自分で描いた絵で感動する方法
ポーテンスフさんはボロボロと泣いた後で、かなり長めの深呼吸を行った。
吸って、止めて、吐く。
月眼の魔王。突き詰めてしまえば、我々は呼吸を必要としない。
食事も、睡眠も、言ってしまえば生存のための活動がいらないのだ。
精霊として発生し、魔王として受肉し、再び精霊に立ち戻り、命を核としていながら、命でないもの。――――それらを超越してしまった、訳の分からない存在。それがわたし達月眼だ。
だけどわたしが知っている全ての魔王は呼吸するし、食事するし、寝るし、もしかしたらナニカを愛する。
本来必要としない行為を、必要とするわたし達。
もしかしたら『生存』とは違う言葉。『生きる』っていうのはそういう所に本分があるのかもしれない。
たっぷりの時間を使ってポーテンスフさんは表情を整えた。
[……失敬。産まれて初めて泣きました]
「そっか。わたしは小っちゃい時からよく泣いてたんだけど」
[貴女は……フェトラスは感受性が豊かなのでしょう]
わざわざ言い直して、わたしの名前を呼ぶポーテンスフさん。
その表情はスッキリしたように見えるけど、魂が半分抜けているようにも見えた。
「ポーテンスフさん程じゃないと思うけど」
[いえいえ。私の感受性はかなり低い。自分のことさえ分からないままなのですから]
「豊かすぎて道を見失ったんだと思うけど」
[ふーむ]
「これ、フォローじゃなくて本音ね」
[……ふーむ]
ポーテンスフさんは自分が改変したログハウスの絵を見つめた。
[…………あんなに愉しいと感じたのに。今では哀しいだけだ]
「元に戻せないの?」
[無理ですね。一度血で汚れた手は、洗っても血で汚れたままだ]
「……殺戮の精霊だった者にしては、らしくないセリフだと思うけど」
[……ええ、確かに。本当にその通りだ]
ポーテンスフさんはそっと絵を指で触れて、それからギュウと拳を握りしめた。
[私の最初のきっかけ。そして今では、私の最大の戒めとして。……この絵はこのままにしておきます]
「そっか」
見るのが辛いだろうに、彼はあえて絵をこのままにしておくという。
つらいという、楽園では存在しえない感情。
「あ、そっか」
[どうかされましたか]
「ポーテンスフさんは、ここ以外の楽園を知らないんだった……って今更思っちゃって」
[他の楽園。ふーむ]
「愛の正体を知らぬまま。他の楽園の在り方を……お手本も比較対象も知らないまま。ただ自分が欲しいものを願った結果がここなんだーって」
[異様なことだと思いますか?]
「かなり異様だとは思う」
わたしが真顔でそう答えると、ポーテンスフさんは[フッ]と笑った。
[では、どうしましょう。かなり今更ではありますが、この楽園を造り替えた方が良いと思いますか?]
「無理じゃない? 造り替えるどうこうじゃなくて、ポーテンスフさんが欲しいものが『自分で描いた絵で死ぬほど感動する』ってことなら、それは楽園どうこうの問題じゃないと思う」
[ふーむ。詰んでますね]
行き止まりに気がついて、ようやくポーテンスフさんは迷子であることを自覚した。
さて。
正直、もう他に言うべきことはない。
わたしが一方的にたたみかけるんじゃなくて、ポーテンスフさんにはゆっくりと考える必要がある。
きっと「それじゃさよなら」と言えば、彼は「さようなら」と返すだけだろう。
出口はすぐそこにある。
だけどわたしはどうしようもなくお父さんに会いたい。
お父さんに、ロイルに会えるのなら何でもする。
――――こんな激情を抱えて生きるのは、つらい。くるしい。かなしい。
だからこれからポーテンスフさんがこんな気持ちで彷徨い続けるのは、どうにも見過ごせなかった。
今からするのは大きなお世話で、余計なお世話で、しなくても良いことだ。
「あのねポーテンスフさん」
[なんでしょうフェトラス]
「……決して、あなたの愛を否定するわけじゃないけど、あのね」
[フェトラス]
ポーテンスフさんは片手でわたしを制して、たどたどしく微笑みを浮かべた。
[大丈夫です。貴女が何を言っても、私は怒りません。それどころか殺されても文句を言わないと誓います]
「えっ、重っ」
[ふー……ふっ、ふふ。初手で大したものです]
「え、あ、やば。ごめんなさい。思わず本音が」
[その調子です。遠慮は不要と何度か言わせていただきましたが、今となっては真なる意味で遠慮は不要です。私は貴女を歓迎します]
重くて硬くて怖い言い方だ。
なので、優しくて柔らかい言い方に変換してみよう。
「……わたしたち、お友達?」
ちょっぴり怯えながら尋ねると、ポーテンスフさんはまた笑った。
[いいえ]
「違うんだ」
[フェトラスが上で、私が下です。魔王的に例えるならば、貴女が王で私が配下だ]
「お友達でお願いします」
[……ですが、私と貴女では……なんと言えばいいのか分かりませんが、貴女の方が優れている。対等でないのならば友人関係は難しいと聞きましたが]
「お友達つくったことないの?」
[友達を作れる魔王なぞ、この世に存在しませんよ]
ああ、まぁ、そりゃそうなんだけど。
まぁいいや。
「わたしはポーテンスフさんを尊敬してるんだよ。どっちかっていうと、ポーテンスフさんの方がすごいんだよ」
[思い当たるところが無いのですが]
「絵が上手い。表現力が多彩。あとこれが一番だけど、すごく頑張りやさん」
[……ふーむ]
「優劣とかどうでもいいよ。お互いが尊敬してるなら、それはもう友達だよ」
[……ふーむ?]
「ポーテンスフさんはずっとこの楽園で過ごしてきて、珍しいお客さんに妙なこと言われてテンションが変になっちゃってるんだよ。だからいきなり重たいこと言うのは控えた方がいいと思う」
[ふーむ…………]
ポーテンスフさんはずっと唸っていたけど、わたしが折れそうにないことを察して頷いた。
[わかりました。では親友で]
知らない言葉を使いたがる子供みたいだ。
でも表情が本気すぎる。重すぎて泣きそう。
「…………まぁ、いいや」
[ではフェトラス。先程言いかけた続きをどうぞ]
「続き。ああ……えーと、えーとね」
わたしが言いかけたこと。大きくて余計なお世話。
「ポーテンスフさんが、って話しじゃなくて……この楽園には、芸術家に必要なものが無いんだよね」
[ふーむ。…………筆と紙以外に、必要なもの……ふーむ……]
「ここって展示会場だよね? もっと言えば画廊」
製作場所のアトリエではなく、自分達が立っている場所を指し示す。
「言葉遊び。画廊には、観客と、報酬が必要なんだよ」
[……ふむ?]
「ここはポーテンスフさんが感動するための楽園じゃなくて、誰か他の人を感動させる場所なんだって、私はずっとそう感じてる」
[……他者、ですか]
「あの世界で一番大きな絵を見たとき、わたしの反応を見てポーテンスフさんはどう思った?」
[…………………………]
ポーテンスフさんは目を閉じて、長く沈黙した。
そうして絞り出すように[…………悪くはない気持ちでしたね]と呟いた。
肯定を得た。だからわたしは、全力でお節介を焼く。
「ポーテンスフさんは、一番最初、ただの観客だった。絵を描かずに、絵に見入ってた」
[……ああ。なるほど]
「感動した。心が動いた。だから自分でもそれを造りたくなった。あなたが愛したのは、どこが最初?」
[…………ああ、まったく]
ポーテンスフさんは苦笑いを浮かべた。
[なるほど。アトリエと展示会場、即ち創作者と観客。……この関係性で、二つの役割を独りでこなすのは、確かに無理がある]
観客が干渉を受けて創作者になった。
そして月眼の魔王ポーテンスフが口にした願いは、創作者目線である「アトリエ」が最初に来たが、観客目線でもある「展示会場」も付随した。
そんな彼が、創作者と観客を等しく両立させることは。
「不可能じゃないかもしれないけど、ちょっと無理なのは確か」
[なるほど。観客と、報酬。総じて他者からの評価ということですか]
設計を間違えた楽園。
あなたの愛には足りないものばかりだという、残酷な指摘。
本当に余計なお世話。
しかも月眼相手だ。それこそ殺されてもおかしくはない。
だけどポーテンスフさんは深く頷いた。
[すばらしい]
そして彼は拍手をしてみせる。
[自分が描いた絵に対して得られた評価。その介入によって増す客観性。干渉せずとも、絵という結果で誰かに干渉して、自分以外の視座を得る……感動の同調が可能、ということですか]
「そう! それ!」
わたしもポーテンスフさんみたいにパチパチと拍手をする。
「料理の時もたまに感じるんだよねそれ! 美味しい物が出来たっていう喜びよりも、それを食べて嬉しがってるヒトを見るのが幸せなんだよ! 感情の同調か~。その表現は思い付かなかったなぁ~」
[これもまた言葉遊びではありますが……そういう意味では、自分の絵に感動することも可能……ということですね。これだけヒトの心を動かせたのだという、自負によって]
「そう! 本当にそれ! かんぺき!」
わたしは嬉しくなって両手を上下に振った。
そんな姿を見て、ポーテンスフさんは柔らかく笑った。
[今のあなたを見て、再び私の心が満たされたような気がします……ああ、そうか。あの魔王城で過ごした日々にも、コレはあったのか……]
自分の胸に片手を当てて思いを馳せるポーテンスフさん。
やがて彼は胸に手を当てたまま一礼してみせた。
[本当に素晴らしい。今日はなんという一日なんでしょうか。まるで奇跡だ。ありがとうフェトラス。あなたのことを愛してしまいそうだ]
「そ、それは重すぎるかな」
軽口で月眼が言って良い言葉じゃない。
だけどポーテンスフさんは真剣な表情だった。
[いえ。あなたが此処に来てくれなかったら、私は……私は、この破綻した迷路から一生抜け出せなかった]
「再三言うけど、不可能ではないとは思う。いつかは出来たかもしれない」
[無理でしょう。何万枚描いても、何万体造っても、何万個創っても無理だったのですから]
「可能性は否定しないでほしい。ポーテンスフさんなら、いつか、出来たかもしれないんだから」
[……ありがとうございます。その言葉は私にとって救いになる]
ですが、と言葉を続けてポーテンスフさんは天井を見上げた。
[今日だけで、産まれてきて初めて行った経験が多すぎる。……私のアトリエに初めてヒトを招いた。初めて絵に干渉した。初めて泣いた。そして――――私は産まれて初めて、納得することが出来た]
実に清々しく、良い気分だ。
そう言ってポーテンスフさんは片手を差し出した。
[ありがとう親友。この感謝の気持ちを、私は永遠に忘れない]
永遠なんて。
――――わたしはグッと言葉を飲み込んだ。
「……言いすぎだってば。わたしがそれに付け込んだらどうするの?」
[ご用命とあらば、なんでも従いましょう]
「……大魔王テグアと一緒に戦って、とか言われたらどうするのよ」
[ご用命とあれば]
「しかも生け捕りが目的」
[……ご用命とあらば]
怖すぎる。
冗談で言ってない。マジで言ってる。
生け捕りをちょっと躊躇った辺りで覚悟が垣間見える。
「わ、わたしの中で最大級の『不可能な事』として言っただけだから、本気にしないでね?」
[ふーむ。……まぁいいでしょう。では]
ポーテンスフさんは周囲を見渡して呟いた。
[さっそく観客を招きたい所ではありますが、そういう所作には不慣れでして。そもそも誰を招くのかという最大の難問がここにはある。生命体を管理する機構なんて思い付きませんし、一番手っ取り早いのはセラクタルから拉致してくる事なんですが]
「ただの人間が前情報無しで月眼みたら発狂しちゃうよ。魔族でも厳しいと思う」
[然り。うーむ。難問ですね]
「……っていうか、真っ直ぐにわたしの言葉を信じすぎじゃないかな? もう少し躊躇ったり疑ってみたら?」
[ですが私はもう納得してしまった。フェトラス、あなたの言葉は私の迷路に風穴をあけて光で照らしてくれた。やらない理由が無い]
やっべーやらかした。
このままじゃ他人に迷惑がかかる。
迷惑だけならまだしも、神理的に死ぬ可能性が高い。
どうしよう。
どうしよう。
あ、そうだ。ロキアスさんにブン投げよう。
「まずはテスターとして、ロキアスさんを呼んでみたらどうかな?」
[あの者は出禁です]
終わった。
まぁ想像するに容易い。
どうせこの楽園に入る前にダル絡みしたんだろう。
あとは何か、直接楽園に入るのがダメだから使者を送り込んだとも言ってたっけ。
そういう意味でやり取りを繰り返して、出入り禁止の処置。
まぁそうなるよね……。
カミサマ達も芸術関係には疎いみたいだし……。
ここでわたしは、電撃的に閃いた。
いる。観客が。
ある。それが可能な策が。
「もしかしたらわたしは天才なのかもしれない」
[ふーむ?]
思い付いたのは、別の月眼の存在だ。
『結婚の魔王エクイアの楽園・ダーリンとのラブラブワールド』の人々ならば、月眼に対して耐性がある……!
彼等を観光ツアーと称して招き入れれば……!
すごい。わたしは天才だ。
「ち、ちょっと待ってて。関係者各位に許可を取って、実現出来たら最高のハッピーエンドを迎えられるかもしれない」
[ふーむ。何やら奇策を思いついたようですね]
ポーテンスフさんはちょっぴりワクワクしながら瞳を輝かせた。
[……期待してもよろしいのですか?]
「うっ。……ごめん、期待はまだしないで! 流石にちょっとわたしだけじゃ判断付かないから、みんなと相談してくる!」
[ふーむ。なるほど…………いいでしょう。たっぷり時間をかけてください。急ぎません。何なら今すぐ創作活動に入りたいぐらいなんです。今のこの気持ちならば、きっと私は今まで描いた事の無い絵が描ける]
創作意欲に燃えるポーテンスフさんは、出会った時では想像も出来ないぐらい良い笑顔を見せてくれた。
[ああ、なんて心躍る――――私は幸せ者です]
その言葉に胸が締め付けられる。
この楽園で、初めての幸福感。
「――――分かった。ゆっくり待ってて。口に出した以上、責任は取るよ」
[……ふふっ。では改めて、そしてイジワルな問いかけを最後にしましょう]
この時点でわたしはポーテンスフさんが何を尋ねるのか分かった。
相互理解、出来たみたい。
予想通りの問いかけを彼は発する。
[期待しても、よろしいですか?]
「いいよ」
覚悟を決めてわたしは返事をした。
「……あ、でもあっちの地獄みたいな界廊にご招待出来る人材はいないと思うから、そこら辺はご了承ください」
最後にそんな予防線だけ張っておいて。
さっきとは違う動機で、わたしはこの楽園からの脱出を目指したのだった。
十二代目 美醜の魔王ポーテンスフ
楽園『アトリエと展示会場』
親友(?)獲得。