砂漠の花
ここは私の庭。
先程ディアの放った魔法を防いだ象徴庭園とはレベルが違う。ここは『月眼の魔王対策』の領域だ。
ニュアンス的にはエクイアさんの隔絶に近い。ここは王しか入れない皇帝の園。限りなく概念魔法に近い。
……以後、同じ魔法を唱える事は容易ではないだろう。この領域の完成度を見る限り、コレは「お父さん案件」だから成立したモノだ。
使いこなして、洗練された魔法よりも『思いつきの魔法』が強いのは私の悪癖と言えるかもしれない。とりあえず普通の魔王ではあり得ない症状だ。
まぁそんなことは心底どうでもいい。問題はこの手紙だ。
呼吸するのと同じレベルで机と椅子を用意する。原材料は氷河。冷たいけど、わざわざ他の物質に変換するなんて小難しい芸当はしない。精霊服がいるから大丈夫。
――――それはさておき。
手紙。
お父さんからの、お手紙。
私の意識は全てそこに注がれた。
封筒に書いてある文字は「フェトラスへ。 お父さんより」だけ。
何歳ぐらいの時に書いたんだろう。
どうしてわざわざお手紙なんて書いたんだろう。
封筒のデザインが可愛い。たくさん悩んで選んでくれたのかな。それとも見かけた瞬間に「コレだ」って思ってくれたのかな。
そういう推測は全部楽しいし嬉しいんだけど、言ってしまえばどうでもいい。
『何が書かれているんだろう』
期待があった。
でもその百倍、不安があった。
何故ならコレがお手紙だからだ。何が書かれていたとしても、私のお返事は受け取ってもらえない。
嬉しいことが書いてあるのかな。
寂しいことが書いてあるのかな。
今更な秘密が書かれてたりするのかな。
期待。その百倍の不安。どうしようもない、そして偏った二律背反――――それらを凌駕する数万倍のワクワク感。
……封筒に傷を付ける行為自体にもの凄くプレッシャーを感じるけど、開けなくちゃお手紙は読めない。
私は隠し持っているシェフナイフを取りだして、慎重に封筒の上部に刃先を当てた。
[よっしゃぁぁぁ見たかこの野郎! めちゃくちゃ久しぶりに本気出して突破してやったぞぉぉぉ! ハーイ、フェトラス! ご機嫌いかがぁ!?]
フワフワとたなびくオーロラ状の壁からロキアスの顔だけが生えてきた。
びっくりして、刃先が逸れそうになる。
つまりお父さんの手紙を傷つける可能性があった、ということ。
私は本気の殺意を抱いた。
「【邪魔だから消えろ】!」
殺意の塊である銀眼が紡ぐ魔法は、興味本位の月眼ロキアスを吹き飛ばした。
下手したら死んだかもしれないレベルで殺意を込めたけど、今のはロキアスが悪い。もし手紙に傷がついていたら、読む前に必ず殺していた。
――――必ず、殺していた。
でもお手紙は無事なようで何より。
よし、早速開けよう。
私は勇気を出して、なおかつ慎重に封筒の中身を取りだした。
お手紙だ。
お父さんからのお手紙だ。
これはお父さんからのお手紙なんだ。
もう貰えると思っていなかった、あの頃のお父さんからの言葉だ。
――――まだ一文字も読んでいないのに、私は涙がこぼれた。
お父さん。
なんで死んじゃったの。
死ぬのは仕方ないにしても、どうして。
楽園に行きたかったよ。
セラクタルは確かに私の楽園かもしれないけど、今更気がついたよ。
ここはわたしの楽園かもしれないけど、
それでもここはわたし達の楽園じゃないんだよ。
ばか。
ばか。
ばか。
寂しいよ。会いたいよ。お父さんに、会いたいよ。
ぬぐってもぬぐっても涙が止まらない。
だけど同じぐらい、手紙を開く手も止まらない。
私はぼやけた視界のまま、ようやく一行目を読み始めた。
『やっほーフェトラス。パパだよ~』
……………………?
一行目を読んでわたしは天を仰いだ。オーロラ色が広がっている。
はて。
おかしいな。
なんだいまの。
『やっほーフェトラス。パパだよ~』
読み違いじゃなかった。間違い無くそう書いてある。
なんだこの……なんというか……なんだこれ……?
深呼吸をするつもりはなかったけど、深く息を吸う。
そしてクリアになった……たぶん、クリアになったであろう……思考で一行目を三度読み返す。
『やっほー』
[フッ……ふふふ……はっ、あはははは!]
予想外な冒頭。
面白すぎて笑いが溢れる。
[ふははは……オーケー。オーぶっ、おーけー私。落ち着いていこう]
気さくな挨拶だ。可愛い。
うんうん。これを書いた時のお父さんはだいぶお茶目さんだったらしい。ニコニコしながら書いてくれたのかな? お父さんが楽しいそうで私も嬉しい。でも、あまりにも予想外すぎてちょっぴり笑っちゃったよ。ほんの少しだけね。
涙の残骸を拭って、私は二行目に注目した。
『お前がこれを読んでいるということは、めっちゃプンプンしてるという事だな。やだー、こわーい』
プンプンて。
……プンプンって!!
あのさぁ、お父さん。私もうだいぶ大人のレディよ? 淑女よ? 世界最強の一角よ?
『怒ったお前も魅力的だけどさ、俺は笑ってるお前の方が好きだよ』
そんな変哲も無い文章のせいで、私は目をギュッと閉じることになった。
なのにおかしいな。
何度もふいたのに。
もう乾いたはずなのに。
今だって蓋をしてるのに、涙があふれて全然止まらない。
お父さんだ。
お父さんが書いた手紙だ。
どうして、どうして死んじゃったの。死ぬ前に楽園に行ってくれたら良かったのに。そしたら私はこんな気持ちで長く長く長く長く長く悲しい気持ちにならずに済んだのに。
笑ってる私の方が好きなら今すぐ帰ってきてよ。なんで死んじゃうのよ。天使でしょ。もう人間じゃないんだから、大人しく私という化け物に愛されて笑ってててよ。
手紙を握りつぶしそうになる。
だが私はそんな無意識の力みに負けたりしない。シワの一つだって付けるもんか。
この手紙を書いたお父さんは、私が…………ぷんぷん状態だと知っている。
一行目の愛くるしい挨拶の動機はそれだ。私を落ち着かせようとしてくれている。お父さんらしからぬ言葉遣い。だからこそ、そこには私への気遣いが溢れている。
でもそのための文面が「やっほーフェトラス。パパだよ~」って。
可愛すぎて自殺したくなる。
――――今すぐ会うために。
しかし初手「やっほー」も超絶可愛いけど、次の文面もヤバイ。
『パパだよ~』って。たしかそのパパという呼び名は『落ち着かないから止めろ』って言ってたはずなのに。やっぱりアレかな、ティザリアとキトアが小っちゃい時には自分のことをそう自称してたから、今のプンプンな私は子供じみてるって事への暗喩なのかな? ふふっ。わたしは いつまでもお父さんの子供なのに。
たった少しの文面で、こんなに感想が抱ける。
ああ、わたしはいま、久方ぶりに、しあわせだ。
[ふはははは帰ってきたぞフェトラスぅぅぅぅ! 僕を止められると思うなよ!!]
「【次邪魔したら本気でブチ殺すぞロキアスッ!】」
殺意という言葉を超える覚悟を示す言葉を私はまだ知らないけれど、殺意以上の殺意を込めた。
世界の果てまで吹き飛ばす、弾丸のような魔力。最早魔法とは呼べない、式もクソも無いただの暴力。
オーロラの壁を突き抜けていったロキアスは生命体では絶対に耐えられない速度で消えた。
本気で死ねと呪った。
だが恐らくヤツは耐える。その確信がある。
手紙を読む前にヤツを殺しが方がいいかもしれないな。
「……はぁ。涙がひっこんじゃった」
――――まぁ、いい。
私は早く続きが読みたいんだ。
モタモタしてたらどうせまたロキアスが邪魔しにくる。余韻を殺戮されてしまう。次に来たら殺すと宣言はしているけど……正直に言うと、私じゃ三代目の月眼を止めることは難しい。
だから手早く読む必要がある。
でもゆっくりと、じっくりと、心の底から堪能したい。
だけどノロノロ読んでたらロキアスが来てしまう。
[あぁ…………やはり殺すか]
その方が確実にこの手紙を満喫できる。
[よし。殺す]
そう呟いて、実際に立ち上がろうとして。だけど結局私は動けなかった。
手紙から手が離せない。乾ききってしまった私を潤す唯一のモノがここにある。
[……………………はぁ]
本当はイヤだけど。仕方が無い。
私はロキアスが再来するリスクを許容する。
そんなことより、何より、他の何を捧げても、私はこの手紙を今読む。
それ以外の生き方を私は知らない。
次にロキアスが来たら。
即死させる。
こうして私は、手紙の続きを読んだ。
いつも流していた、冷たい涙。
でも今、この頬に伝わる涙は温かい気がする。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
やがてロキアスが三度目の突撃を果たした。
[ふはは……はー……あー……]
[…………]
ロキアスの哄笑は、フェトラスの静かな沈黙に封殺される。
そしてフェトラスは魔法ではなく、呪文ではなく、自然と口を開いた。ロキアスに視線をやることもなく、ただ何かに耐えているような様子で、彼女は再び言葉を重ねる。
[おねがい。少し、そっとしておいて]
[………………]
まるで命を賭けるような気迫で、だけど同時に枯れかけた花のように儚く。
その言葉には確固たる力があった。
[おねがい……ちょっとで、いっ、いいから……]
観察眼を駆使するまでもなかった。返事もなく、ロキアスは引っ込んだ。
そんな彼の行動に、フェトラスは自分でお願いしておきながら、かなり驚いた。そして同時にアレが本当にロキアスなのかを疑う。
ロキアスにデリカシーは無いはずなのに。
……だけど彼は静かに退去した。
まぁロキアスのことはどうでもいい。ヤツに対する感想なんて価値が無い。
それに引き換え、この手紙の感想はいくつも、無数に、それこそ一昼夜かけて語れる。
(ああ、いま私は体感時間で数千年ぶりにお父さんと二人きりなんだ……)
今だけは、たくさん泣いていいはずだ。
だから彼女は涙を流し続けた。
その頬の温かさは、まるでロイルが頬に口づけをしていてくれるかのように優しかった。
♡
『やっほーフェトラス。パパだよ~。
お前がこれを読んでいるということは、めっちゃプンプンしてるという事だな。
やだー、こわーい。
怒ったお前も魅力的だけどさ、俺は笑ってるお前の方が好きだよ。
、、、なんて、書かせてもらったけどさ。
まずはお前に謝ることにする。ここからはちょっと真面目に書くな。
ごめんな。寂しい思いをさせて。
正直に言う。実はだな、俺が死んだ後のお前の行動に、俺は全く不安が無いんだ。
俺が知ってるフェトラスは、俺が旅に出たことを悲しんでくれたとしても、衝動的な行動はしないものと信じている。知っている、とも言い換えていい。
、、、だけど俺は、お前じゃない。
俺は世界で一番お前を愛している。
お前も俺の事を世界で一番愛してくれている。
そこにはなんの疑いも持っていない。
けれども、それでも、俺とお前は違う存在だ。
だから俺の予想に反して、フェトラスの悲しみとか寂しさが我慢の限界を迎えて溢れかえってしまう事は、(本当にイヤなんだけども)、あるかもしれない。
そういうわけで、俺はロキアスに手紙を預けた。
お前にとっちゃ業腹かもしれんが、ヤツは「手紙を渡すタイミング」を絶対に失敗しないからだ。その性質上な。
だからお前がこの手紙を読んでいるということは、、、俺の帰還が遅くなって、いよいよ耐えきれなくなったって事なんだと思う。
ただマジな話し、それが何年後なのかは予想出来ないんだよな。
千年か? 百年か? 十年か? それとも一年か?
まぁ後半になるにつれて可能性は低いだろう。俺はお前じゃないから、お前の考えている事を全てを完全理解しているわけじゃないけど、それでも。
十年やそこらで決壊するほどお前の器は小さくないし、この世界だって狭くは無いと思っている。
百年以上かかってたとしたら、マジでごめん以外に伝える言葉が無いんだけど。
でもやっぱり、お前が限界超えて破綻するシチュが想像出来ないんだよなー。
、、、俺はお前を世界で一番愛してる。
そんな俺があえて予想するなら、、、、、すまない、予想なんて出来ない。お前が泣いている姿を想像するだけで辛い。
実は今、ここで手紙を破り捨てて、新しく書こうかとも思った。久方ぶりにかける言葉がコレじゃあんまりかな、って。そう思ったからだ。
だけど俺はあえてそうしない事にしたよ。一発書きだ。お前と会話しているつもりで手紙を書き連ねている。だから、書き直しはしない。ごめん。お前の返事はまだ受け取れないけど、それでも。
俺はお前とお喋りしている感覚で文字を連ねている。正直な気持ちで。嘘偽りの無い、虚飾も無い、時には間違えてしまうかもしれないけど、みっともなくなってしまうかもしれないけど、心からの言葉で。
フェトラス。本当に心の底から、愛してるよ。
幸せでいてほしい。楽しく笑っていてほしい。すごく良いパートナーがいてほしい。種族なんか関係ねぇよ。お前が好きになって、そして愛したヒトがいるなら紹介してほしい。お前の笑顔が見たい。俺の子孫を見守っていてほしい。そしてみんなで仲良くしていてほしい。
でもそれよりも、何よりも、お前が幸せであって
、、、、、、やっべぇ。正直に書くけど、涙が出てきた。
だって お前がこれを読んでいるということはさ、
俺がお前に寂しい思いをさせているということだよな。
ごめん。
ごめんな。
本当に、ごめん。
(ごめん。泣きすぎて、ここから先書いてるの翌日)
俺を待たなくていいなんて、言わない。言えるわけがない。
きっと死んだ後の俺だって、お前に会いたくてしょうがないだろうから。
生まれ変わってしまったら、きっと記憶は消えてしまうだろう。でもたぶん、そんなの関係無い。俺はお前を愛している。前世の俺だって、きっと前世のお前を愛してたはずだ。だから来世でも、その次でも、そのまた次でも。
俺は永遠よりも長く、お前を愛するよ。
だからそんなプンプンしないでさぁ。
なんつーか、笑っててくれたら、幸せでいてくれたら、嬉しいな。
一方的に言いっぱなしでごめんな、、、、、、、
俺が帰ったら、ええと、ニュー・俺が多少成長してさ、分別のつく頃になって、お前とかロキアスとかに説明を受けた後だったら、絶対お前の話しも聞くからさ(というか実はそれが楽しみだったりする。色々と聞かせてほしい)
することが無くて退屈なら、俺との会話のネタを集めておいてほしい。
それこそ次の人生、、、人間になれるかどうかは知らんが、、、まぁとにかく、お前が俺に聞かせたい話しを集めておいてくれ。それこそ、その次の人生だけじゃ足りないぐらいに。
そう考えると俺は人間じゃなくて、もっと長寿の、なんか別の生き物の方がいいのかもしれんな、、、、でも会話技能は必須だし、、、まぁアレだ。カミサマ達にどうにかしてもらってくれ。
ここまで他力本願だと笑えるな。なんて酷いヤローだ。
でも俺は、次の命でもお前を愛するからさ。
絶対だ。誓う。
俺的に『誓う』ってのは滅多に使う言葉じゃないけど、俺の今までの人生の中で一番最強に誓う。
俺が持つ喜ばしい想い出の全てに誓う。
そしてフェトラスに誓う。
愛してるよ。
気長に待っててくれたら、嬉しいな。
ごめんな、寂しい思いをさせて。本当にごめん。
愛してるよ、フェトラス。
超絶イカしたパパより☆
ごめん。お前を泣かせているのに、イカしたもクソもねぇな。
ごめん。
ごめん。でも本当に、心から愛してる。
♡
――――最後の文字は震えていて。インクは涙でにじんでいた。
[謝るぐらいなら、死なないでよ……]
むちゃくちゃな事を言っている自覚はあるけれど、私はその無茶を通せる存在だ。
でもお父さんはもういない。旅立った。違う所にいる。
お父さんは、もうしんでいる。
そのフレーズを思い浮かべてしまった私は、言葉に変換出来ない絶叫を発した。
涙が止まらない。
でも、その涙は今まで流したものと違って、何故だかあったかい。
乾いた砂漠に一滴の水を与えても意味は無い。
けれども、乾いた砂漠に咲いた枯れない花を、私は再発見することが出来た。
心真ん中に咲いている綺麗な花。
この溢れて止まらない涙は、その花に注がれた。




