
ドッキリでしたーとか言われる方が普通にあり得る話題だからな。
「まんま俺とお前みたいな状況だな?」
「うん。森には子供達も出入りするし、放っておいたら魔王の誘いでモンスターが召喚されちゃうじゃん? だからとりあえずキノコ食べさせて、その……」
フェトラスは精霊服のジャケットを広げて見せた。中には赤ん坊がいる。
「つ、連れて帰ってきちゃった」
うん。
まぁ、拾ったって言ってたしな。
だがそれはそれとして、いきなり目の前に見知らぬ魔王が出てきたら流石にビビる。ここには妻と子供達がおるんじゃい!
「なにしてんのお前!?」
とっさに腰に吊してあるカウトリアに手を伸ばす。それから動揺が訪れて、観察眼を起動させる。
《魔王 Type・Disaster》
――――くそう、読めない! 多少は神様言語を勉強している俺だが、知らない単語はとにかく多い。教えてくれるのはロキアスだけだし、しかもその「お勉強タイム」を勝ち取るためには対価が必要なのだ。一発芸とか。そんな事はどうでもいい! マジで魔王じゃねーか!
(なんてこったい。どうするよカウトリア……)
どんどん高まっていく動揺はさておき、このベイビー魔王。基本的なステータスはかなり弱い。野良犬よりも弱い。発生したてだから仕方が無いのかもしれないけど。
その魔王は、確かに赤ん坊だった。いつかのフェトラスと本当に同じだ。
フェトラスの精霊服の中に巨大なポケット……デカ過ぎてポケットと呼ぶのに抵抗があるが……とにかくポケットが作られており、その中にベイビーはいた。髪の毛は赤。まとった精霊服は茶色。表情は見えないが、すやすやと眠っているようだ。
「い、色々と聞きたいことが多すぎるんだが……」
「最初は気がつかなかったんだよ。ほら、魔王って基本的に同族を認識出来ないじゃん。ただなんか突然の違和感を覚えたから探したら、目の前にいた」
突然の違和感……つまり、その瞬間に発生した?
「……キノコを食わせたと言っていたが」
「お腹がすいてるとモンスターが来ちゃうしね。おかげでせっかく収穫したキノコがほとんど無くなっちゃったよ……松キノコ……蒸して食べたかったのに……」
しょぼん、と肩を落とすフェトラス。
「そんなに落ち込むならわざわざ良いキノコを食わせず、その辺の適当なもん与えとけば良かったじゃないか」
「どう見ても発生したてだったから……どうせなら、良いモノ食べさせてあげたいなぁ、って思っちゃって。そしたらすごく気に入ったみたいだったからつい……」
「う、うーん……」
魔王が魔王を拾いました、と。
確率で言えば、俺とフェトラス以上にレアな状況だな。
「で、そいつどうするつもりだ?」
「…………ど、どうしよう」
「なんも考えて無かったんかい!!」
「いや本当にどうしたらいいか分からなかったんだよ。放っておけばモンスターが現れる。でも殺しちゃうのも何か抵抗ある。とりあえずご飯でも食べさせてみるか。あら可愛い。――――で、放置するのも怖いし、お父さんに相談しようって思って」
どないせいっちゅうねん。
犬猫とはワケが違う。
「まぁ、まっ先に相談してくれたことはありがたいが……。しかし魔王かぁ……そいつがどんな魔王かは知らんが……とりあえず、思い付くプランが二個しか無い」
「参考までに聞かせて?」
「――――殺すか、どこか遠い地に捨ててくるか」
「だよねぇ」
フェトラスは引き続き苦笑いを浮かべながら、ベイビーの赤い髪をなでた。
「この子はまだ誰も何も殺してないけど、そうするしかないよねぇ……」
そのなで方には慈愛が籠もっていた。
いかん、こいつ既に情が移っているんじゃないか?
「……どれ、少し貸してみろ」
俺が両手を差し出すと、フェトラスはベイビーをそっと懐から取りだして俺に手渡してきた。ちなみにフェトラスの精霊服・レインは数キロの赤ん坊を懐に収めていても、まったく型崩れしていなかった。それどころか、ベイビーを取りだした瞬間にポケットが消失したぐらいだ。すごいぞ精霊服。流石だなレイン。俺も一着欲しい。
受け取ったベイビーはとても軽かった。
我が子らを取り上げた時の感触を少しだけ思い出す。
「ふむ……流石は魔王。やっぱり美形だな」
すやすやとベイビーは眠り続けている。よだれが「たらり」と口元からこぼれたので、俺は袖でそいつを拭ってやった。
「どう思うよ母さん」
「どうって……完全に私の手には負えない案件というか……」
彼女はちらりと、壁に飾られた魔槍ミトナスを見た。俺と違って彼女は普通の人間だ。殺戮の精霊を目の当たりにして、生理的な恐怖とかを覚えているのだろう。
だけど彼女は俺の嫁である。「んっ」と小さく咳払いをした彼女は、微笑みながら首をかしげた。
「フェトラスちゃんはどうしたいの?」
「分かんない。とりあえず放置すると危ないから連れて帰ってきただけだよ」
部屋に沈黙が舞い降りる。
「……長く生きてれば、色々と妙なことが起こるってのは実体験として知っている。しかしコレは完全に想定外だな。ただの魔王だったら倒すだけだが、赤ん坊だしなぁ……」
未だ殺戮に手を染めてない魔王。しかしこの子はいつか必ず何かを殺す。生きるという事はそういう事だ。そして魔王の殺害規模は、ただの生き物が繰り広げる生存競争の枠をゆうに飛び越える。
しかしフェトラスがこの子を『保護』してしまったのだ。
よっしゃ殺そうぜ、とは中々ならない。
「お父さん」
「なんだ」
「…………その子もお父さんが育てたら、私みたいにならないかな?」
冗談きつすぎる。
とりあえず俺とフェトラスは出かけることにした。
魔王の誘いはモンスターを召喚する。つまり我が家のど真ん中にモンスターが現れる可能性があるわけだ。今はしっかり食べさせた後だから大丈夫だろうが、三時間後にはどうなるか分からない。…………まぁ、フェトラスがいるから何の不安も無いのだが。
しかし、まだ子供達も小さいし、無用な危険はさけたい。
そんなわけで真夜中に近い時間帯だったが、俺とフェトラスは人がいない場所を目指して飛び立つことにしたのであった。
「じゃあ急で悪いけど行ってくるな」
「はいはい。朝の畑仕事は私がやっておくから安心して」
「助かるよ。そんじゃ子供達のこともよろしく」
「うん。いってらっしゃいロイル。フェトラスちゃんも気を付けてね」
「うん! じゃあ行ってくるねお母さん!」
フェトラスが魔法を唱え、俺達の身体が浮く。
そして満点の星空に向かって俺達は飛翔を開始したのであった。
そして向かった先は、ムール火山。
ここは人間も魔族も近寄らない秘境になりつつあるので、色々と便利なのだ。色々と。人に言えないような事案の時は特に。
山の中腹に建てられたログハウス。ここにはフェトラスの結界が張られているのでモンスターが近寄ってくることもない。厄介な神理案件とか、少し時間がかかりそうな仕事ではここを使うことが多いのだ。言ってしまえば俺の事務所みたいなもんだな。
簡素な部屋だが仮眠用のベッドもある。
フェトラスはそこにベイビーを横たわらせて、彼の頭をなでた。
「よく眠ってる」
「……どんぐらいキノコ食わせたんだ?」
「松キノコを、十五本ぐらい」
「ヤバすぎる。金貨何枚分だよ」
松キノコは高級品である。キノコの王様とか呼ばれてるやつで、一般人が見つけてもまず食べる事はしない。貴族用のレストランに売りに行くのが主流だ。
「調理してないから、そんなに舌が肥えたとは思わないけど」
「そういう話しでもないんだが……まぁいいや」
さて。
実は発生したての魔王を見るのはフェトラス以来初めてだ。
彼女は出会って早々に俺を食った。
その際カウトリアともリンクしたおかげで、精神の成長スピードがとても速くなったのである。そうやって彼女は本能をゆっくりと超えていった……。
虹の精霊ということで、殺戮の資質が七分の一に薄まっていたことが最大の要因だろうけど、このベイビーはどうだろうか。
正体不明の、殺戮の資質にずっぷりと染められた、魔王。
「う、うううん…………こりゃ本当に参ったな……どうすりゃいいんだ……」
「………………」
「しかしなんだ。魔王の赤ん坊とかすげぇ久々に見たわ。ぶっちゃけお前以外に出会ったことはない」
「………………」
「どれどれ。よいっしょっと……軽ぅい……」
「………………」
「角が綺麗だな。ピンと立った象牙色だ。なんの魔王なのか読み取れたらいいんだけど……とりあえずどんな眼の色してんだろう。赤髪に、茶色い精霊服……」
「お父さん」
「ん? どした」
「あんまり愛おしげに抱いてると、情が移っちゃうんじゃない?」
「拾って来たお前に言われたくないなぁ!?」
思わず大声で突っ込むと、腕の中のベイビーがもぞりと動いた。
「……ふぇっ……うぅ……ううう……」
「あ、やべ。起きた。おお……瞳の色は銀色か。うんうん」
先程と同じく、俺は反射的に腰に吊してあった相棒・カウトリアに手を伸ばした。
「……フェトラス?」
「は、はい」
「お前こいつに、松キノコ以外に何を食わせた?」
「ま、松キノコだけだよ」
「その際うっかり、指を囓られたりしてないか?」
「な、なんで分かったのぉ?」
こうして「月眼の魔王」を食った魔王が爆誕したのである。
「お前さぁ! 何しちゃってんの!」
腹が減ったかどうかは分からんが、とりあえず俺は銀眼ベイビーの口に干し肉を突っ込んで、彼から距離を取った。いくらなんでも抱っこし続けるのは怖すぎる。
「だ、大丈夫だいじょうぶ! ほら、魔王は精霊だし! 私をかじっちゃったとしても、すぐに胃の中で消滅するから! 今だけだから!」
「力の影響をモロに受けすぎて自我もねーのに銀眼になっちゃってるじゃん!! マジで大丈夫なんかこれ!?」
とりあえず殺すしかない。
これは危険すぎる。
ロキアスとか、いっそ神様に相談したいぐらいだ。しかしアイツらに連絡を取り合うのには時間がかかる。月眼の間は色んな意味で遠すぎるので、お手紙を送っても返信があるのはだいぶ先なのだ。
「重要な質問だ! コイツが先に食ったのはキノコか、お前か!」
「………………キノコを差し出した手をかじられました! でも私魔王だし、まぁ大丈夫でしょって安易に考えてました!」
「よし、危なすぎる! ――――フェトラスはここから出て行け。後は俺が仕事をする」
「……………………」
俺は干し肉をかじり続けているベイビーから視線を外さないようにしつつ、声をひそめた。
「こう言っちゃなんだが……この子は誰かの笑顔よりも、悲しみを作る方が得意なんだよ。本人がどうしたいかは全く別として」
「…………そっか」
「お前の妹とか弟とか、母さんが危険な目に合う可能性が高い。だから一緒にはいられない。分かるな?」
「…………うん」
「次案として、ここに置き去りにして運命とやらに任せたとしよう。そうすると将来的に俺達家族が害される可能性が出てくる。あるいはティザリア達と友達になるかもしれない人達が殺される。……それも、分かるな?」
「……うん」
「だったら……さぁ、ここから出て行くんだ。すぐに終わる」
フェトラスは聞き分けよく椅子から立ち上がり、とぼとぼとログハウスの出口を目指す。
「……ごめんねお父さん」
「……いいってことさ」
俺がそう言うと、フェトラスはぴたりと立ち止まった。
そして力強く振り返る。その瞳にはベイビーと同じく銀色が宿っていた。
「…………やっぱ赤ん坊とはいえ銀眼だし、何かあったら怖い。私がする」
「……バカこけ。これは俺の仕事だ」
「でも、反撃されてお父さんが怪我したらイヤだよ」
「一瞬で終わるから大丈夫だ」
「こ、殺しゃないで……」
「…………」
「…………」
「あのぉ……こ、殺しゃないで……おねがい……」
それは、地獄の底から聞こえてくるかのような、それでいて可愛らしい声色の命乞いだった。
ベッドの上のベイビーが、干し肉を握りしめたまま涙目を浮かべていた。
「こっ、殺しゃないで……」
彼は泣きながら、両手で干し肉を食べながら、プルプルと震えて、喋ったのであった。
「――――何故、喋れる」
「なんでって言われても……わかんないでしゅ……」
「とりあえず干し肉食うのやめろよ」
「お、美味しいでしゅ、コレ……」
「誰が感想を求めた?」
ああ、いかん、くそ、会話したらダメだ。これはマジでこの周囲一帯が爆散しかねない危険事態だ。
俺がスッと、ほんの少しカウトリアを鞘から抜くと、銀眼ベイビーは「ひぇぇぇぇぇ! お助けぇぇぇぇ!」と泣きわめきながら無様にベッドから転げ落ち、部屋の隅に高速ハイハイで逃げ込んだ。
「い、命だけわー! きゃあああ! こわいよぉー!」
ベイビーはこちらにプリプリなケツを向けて、ガクガクと震えている。その姿は可愛らしいというよりも、流暢に喋る赤ん坊という不気味な存在になっている。
なんだこの成長速度は。
やはり月眼であるフェトラスを食ったからか? しかしそれは妙だ。そもそも魔王は互いを知覚出来ない。だから共闘も共食いもあり得ない。
例え意図的に、あるいは実験的に食わせたとしても魔王は精霊だ。胃の中で消滅するはず。魔王は栄養にはならないのだ。
つまりこのベイビーは、フェトラスという経験値を得られない仕様であるはずだ。
ちなみに大昔、ロキアスとカミサマ達は似たような実験をしたことがあるそうだ。結果は失敗。何の影響も及ぼさなかったとか。
……しかし実際問題、このベイビーは発生したてなのに銀眼である。しかも喋る。
それはイコールで、呪文が使えてもおかしくないということ。転じて、全てを殺せる能力を有しているということ。
迷っているヒマはない。
鞘走りの音が無情にもログハウスの中に響き渡る。あとは刃を振るうだけ。
その気配を察知したベイビーはこちらに顔を向けて、泣きながらこう叫んだ。
「な、なんでもしますからぁぁぁ! 助けてぇぇぇぇ! げほっ、げほっ……」
赤ん坊の声帯で叫び過ぎだ。彼はむせて、片手口元を抑える。そして残ったもう片方の手の平をこちらに向けてきた。
「せ、せめて……せめてコレを最後まで食べさせてくだしゃぃぃ……」
そう言いながら、彼はむせた際に口から飛び出た肉片をぺろぺろと手の平ごと舐める。
「…………クッ……」
意地汚さすぎてちょっと笑える。
「すごく、すごく美味しいんでしゅ……幸せなんでしゅ……」
彼はずっと干し肉を握りしめたままだ。
俺が返答に困っていると、彼はそれを少しずつしゃぶり続けた。
「…………はよ食え」
「……は、はぃぃ…………もぐ、もぐ……」
ガタガタブルブル。
たぶんコイツはもう味なんて分からないぐらい恐怖している。
俺は(呪文を唱えようとした瞬間に殺す)という覚悟を抱いたまま、抜き身のカウトリアを握りしめ続けた。
「ひっく……ひっく……グス……おいちぃ……」
そして俺は気がついた。
だんだんと、だんだんと、彼の表情から理性が抜け落ちていくことに。
「あぅ……もぐ……もぐ……」
そして彼が精霊服の袖で涙を拭ったとき、彼の瞳は深いルビーのような緋色になっていた。
「……銀眼が、鎮まった?」
「あう?」
俺の声に反応する彼。だけどその顔つきはもう、命乞いをする魔王のものではなかった。
ただただ「この干し肉うまい」と思っているだけの、無垢な赤ん坊だった。
念のため観察眼で精査する。
読み取れない情報の方が圧倒的に多いが、それでもなんとか調べ上げる。
ステータスが最初見たときよりもわずかに上昇しているが、それでも相変わらず野良犬より弱い。特筆すべきことが何も無い、ただの幼体魔王。だがステータスが上昇している。干し肉で? あるいは銀眼化の余波で? 何も分からないから全てが怖い。
Type・Disaster。これが何を意味するのかは分からないが、先ほどの情けない命乞いの様子を見るかぎり、凶悪な属性を持っている魔王では無さそうだ。温厚な性質だとありがたいのだが。
(チッ……なにが温厚な性質だ。銀眼だぞ? 腑抜けてんじゃねーよ俺)
そう己を戒めつつも、いつまでもピリついてられない。少しだけ気を抜いてフェトラスの顔色をうかがってみる。彼女もまた銀眼を鎮めており、平素と変わらぬ黒い瞳で赤ん坊を観察していた。
「私の指先というか、血が消滅したのかな?」
「たぶんお前の銀眼に反応したんだと思うんだが……他に仮説を立てるとするなら、魔王が魔王を食うと、一瞬とはいえ強大な力を得られるって所か?」
「最初に食べた物だったから、じゃないかなぁ。たぶんもう起きないと思うよ」
「そうは言うが、油断出来る要素が何もない」
スッとカウトリアの切っ先をベイビーに向けてみる。だけど彼は干し肉に夢中のようだった。先ほどとは段違いのスピードで食べ続け、あっという間に完食してしまう。
「あうー」
手に残った脂をなめ取った彼は、ようやく俺が構えている聖遺物に気がついたようだ。
「やんっ」
まるで怖がるように、彼は再び部屋の隅にすり寄っていった。両手を壁に当てながら、プルプルと震え出す。
「や……やん……」
「……………………ああ、もう」
今度こそ、俺はため息をついてカウトリアを鞘の中に戻したのであった。
幼体魔王への処遇が一択になった。
すなわち「殺すしかない」である。
銀眼に至った魔王を世に解き放つのは、あまりにも危険すぎるからだ。
……しかし同時に躊躇いもあった。
コイツはまだ誰も殺していない、赤ん坊なのである。
例えるなら猛獣の子供だ。
猛獣は怖い。素手だったら俺だって殺されるだろう。
だけどライオンもイノシシも熊も、赤ん坊は可愛いのである。
特に魔王は、人に近い造形をしている。そんな赤ん坊を殺すのに必要なのは「冷徹な無関心さ」か、あるいは「強固な決意」だ。悩んだり興味を持ってしまった時点で負けに等しい。
『可愛いらしい』というステータスは、シンプルに強いのだ。
というわけで俺達は、悩んでしまった。
殺さないといけないのに、生理的な理由で殺したくない。
どう考えても殺すしかないのに、感情がそれを嫌がるのだ。エゴかな? エゴだな。
なにせ俺達は【最強の聖剣カウトリアを持った天使】と【月眼の魔王】だ。どこに出しても恥ずかしくない世界最高戦力。なので『どうにか出来るんじゃないか』という淡い期待があって、それこそが俺達の殺意をにぶらせる。
だがやはり、何度も言うが殺すしかないのだ。
そりゃ全身全霊で取り組めばこの魔王を生かすことは可能かもしれないが、俺には愛する家族がいる。方やこの赤ん坊には情がわきつつあるのかもしれないが、はっきり言って愛は無い。
つまり俺が全身全霊を賭す理由が全く無いのである。
――――カウトリアを使った俺は「やはり殺そう」という結論をすでに抱いている。
だがフェトラスが「どうにか出来ないのかなぁ」と呟くので、俺達は悩んでしまっているのだ。
と、そんな感じで「うーむ」とうなっていると、唐突にロキアスが現れた。
「やぁ」
ものすごく普通に、扉をあけて室内に入ってくるロキアス。
まぁコイツはいつもこんな感じだ。神出鬼没すぎて慣れた。
「どんなタイミングだよ。……なんか用か?」
「え? いや別に何か用があって来たわけじゃないよ。最近お気に入りの人間がいてそれを直接観察してたんだけど、君たちの気配が急にユシラ領を離れたからさ。何か面白いことでもあったのかな、って」
相変わらずフットワークの軽い月眼だな、と呆れていると、ロキアスはベッドで寝ている幼体魔王に気がついた。
「なにそれ?」
「フェトラスが拾った魔王だ」
「ブハッ! ……なにそれ。面白い」
吹き出したロキアスにたたみかける。
「聞いて驚け、こいつが人生で初めて食ったのはフェトラスの指先だ」
シン、と室内の空気が静まり返った。
そして彼は、まさに眼の色を変えて笑い出した。
[ぶはははははははははははは!!!!!]
腹をかかえて笑ったロキアスは、ひとしきり笑った後で、[はー」 とため息をついた。
そして再び、月の色をした瞳で俺を見る。
[念のためもう一回聞かせてくれるかい? ……な、なに……ブフッ……なに、それ?」]
「月眼を食った、魔王の赤ん坊だ」
[ぶはははははははは!! あははははははははは!!!]
「しかも既に銀眼化した」
[……!! ……! ……!!]
俺がことの顛末を語ると、ロキアスはその度に爆笑したのであった。
最終的には地面を転がって、無言で床を愉しそうに殴っている。
相変わらず、悪気無く人をイラつかせる天才だなコイツ。
……それとも、何かとても愉しい要素でもあったのか?
それは単純な疑問というよりも、果てしなくイヤな予感の一つだった。
大昔の実験。
ロキアス「僕の髪の毛とか、血とか。そういうのを魔王の赤ん坊に食べさせたらどうなると思う?」
カミサマ〈……全く予想がつかないので、その実験は却下です〉
ロキアス「わくわく! わくわく!」
カミサマ〈いやマジでするなよお前!?〉
翌日
ロキアス「なんも起きんかった」
カミサマ〈するなって言ったでしょうが!!〉
一週間後
ロキアス「指先の肉を食わせたけど変化無かった」
カミサマ〈オーケー。戦争がしたいんだな?〉
――――それは、大昔の実験でした。