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我が愛しき娘、魔王  作者: 雪峰
我が愛しき楽園の在り方
265/286

段階を踏まないで提示されたモノ



『あの魔王城には、とんでもないバケモノがいる』


 そんな評価が出回って襲撃者の数は激減したのですが、その代わりに質が高まりました。


 百人の英雄ではなく、野良犬のような……一匹狼のような英雄が稀に襲撃してくるようになったのです。


 どちらかと言えば、その一匹狼たちの方が私にとっては厄介でした。誰も彼も代償系の聖遺物を持ち、その全てが死ぬ前提で突っ込んで来る。自爆型のような聖遺物も多数あった気がします。


 その全てを私は殺戮した。


 正直に言って手に負えなかった。手加減自体は簡単・・・・・・・・だったのですが、そもそも会話不能だったのです。大半が『これが神の意志だ』的なことを叫んでいたし、私がいくら説得しても筆は執らないだろうという確信がありました。強制的に筆を握らせようものなら、きっと筆で刺して来たでしょうね。


 そもそも以前、私は大量の聖遺物を破壊したはずです。


 しかもこちらから打って出たわけではない。向こうが勝手にやって来たんです。


 絶対に勝てない私に挑んで更に武器を減らすよりも、身近にいる魔王を倒すことに励むほうが有意義なのではないか、とも思ったのですが……まぁ私が人間を心配するのも奇妙な事でしょう。ただ理解に苦しむばかりでした。


 私は世界を統べることに興味がありませんでした。だから積極的に攻めるという感覚が元来薄いのです。


 しかし気がついてみれば、実質的には私が世界を統べていた。


 長い時をかけたおかげか、普通に人間の国にも出向けるようにもなっていましたね。目的はもちろん美術館です。本来ならば入場チケットなるものを購入しないと入れないらしいのですが、それを求められた事はありません。私が訪れるだけで人間達はみな物陰にかくれて、ただブルブルと震えているだけでしたので。


 怯えているヒマがあるのなら筆を執って線の一本でも書くか、あるいは子作りに励んで人類の総数を増やしてほしいものだ。何故なら知的生命体の数が増えるということは、イコールで芸術品が増えるということだからだ。……なんて事を当時は考えていたのですが、わざわざそれを口にする必要性がありませんでしたね。ただぼんやりと考えていただけです。


 私は気ままに美術品を見て回っていました。そして城に戻れば筆を執る。


 歩く。見る。書く。歩く。それの繰り返し。


『欲しい物はもう既に持っている』


『この世界に足りないものは無い』


 そんな実感を覚えたのはいつの頃だったか。


 そしてその実感と反比例するように、殺戮衝動を覚えることも無くなりました。


 アリを踏み潰す作業に飽きたのと同じです。


 私は自分がしたい事をずっとしていました。


 今思えば、あの頃の私は自由を謳歌していました。



 ――――だけど、満たされる事は無かった。



 足を止めることを知った私ですが、結局人生を彷徨い続けていたわけです。


 そして、私はそんな状況をとうの昔に受け入れていた。


 殺戮の精霊として発生し。

 殺戮の精霊として振る舞い。

 長い時を経て、私はポーテンスフになった。


 きっと私は死ぬまで彷徨い続けるんだろう。


 それは哀しい安定でした。




 その状況が激変した日。


 全ての安定がひっくり返った日。


 干渉の魔王が、美醜の魔王へと至ったあの日。




「――――失礼します、ポーテンスフ様」


 展示されている美術品を眺めていると、とても珍しいことに魔族が話しかけてきた。


「なんでしょうか」


「……とある人間が、ポーテンスフ様に謁見を求めております」


「ふーむ……?」


 何もかもが珍しい。話しかけられたことも、人間が謁見を求めてくるのも、その判断の是非を問われるのも。


 私がゆっくりと首を傾げると、緊張した様子の魔族はビッと背筋を伸ばした。


「実はその人間なのですが、聖遺物を所有しておりまして」


「それで?」


「…………その聖遺物の、外見というか在り方というか…………とにかく、その聖遺物の雰囲気が奇妙なのです」


「ふーむ……それが私に何か関係するのでしょうか」


 なんだこの下らない問答は、という多少のいらつきを抑えて私が静かに尋ねると、魔族は深く頷いた。


「発動した状態を確認したわけではないのですし、この説明が適切なのかも分かりませんが……とても美しく、それでいて醜いような、そんな聖遺物だったのです」


「ふーむ」


 美しい聖遺物は見た事がある。醜い聖遺物も見た事がある。


 だがそれが同居しているという聖遺物は、確かに見た事が無い。


「我々で対処するのが当然ではありますが。あの聖遺物はポーテンスフ様にとって一見の価値・・・・・があるやもしれぬと、そう思えてならなかったのです」


「よろしい。行きましょう」


 当時の魔族達の審美眼はかなり高かった。産まれた時から美術品に囲まれているような環境なのだからそうなって当然です。その彼等がして「一見の価値あり」と言うのならば見ないわけには行きませんでした。


 案内されるまま進むと、ほとんど足を踏み入れたことがない玉座の間に到着しました。



 そこには一人の老人がうずくまっていました。


「ふーむ」


 聖遺物を所持しているらしいが、それを私に向けないのか? と他人事のように考えながら玉座に腰掛ける。


「それで?」


 端的に言葉を投げかけると、老人が顔を上げました。


「……ふーむ」


 老人の目は、糸で縫い付けてありました。


 意味不明。だけど興味が無いので事情を尋ねたりはしない。


「変わった人間ですね。それで?」


「はい。わたしが持参した聖遺物を、是非とも干渉の魔王様にご覧頂きたく」


 人間。

 聖遺物。

 英雄。

 どう考えてもこの老人は私の敵。


 それはつまり。


「ふーむ……その聖遺物は、視界に入れるだけでダメージが通る類いのモノですか?」


 そんなことを呟くと、周囲にいた魔族達が「その発想は無かった」というギョッとした表情を浮かべた。


「それはそれは。神のする事とは言え、全くもって度しがたい。見ただけでダメージが発生するなんて、太陽以外に私は知りません。……聖遺物、か。理不尽がそこまで行き着けるのだとするならば、そもそも私という存在なんて造らなければ良かったのに」


 まぁ、いい。


 どうせ明日も明後日も百年後も同じだ。


 命に執着してもしょうがない。


 死にたいわけではないが、生きたいわけでもないのだ。


「では見せてください」

「ポッ、ポーテンスフ様!」


 私が老人に促すと、とある魔族が「おやめください」という意思を含んだ声を発したが私はそれを片手で制した。


「さぁ」


 短い言葉で更に老人を促す。

 そうすると彼はそばに置いていた袋に手を伸ばし、そこから一本の杖を取りだした。



 歪な形の杖。


 木製……いや、大理石のようなものも混じっている?


 柔らかさと固さが両立した杖。なるほど、その造形は美しいとも言えるし、彩りが醜いとも言える。だがどちらも水準が低い。珍しくはあるが、わざわざ出向いて確認する程ではなかったな。


 私はひっそりと落胆した。


 だけど何故か、その聖遺物に視線が行ってしまう。


 そして気がつく。今まで感じたどんな聖遺物よりも、格の違う嫌悪感をそいつが発していることに。


 老人が袋から完全に杖を取りだす。


 そして握りしめられた杖状の聖遺物は、ねっとりと稼働し始めた。


「グッ」

「ツツッ!?」


 その杖を視界に収めた数名の魔族が強く怯む。本当に見るだけでダメージが入るとは。


 だが私は特にダメージを負ったようには思えない。


 だけど、それでも、先程よりも強く、まるで瞬きが出来ないくらいに私はその杖から目が離せなくなっていた。


 先端は輝いている。

 その輝きの下には澄んだ光が色とりどりに舞っている。


 そしてその反対側の先端はドス黒く濁っている。

 その濁りは時折杖の内部で攪拌されて舞い上がる。


 境目は常に変動している。領域は常に一進一退。かと思えば混ざり合い、なんとも言えない風味を出すような、あるいは吐き気を催すような気配になり、途端に水と油のように綺麗に別けられたり。


 これは――――なんだ?


 聖遺物だ。

 美し醜く醜い美しさと美しい醜悪さと醜美美醜美醜美醜、

 私の意識は凍り付いた、

 醜美醜美美醜醜美美醜美醜、


 そんな私の凍り付いた意識を融かしたのは、凄まじい怒りの感情だった。


「――――ふざけるな」


 目を封じられた老人も、狼狽える魔族達も視界に入らない。


「意図が分からない。……ハッ、ははは、ハハハハハハハ!」


 なんて滑稽なんだろう。

 なんで許しがたい事だろう。

 なんて素敵なんだろう。

 そう思える自分自身が許せない。

 ふざけている。

 あまりにも舐めている。


 聖遺物だ。

 杖だ。

 美しい。

 醜い。

 全てがイコールだ。


 こんな真実・・をいきなり見せつけて、何がしたいのだ。


 気がつけば私の精霊服は漆黒に染まっていた。


 ああ、そうか。そうだったのか。


 これが本当の、私の殺戮意思か。


 今まで私に巣くっていた殺戮衝動は魔王の本能しくみだ。


 これが本当の、私が望む、殺戮意思・・だ。


 愉快でもないのに私はクックックと嗤いをこらえることが出来なかった。


 そんな私に、老人が声をかける。


「――――なにをそんなに狼狽える事がありましょう?」


「あ?」


「これは神様から、あなた充ての贈り物なんですよ?」


「ほう。神。へぇ。神。実在するとは驚きだ。是非とも【私を造った理由】を聞いてくれ」


 まるで世界が割れる音を聞いたみたいに、数名の魔族が頭を押さえながら膝をつく。まだ立っている者もいるが、控えていた十二体全ての魔族が憔悴していた。


 だが老人は跪いたまま、にっこりと笑顔を浮かべた。


「神様は我々に言葉を投げかけますが、我々の言葉は受け取らない」


「ふーむ……ふーむ! なるほど! ははっ、なるほど!」


 目の前の老人が、私の原初の日を思い出させる。


 あのログハウスの絵がかざってあった家にいた人間。


 産まれて初めて殺戮を(ほんの少しだけ)後悔した日。


 私はまだ・・この老人を殺すわけにはいかない。まだ・・


「では改めて聞かせていただきましょう! そのふざけた杖を、何のためにここへ持ち込んだのです?」


「神様は慈■じあいに溢れた存在です。彷徨えるあなたに、一筋の希望を与えたいと仰っていました」


「きぼう……キボウ……希望ォッ!? はは、はははははは! 神というのは、とんでもないセンスの持ち主なんですね!」


 嗤いながら頭の片隅で(こんなに強い殺戮意思を抑えることは可能なのか?)なんて他人事のように考えた。殺したい。殺してやる。そんな言葉ばかりが胸中で渦巻いている。漆黒の精霊服が、あふれ出る私の殺気を押さえられずにゾワゾワと蠢いた。


「ご老人。貴様は自分が手にしているソレが何なのか、分かっているのか?」


「……もともとわたしは目が悪かったのですが、この杖を神様から与えられた際に自分で封じました。なので、理解しているかどうかと問われると何とも言えませんな」


「そうか! では自分で見て、よく考えてみるといい! 【感症】!」


 一瞬で距離を詰め、老人の顔面を掴みながら魔法を唱える。


 感覚のオーバーロード。ブーストされた感覚は増強され、やがて耐えきれずに焼け落ちる。途端に老人は顔を歪ませて、魔族達と同じ様に苦悶の声をもらした。


「どうだ? 貴様は何を見た? 何を感じた? ヒハッ、ヒハハハハハ! 神が何を考えているかは知らんが、ソイツに慈悲の心なぞ一片足りとも有りはしないッ!」


「ああああああ、あぁ、ああぁ」


 ぷくぷくと、口の端から泡を吹き出した老人を投げ捨てる。


 だけど彼はしっかりと杖を握ったまま。稼働は止まらない。


「最悪だ」


 思いっきり口角を上げて、私は嗤った。


「神からの贈り物だと?」


 ――――実は私は、神が実在するのではないかと思っていた。襲撃してくる英雄達の言動があまりにも具体的だったからだ。神の言葉。神の意志。神の。カミノ。かみのみぞ知る、ナニカ。


「襲撃ではなく謁見を求めてきた英雄はお前が初めてで、要するに違和感の塊だ。そんな怪しい者が、ここまで的確に『刺して』くるとは思わなかった」


 それが神の指示だとするのならば、まぁ、やはり本当にいるのかもしれない。


 煮詰まっていた殺意に、新たな燃料が投下される。


 その神とやらは、一体何がしたくてこんなモノを私に送りつけてきたのだ?


「――――傲慢にも程がある。ああ、きっとその杖は私が求める『答え』の一つなのだろう。正解であり事実であり真実であり、結局のところ究極なんだろう。その杖に比べると私が足を止めてきた数々の美醜なんて、児戯にも等しいことだろう」


 だから許せない。




「私が一生懸命追い求めていたモノを……努力して積み重ねてきたモノを……一瞬で台無しにしてくれるとはな?」




 その神とやらは

  私が足を止めてきた全てを

   無遠慮に無価値にしてきたのだ。


        究極を知った。

 知らされてしまった。


 今まで私の足を止めて、代わりに心を動かしてくれた数々の作品を思い出す。


 だけどそれらの価値は一瞬で無くなってしまった。


 それぐらいに神からの贈り物とやらにはインパクトと価値があった。


 だから、きっと、もしかしたら。


 私は今後、何を見ても足を止めることが出来なくなって。


 本当にただ彷徨い続けるだけの、ナニカに堕落する。



「貴様を例えるなら、そう――――子供が頑張って書いた絵を見て『下手くそが。これが本当の絵だ』と横やりを入れてくる気持ちの悪い老害だ」



 例えその『本当の絵』とやらがどんなに素晴らしくても。


 それをわざわざ見せつけてくる性根が浅ましく、汚らわしく、悍ましく、どうしようもないくらいに気持ち悪い。



 私は、大切なものを踏みにじられたのだ。



 以降、何を見ても全ては「この杖以下」ということになる。それぐらいにこの杖の存在感は私に爪痕を残した。


 寄り道をして美しい光景を見ても、落胆しか出来ない。

 どんなに大きな美術館に行っても、私はもう以前のように立ち止まれない。

 何万枚の絵を書いても、この杖に比べたらゴミでしかない。



 私がされたのはそういう事だ。


 最悪と評するしかあるまい。



 ……もしこの杖がただの杖ならば、私もここまで憤ることは無かったんだろう。


 宝物のように扱って、いつかそれを超えてみたい、なんてことを考えただろう。


 だがこの杖は聖遺物だ。存在自体が気持ちの悪い、生理的嫌悪感の頂点だ。


 襲ってくるゴキブリを歓迎する人間はいない。

 我が家が燃えているのに「綺麗な焚き火だ」と口にする馬鹿はいない。

 どんなに美味い料理を出されても「それ実は毒が入ってるんだ」と言われてしまえば、食う気は失せる。


 そういう事を、この杖はしたのだ。


 私はしたい事がなくなって。

 私に出来る事だけが残った。


「殺戮だ」


 なけなしの理性をそっとポケットに入れて、殺戮衝動の塊に私は戻る。


「どうせその杖、美醜杖なんて名前が付いているんだろう。なんて気持ちの悪い存在だ。在るという事実だけで吐き気がする。死ね。【冠焼爆矢】」


 老人諸共、天から降り注ぐ高熱エネルギーで焼き尽くす。周囲の魔族も、魔王城も全て巻き込んで灰にする。


 ――――はずだったのだが。


「あ?」


 その悍ましい杖は、私が放った魔法を吸収した、ように見えた。


「ははっ、なんだそれは。本当に気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いははははははははは!」


 しね。


「―・―・―・―【干渉】」


 シンプルな魔法。だけど私の存在意義。ありったけの魔力を暴力的に流し込んで、その存在価値をゼロにする。


 ――――はずだったのに。


 再びそのキモい杖は、私が放った魔法を吸収した、ように見えた。


「ふーーむ。ふざけすぎている」


 怒りの感情で脳が灼かれる。憤怒は殺意を生み、強すぎる殺意が思考を凍らせる。


「もういい。へし折る」


 触るのもイヤだが、踏み砕いてやる。


 そんな直接的な行動に出ようとすると、倒れ伏していた老人が震えながら立ち上がった。


「――――はい。仰せのままに神様」


「死ね」


 愉しくも苦しくもない、虚無の殺意。それを老人に向けると、彼はドス黒い方の先端を私に向けた。――――それとほぼ同時、八つの氷槍が地面から飛び出してきた。


「!?」


 理解不能。

 ただ、この攻撃は防がなくてはならないという事だけは理解出来た。


「【還焼】ッ!」


 氷という存在を熱に強制変換。ただそれだけでは追いつかないので精霊服での防御を試みる。溶かしきれなかった氷槍が突き刺さるような感覚を私は覚えた。


「なんだその杖は――――本当に本当に不愉快だ……!」


 袖で顔面を保護していたのはほんの数秒。

 だけどその数秒で、老人はこちらへと距離を詰めてきていた。


「なっ」

「全ては神様のために。我が■は神様と共に」


 この狂信者め……!


 ドス黒い先端が、私の身体に。




 まず生じたのは拒絶の心だった。


 絶対に許せないという、強い気持ちだ。


 大事なもの・・・・・を馬鹿にされた。


 プライドなんて自覚したことは今まで一度も無かったが、だからこそ許せなかった。譲ることが出来なかった。



 やや遅れて生じたのは、解放感だった。


 焦りを失い、熱量を失い、そして何より期待感を失った。


 美醜杖を殺して、老人を殺して、全てを殺して、絶対に神を殺すつもりでいたのだが。


 その全てがどうでもよくなる。


 したいことが消えて。


 出来ることも消えて。


 存在意義という任から解き放たれたような。


 なんか、そんな感じで――――全部どうでもよくて――――。



「ああ、神様……わたしは、見事この役目を」


「死ね」



 それはそれとして・・・・・・・・この美醜杖は殺す・・・・・・・・



 殺戮の精霊である魔王だから、ではない。


 聖遺物が敵だから、ではない。



 私の大事なものを、私のこの感情を、想いを、積み重ねて追い求めて来たモノを、虚仮コケにされてたまるか。


 自ら目を潰した、と言っていた老人の首を掴み、そのままへし折る。


 奇妙な声が漏れて、ビクンと一瞬震えて、だらりと手が降りて、最後に美醜杖が地に落ちる。


「………………………………」


 私は老人を投げ捨てた。


 美醜杖はまだ稼働しているようだった。その美しさと醜さは両先端以外が常に変動している。一瞬で模様を変える細工のように、それはキラキラと濁っていて。


 私はその美醜杖が機能を停止するまでずっと眺めていた。触れる事さえせず、殺した老人の事も秒で忘れ、地に伏して苦しんでいる魔族達も放置して、ただ見つめ続けた。


 やがて輝きと闇が収まって、美醜杖はただの杖に戻る。


「…………………………」


 やられた。


 心に傷、どころの騒ぎではない。

 脳裏に刻み込まれてしまった。


 美醜杖への賞賛と嫌悪感が溢れて止まらない。


 困った。


 どうすればコレを殺せるだろう。


 ただ破壊するだけでは足りないのだ。


 きちんと正しく殺して抹消して殲滅して殺戮しなくてはならない。


「はは……」


 やりたい事がない。

 出来ることがない。

 したい事がない。

 求めるモノがない。

 別に殺戮なんて興味無い。


 けれども、それでも、この美醜杖は殺す。絶対に殺す。


「はははははははは!!!」


 未来を退屈なモノにされてしまったのに、嗤いが止まらない。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



[なんか思ってたのと違う]


 僕はそう呟いてみせたが、カミサマ達は返事をしなかった。


[美醜杖を虚空からサルベージするの、めちゃくちゃ大変だったんだけどな……本当にめちゃくちゃ大変だったんだけどな……。なのにまさか怒るとは。いや、怒ってたよなアレ?」


《憤怒と呼ぶに相応しいモノだったと思う》


[なんだっけ。えーと『一生懸命追い求めていたモノを、努力して積み重ねてきたモノを台無しやがって』みたいなこと言ってたけど……はて? 芸術に執着があることは分かってたけど、なにかニュアンスが違うとは思わないか?]


《ニュアンスとは? 彼の言葉通り、ポーテンスフは一生懸命だったし、努力していたのではないか?》


[いや愛の在り方が、なんか普通とは違うような気がするんだよね……事実、彼は憤怒こそ抱いたけど月眼には至ってない。むしろ銀眼化しそうな勢いだった]


 まぁ愛に普通もクソも無いか、と僕は独りごちる。


「つーかなんだあの高等管理者。なんでポーテンスフに攻撃を仕掛けてんだ。契約違反だぞプンプン]


《契約の解釈に齟齬が生じたのだろう。あの時のポーテンスフはあまりにも危険だった。一度目の攻撃は広範囲を灰燼にしてしまっていただろうし、二度目の攻撃に至っては強烈な概念魔法だ。しかも彼の属性由来そのものの》


[……魔王による世界の危機が生じたから、それを最優先で処理しようとしたってこと? はぁ、まったく。これだから狂信者というヤツは]


《美醜杖を解放出来て、なおかつこちらの指令通りに動いてくれる人材はとても貴重なのだがな》


[そりゃそうだ。確かに解放出来ただけでもすごい。まさか自分の目を縫い付けるとは思わなかったけど]


 まさにセルフ拷問だ。愛がなきゃ出来ないね。


 神様を愛してたみたいだけど、指令元がカミサマだったのがちょっと可哀相ではある。あの高等管理者が愛を捧げていたのは、もっと高次元の概念だったはずだろうに。


[まぁとにかく、こちら側としては丁寧に慎重にすごく繊細かつ多大な労力を割いてまで実行した計画だったんだけど、まさか怒るとは思わなかったよね。しかもただ怒るだけで、月眼には至れなかった]


《………………。》


[どう思う? 計画は失敗かな。リセット機構八体ぐらいぶつけてみる? それか僕が暗殺してくるけど]


 そう尋ねるとアルファは《惜しいが、殺した方が安全だとは思う》と言った。

 他のカミサマ達は解答を控えて、オメガが《……むぅ》とうなった。


[言いよどむなんて珍しいねオメガ。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに]


《回答が難しい。第一級神理聖遺物に触れた強大な魔王、という肩書きだけで考えるならば即座に抹殺するべきだとは思う。しかし同時に……月眼候補だ》


[もったいない?]


《はっきりと言えばそうだな。だが命を賭けるほどの惜しさではない》


[割り切れない時ってあるよね。でも決断は必要だ]


 ちらりと目の前の画面に視線をやる。


 ポーテンスフはずっと嗤い続けていた。


[……美醜杖の何がそんなに気に入らなかったんだろ。まぁ担い手も死んだし、今じゃただの棒きれだ。聖遺物の哀しい宿命だね。今更の確認だけど、アレって破壊しても大丈夫なのかい?]


《どちらかと言えば虚空に放置している方が安全ではあるが、あの状況で盗み出すのは不可能だろう》


[確かに。かすめ取るだけなら出来そうだけど、変に追ってこられたら迷惑だ。それどころか行き先を間違えて【源泉】にまで突入するかもしれない]


《やはり早急に抹殺しよう》


[……とても大事なことだから一つ言っておく。僕はこの先の様子を観察したい]


《神理の一番奥に手が届きうる存在なぞ、あってはならない》


[それには同意する。でも、それでも]


 つまらなそうに嗤うポーテンスフを見て僕は想った。


[ただ報われないだけの悲劇よりも、もっと良い結末がありそうな気がしてね]


《根拠は?》


[無い。強いて言うなら経験則カンだよ]


 画面の中のポーテンスフはずっとずっと嗤い続けていた。






[いやちょっと待て。流石に嗤いすぎじゃないか?]


 ポーテンスフが嗤い初めてから一時間以上が経過していた。その間にカミサマ達はリセット機構の起動準備にかかっていたのだが、何やら様子がおかしい。おかしすぎる。


《確かに……》


[壊れたか? いやでも何で? 美醜杖の見た目のインパクトがいくら強いからって、こんな風に壊れることある? 普通の生き物だったら、とっくに腹筋が断裂してるぞ]


《……まさか干渉魔法の弊害か?》


[干渉。ポーテンスフが放って、美醜杖が食って吐き出したヤツか。……あれって属性を逆転させるんだよね?]


《そのはずだ。干渉の逆……シンプルに答えるならば、放任・・だな》


[放任。任務を放棄する、あるいは責任から放たれる。――――その結果、嗤い続ける存在になった。はい、意味不明でーす]


 しかも全然愉しそうじゃないのが怖い。


 下手すれば泣いてるようにも見える。


[美醜杖に対して、何をどうするつもりで干渉したのか……その逆転の結果……うーん、情報が足りないから判断出来ないね]


《……久方ぶりの失敗だ。きっとそこには我々では思いもよらぬ要因があるのだろう》


[そういうもんかね。僕は初めての失敗で、まぁそれ自体は目新しいケースだから観察には値するけど……うーん……]


 ポーテンスフは一体何を愛したのだろうか、いいや、愛してないからこその結末なんだろうけど。


 やがて神理を食らって倒れていた魔族が一人、上半身を起こした。


[おっ、すごいぞ。発狂死したヤツもいるのに、まだかろうじて知性が残ってる]




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ぽー、てんすふ……さま……」


 魔族の一人が私の名を呼んだ。


 スッと嗤いが収まって、私はその魔族を眺める。


「ぽーてんすふさま……」


「なんだ」


「……ああ、ご無事でしたか…………」


 安心しました、と呟いてそいつは目を閉じた。ついでに呼吸も止まった。


 ……無事? 無事とはなんだ。どういうことだ。


 ああ美醜杖の攻撃か。


 見るだけでダメージが発生し、私の魔法も無力化し、あまつさえ強大な力を顕現させてみせた。あまりにも強力な聖遺物。


 そういえばまだ殺してなかったな。


 ちらりと視線を投げかけると、完全に沈黙した様子の美醜杖が転がっていた。輝くことも、闇を抱えることもなく、枯れ木と鉱石が混じったような杖がそこにはあった。


 美しいような、醜いような。変な杖だ。……もう先程までの強烈な生理的嫌悪感は無い。稼働していないからだろう。


「ふーむ」


 手に取って、少し考える。


 ただ壊すだけでは足りない。


 こいつを正しく殺す・・・・・には、どうすればいいだろうか。





「筆にでもしてしまうか」








◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



[は?]



 ポーテンスフは尋常では無い魔力を込め、聖遺物である美醜杖に干渉した。


 木製のような部分と、鉱石のような部分が一緒くたに圧縮される。そして膨らみ、また縮み、カタチが形成され整形され、見た目が十分の一ぐらいにサイズダウンする。


 そうして美醜杖は聖遺物としての機能と存在価値を失い、ただの筆になった。


[聖遺物をリサイクルするって、どんな発想だよ]


 思わず呆れてしまったが、とても愉しい光景なので嗤ってしまう。


 そして僕は嗤ったまま固まった。


[おい]


《どうした》


[今の光景、記録取ってるよな。少し時間を戻してくれ]


《よかろう》


 ほんの十秒前の光景が別の窓に映る。


[スローで再生してみてくれ]


《……………………えっ》


[うん。ほんの一瞬だけど……これは]



 停止された光景の中。


 自分が創り上げた「筆」を、ポーテンスフは月の色をした瞳で見つめていた。



 次の一秒では通常の色に戻ってしまってはいたが、間違いなく月眼。


[おい。何がなんだか分からないけど、ポーテンスフは資格を得た。だったら招集出来るんじゃないか?]


《……今は月眼ではないようだが》


[関係無いだろ。熟れたから収穫するだけだ。やってみよう]



 その後、カミサマ達の間でも《あの状態のポーテンスフは危険ではないだろうか》とか《招集しても答えてくれるかどうか》みたいな消極的な意見が相次いだけど、結局のところ彼等は本懐である【月眼蒐集】のルールに従ったのだった。



 最強の月眼であるクティールに勝つ可能性を持つ者。


 初見殺しでハメ殺すのが、つまりは暗殺が最適解と知りながら、僕は彼の来訪を待ちわびたのだった。







聖遺物は多種多様な攻撃方法を持つ。


そして物理攻撃以外の特殊な方法は、応用力が高かったりシンプルに強力だったりするが。


その攻撃は、愛を害せない。



ポーテンスフと美醜杖は出会うべきではなかったけど、それでも。





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