神殺し
真っ黒い世界。十二段の階段があって、大きな扉がある。
神様とやらに呼ばれた私は、全身にみなぎる殺意を胸中でナイフのようなイメージに変換した。
心の中にナイフが一本。それに自身の殺意を纏わせて、殺意の炎にくべて、殺意の鉄槌でたたき上げ、氷のような理性で整える。
銘を付けるつもりはないが、役割としては神殺しのナイフだ。
殺す。
そうやって静かに呼吸を整えた私は階段を上り、扉を開けた。
[――――ようこそ、ポーテンスフ]
中にいたのは神などではなく、私と同じ魔王だった。だが瞳の色が決定的に違う。
「月眼……まさか、お前が神か?」
[いいや、違うよ]
柔らかい緊張感、という少し矛盾した感覚を覚えた。……この月眼は強いのだろう。
だが別に私のターゲットでもないのだ。わざわざ戦闘を仕掛ける必要性は無かった。
「私は神とやらに呼ばれたのだが。どこにいるか知っているか?」
[カミサマに会って何をするつもりだい?]
「殺す」
[なぜ? 殺戮の資質はもう失われているはずだ。……カミサマを殺して君は何を得たいんだい?]
「何を、得るのか…………ふーむ……」
少しだけ考えてみたが、そんなものは見つからなかった。
「……別に得るものなぞありません」
[そっか。それでも殺すというのかい]
「もちろん。何も得ないとしても、私は――――そう、私は奪われたのです」
[いったい何を?]
「……複雑すぎて説明が長くなるのですが、端的に言うと私は『機会』を奪われた。貴重で、大切で、それから」
わたしが奪われたのは。
[…………]
[……ぜひ聞かせてほしい。君は何を奪われたんだい?]
[…………]
胸がぎゅうと締め付けられたような気がした。
「……機会としか言いようがないですね。きっとソレは説明の言葉を足せば足すほどに本質から遠のいていく」
[そうかな? 僕の持論だと、愛ってやつは言葉を重ねて表現するのも愉しいモノだよ]
「ふーむ……私の趣味ではないですね」
そう答えると、月眼の魔王はパチパチと瞬きをした後でにっこりと嗤った。
[やはり愛は識っているか……いや、姑息な手を使って申し訳ない。ここから先は真摯に対応させてもらう。僕の名前はロキアス。肩書きは観察の魔王。そして三代目の月眼だ]
「姑息な観察の魔王ロキアス。三代目の月眼。ふーむ。そうですか」
理解を示すために提示された情報をバラしてみたが、あれこれ質問するのが面倒な感じもした。ただ、彼が抱いている月眼は美しかったのでそれを眺め続ける。
[あはは。その姑息って肩書きは遠慮したいから、本当に真摯に説明するね。まずは……ここに来た当初よりも今は少し気持ちが落ち着いてきているんじゃないかな?]
「……ふーむ」
別に荒ぶっていたつもりはない。私が鍛え上げた神殺しのナイフは未だ胸中にある。
「特に変化はないと思うのですが」
[ありゃ。言葉遣いが少し柔らかくなったと思ったんだけど……嘘を言ってるようにも見えないし、これはちょっと予想外。ここは月眼の間と言って、気持ちが落ち着くように造られた場所なんだけどね]
月眼の間。なんとも意味深な名前だ。
辺りを見渡してみると、いくつもの扉が並んでいた。その数は十二枚。
清廉な蒼色の壁。とても高い天井。光源は不明だが明るい。
美しい場所だな、と私は思った。
「…………あぁ]
私の声色が変化する。
[……どうしたんだいポーテンスフ]
[……いや……ただ、少し嬉しいだけですよ]
私は美醜杖という、芸術に対しての最悪の比較対象を提示させられた。
だけど、それでも。あんなトラウマ級の忌々しい物体を見せつけられたとしても。
まだ美しい物を美しいと純粋に感じることが出来て、私は嬉しかった。
[ここは貴方が造ったのですか?]
[いいや。カミサマが造ったよ]
「また神ですか。ふーむ。ところでその神はどこに?」
[カミサマに会ってどうするつもりだい]
「その質問には先程答えました。殺します」
そう答えるとロキアスの顔が引きつった。
[月眼の間でもその殺意が維持出来るのすごいね]
「すごい、のですか。……私にとって、何かを殺すことは当たり前のことですが」
[そこまで明確な殺意を抱いて月眼の間にやってきたのは、君が初めてじゃないかな]
ふふふ、と愛おしげにこちらを見つめてくるロキアス。私はその視線を受けて、なんだか少し不愉快な気持ちになった。
こいつはいったい、なにを見ている?
……まぁ、どうでもいいことだ。
美しい月眼を見た。
美しい空間を見た。
そして私は飽きた。
「神はどこに?」
[ちょっとお出かけしてるよ]
「ふーむ。いつお戻りになるので?」
[時間の数え方が彼等と僕達ではずいぶん異なる。ただいくら待っても、君はカミサマには会えないと思うよ]
「自ら呼びつけておいて、会わないというのですか」
[だって今の君、かなり怖いからね。カミサマだってわざわざ殺されに戻ってきたりはしないだろう]
「ふーむ。なるほど。神は殺せるのですね」
[アッ、やっべ。うっかりうっかり]
ロキアスはそう呟きながら苦笑いを浮かべた。
[さて。そんなカミサマのことはいったん置いておいて、少しだけ僕の話しを聞いてほしい。君にとってもかなりお得な話しだ]
「…………ふーむ」
[現在、君はかなり特異な状況にいる。僕が何者なのか、ここがどんな場所なのか、なぜカミサマが君を招いたのか……分からないことばかりだろう。でも君はそういう類いの質問を一切しなかったね]
「特に興味がわかないので」
[いいね。筋金入りだ。じゃあそんな君が興味を抱くものとはなんだろう?]
「…………」
[もっと具体的に言えば、君はなにを愛している?]
「愛。ふーむ」
パチリと、欠けていた部分が埋まったような気がした。
だけどその全景が見えない。愛とはなんだ。
しばらく黙り込んでその意味を探ってはみたが、答えは見つからなかった。
ただ、きっと素晴らしいものなんだろう。あるいは『必要なモノ』という説明が近いのかもしれない。
「わかりません」
[えっ]
「そもそも私は、何かを愛せたのでしょうか……?」
その答えが見つからないまま。
私とロキアスは無為に時間を過ごし。
待っても待っても。
いくら待っても神が来なかったので、私はロキアスにこう尋ねた。
「……貴方を殺せばこの状況は変わりますか?」
[うわぁ、物騒]
「正直に言うと飽きました。それに……貴方の視線は、かなり不愉快だ」
[えっ、そうかな。覚えないはないけど、それは失礼しました]
「こちらを見ているようで見ていない。私と話しているようでいて、その実、貴方はずっと独り言を繰り返しているだけのように思える」
まるで嗤う口元を隠すように片手で顔を覆い、彼は[よよよ]と嘆いた。
[酷いなぁ。ソンナコトナイヨ]
(イラッ)
[僕は何もしてないのに、だいたい嫌われるんだよね。かなしい。ぐすん]
(イラッ)
[まぁ、それはさておきだ。ようやく君の方から質問してきてくれて嬉しい限りだよ。状況を変えたいのなら僕と戦うよりも、もっと愉しい事をした方が良い]
「…………」
[ここは月眼の間。色々な扉が見えるだろう? あの先には楽園が広がっている]
「…………楽園?」
[僕は三代目の月眼と言っただろ? そして君が十二代目だ。最新の月眼ってわけだね。そしてあの何も描かれていない扉が、君専用の楽園になる]
「……楽園とは、何なのですか?」
[ナニカを愛した月眼が住まう終着点。楽園でなら、君の愛は永遠のモノになれる]
「愛……ふーむ…………ですが、私は何かを愛した覚えが無いのですが」
[今の君では言語化出来ないタイプの愛なのかもね。だけどあの扉の先には、きっと君が望んだ世界が広がっていると思うよ]
「…………私自身が何を望んでいるのかも分からないのに? だとしたら、あの扉の先にあるのは虚無だ」
[いいや、それは絶対に違う。賭けても良い]
それは初めて聞く、ロキアスの真剣な口調だった。
[実はたたき台……基本設計はもう完了してるんだ。現状の楽園でもきっと気に入ってくれると思うけど、やっぱり君の意志が必要だからね。具体的には自分の楽園に名前を付けないと完成しないんだよ]
「名前……」
分からないことだらけで、面倒なことだらけで、目の前のロキアスは不愉快だ。
「私はただ、神を殺しにここへ来ただけなんですが」
[君が心の底から願い、それを愉しめるというのならば、きっとカミサマはあの扉の先にいるんじゃないかな。僕はいないと思うけどね]
「……ではあの扉の先には、何があると思いますか?」
[無数の芸術作品と、絵を書く場所じゃないかと思っている]
ふわりと、温かくて強い風を受けたような感覚に陥った。
確かにそういう世界ならば行ってみたい。
というか元々私がいたのは、そういう場所であったはず。
ああそうか、正体不明の感情を抱いて彷徨っていた私は、きちんと望んだ場所へ向かって進めていたんだな。
ドキドキと、胸が高鳴っていくような気がする。
「……ふーむ。なるほど」
[興味がわいた?]
「ええ。少し。……対価としてこちらは何を求められるのでしょうか」
[話しが早くて助かるよ。あの楽園に住まう条件はたった一つ。【天外の狂気】の抹殺だ]
それからロキアスは、とんでもない化け物が来るかもしれないから、来たら殺せという条件を提示した。
とは言うものの、その化け物達は絶滅した可能性が高いらしい。
来たとしても、最盛期に比べるとかなりレベルが低いと推測されている。古の強者はほぼ殺しつくしたようだ。
[ここに来るまでの壮大なドラマがあったんだけど聞きたい?]
「……特に興味はわきませんね。ただ、その化け物の造形は少し気になります」
[あー…………絵に描いてあげたいけど、残念ながら僕は絵心が無くてね]
「まぁいいでしょう。とにかく理解しました。楽園に住んで、化け物が来たら殺す」
[そう。僕達はそのために産まれたんだ]
「ふーむ……我々は存外、下らない理由で産まれたんですね」
[そうだね。だけど――――そのために生きてるわけじゃない]
「……なるほど」
ロキアスもまた、何かを愛しているのだろう。
この不愉快な在り方がソレに関係しているのかもしれないが、まぁどうよろしい。
「理解しました。では、その楽園とやらで神が帰って来るのを待ちましょう」
[……ん?]
「神が帰ってきたら教えてください。殺します」
[……なんでそこまでカミサマを憎悪するの?]
「……そこに私の愛があるのかもしれませんね」
[そうかい。だったらまぁ、とりあえず楽園に名前を付けてあげてよ。愛に溢れた名前を]
「とても難しいことを要求するのですね」
ロキアスにうながされ、私は何も描かれていない扉の前に立った。
[自分が何を愛したか分からないと君は言っていたけど、別に難しく考える必要はない。君が好きなもの。必要なもの。守りたいもの。崇めたいもの。信じたいもの。そういうモノが、きっと近いんじゃないかな]
「…………何も思い付きませんね」
[そっかぁ。それじゃあ、本当はこういう言い方は嫌いなんだけど……一つの指標をあげよう]
「指標、ですか」
[そう。愛の道しるべ。なんか本能に囚われてるようで気に入らないんだけどさ]
そんな風にもったいぶってから、ロキアスは言った。
[殺戮よりも優先して行いたいこと、だ]
「――――ああ、それなら、分かりやすい」
扉に手をかざして、魔力に似たなにかを流し込む。
「この楽園は――――きっとわたしにとって[アトリエと展示会場]なんでしょう」
そう口に出してから思った。
そうか。私は立ち止まることよりも、つまり芸術品を眺めるよりも、まず自分で造り出したいという事を先に願う者になったのだな、と。
扉に刻印が刻まれる。他者から見ると何が書かれているかよく判別出来ないであろう、美しくて醜い刻印が。
[おめでとうポーテンスフ。君は楽園を得た。そこで永遠に幸福な時間を過ごすといい]
「ふーむ……まぁ、とにかく入ってみましょう。少なくとも此処よりはマシそうだ」
[最後に一つ。干渉の魔王という呼び名が、今の君には相応しくない。超越存在である月眼は自身に名を付ける資格があるんだ。……今の君は、なんの魔王かな?]
「…………そう言われましても。私は長らく魔王とすら呼ばれなかった」
[それこそ君が干渉の魔王ではなくなった証拠の一つだよ。まぁ、新しい名前にすら興味が無いというのなら僕が付けてあげるけど?]
「…………」
[あははっ、すげぇイヤそう。君もそんな表情出来るんだね]
「……新しい、名前」
[実際僕は何人かの名前を付けたことがあるよ]
「採用はしませんが、参考までに聞きたい。貴方なら私のことをなんと呼びますか?」
[んー。すごくシンプルに付けるなら芸術の魔王。ちょっとひねるなら、創索の魔王]
「では今後、私は美醜の魔王と名乗りましょう」
間髪入れずにそう答えるとロキアスは目を丸くした。
[……それでいいのかい?]
「構いません。私はあの気持ちの悪い美醜杖を、神の思惑を超えてみせる」
[なるほど。覚悟を込めた名前だったか。うん、いい名前だ]
パチパチと拍手をしてロキアスは一礼した。
[それではどうぞ楽園へ。流石にその中へは僕も(殺される可能性が高いから)入らないけど、いつでも会いに来てね。また色々とお話ししよう]
「さようならロキアス。神が帰ってきた時にでも、また」
二度と会いたくないという感情を隠さずにポーテンスフは別れを告げた。
[その扉の先には、少しのあいだ暗闇が続く。真っ直ぐ進んだらまた扉が見えるはずだけど、とりあえず現在作成中だ。もし扉が見つけられなかったら、少し待ってみてね]
別れは告げた。
だから返事の必要性は、もう無かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ポーテンスフが扉の奥に消える。
ロキアスはそれを見送ってから小さく呟いた。
[声を出すなよカミサマ。……ポーテンスフはまだ連絡通路上にいる。うっかり彼が戻ってきたら本当に殺されるかもしれないぞ。だから爆速で楽園を完成させろ。この扉に描かれたモノに相応しい楽園を]
その言葉に従って、カミサマは何の反応も示さない。
ロキアスは月眼の中央に戻って、どさりと腰を降ろした。
[ふー……久々に怖いって思ったなぁ]
僕とポーテンスフの愛は、在り方が酷似している。
僕は観察。彼は鑑賞。
彼は作品を造りたがり、僕は愉しい結果を造り出す。
本当によく似ている。だけどやはり違う。だからこそ相容れない。
それに性質は似ているけど性能は真逆とも言える。僕の魔法はバリエーションがとても多いけど、きっとポーテンスフの魔法は干渉由来の在り方を深めていくだろう。
[見ているようで、見ていない。話しているようで、ただの独り言……か]
まったくもってその通りだ。
あんなに短いやりとりで看破されるとは思わなかった。
初見殺しでハメるという戦法は、もう使えないだろう。
[干渉を十全に行うために、物事を正確に把握する習性がある、ってとこかな]
弱点を突くどころではない。将来的にだが、ポーテンスフは相手に干渉して弱点を造り出す事が可能になるかもしれない。
そう考えると、今回の収穫は実に良いタイミングであったと言わざるを得ない。
おそらくポーテンスフは美醜杖の影響を強く受けている。
メンタル的な話しではなく、魔法的な話しだ。彼は美醜杖に【干渉】をしかけて、その反対属性の攻撃を食らって、わずかな時間だが解き放たれたのだ。
[放任……もしかしてエゴイスティック化したのかなぁ。怖いなぁ]
もしもの話しだが。彼が「星が爆発する光景を見てみたい」と思えばセラクタルは爆破されただろうし、その後で「もっと良い光景を見るために、更に大きな星を造ろう」と考えれば現在の月眼収穫システムごと吹き飛ばされる可能性が否定出来ない。
まぁ芸術関連にしか目がいってないようだからその可能性は低いけど「やろうと思えばやれるかもしれない」というのは放置していいモノではない。
彼は腐りやすい宝玉だ。まだ熟れてないぐらいでちょうどいい。
[……流石は僕の観察眼。やっぱりポーテンスフなら、いつかクティールに勝てるかもしれないね]
カミサマ達はまだ返事をしない。
とはいえ、これで十二代目の月眼も無事に収穫出来た。
今回の月眼はまぁまぁイレギュラーな点が多くて愉しめた。
カミサマへの憎悪。
何を愛したのか分かっていない月眼。
[ふふっ――――彷徨える創作者に、愛の祝福があらんことを]
僕は短い時間だけ祈って、自分の楽園に戻ったのだった。
ロキアス「というわけで。なんかお前等すげぇ恨まれてたけど、僕が何とか会話を誘導して楽園に入れてあげたから感謝してよねッ!」
オメガ「美醜杖を使うってアイディア出したのお前だよな」
ロキアス「でも恨まれてるのお前等だから! ざんねん!」
アルファ「マジでおまえ本当にマジでおまえ」
後日、カミサマは頑張って誤解をとこうとしました。
ポーテンスフは楽園を気に入ったので「もうどうでもいい」と言ってくれました。
めでたしめでたし。